Angel Sugar

「監禁愛4」 第13章

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「リーチ……」
 期待に満ちた瞳を向け名執はリーチのシャツのボタンに手をかけた。だがリーチはそれをやんわりと押しのけ、ボタンを数個自分で外すと、一気に脱いだ。
 上半身裸になったリーチの身体には、包帯とテーピングが施されている。その姿を見た名執は自分がリーチに求めたことを恥じた。
「……ごめんなさい……やっぱり……ん……」
 俯き加減の名執の顎を掴んだリーチは、申し訳なさそうな表情をしている顔を上に向け、そのまま唇を合わせてきた。
「……ん……」
 口内に入ってきたリーチの舌は、信じられないほど優しい動きをする。強く吸うのではなく、あくまで緩やかに動かされ、口内を丁寧に愛撫した。
「……う……ん……」
 名執は自分の手をリーチの背に回し、身体を密着させると、規則的なリーチの鼓動が伝わってきた。そのトクトクという音が名執に安心感を与えた。
「……ユキ……愛してるよ……」
 口元を離すと、自分以外に見せない瞳でリーチはこちらをじっと見つめていた。そんなリーチに名執は涙が滲んだ。
 この瞳が自分にしか微笑まないのを名執は知っている。なのに疑ってしまった自分が酷く恥ずかしいのだ。どんなときもリーチは名執を力づけ、見放すことも突き放すこともない。
 そしてリーチの口はいつも名執に対して愛の言葉を囁いてくれる。
 大切にされているのだ……
 そして、愛されている。
「……リーチ……私……」
 疑心暗鬼に囚われ、間違ったことを真実だと思っている間も、リーチは名執をしっかりと見てくれていた。
「……ん?なに?」
 頬にキスを数度しながら、リーチは言った。
「……私……まだ……側にいて良いですか?リーチのこと……愛していても良いですか?こんな……情けない恋人ですけど……。貴方のこと疑ってばっかりですけど……。私……」
 どんなときもリーチは大きな愛情で名執を包んでくれるのだ。どれだけ自分が不安になろうと、絶望しようと、リーチは名執を守り、そして愛してくれている。
 いつも……
 いつもだ。
「馬鹿だな……ユキは……。俺はユキにどうしようもないほど参ってるのに……どうしてそんなことを言うんだろう……」
 クスクスとリーチは名執の首元で笑いを漏らした。
「……リーチ……」
 名執は胸が一杯になりながらリーチの頭を掻き抱き、目を閉じた。リーチの方は首元に密着させていた唇をゆっくりと動かし、舌で丁寧に名執の身体を愛撫し始める。
 それは激しいものではなく、穏やかな、そして労るような愛撫だ。
「……あ……」
 小さな声で名執は欲望のこもった吐息を出した。痩せて体力など無いはずなのに、リーチの愛撫に身体は体温を上げていく。それと共にいつものように激しく愛されたいと心の中で名執は思った。
「リーチ……もっと……」
 吐き出す息が苦しいのを我慢し、名執はそう言った。
 感じる快感はいつもよりテンションが低い。そんな自分が嫌なのだ。苦しいほど愛されたいと名執は思うのだが、リーチの方はそんな行動にはほど遠い愛撫しか与えてくれない。
「……ユキ……少しだけ……な?」
 ぽつりとリーチはそう言い、名執の胸元を羽毛で撫でるように両手で包み、そこにある突起を口に含んでじっくりと舌で味わっていた。
「……あ……はあ……はあ……」
 快感を感じると、胸が圧迫されたように苦しくなるのが名執には分かった。
 要するに体力が無いために、快感がそのまま苦痛になるのだ。痛いわけではなく、呼吸をするのが苦しくなる。そして血の気が引いたような冷や汗が己の額に浮かび上がった。
 嫌だ……
 こんな身体……
 折角リーチが愛してくれているにも関わらず、自分の反応がまるで鉛のような状態に名執はじれた。だからといって状況が変わるわけではなく、相変わらず苦しいだけのものになっている。
 いつものように沢山愛され、それを充分受け止められる自分でありたいと思うのだが、身体は名執のそんな気持を全く無視したような状態だった。
「……あ……っ……う……うう……」
 名執は自分のそんな身体の不調を気取られたくはなかった。今のところ、リーチには気付かれていないようであったが、敏感なリーチのことであるから、何時愛撫の手を止めてしまうか分からない。
 自分が苦しいことよりも、そんな風に手を止められることの方が今の名執には辛かった。
「……ユキ……愛してるよ……」
 遠くからリーチの声が聞こえ、名執は何度も頷いて見せた。
 苦しい……
