「監禁愛4」 第10章
「ユキ……早く元気になってくれよ……俺……早くお前とやりたいから……」
リーチは口元を離すとそう言い、熱っぽい瞳で名執を見つめた。その瞳は確かに名執をいつも求めてくる時のものだ。
こんな私でもまだ……
まだリーチは求めてくれている……
リーチの眼差しから見える欲望は、真っ直ぐ名執にだけ向けられているのだ。以前そうであったように、今も変わりなくリーチは名執を欲している。それは決して偽りでも同情でもない、リーチを知っているからこそ分かるものだった。
本心からそう言ってくれている……
嬉しい……
本当に嬉しい……
「リーチ……わた……」
名執は胸が一杯で言葉が詰まった。
どれだけ嬉しいか、どれほど感謝しているかリーチに分かって貰いたいのだ。だが言葉は詰まった喉元に引っかかり、外に出てこない。
そんな名執に気が付いたのか、リーチは宥めるようなキスを名執の頬に幾度も落とした。
「会ったら絶対やるって決めてたのに……いくらなんでも今は無理だからな……」
うーんと唸るような声を上げ、リーチは名執の身体を更に引き寄せた。次に、子供がぐずるように両足をばたつかせる。
だが、名執はリーチも酷い怪我を負っているのを知っていた。
「でも……リーチはそう言いますが……貴方もそんな身体じゃ……」
こちらの身体に絡まってくるリーチをやや押しやり、目の前に見えるリーチのシャツのボタンを外すと、コルセットと包帯が巻かれていた」
「おい、何エッチなことするんだよ」
ニヤニヤと笑いながらもリーチは名執のなすがままであった。
「そうじゃなくて……リーチ……肋骨も折れているんですか?」
リーチの前をはだけ、そこにある白い包帯を見た名執は言った。
「一本か二本な。あんま覚えてねえ……。ん~でも確かヒビだったかな?」
とぼけたようにそう言ったリーチであるが、それが本心なのだろう。自分の身体のことを本当にリーチは気にしないのだ。
「肩の傷はもしかして撃たれた痕ですか?」
鎖骨の上辺りにガーゼをテープで止めてあるのが名執の目に入ったのだ。たしか以前、撃たれたという話しを聞いていた。
「うん。銃弾が貫通した痕」
何事も無かったようにリーチはさらりと言った。
「そ、そんな簡単に言わないでください……」
「それ以外言いようがないだろ……」
何を言ってるんだというリーチの表情に名執はどう答えて良いのか分からなかった。名執にすれば、例え貫通しようと銃で撃たれたと言うのはとても大変な事なのだ。だがリーチの方は別段重大なことだと捉えていない。
考え方の差なのか、それとも慣れているからなのか分からなかった。
話題を変えようと名執の視線がリーチの腰元に移ると、そこにもテーピングがされていた。
「ではこの右のテーピングが盲腸ですか?」
「うん。溶ける糸?とかなんとか言ってたけど、それで縫った跡をテープみたいなのでとめてるそうだ。でも俺……盲腸はお前に絶対手術して貰うつもりだったのに……」
ぶちぶちとリーチは言った。
「どうしてですか?何か事情があるのですか?」
名執が不思議そうな顔をして聞くと、リーチは苦笑したような笑みを浮かべた。
「俺の毛……お前に剃って貰いたかったなあって……。はははは。それだけなんだけど……」
「それは私に手術して欲しいのではなくて、私に剃って貰いたかったというのが正しいんですよね……」
呆れたように名執は言ったが、なんだか可笑しかった。
「実はさ、今、生えかけてて、ちくちくするんだよな……うう。なんかすーすーするし、毛は剃って欲しくなかったよ……」
はあと溜息をついてリーチは言った。だが名執はそれが可笑しく、声を上げて笑った。
「うん……そうやって笑ってるお前が一番だよ……」
