「監禁愛4」 第4章
「いや……だからそれは失言だろう」
もしかして私はまずい事を言ったのだろうか?と、幾浦が思ったときには遅かった。
「失言で済みません。私は本当に心配していたのに……会いたいと帰りたいと考えて……それなのに……リーチは……」
ようやく浮かせた腰を椅子に下ろし、名執は視線を地面に向けてそう言った。
「だからそれは……」
まずい……
「私が依頼人だと思えばいいのです」
完全に怒らせてしまった……。
「名執……」
「早々に帰るつもりでしたが、その話を聞いて考え直しました。当分戻りません。疑われているのに帰国して、リーチにそんな目で見られるのはごめんです」
……
ああ……失敗した。
幾浦は本当に後悔したが、どうにもなりそうに無かった。
「いや……だから……」
「幾浦さん。お会いできて感謝します。リーチの気持ちが分かりましたから」
きっぱりと名執はそう言った。
「おい、それは違うぞ」
「いいえ。リーチに伝えて下さい。私のことを信じられない人と会うために戻るつもりはありません……と」
「いいのか?それで」
完全にこちらの言い分は耳に入ってはいなかった。
「ええ」
「お前が……それで納得しているのなら……仕方ないが……」
「納得?納得できないから帰らないと言っているのです」
名執がこんな風に言うのを幾浦は初めて聞いた。リーチと喧嘩をするといつもこんな風なのだろうか?幾浦は名執の剣幕にふとそう考えた。
「私にかみつかないでくれ」
苦笑しながら幾浦はそう言った。
「す……済みません……」
急に我に返ったのか、名執はそう言って平静を取り戻した。同時に幾浦の携帯が鳴った。
「幾浦ですが……はい……ええ、明日には……」
会社からであった。
「済まない名執。私も時間が無い。このまま帰国するが、余り根を詰めすぎないようにしろ。お前痩せたぞ」
以前会ったときより名執が痩せていることに幾浦は気がついていたのだ。
「え、ええ。ありがとうございます。大丈夫ですよ」
そう言って名執は笑みを見せた。
「リーチの事だが……」
「今まで危険なこともリーチはくぐり抜けてきたのでしょう。私がいたところで何も出来ません」
名執は完全にへそを曲げてしまったようであった。
「分かった。私はもう何も言わんよ」
仕方なく幾浦はそう言った。
「ああ、そうだ。お前にこれを渡しておくよ。プライバシーを守るのは自分自身だ。分かるな」
続けて幾浦はそう言うと、先ほどの探知機を名執に渡した。
「宜しいのですか?私はありがたいですが……」
「ああ、社には有り余っているからな。実はその中のチップはうちが作っている。宣伝だよ。それと、トシのメール番号だ。メールなら自由に使えるだろう」
言って幾浦は今度は小さなメモを渡した。
「ありがとうございます」
「しかし冗談抜きで、気をつけた方が良い。どうもお前がらみのようだからな」
「……」
「いくら馬鹿でもそのくらい分かるだろう。誰かがお前達の間に割って入ってこようとしているぞ」
「はい。ですが……私はリーチを信じております。大丈夫です。私の方も誰がこんな事をしているのか考えてみます……」
端正な表情に影を落とし、名執はそう言った。
「今はピンと来る人間はいないのか?」
「……ええ」
返事がやや遅いのを幾浦は敏感に感じ取っていた。思い当たる節があるのだろうか?しかし、その事を幾浦は尋ねることは出来なかった。
「気をつけて……トシさんに宜しくお伝え下さい」
顔にやや明るさを戻した名執はそう言って笑みを見せた。
「ああ」
幾浦は苦笑しながら研究所を後にした。
名執は自室に戻ると早速幾浦からもらった探知機をかざしてみた。するとあちらこちらから盗聴器が出てきた。
「一体誰が……」
名執は気味が悪くなってきた。誰かが自分を監視しているのだ。
一体誰がこんな事を……
そうして集めた盗聴器をすべて壊し、考え込んでいるとケインが入ってきた。
「雪久、午後からのオペだが……」
「え、あの……」
机の上に集めた盗聴器を名執はさっと隠したつもりであったが、めざといケインがその事に気付いた。
「何だその机のものは」
「え、ええ……」