 でも……
 いい……
 愛されたいから……
 沢山リーチに触れて貰いたい……
 少しだけ我慢すればいいんだから……
 名執は息を荒くさせながら必死にそう自分に言い聞かせた。
 リーチは丁寧に身体中を舌で舐め上げている。手は指の先まで、胸は二つある突起、そして腹ではへその中まで舌が進入してきた。
 そのままもっと敏感な部分に行くかと思ったのだが、リーチの愛撫は足に向かい、膝下から指の先まで舌で舐め上げ、指をしゃぶり、何度も太股に舌を滑らせていた。
 だがやはり、一番敏感な部分を避けているのが名執には分かった。
「リーチ……そこじゃない……」
 愛撫によって上がった体温と、それに反する様な苦しみに耐えながら、名執はようやくそう言った。
 出来るなら最後まで……
 名執は本気でそう決心していたのだ。苦しいことは問題ではない。それより愛されているという何か証拠になるようなものが欲しかった。
 もちろんいままでの事がすべて嘘だったとようやく頭では分かっていても、不安は身体全体にまだ残っている。
 その苦しみに比べれば、ただ単に身体が弱っているだけで感じる苦しみ等どうにでもなるのだ。それよりも名執はメンタルな部分でもっと楽になりたかった。
 愛されれば愛されるほど、それを分からせて貰えるほど、不安定な心がようやく平穏を取り戻せるからだ。
 一旦名執の下半身までずり下がっていたリーチの身体が、また元の位置に戻り、名執の身体を力一杯抱きしめてきた。
「……もう駄目だ。ここまでだ」
 有無を言わせないような口調でリーチは言った。
「……でも……まだ……」
 ぜえぜえと息を吐き出し、名執はようやく言葉を紡いだ。
「……充分だ。ユキ……。お前……顔色が真っ青だ……ここで止める。いいな?あとは元気になってから……。とにかく、もう少し……体力が戻ってからだ。これ以上の我が儘は今は聞けない」
 うっすらと汗を滲ませた名執の額に何度もキスを落とし、リーチはそう言った。
「……だ……大丈夫です……だから……」
 青い顔で必死に作った笑顔で名執は言った。
「……いや……。大丈夫なわけがない。いいんだ……。俺……お前のその気持が本当に嬉しいから……。そりゃ……お前がいると、俺はすぐにやりたいと思うけど……。俺はそう言うことをしたいからお前とつき合ってるわけじゃない。そうだろう?俺……こうやってお前を抱きしめていることだって、充分今満足できる……。ようやくお前を自分の手に取り戻せたって思える。だから……ここまでにしよう……。つき合ってくれてありがとうな……」
 笑顔でリーチはそう言うと、もう一度名執の身体を抱きしめてきた。
「リーチ……」
「愛してる……お前を……本当に愛してるんだ……。だから……俺が大好きなお前自身の身体も……お前が労ってやってくれ……。こればかりは俺には出来ないことだから……。いくらでも抱きしめてやる。キスだってしてやるから……、頼むから身体を大事にしてくれ……。それが今の俺の望みだ。聞いてくれよ……」
 密着しているリーチの身体が震えていることに名執は気が付いた。
 リーチは名執を本当に大事にしてくれているのだ。
 だから今は最後まで出来ないと言っている。
 もっと元気になってくれと言ってるのだ。
「……ごめんなさい……」
 暖かいものが心に沢山流れ込んでくるのが名執には分かった。リーチは一時の欲望など求めるつもりはないのだ。今も名執が必死に頼み込んだから、セックスのまねごとをしてくれたのだろう。それで少しでも名執の安心感を与えてやろうとしたに違いない。
 そんなリーチの気持が名執は本当に嬉しかった。
「……謝る事じゃない……俺も……久しぶりにユキに触れることができて、我が儘なもう一人の息子ちゃんを宥めることができたからさ……。ユキ……俺はこうやってお前に触れているだけで今は満足だ……だから……そろそろ眠った方が良い……。もう遅いから……な?今度はもう朝まで一緒にいてやるから……お前を一人置いて出ていったりしない。安心しろ」
 廻した手で名執の背を撫でながらリーチは言い聞かせるようにそう言った。
「はい……早く……元気になります……。それで……一つだけ聞いても良いですか?それだけ聞いたら……寝ますから……」
 名執はどうしても聞きたいことがあったのだ。
「なに?」
「リーチは何処にいたのですか?私……リーチを探して廊下を歩いていた時………レオナードさんに見つかったんです。そこで捕まって……外に連れて行かれた……」
 血の気のない顔で名執は見上げた。