嬉しそうに細めた瞳は愛情溢れるものだった。
「でも……こんな身体で私を抱いたら……リーチの方が大変ですよ……あ、私を抱きしめるのも辛かったのでは無いのですか?」
肋骨にヒビか骨折を負っているのだ。そんな身体で何度も名執の身体を抱きしめることはリーチにとってかなり辛かったのではないか?そう思うと名執は本当の申し訳ないと思った。
「やめてくれよ……お前を抱きしめられなかったら、違うところが音をあげちまうって……」
意味ありげにリーチはそう言って名執を再度抱きしめた。だがシャツをはだけていたため、名執はリーチの肌のぬくもりを直接頬に感じた。
暖かい……
トクトクというリーチの心音が名執の頬に伝わると、自然に身体を任せて目を閉じた。すると頭上からリーチの真剣な言葉が聞こえた。
「お前を思いだして……俺、何回自分を慰めたか……」
言ってリーチは名執の頭に頬を擦り付け、キスを繰り返す。
「リーチ……」
「お前の達った時の顔とか……思い出してさ……あー辛かったなぁ……」
その言葉は名執にとって少しもいやらしく聞こえなかった。
「参った。俺ってお前がいないと余計に性欲が増すみたいだ……」
言いながらリーチの手は名執の上着の下に入れられた。
「あ……リー……チ……」
暖かい手が名執の背中を優しく撫でた。その行為には性欲を満たしたいという意味は無く、ただ不安な心を安心させるために親が子を宥める行為に似ていた。
名執は何度も撫でる手にうっとりとしながら、リーチの胸に更に身体を押しつけた。
名執は与えられる愛撫を味わうように暫く瞳を閉じていたが、リーチが震えていることに気づき、瞳を開けた。
「どうしたのですか?」
「お前……本当に……痩せたよ……本当に辛かったんだなって……それを思うと……俺は……」
しっかりと抱き込まれている所為で、名執はリーチの表情が見えなかった。
「リーチ……貴方は何も悪くない……だからそんな風に言わないで下さい……」
名執はリーチがしてくれているように、自分も背に廻している手を緩やかに動かした。
「ケインから……聞いた……ためらい傷もなくお前はすっぱりと切り込んでいたって……もう少し発見が遅かったら、失血死してたって……。それに傷は残るって言ってた。その傷を見る度に自分がしてしまったことを反省しろと言われたよ……」
「リーチ……貴方は悪くは……あれは私が……私が勝手にしてしまったことです。だからそんな風に言わないで下さい」
顔を上げ、名執は必死にそう言った。
リーチは悪くないのだ。
リーチこそ酷い怪我をしていたのだ。
私は……
自分の勝手な思いこみで……
「悪いんだよっ!頼むからそう言ってくれ。……俺が悪いと言ってくれないとやりきれないんだ……。頼むよ……ユキ……俺が悪い……そう言って責めてくれないか?」
ようやくそこでリーチは名執の肩に乗せていた顔を上げた。その表情はとても切ないものであった。
名執はリーチが向ける瞳を真っ直ぐに受け止めながら言った。
「リーチ……私、傷物です。一生面倒見て下さいね。返品は出来ません」
「ユキ……」
「そんな風に自分を責めないで……私はその方が辛い……」
潤んだ瞳から一筋流れ落ちたが、名執はリーチから視線を逸らすことはしなかった。
「一生俺が面倒見る。返品なんて言うな……お前はものじゃない……。俺は……お前でないと駄目なんだ……お前が必要だから側にいて欲しいんだ……一生……側にいてくれ……」
リーチは言いながら名執の頬に伝う涙を唇ですくい取った。
「……リーチ……嬉しい……」
見上げるように顔を上向きにしていたが、名執はまたリーチの胸に顔を寄せた。するとリーチはいきなり名執の身体を自分から離した。
「リーチ……?」