ケインを信用して良いのか分からなかったが、名執のネームプレートにつけられていた盗聴器のこと、自室に隠されていた盗聴器のことを話した。
「気味が悪いな……そんなことする奴はここにはいないはずだが……」
腕組みしたケインはそう言って唸った。
「私も……そう思いたいのですが……それに電話の事ですが……」
繋がらない電話……
こうなってくると不自然です……
「ああ、隠岐さんと連絡が取れないと嘆いていたことか……」
ケインはそう言って組んでいた腕を解いた。
「ええ、あちらも繋がらないと言っているのです……。この研究所の外線はすべて交換手を通しますので、そこが怪しいと隠岐さんは言っているのですが……私にはにわかに信用できないのです……」
交換手に恨まれるような事など無い筈だからだ。何より名執は交換手だ誰なのかも全く知らない。分かっているのは数名の女性の交換手が居ると言うことだけだった。
「……そうだな……だが隠岐さんが嘘をつくわけもないしな。だが、向こうに誰か違う人が出来て居留守を使っていることも考えられるんじゃないか?」
からかうようにケインはそう言った。だが、本気でそう言っているのではないことが、銀縁眼鏡の奥から見えるケインの悪戯っぽい目に現れていた。
「冗談はよして下さい……」
ケインはからかっているのだろうが、名執の方は冗談を聞けるほど今は気持ちの余裕が無かった。先程見つけた大量の盗聴器が気味悪く、気になって仕方ないのだ。
「交換手の方は……そうだな……私がそれとなく当たってみよう。三人いるうちの一人、レイラは私の姪っ子なんだ。だからこっそり事情を聞いてみるよ」
ニコリと笑いケインはそう言った。
「ありがとうございます」
「ストーカーだな……」
おもむろにケインは言った。
「ですが……この研究所の方は顔見知りの方ばかりで……。ストーカーなんて……」
困惑しながら名執はそう言った。
「お前は警戒心がなさすぎる。日本じゃどうか知らないが、分かってみると、え、あの人が……信じられない……と言うことになるのだ。それにお前は色気があるからな……妙な妄想を隠れて抱く輩もいるだろう」
ニヤニヤと口元だけで笑ったケインはそう言った。
「妙な妄想……」
名執は困ってしまった。
「ま、とにかく、誰に対しても気を許さずに気をつけろと言っているのだ。レイにも言っておく。私達もそれとなく所内に目を光らせる事にしよう。ま、あいつは鈍感だから期待できないが……」
レイは鈍感と言うより人を疑うことが出来ないタイプなのだ。
「ところでオペの話ですが……」
名執が話を変えるようにそう言った。昼から一件難しいオペをする事になっていたのだ。その件でケインに相談したいことが名執にはあった。
「ああ、お前が担当しているやつな、あれは私に回ってきた」
知らなかったのか?という表情でケインは言った。
「え?シフト替えですか?」
その連絡を名執は貰っていなかった。
「いや、よくわからん。が、プロフェッサーがそう言うのだから仕方ないだろう。理由はほら、お前専属の例の我が儘患者の希望だそうだ」
グランマイヤーの事であった。
「我が儘患者ではありませんが……」
困惑したような顔で名執は言った。
「あの人、お前を専属にしたいとプロフェッサーに言っているそうだ。えらくお気に召したようだぞ」
「……」
ケインの言うことを名執は否定が出来なかった。
「昼からのお前担当のオペが流れたのも、今日、雪久に回診してもらいたいからだそうだ」
呆れた風にケインは言った。
「……確かにあの方には困っているのです……医者を神か何かと勘違いされているようです。死ぬだろうと覚悟していたにも関わらず、助かった時の患者さんの態度は皆ああいうものですが、あの方の場合少し度が過ぎるような気がします。その事で心療内科のキアニスに相談しようかと思っていたところです」
深い溜息を付いて名執は言った。
確かに今までに見た奇蹟を並べてみろと言われたとすると、あのグランマイヤーのことが出てくるだろう。それほどグランマイヤーのオペは上手く行った。だがそれは名執の腕というよりも、新しい術式と、新薬が上手くグランマイヤーの身体に合っていたというだけのことなのだ。