 今もどうしてレオナードがああいう行動に出たのか理解できないでいる。だがそれよりも名執はリーチが何処に行っていたのかとても気になっていたのだ。
「俺は……ちょっとケインにお前の様態を聞きに行ってたんだ。それよりお前、自分で部屋を出たのか?俺はてっきり……。お前さあ、自分が医者な癖に、どうして身体のことを大事に出来ないんだ……。そんな身体で何をウロウロしてんだよ……」
 驚いた口調と、やや怒った顔でリーチは言った。だが、名執は本当にリーチに会いたかったのだ。
「……リーチは……ケインの部屋にはいなかったじゃないですか……」
 こちらを見ているリーチから視線を逸らせて名執は言った。
「ケインの自室で話をするより、ちょっと気分を変えてコーヒーでも飲みながら話しようと思ったんだよ。だから俺達は自販機の所のベンチに座って話し込んでいたんだ。自室にいないのは当たり前だろう……」
 呆れた風にリーチは言ったが、それが本当の事か名執には分からなかった。
 本当なんだろうか……
 でも……
 リーチが嘘を付くはず無いし……
「そうだったのですか……ご免なさい……」
 自分が何もかも悪い方向へ考えていた。別段深く考えなくても、名執がこの部屋から出ようと思った時にもう少し考え、暫くリーチを待っていたら良かったのだ。
 結局、名執一人が空回りしていた。
 リーチの名執に対する想いは変わっていない。それがようやく分かった今では、何を言おうとも、自分自身がしたことは滑稽なだけだった。
「寝ろ」
「……済みません……」
 言いながら名執は顔をリーチの胸元に埋めた。だがまた滲みだした涙が止まらなかった。
「泣くな」
 肩を震わせている名執の頭にリーチは手をやり、まだ乾ききらないでいる髪を撫でてくれた。その触れる手に名執は安堵するのだが、涙はやはり止まらなかった。
「泣かなくていいんだ……もう終わったからな……何も心配しなくていい……安心しろ」
 穏やかな声でリーチは意味ありげにそう言った。
「リーチ?」
 名執は驚いた顔でリーチの方を向いた。
「……泣くと、お前、酷い顔になるなぁ……だから泣くな……」
 苦笑しながらリーチが言うと、名執は又リーチの胸元にすり寄り、身体を丸めた。そんな名執を見ながらリーチは足下にあった毛布を引き寄せ、身体にかける。
 狭いベットであったが、お互い寄り添って一つの毛布で抱き合っていることに名執は幸せを感じた。それでもまだ心の中に張り付いている意味もない不安が、涙に変わり、ポロポロと相変わらず名執の頬を伝った。
 それを止めたいと思うのだが自然に流れるものを止めることが出来ないのだ。
「お前が泣くとな……俺、辛いんだよ……分かる?だからもう泣かないでくれ……」
温かい腕の中にすっぽり納まった名執は濡れた瞳をリーチに向けた。
「……止まらないんです……自分でもどうして良いかわらなくて……」
 そう名執が言うと、何故かリーチがゴクッと喉をならした。
「ユキ……キスしていい?」
 どうして聞くのか分からないが、名執はそう言ったリーチに頷いた。
「あ、ちょっとまって下さい……あの……も一つだけ……。私は……その……貴方の迷惑になっていませんか?貴方の重荷に……なっていませんか?私は……」
 話している途中、リーチは名執の口を塞いだ。
「あ……リーチ……わた……」
「な、キスしか堪能できないんだから、満足するまでさせてくれよ……」
「リー……」 
 リーチは名執の言葉など無視し、口内に舌を進入させてきた。今度のキスは明らかに欲望を抑えたようなキスであった。
「さて……寝るか……。今度こそ起きたら朝だぞ……」
 口元を離すとリーチはそう言って、小さなあくびをした。
「はい……お休みなさい……」
 名執はようやく眠りにつくことが出来た。

 目を覚ますと、リーチは隣でぐっすり寝込んでいた。名執は部屋の時計を確認して既にお昼近くであることに驚いた。だがもっと驚いたのは自分の身体の怠さが随分無くなっており、気分が良かった事だった。
「ん……」
 リーチが小さく寝返りを打つのを見て、これは現実だということに改めて気がついた。
「リーチ……」
 もう一度名執はベッドに身体を横たえ、眠っているリーチの寝顔をまじまじと眺めた。そこには殴られた痕の皮膚が黄色く変色しており、もう暫くすると綺麗に治ることを示していた。
「痛かったのでしょうね……」
 考えてみると、一番酷い目に合ったのはリーチなのだ。自分の今の状態は自らがしでかしたことである。だがリーチの場合は違うのだ。見えない相手にこれほどの仕打ちを受けたのだ。
 そのすべてに関して昨夜リーチは終わったと言ったが、どういう意味であったのだろうか?