不安げに名執がリーチを見ると、リーチは横を向いていた。
「あ、くそ……今度は誰だって……邪魔するなよ……」
急いでリーチは前ボタンを留め、ベットから腰を上げるとソファーに向かって歩き出した。その姿が妙に可笑しかった。
リーチがソファーに座った瞬間、名執の自室にある扉が叩かれた。
「あの……スノウ……入って良いですか?」
レイであった。
「ええ……どうぞ……入って下さい」
名執が言うと、ゆっくりと扉が開き、おどおどとした表情でレイが入ってきた。
何も知らないときに、名執はレイに酷いことを言ったのだ。レイは名執の言葉に傷つき、いくら演技であったとしても、自分がリーチの恋人役を演じ、名執を騙したからこんなことになったのだだという罪悪感がレイにはあるはずだった。
「レイ……済みません……貴方には謝らないと……。私は……酷いことを言いました。許して下さいね……」
名執が先にそう言うと、レイは俯き加減の顔をあげた。
「いえ……いいんです。誤解も解けたみたいだし……。あの時、スノウにあんな風に言われて……その上、スノウがあんなことになっていて……。僕の所為だって……本当に僕……ショックだった。だけど……よく考えたら、大好きな人を取られたらやっぱりそうなのかなって……。僕は恋をしたことが無いから分からないんだってケインは言ってた。僕もそう思う……」
そう言ってレイは頭をかいた。
「でもレイさんは、なかなか演技派でしたよ」
リーチはそう言ってレイに向かって笑みを見せた。
名執はどんな風にこの二人が恋人という演技をしたのか知りたくて仕方なかった。二人の間に何があったとしても許さなければならないのだろう。だが、正直言って余り嬉しい話題ではなかった。
事情も理解した。だが、こればかりは名執は割り切れないのだ。
キスをしたのだろうか……
それとも……
二人で抱き合ったりした?
チラリとリーチの方を名執は見たが、利一の仮面を被っている表情からは、名執の知りたい事は分からなかった。
「え、そんなこと無いです……隠岐さんが上手く誘導してくれたから……じゃ、僕、オペがありますので失礼しますね。元気そうで安心した……。それだけ確かめたかったんです。あ、隠岐さんは明日検診受けて下さいね」
そう言い終えると、レイは部屋を出ていった。
「あいつ……可愛いよな……トシみたいだ。トシよりすれてないところが子供なんだよな」
リーチはレイが出ていくのを見送った後、そう言った。だが名執は今考えていることを聞きたくて仕方がなかった。
聞いて良いだろうか?
どうしよう……
でも……
嫌な気分になったとしても、知らないでいるのはもっと嫌だ……
名執はそう考え、ようやくリーチに聞く決心が付いた。
「リーチ……演技って……何処まで……」
恐る恐る名執はそうリーチに聞いた。すると、リーチは驚いた顔を名執に向けた。
「おい、誤解するなよ。ちょっとじゃれ合っただけだよ……別にお前に後ろめたいことなんかしてないって」
両手を左右に振ってリーチはそう言った。
「別に……何かあったとしても……事情が事情でしたし……。レイが納得しているのなら……」
納得できないのは名執なのだ。それを誤魔化すように名執は言った。
嫉妬深いと思われたくないからだ。実際は嫉妬深いのだろうが、それを知られたくないと名執は思った。
「無い。いくら何でもキスしたり、ベットシーンを見せることなんか出来ないだろうが……。それに頼まれても俺は出来ないって……。まさかお前……俺の事疑ってるのか?」
リーチは名執を凝視しながらそう言った。
「すっ……済みません……」
余計なことを聞いたのだと名執は思い、後悔した。
言わなければ良かったと本当に思った。
「お前……なーんかまだ疑ってないか?」