何事も合う合わないがあり、それが全ての要素でピタリと当てはまると、今回のような奇蹟が起こることもあった。そうである為、名執だけの力ではないのだ。それをグランマイヤーは誤解していた。いくらその事を説明してもグランマイヤーは聞く耳を持たないのだ。
頑固に否定はしない。だがやんわりと否定するのだからもう名執には言いようが無かった。
だが医者にそこまでのめり込まれると後が大変なのを名執は知っていた。もしこれで様態が急変し、やはり駄目だったと言うことになると今度医者は悪魔のように言われる場合がある。
どちらにしても名執には大いに困ることだった。
「それはやめたほうがいいぞ、キアニスが出ていったらあの爺さんへそを曲げるどころじゃ無くなるぞ。お前には、いつも笑顔で対応しているようだが、ああ見えてあの爺さんはエベレスト級にプライドは高いからな。惚けてはいないと怒鳴り散らすだけで済めばいいが……」
慌ててケインはそう言った。
名執にはケインの慌てようが分からないのだ。何より名執が来た頃、既にグランマイヤーはこの研究所に居た。そして死が間近に迫っていたのだ。それまでの事は噂では聞くが、名執に対してグランマイヤーはいつも笑顔で、穏やかに対応してくれる所為か、その怖さが分からないのだ。
「そうでしょうか……」
「あの爺さんに関してはプロフェッサーも強く言えないところが辛いのだと思うぞ。あの人の寄付は莫大だからな。ここの会計が回っているのもあの人のお陰だそうだ」
「……」
それを言われると名執は辛かった。自分さえ少し我慢すれば良いと思うのはそれがあるからだ。
グランマイヤーはアメリカでも屈指の資産家である為、金は唸るほどあるのだ。慈善事業と言い、病に倒れる以前からこの研究所にかなりの金を落としてきた。だからグランマイヤーにすると、この研究所自体、自分の所有物のように思っている節があった。
名執にはグランマイヤーが何をしてそれほど一代で築いたかは知らなかった。と言うより元々そう言う事柄に興味が無いのだ。そうであるからグランマイヤーに聞くことも、周りに聞くことも無かった。時折小耳に挟む噂だけがグランマイヤーという人物の事を知る唯一の情報であった。
「だがな名執。それはこの研究所の問題であって、お前がそれを背負うことなど無いのだ。あのまま逃げ出しておけばよかったものの……帰ってくるとは思わなかったぞ」
「レオナードさんの必死になる姿を……振り切れませんでした」
目の前で死ぬかもしれないという患者を置いて、名執は立ち去ることが出来なかった。それが優しさから来るものなのか、医者としての義務感であるのか名執自身にも分からなかった。
「そう言う優しさにつけ込まれているのだ」
困ったようにケインはそう言った。
「私は優しくなど……」
「態度をはっきりしないと泥沼になるぞ。ずるずる帰国が伸びてお前達の関係がおかしくなっても責任は取ってやれん。その辺りをもう少し考えた方がいい。いくらお互いが信頼しあっても、距離や時間は簡単にそれをぶち壊すものだからな」
意味ありげにケインは言った。ふと名執は彼にそんな経験があったのだろうかと考えた。そう思えるような態度であったからだ。
だがそれを聞くことを名執はしなかった。するつもりもなかった。
「大丈夫ですよ……」
名執は本当にリーチを信じていたからだ。リーチは名執を信じているから、この研究所に来ることを許してくれた。そのリーチの気持ちを大事にしたいと名執は思っていた。
「お前がそう言うのなら……おっ?」
そこにレイが勢いよく扉を開けて入ってきた。
「僕、日本に行くことになったんですよ!」
突然レイが半分興奮しながらそう言った為、名執はどういう意味か良く分からなかった。
「何だレイ。どうしてお前が日本に行くんだ?」
ケインは驚きながらそう言った。
「スノウの穴埋めだそうです。あちらからそろそろスノウを日本に帰して欲しいって話があって、それがほら、またスノウの滞在が伸びたじゃないですか……。その代わりに僕が行くことになったらしいんです」
困惑した顔でレイは言った。
「お前……帰ってこれないかもしれないぞ……」
驚いた顔のままケインは言った。