 名執には全く分からなかった。
 暫くすると、くーっという音が聞こえた。名執は自分のお腹が鳴ったのだと思い、誰も見ていない部屋で一人顔を赤らめたが、よくよく耳を澄ませてみるとその音はリーチからであった。
 くー……
 くーく……
 ぐるるる……
 あまりに鳴りやまないのでつい名執は笑いが漏れてしまった。
「あ……起きた?」
 その笑い声に気がついたリーチがうっすらと目を開けた。
「リーチ……お腹が空いているのでは無いですか?」
 笑いをこらえながら名執はそう言った。
「うん……すげー減った……何か……無茶苦茶お腹が空いてる……」
 といっている間も、くーくーと聞こえていた。
「げ、何てはしたない俺のお腹……」
 とぼけたように言うリーチが可笑しく、名執は笑いが止まらなかった。
「お前もお腹減ったんじゃないか?」
 照れ臭そうに頭をかいてリーチは言った。
「え、そうですね……少し……」
 余りそんな気分でも無いのだが、早く体力を戻したい名執は今日からしっかり食事を取ろうと決めていたのだ。
「ケインに用意して貰うように言うよ。俺は食堂にでも案内して貰う」
 そう言ってリーチはベットから降りると、伸びをし、シャツを羽織った。だがそのシャツをリーチはクンクンと臭い、名執の方を向いた。
「服……なんか臭そうだな……。お前なんか、俺が着れそうなのない?」
 嫌な顔をしながらリーチは名執に言った。その表情は本当にシャツの臭いがこちらまで臭ってきそうな顔をしていた。
「そこの戸棚に貴方とトシさんにお土産として買っておいたシャツがありますが……」
 部屋の隅にある戸棚を指さし名執は言った。
「んじゃ、それ貰い。トシのもついでに貰ってやれ」
 リーチは戸棚を開けると、今羽織ったシャツを脱ぎ、新しいシャツに着替えていた。だが何を思ったのか分からないが、胸元に巻かれた包帯を見せるようにシャツの前をはだけ、名執の方を向いた。
「どうしました?気に入りませんか?」
「なあなあ、マミーってかんじ?」
 リーチはシャツの袖をふってそう言った。
「ミイラ?」
「うん」
「馬鹿なことしてないで、早く食堂に行って来たらどうです?貴方のお腹はずっと鳴りっぱなしですよ」
 どうしてそんな発想ができるのか不思議に思いながら名執は呆れた。
「そうする……エネルギー切れ……」
 そんな会話をしていると戸が叩かれる音が鳴った。
「入るぞ、いいか?」
 ケインがこちらを窺うような声でそう言った。
「ええ、起きています。どうぞ……」 
 名執が言うとケインは扉を開け、ワゴンを押しながら入ってきた。
「昨晩は済みませんでした……」
 リーチがそう言って軽く頭を下げた。
「いや、いい。それより食事を持ってきた。隠岐さんの分もお持ちしました」
 ワゴンの上には料理が置かれていたのだ。
「あ、気を使わせてしまって……」
 既に利一モードのリーチが笑顔をケインに向けた。
「雪久は後で点滴もあるからな」
 ケインはニンマリ笑ってそう言った。だがその笑いに何か別の意味が含まれているような気がした名執は言葉が出なかった。
「………」
 ベッドに取り付けられた机をセットし、その上に並べられた食事はお粥とみそ汁であった。リーチの方には部屋にある簡易机にペスカトーレとフランスパン、サラダにジャガイモのスープが並べられた。
「お粥とみそ汁はレイが作ったんだ。日本で覚えたそうだ。雪久にはそう言うものの方が良いだろうと言ってな……」
「ありがとうございます……」
 懐かしいみそ汁の香りが名執の鼻を掠め食欲をそそった。
「雪久は沢山一度に食べられないだろうから、体力を付けるために日に五、六回は食事を運ぶことにするぞ。いいな」
「……はい。全部食べます」
 名執はきっぱりとそう言った。そんな名執の姿にケインは驚いた表情を浮かべ、チラリとリーチを見ると、小さく息を吐く。だがなにも言わずにケインは食事の用意だけをして出ていった。
「いいなーみそ汁……」
 ベッドに座っている名執を見ながらリーチは言った。
「良かったらどうぞ」
「お前のを取る気はないよ。さーって俺も食おっと」