相変わらずリーチはソファーに座ったまま名執を眺めていた。
「別に……疑っては……」
疑った事になるのだろう。だがそんなことなどとてもリーチに名執は言えなかった。
「いっとくけど……俺はお前にしか勃たねえぞ」
その台詞で名執は顔が真っ赤になった。
「お前にしか入れたいとおもわねえぞ」
もう足の先まで赤くなるかと名執は思った。
「済みません……」
赤々とした顔で名執は言った。
「ま、いっか……。それよりお前もう寝る時間じゃないのか?」
突然リーチはそう言った。だがまだ時間は十時を過ぎたところであった。
「まだ大丈夫ですよ……」
このまま朝までリーチの顔を名執は見ていたいのだ。眠って等いられない。
「さっきこっちに来るとき他の病室は既に電気が消えてたぞ」
リーチが、名執にもう寝ろと言っているように名執には聞こえた。
「院内の消灯時間は九時です。ケイン達はこんな時間でもオペをしたりしますが、他の患者さんは眠っています。ここは職員の自室ですから消灯は自分でしないといけないんですよ」
今考えたことを振り払い、名執はそう言った。
「一つ電気が漏れてたとこあったけど優遇か?」
別段何かを考えている風もなくリーチはそう聞いてきた。
「それはきっとグランマイヤーさんの病室です。特別室です。あの方の場合は特別なのです」
「ふーん……じゃ、もう寝ろ」
目をやや泳がせ、リーチは言った。
「リーチ……私はまだ……」
名執はそう言ってリーチを見たが、ジロリと睨まれた。
「駄目だ。話はいくらでも出来る。でもお前は身体を休めないと駄目だ。俺はどっか寝る場所があるかケインにでも聞くさ」
リーチは有無を言わせない口調でそう言った。だが名執も負けてはいなかった。普通ならそれも仕方ないのだろうが、今は違うのだ。
名執はとにかくリーチに側にいて欲しかった。例え、寝るためであっても、ここを離れて欲しくなかったのだ。
「お願いです……私の目の届くところにいて下さい……」
リーチがいないと、名執はとにかく不安で仕方ない。
「って言ってもな……」
何となくリーチが乗り気でないのが名執には分かった。その理由が名執には分からなかった。いつものリーチなら何も言わなくても側にいてくれる筈であった。
「ソファーは狭いし……。お前が目を覚ます頃にはここに戻ってくるから……」
どうもリーチはここから理由を付けて出て行きたいようであった。
「私の……側は嫌ですか?」
何がリーチをそうさせるのか名執には分からなかった。それほど自分は見るに耐えない姿となっているのか?それともやはりこのことがすべて嘘なのだろうか?自分が元気になれば何時の間にかリーチはいなくなるのではないか?名執はそんなことばかり頭に浮かんだ。
「そうじゃなくて……。ユキ……そんな泣きそうな顔するなよ……」
困惑したリーチがそこにいた。
「わがまま……聞いて下さい……」
名執は訴えるようにそう言った。
「……俺の気持ちも分かってくれよ……」
本当に困ったという顔をリーチはした。
「……リーチ……お願い……お願いです……」
また涙が盛り上がってきた名執はシーツをギュッと握りしめながらもリーチから視線を外さなかった。
「その……だな……お前の側にいると俺がどういう状態になるか分かるだろ……」
横を向いて照れくさそうにリーチは言った。
「……え?」
涙の盛り上がりがそこで止まった。
「だからさ、お前の身体がどういう状態か頭で分かっていても、言うことを聞いてくれそうに無い所があるんだよ……言わせるなそんなこと……」
鼻の頭を掻いてリーチは言った。
「あ……」
名執はやっと分かった。
「でも……リーチ……わがままは分かっています。貴方の言いたいことも分かりました。でも今は貴方が側にいて触れていてくれないと私……不安で仕方がないのです……」