「え……そんなぁ……冗談止めて下さい」
ケインは本気で言ったようであるが、レイは分かっていないようであった。
「それは……プロフェッサーが……そうレイに……」
名執はケインの驚き以上に驚いていた。
どういうことなのだろう……
私の代わりって……
「そうなんです。さっきプロフェッサーに呼ばれて……」
頭を掻きながらレイは言った。
「お前は承諾したのか?」
ケインが信じられないという口調で言った。
「仕方ないじゃないですか……承諾するしか……。それに僕、日本でちょっと勉強してみたいって思っていましたし……」
下向き加減の表情でレイはそう言った。
「お前は本当にお気楽な性格で羨ましいぞ」
眼鏡を直しながらケインはそう言って深い溜息をついた。
「……そんな言い方しなくても……」
じ~っとケインの方を見ながらレイがそう言った。
「それに雪久の代わりなどお前に務まるわけがないだろう」
馬鹿かお前はというケインの態度にレイが肩を竦めた。
「それは僕も言いましたけど……向こうも手が足りないみたいで……」
そういうレイの声は最初の声の大きさらからすると小さくなっていた。
「だったら……私が帰ります……」
名執はようやくそこで言葉を発した。
「……お前をここに引き留めたくて、レイをうちから出すんだろう……」
「……私は……」
ずるずる自分がこの場所に引き留められていくのが名執にも分かった。それを振り切るにはやはりどうあっても自分が無理矢理帰らなければ収拾がつかないようだ。
まだ動けるうちに帰るのが得策ではないか?答えは出ているにも関わらず、名執はどうして良いか決断がつけられなかった。
盗聴器の事もある……
リーチ達が危ない目に合っているものこちらに問題がある……
それら全ての原因はこちら側にあるのだ。
私がそれを確かめないと……
その気持ちが名執に帰国を断念させた。
リーチ達が動けないのだから、私が何とかしないと……
リーチに誤解される原因を作った、まだ顔の見えない相手をどうしても名執は許せないのだ。
私が絶対突き止めてみせる……
「いつ……出るのですか?」
ようやく心を落ち着けた名執はレイに聞いた。
「今日の午後には……急なんですけど、あちらも大変だそうです」
顔を少し上げたレイはそう言ってニコリと笑みを作った。
「しかし、お前は日本語は全く駄目だろう」
当然のことをケインは言った。
「オペだけの助っ人です。とにかく僕、準備があるので……」
「隠岐さんに会ったらスノウは元気にしてますって言っておきますね」と言い、レイは部屋から出ていった。
「おい、雪久。どうするんだ。本当にお前……日本に帰れなくなるぞ」
「プロフェッサーは……私を帰すつもりは無いのでしょうか……」
考えたくないことであったが、状況からそう判断するしかなかった。
「たぶんな」
「逃げ出したいのはやまやまですが……色々調べないといけないこともありますので……」
それが済んだら……
もう誰が引き留めようと……
誰に何を言われようと……
私は帰る……
絶対に帰る……
「電話の件と盗聴器の件か?」
そんなものは放って置けという風なケインの口調だった。
「もう一つ、殺し屋の件です」
視線をケインにまっすぐ向け、名執は言った。
「なに!」
ケインは今までで一番驚いた顔を名執に向けた。
「篠原さん……お腹……痛いです」
トシはそう言って腹部を押さえた。
警視庁に監禁三日目の晩から腹部が痛かったのだが、こんな風に閉じこめられた所為でストレスが溜まり、そこから来る神経性の痛みだとトシは思っていた。だが本日はシクシクとひっきりなしに痛み、その部分は胃でも腸でも無いことにトシはようやく気がついたのだ。
『もしかして……盲腸とか言う?』
リーチがトシに聞いた。
『右の方だから……もしかしたらそうかも……痛い』
昨日の痛みとは雲泥の差があった。兎に角痛くて仕方ないのだ。
『そう言えば時々痛かったけどあんまり気にしなかったな……代わろうか?』
痛みを引き受けるのはいつもリーチだった。だがいつもリーチがその役目を引き受けるのは不公平だと考えていたトシは、交替する気がなかった。
『大丈夫……と思う』