 リーチはそう言ってフォークを取って食べ始めた。名執もスプーンを掴み、お粥を口に運んだ。
 お粥は塩味が足りなく、みそ汁は反対に塩辛かったが、久しぶりの懐かしい味に名執は食欲が出るのを感じていた。
 リーチの様子を伺うと既に自分の分を平らげていた。その早さに驚いて名執が見つめていると、リーチは一言「足りない……」と言った。
「食堂を教えましょうか?」
 そう言うとリーチはおもむろに鞄から菓子パンを取り出した。
「飛行機の中で食べようと思ったんだけど食べられるような状況じゃなくて入れたままになってたの思い出した」
 リーチは嬉しそうにパンの包みを両手に持ってそう言った。
「だ、大丈夫ですか?」
「賞味期限はいけてる」
 あんパンの袋をすでにバリバリと破いて、リーチは中身を取り出していた。
「俺もトシも結構食べるからな……身体は一つなのに一食二人分は食べてる」
 言いながらも、もぐもぐとリーチは口を動かしていた。そのあまりにもおいしそうにリーチが食べているのを見て、名執はそのあんパンが一口欲しくなった。
「お前も食う?パンは五つほど持ってきてるし……」
 物欲しそうな顔に見えたのか、リーチは名執にそう言ってきた。
「え、あ、いえ……」
 は……
 恥ずかしい……
 名執は顔を赤くさせながら、自分のお粥にスプーンを入れた。
「胃を取るような手術をした訳じゃないんだからさ。ただ、お前がハンガーストライキおこしてただけで、食えることは食えるんだろ。じゃ、ちょっとくらい良いんじゃないか?欲しいと思ったものを食うのが身体に一番良いんだぜ」
 リーチはそう言ってもう一袋破きながらベッドに近づき、パンを取り出した。それを二つに割り、小さい方を名執に差し出した。
「パンだし消化も良いんじゃないか?みそ汁と一緒に食えばやらかくなるだろ。何でも良いからしっかり食って体力を付けて貰わないと」
 へへへと意味深に笑いながらリーチは手元のパンを口にほりこんだ。
 名執も自分の手に渡されたあんパンを一片食べると、甘い餡の味が口に広がった。
「おいしい……」
 あんパンなど久しぶりに食べたのだが、本当に美味しく感じた。
「だろ、疲れたときとか甘いもの欲しくなるっていうだろ、お前も疲れてるんだよ」
 リーチはベッドに腰をかけてそう言った。
「泣き疲れです……」
 本当に泣いた……
 名執は思い返しながらそう思った。
「そうだ、泣きすぎ……」
 笑いながらリーチはまた新しいパンの袋を破いていた。
 一体いくつもってきたのだろうか?
「リーチ……旅費……用意できたのですか?」
 名執はふと思い出し、リーチにそう聞いた。
「な、なんだよ突然……」
 もう少しでリーチは手の中のパンを落としそうなほど何故か慌てていた。
「あのカードを使ってくれたのでしたら構わないのですが……人から借りられたのでしたら、あのカードから出して下さい」
 あのカードとは名執がリーチの名前で作ったカードであった。名執の資産はかなりの額があり、その利息の一部をリーチの名前で作った口座に入れてあった。
 リーチ達が仕事上で必要になった時、使って貰うようにと作ったのである。しかし彼らは自分たちのものをそこからは一切買わなかった。別に構わないと言っても彼らは仕事以外の事では使わなかった。トシは月に一度明細をくれるほどであった。
「それがさ……実は……」
 パンを手の中で弄びながらリーチは言いにくそうに言った。
「どうしたのです?」
「金はかかってないんだ……」
 チラリとリーチは名執に視線を寄越した。その意味が名執には分からない。
「?」
「密入国」
 密入国……
 それって……
「えっ!」
 驚きで名執は言葉が返せなかった。
「パスポートが切れててさあ……あれって申請がすぐに出来ないだろ……。だから仕方なく……」
 何故かリーチは笑っていた。
「でも飛行機で来たと……」
 そう、確かにそう言ったはずなのだ。名執は思い出すようにそう言った。
「戦闘機に乗ってきた」
 けろりとリーチは言う。
「はぁ?」
 戦闘機……
 戦闘機って……??