正直に名執はそう言った。どうあってもリーチをここに引き留めたいのだ。その為ならどんな言葉でも不思議と恥ずかしくなく言えた。
「ユキ……」
「怖い……今も……。貴方がいるから私はやっと安心できているんです。狭いと思いますが……貴方の腕の中で眠らせて下さい……。リーチが耐えられないと言うのでしたら……私、何でもします……だから……駄目ですか?」
上半身を起こしている事すら息が切れるのだが、名執は必死にそう言った。
「……馬鹿……やれる分けないだろ……全く……お前は……」
半ば呆れたようにリーチは言った。
「大丈夫……出来ます。なんだって……出来る…。貴方が望むことなら私……なんだって出来ます。だから……ここにいて下さい……お願いリーチ……っ!」
例え次の日起きあがれなくなっても……
それならそれで、またリーチは側にいてくれる……
名執はそう思ったのだ。
「降参。分かったよ……。添い寝するのは良いけど、狭くて寝られないと苦情は言うなよ」
名執はそれに対し、首を上下に振って答えた
「でもさあ…人が来たらどうするんだよ……」
言いながらも、リーチは上着を脱ぎ、靴を脱いでから名執のベットに上った。
「誰も見回りになど来ませんよ。患者さんだけで手が一杯ですから……」
リーチの横になる空間を作るために名執は身体を後ろにずらした。
「むー……。仕方ない……電気消すぞ」
まだ気乗りしない声でリーチは言ったが、ここまで来て出て行くはずは無いだろう。名執は安堵しながら横になったリーチの身体に手を廻した。そうして触れていないと本当に不安で仕方ないのだ。
「はい……」
名執がベット脇の小さな電球を点け、その隣にある部屋の電気を操作するボタンを押した。すると部屋が急に暗くなり、ベット脇の明かりだけが暖かい光を発していた。
「ホントに窮屈だぞ……分かってるのか?」
リーチはまだそんなことを言い、その上身体を完全に横にしない。
「リーチ……ズボンは?」
「多少しわになってもいいよ……なんかあったら困るし……」
不意の訪問者のことだろう。
「見つかったら見つかったときの事です」
にっこりと名執は笑みを浮かべ、そう言った。
「……全く……」
苦笑しながらもようやくリーチは名執の側に完全に横になった。そのリーチの身体に名執はそっと身体を添わせた。あれ程死にたいと思っていた自分が今では信じられなかった。
「ユキ……」
リーチの手が名執の背に回された。次に軽く寄せたはずの身体がしっかりとリーチの胸に密着した。
「リーチ……痛いでしょう……力を緩めた方が良いですよ……」
心地良いのだが、リーチの身体が名執は心配だった。
「いや……いい」
リーチは瞳を閉じた。
「……リーチ……」
良いというなら良いのだ。名執はそう思うことにした。
「ずっとユキのこと考えてたよ……」
ぽつりとリーチは言った。
「本当ですか?」
瞳を閉じているリーチの顔を見つめると、穏やかな顔をしていた。
「寝ても覚めても……な……」
そして漏れる小さな笑い声が名執を暖かくする。
「リーチ……」
名執は嬉しかった。
「トシに……言われたんだ……」
相変わらずリーチは瞳を閉じていた。
「どんなことをですか?」
トシが何を言ったのか名執は気になった。
「あ、うん。……お前を縛りすぎるって……」
言ってリーチはうっすらと目を開けた。
「えっ?そんなことありませんよ」
トシにはそう見えるのだろうか?だが名執は一度たりともそんなことを考えたことは無かった。逆に何故そう見えるのかトシに聞いてみたいほどだった。
「いや、俺もそう思う……。俺の都合で振り回していることが確かにある」
リーチもそう思ってる?