お互いそんな会話をし、「篠原さん……痛いです……」と篠原の方を向きトシは言ったが、全く取り合ってくれなかった。
「そういう使い古された手を使うなって……」
呆れた風に篠原は言った。
「ホントに……痛いです」
痛みが益々酷くなり、トシは脂汗が出てきた。
「篠原さん。本当に痛そうですよ」
婦警の中田がトシの様子を見てそう言った。
「え、マジ?」
篠原がやっと腰を上げた。
「痛いです」
トシはそう言って笑おうとしたが、痛みで顔が強ばった。そんなトシに篠原はただ事ではないとようやく思ったようだった。
「救急車を呼んだ方がいいかな」
篠原はトシの身体を支えながらそう中田に言った。
「そうですね。私、係長に電話します」
中田はそう言って受話器を上げ、内線を入れた。
「そうして。隠岐、痛いか?」
覗き込むようにして篠原はそう言った。
「痛い……です。ちょっとまずいかも……」
篠原に抱えられるような格好でトシは前向きに身体を倒していた。痛みは断続的に身体を走った。
「篠原さん、里中係長が救急車はまずいから覆面を使えって言ってます。変に護衛をつけると目立つから篠原さんが運転していけって……」
中田はそう言った。
「分かった。じゃ、悪いけど中田さん、覆面を用意してくれる?」
「はい。地下駐車場に用意します」
「じゃ、隠岐は……そうだな。犯人役にでもなってもらうか……上着を被ってりゃそう見えるだろ。なんなら手錠もするか?」
くすくすと笑いながら篠原はそう言ったが、トシは笑うに笑えなかった。
「冗談……言ってる場合じゃないです……」
涙目でトシは言った。本当に痛かったのだ。
「悪い……」
表情を引き締めた篠原であったが、それでも顔に笑いを残していた。
早急に車に乗せられトシ達は警察病院に無事についた。そして受付で見たことのある医者を見つけた。
「レイさん?」
「隠岐さん。どうしたのですか?」
レイは驚いてそう言ったが、驚いたのはトシの方であった。
「以前会った外人さんじゃないか……この病院の医者だったのか?」
篠原も同じく驚きながらそう言った。
「名執先生の替わりに今こちらに助っ人で来ているのです。どうしたのです?」
とレイが普通に言ったことをトシは複雑な気持ちで聞いた。バックでレイの言ったことを聞いている筈のリーチは無言で何も言わない。
「……」
「こいつ腹が痛いって言ってさ、診察してもらいたいんだけど……」
篠原はトシが痛みで言葉が出ないと思ったのか、気を回して言った。
「先に内科で検診を受けてもらうことになりますね……え……と内科の先生は……南原先生です。ちょっと待って下さい。すぐに見てもらうように言いますから」
そうして早々に診察を受けると、やはり盲腸であった。かなり進行しているらしく、夕方には手術する事になり、入院を余儀なくされた。
病室はいつも入れられている個室で、窓ガラスが防弾になっている所だ。そして入り口付近には警察官が二人張り付いた形となった。
「ははは……盲腸だってな。なんだお前まだ取ってなかったのかよ」
篠原は笑い声をあげながらそう言った。
「そうですよ」
リーチは困惑した顔を作り、そう言った。こういう場合はリーチへと主導権が移るのだ。傷などの回復力はリーチが主導権を持っている方が早いからだった。
「かっこわりーな」
涙目で篠原は相変わらず笑っていた。
「放っといて下さい……」
「で、まだ痛いか?あ、そうそう、お前のオペはあのレイっていう先生だってさ。そうそう、お前が内科で診察を受けている間に今のやばい状況は話して置いたから……。あのレイって医者はこっち来たばっかりみたいで、この間の事も知らないだろうから……。まあ……また何かあるとは思わないけど、もしもの時のことを考えるとな……」
ようやくまともな事を篠原は言った。
「そうですか……ありがとうございます。痛みですが……今のところはおさまってます」
先程、痛み止めを打ってもらった為、痛みは収まっていたのだ。
「でも隠岐、そんなになるまで気がつかないって……お前って実は凄い鈍感?」
と言って篠原はまた笑いモードに入る。
何がそんなに楽しいんだよ……
あーーむかつくーー!!