「アメリカ空軍」
「……」
 驚きで名執は自分の持っているスプーンを落としそうになった。
「だってさ、パスポート発行に時間がかかるって言われて、待ってられなくて……仕方無しにFBIの友達に頼んで紹介して貰ったんだ……」
 頼んで乗せて貰えるものなのか名執には分からなかった。
「リーチ……ばれたらどうするんですか?」
 それが一番の心配事だ。
「大丈夫だろ」
 どうしてそんな風に言うんだ?という不思議そうな顔でリーチは言った。
「でもどうやって帰るんですか?」
 行きは良いだろうが、帰りもまともに帰られないはずなのだ。
「その話しはもっと後にしたかったんだけど……。お前と一緒にはそう言う理由で帰れないんだ……。だってユキはきちんと入国手続きしてるだろ……。だから……。俺の代わり幾浦に頼んでユキを連れて帰って貰うように約束してあるから安心しろ」
 ニッコリと笑ってリーチは言った。
「リーチ……」
「だから……こればっかりはどうにもならないんだ。一緒に帰るって約束したのに悪いと思ってるけどさ」
 そう言う意味で名執は胸が一杯なのではない。リーチがそこまでしてここに来てくれたことに感謝をし、胸が一杯なのだ。
「ありがとうございます……苦労してまでここに来て下さって……。私は……本当に嬉しい……」
 何度も泣いた瞳がまた涙で滲みだした。
「いや、俺は自分の決断したことがどんなことを招くのかを分かっていて選んだんだ……。だからこそ俺は時間を無駄にしたくなかった。待つことなんか出来なかった。待つという時間が、お前をもっと危険な状態に置くことか分かっていた。だからそれだけは避けたかったんだ。ちょっと遅すぎたけど……。いや、お前が行動するのが早すぎたんだよ。もうちょっと悩んでから行動するだろうと思ってたから……。何か思い詰めてもケインが止めてくれるだろうと楽観視していたことは確かだ……。だけどお前は俺との電話を切ってすぐに行動したんだから……。それ聞いたとき、俺、生きた心地しなかったよ……。でもま、変な薬を飲まれるよりは良かったと思ってる」
 しみじみとリーチは言った。
「ここはオープンに見えますが、薬の管理や人の出入りが非常に厳しいんです。医者だといえども薬は勝手に持ち出せません。二重三重のチェック機能があって致死性の高い薬物は持ち出せないのです。だから私は……」
 いや……
 あの時は薬で……等という気が回らなかったのだ。
 かなり衝動的に行動したことだけは名執も覚えていた。よくよく考えるとここは病院で、色々他にも方法があったのだ。
 結局人間はせっぱ詰まると、思考が働かなくなるものなのだと名執は何となく思った。
「そうか……良かった……」
 リーチは胸を撫で下ろしたように言った。
「心配をかけました……」
「それはいいよ……。もうな。で、お前は医者の判断としてどの位で何とか日本にたどり着けるくらい快復できると思う?」
 ……?
 ケインと話をしたのではなかったのだろうか?
 名執は不思議に思ったが、とりあえずリーチに言った。
「一週間……ほどだと……」
「ケインが言ったのと同じだな。分かった。一週間面倒見るよ」
「私を信用していなかったのですか?」
 もちろん一瞬、早めの日数を言いそうになったのは確かだったが、嘘を付いたところで、途中で気分が悪くなり、幾浦に迷惑をかけると困ると名執は考えた。
 充分体力を回復させたから帰国しないと、また誰かに迷惑をかける。それだけはどうしても避けたかったのだ。
「お前の事だから、早く帰りたいと嘘をつくことも考えられるだろ?」
 ニヤリとした笑いを浮かべてリーチは言った。
 お見通しという奴だ。
「……」
「じゃ、俺はちょこっと出かけてくるよ」
 言ってリーチはベッドから降りた。
「何処に?」
 名執はリーチに問いかける様な表情を向けた。
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