私はちっとも思わないのに……
「リーチの仕事の方が大変です。時間の融通の利く方が合わせたら良いと思いますが……。何より私は一度だってそんな風に思ったことが無いのに、どうしてリーチはそんな風に言うんですか?」
何故か名執は興奮した口調になった。
「お前だって忙しいじゃないか……」
「急患の時や緊急の時、貴方は何も言わずに私を送り出してくれます。だから私自身は貴方に振り回されているとは思いません」
リーチはいつもそんな風に思っていたのだろうか?では、ここできちんと話しておかなければと名執は思った。
自分が一度も感じたことなどない理由で、悩まれるのは嫌だったのだ。
「それ……信じて良いか?」
リーチはじっと名執を見つめていた。
「もちろんです」
「でもな、今はそうは思わないかもしれないけど……嫌になるかもしれないぜ」
苦笑しながらリーチは言った。
「私は……ずっとリーチが帰って来いって言ってくれるのを待っていました……」
リーチからの視線を逸らし、名執は暖かい胸にすり寄った。
「……」
「自分から行きたいと言ったのに……変だと思うでしょう……。他の人がどうかは知りませんが、私はいつでも自分が貴方に必要だと思われたいのです。いいえ、思うだけではなく、それを信じさせてくれる言葉が欲しい……。どれだけ必要だと思われていても、それだけでは足りないんです……。だからそれを信じさせてくれる言葉をいつも待ってる……。リーチはそれを裏切らないでいてくれる。それが振り回していると他の人が言うのなら……私はきっと振り回されたいのでしょう……」
そう……
私はいつも待ってる…
必要だと思わせてくれる言葉を……
そして……
思わせてくれるあなたの抱擁を……
いつも……いつも待ってる……
馬鹿げているかもしれないが、名執にとって必要な事なのだ。そしていつもリーチはその期待を裏切らないでいてくれるのだ。
それにどれだけ助けられているか分からないほどだった。
「ユキ……」
「きっと自分に自信が無いのです……たぶんこれからも持てないと思います。だからいつも不安なのです……」
胸の内を吐き出すように名執は全てをリーチに話した。
「電話が繋がらなくなって……俺……今度繋がったら絶対帰れって言うつもりだった。でもそれはお前に良くないって思った。お前にも自由は必要だし、お前自身の世界だってある。俺がそれを妨げる事は出来ない。だから言えなかった……」
薄暗い雰囲気が普段言えないことを言いやすくしてくれているのだろう。
「今は……どう思っているんですか?」
「今……今は後悔してる……言えば良かったって……行くなって……」
そう言ってリーチはぎゅっと名執の身体を抱きしめた。
今日、何度抱きしめて貰っただろう……
何度抱きしめられても名執はその度にリーチから与えられる深い愛情を感じることが出来た。
でも……
まだ足りない……
もっと……もっと抱きしめられたい……
だが、何度抱きしめられようと、身体を重ね合わせようと、名執はきっと満足できないと思った。
「こんなに遠くは、今度は許さないからな……」
そう言ってリーチは名執の額にかかる髪を撫で上げた。
「国内限定ですか?」
クスクスと笑って名執は言った。
「限定だ。まあ……学会参加で二日か三日行くくらいは許す。でも手伝いとかは駄目」
名執の目元を指でなぞりながらリーチはくすりとも笑わなかった。
「リーチ……」
「……って言っても良い?」
そこでようやくリーチは笑みを浮かべる。
「はい……」
不覚にも又涙が出そうになったのを名執は必死に押さえた。
「電気……消すぞ……もう寝ろ」
照れくささを隠すようにリーチは電灯のスイッチに指をかけた。
「はい……」
リーチが電灯を消すと、もたらされる体温と安心感で名執はすぐに睡魔に襲われた。
だがそのまま朝まで目が覚めないのだと思っていたのだが、何故か名執は目を覚ませてしまった。するとあるべきリーチの身体が隣になかった。
「……リーチ……?」
慌てて名執は小さな電灯をつけたが、部屋にリーチの姿は見当たらなかった。
「……何処に行ったんです?」
リーチが横になっていた場所を名執は手で触ってみたが、冷たかった。ということは随分前にここを出たのだ。
側にいてくれるって言ったのに……
こんな夜中に何処に行ったんですか?
名執はまだ動かせない身体を必死に動かし、ベットから下りようとしたが、重い体は床に立つことが出来ず、床に叩き付けられた。
「痛っ……」
息を整えながら、名執は上半身を起こした。だが必死に起こした身体は名執の意志に反し、全く言うことをきいてくれない。
「リーチ……ここにいて……お願いだから……」
床を這いながらも、この部屋から出るために名執は必死に扉に向かった。
ここを出て、リーチを探すのだ。
今の名執にはその思いしか無かった。