リーチはこの篠原の態度に先程からむかついていたのだ。
「だから……先生もおっしゃってたでしょう。痛みには個人差があるって……気がついたら酷くなっている事もあるって……」
「今日入院して夕方すぐだぜ」
笑いが止まらないのか、篠原は笑いながら言った。そんな所にレイがやってきた。白い白衣が私服を着ている姿より大人っぽく見せている。
「隠岐さん。痛みはどうですか?」
レイはそう言ってベット脇に立った。
「ええ。痛み止めが効いているみたいで大丈夫です」
リーチはレイにそう言って笑みを浮かべた。
「じゃ、俺、一旦警視庁に戻るから……しばらくは大丈夫だろうし」
篠原はそう言って立ち上がった。
「済みません……皆さんに宜しくお伝え下さい」
「言っとくが……逃げんなよ」
先程の笑みなど感じさせない真剣な表情で篠原は言った。
「分かってますよ」
リーチはそう言ったのだが、篠原の方はそれを聞き、不審気な顔をしながらようやく出ていった。
「事情は伺いましたが……大変なことになっていたのですね」
先程篠原が座っていた椅子にレイは腰をかけてそう言った。
「私は構わないのですが……巻き込まれる人のことが心配で……。もう既に何人か巻き込まれていますし……大した傷ではないことだけが救いなのですが……」
溜息を付きながらリーチはそう言った。
「……スノウは知っているのですか?」
「え、ええ。話しました。でも今帰ってこられると巻き込む可能性があったので、良かったと思っているんです。以前、友人を巻き込んで大変なことになりましたから……」
言ってリーチは目を閉じた。
「隠岐さん……こんな個人的なこと聞いて申し訳ないのですが……」
レイは聞き難そうにそう言った。
「なんですか?」
閉じた目を開けてリーチは言った。
「スノウと上手くいってます?」
……
何でこいつがこんな事聞くんだ?
「え?突然何を言ってるんですか……上手くいってますよ」
リーチは笑顔でそう言った。
「それなら良いんですが……ケインが変なこと言ってたので」
ややこちらから視線を逸らせてレイが言った。
「ケインさんが?」
ケインは何を言ったのだろう……
「僕がもう戻れないって……だからスノウはあちらに留まるんじゃないかって……そんなこと無いと思うのですが……」
向こうにいるケインもそう感じているのなら、何かがやはり名執のいる場所で起こっているのだ。
「私は先生を信じていますよ。彼は彼の役目を終えたら戻ってきます。先生は責任感が強い方だから、すぐには戻れないでしょう」
役目を終えたらユキは戻ってくる……と。
そう思うことで自分を抑えていないと、今動けない状況にリーチは暴れ出してしまうだろう。それほどリーチは名執が側にいない事にいらついていたのだ。
「でも……隠岐さん寂しいでしょう」
苦笑しながらレイはそう言った。
「隠岐さんっていうの止めて下さい。隠岐で結構ですよ」
どうもさん付けされると気持ち悪いのだ。
「そんな……駄目ですよ。それより僕のことレイで構いません」
「駄目ですよ先生……」
そう言ってお互い笑いあった。
「寂しい……寂しいですね……こういう不安なときは側にいて欲しいです」
ついリーチは本音を言っていた。
ユキの笑顔を見なくなってどの位経つのだろう……
その温もりを最後に感じたのはいつだったか……
そんな事を考えリーチは、心の中で溜息を付いた。
「スノウがいない間、僕が代わりに側にいますよ。いい話し相手にはなるでしょう」
そう言ってレイはにっこりと笑った。リーチはそれを意外にありがたいと思った。
「嬉しいこと言ってくれますね……ありがとうございます」
「やだな……ただ僕はスノウのいない間に隠岐さんに虫が付かないように見張るつもりなんですよ。だから感謝されると困ります」
くすくすと笑いながらレイは言った。
「あ、それも困る」
思わずリーチはそう言って困惑した表情を作ってみせた。
「それと、僕が隠岐さんのオペを担当しますので……」
何故か胸を張ってレイはそう言った。
「えっ」
このお子さまが俺のオペをするのか?
と、真っ先にリーチは思ったのだ。
「難しいオペも出来るんですけどね。まずは簡単なものからってことです」
「なんだか……心配ですよ……」
それは本心だった。
「大丈夫任せて下さい。じゃあ……また後で……」
そう言ってレイが立ち上がり出て行こうとすると、見知らぬ看護婦が入ってきた。その瞬間、危険を知らせるベルが心の中で鳴り出した。
『リーチ!』
ボーっとバックで二人の会話を聞いていたトシが緊張した声を上げた。