Angel Sugar

「監禁愛4」 第6章

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「どうしたのですか?」
「ああ、電話の件だ……」
 名執はケインからレイラの話を聞かされた。
「どう言うことなのでしょう……何より何故プロフェッサーが隠岐さんの事を知っているのでしょうか?」
 ランドルフにリーチの事は一切話していないのだ。なのに何故、そんな事を交換手に依頼するのだ?その事がまず分からない。
「分からないな……謎ばかりだよ」
 お手上げだという風にケインは言った。
「……私……一つ心当たりがあるのですが……」
 名執は思い出すように言った。
「なんだ?」
「私がこっそり帰国しようとしたとき、レオナードさんに止められたと言いましたよね……」
「ああ」
「彼はどうして私が帰ろうとしたことを知っていたのでしょうか?それも抜群のタイミングで私は捕まったのです……。私が帰ることはケインとレイにだけ話していたのですよ……。私は貴方方がその事を周囲の誰かに話すことなど考えませんでした。だから……もしかしたら……盗聴器の事や電話のことはグランマイヤーさんがレオナードさんに指示して……」
 その言葉を受けたケインは暫く考えた後、「それなら納得できる……」と言った。
「私は……殺し屋の件もグランマイヤーさんではないかと考えているのです。あの方ならそんなことくらい片手で指示するでしょうから…」
 ここまで来るともうグランマイヤーしか怪しい人物は残っていないのだ。
「それは考えたくはないが……。確かに考えれば考えるほど、ぴったりと当てはまるな……。あの人は、まずお前を側に置きたがっている。だがお前には恋人がいる。それも日本にだ。それさえ何とかしてしまえばお前をここに引き留めておけるとでも考えたのかもしれないな……。ただどうして隠岐さんを知ったのだ?」
 ケインは、うーんと唸ってそう言った。
「あっ」
 名執は持ってきたリーチの写真が無くなっていたことを思い出した。では勝手に人の部屋に入り、盗聴器を仕掛けた上、名執の持ってきた鞄の中まで調べたのだろう。
 全てが分かると名執は酷く腹が立った。
「どうした雪久……」
「彼の写真を持って来ていたのです。ですがこの間、調べてみると鞄の中から無くなっていたのです。私は自宅に置き忘れたのだと、その時は考えたのですが……酷い……」
 いくら何でもやりすぎだと名執は思い、気分が悪くなった。
 患者に頼りにされるのはとても嬉しい。何時までもここに居て欲しいと言われるとはやり嫌な気はしない。だが人のプライベートにまで首を突っ込まれ、どうして腹を立てずにおれるのだ。
「雪久……」
 ケインが同情するような目をこちらに向けた。
「グランマイヤーさんに会ってきます」
 目線を上げて名執は言った。
「雪久……私も行こうか?」
 ケインは心配そうな視線をこちらに寄越してくる。
「いいえ。大丈夫です。いくら病人だろうと、それとこれとは違います。医者の私に頼るのは構いませんが、プライベートまで口を出される筋合いはありません。それ以上に隠岐さんに対して酷い目に合わせる権利等ありません」
 名執はそう言うと椅子から腰を上げた。
「雪久……やはり私も……」
「ありがとうケイン……。でも大丈夫ですよ。気になるのでしたら、病室のモニターをチェックして置いて下さい。話し声は聞こえませんが、危ないと思ったら宜しくお願いします」
 何が危ないのか、名執にも分からないのだが、自然と口をついて出た。多分、心の中では、何かあるのではないか?……という漠然とした不安があるのだろう。
「分かった」 
 名執はそう言ってくれたケインの事を心強く思いながらグランマイヤーの特別病室へと向かおうとした。同時に電話が鳴った。
「おい、先に出てから行くんだな」
 そう言ってケインには電話の受話器をとり、こちらに差し出した。
「ええ」
 その電話の相手はレイからであった。
「レイ……どうしたのですか?えっ……嘘……」
 名執のただならぬ様子からケインは声を掛けてきた。
「名執……何かあったのか?」
 嘘……
 まさかそんな……
「隠岐さんが……重体だと……」
 レイは要点だけを言うとすぐに電話を切ったのだ。何やらバックが五月蠅かったのは、今病院が酷く騒がしいことになっているからだろう。
 では一体何故それほど騒がしいことになっているのだ?
 名執はそれを聞こうとしたのだが、既にレイからの電話は切れていた。
「重体?どうしてだ?」
 怪訝な顔でケインは言った。
「分かりません……レイはこれからオペを手伝うと言っていました」
 震える手で受話器を下ろし、名執はいつの間にかうっすらと額を覆う汗を拭った。
「え、なんだもう切れているのか?」
 驚いたようにケインは言ったが、要点だけを言われ、さっさと電話を切られた名執の方が驚いていたのだ。
「ええ。でも酷く慌てて……」
 どうしよう……
 リーチに何かあったんだ……
 何か……酷いことが……
「病院に電話をかけて看護婦にでも聞いてみろ」
 混乱したまま立ちつくしているとケインがそう言い名執を正気に戻した。
「そ、そうですね……」
 名執は警察病院に電話をし、事情を説明できそうな看護婦を出してくれるように頼んだ。そうして出てきたのは田村であった。
「良かった田村さんが出て下さって。隠岐さんが大変だとレイ先生から伺ったのですが、何があったのですか?」
 必死に平静を装って名執は田村に聞いた。
「先生、私も良く分からないのですが……。ただ、リンチにあったみたいな怪我です。でもそちらより困ったことが……。あの……隠岐さんは盲腸の手術をするために入院されていたのですが、悪化しているみたいで……」
 困惑気味に田村はそう言った。
「腹膜に癒着でもしたのですか?」
 動揺を悟られないように名執は更に平静を保って聞いた。
「そこまでは分からないのです。ただ、今病院内に沢山の警官と刑事溢れていて……。私も一体何があったのか全く分からないんです……」
 そう言う田村のバックもやはりザワザワとした人の気配が沢山あった。今何を聞いてもきちんとした事は分からないだろうと判断した名執は仕方無しに言った。
「分かりました。又連絡を入れますので、経過を教えて下さい」
「はい。あ、先生……早く戻ってきていただかないと……患者さんが寂しがっています……」
 切実な声で田村はそう言った。それは名執が望むことでもある。だが今はまだ帰られないのだ。
「ええ、出来るだけ早く帰るようにしますね」
 言って名執は田村との電話を終えた。
「どうだったんだ?」
「リンチにあったような怪我だそうです。ただ、その怪我より盲腸が悪化しているらしくて……そちらの方が大変だと……」
 どれだけ気持を平静に保とうとしても、名執のその口調は震えていた。動揺はやはり隠せないのは仕方ない。
「リンチ……それは隠岐さんの仕事がらみなのか?」
「分かりません……ケイン……私は……」
 上目遣いにケインを見ると、その先にある瞳は優しくこちらを見つめた。
「帰りたかったら……もう帰るんだな。グランマイヤーさんのことは、私に任せてくれても良いんだぞ」
 ……
 でもこれは……
 私自身のこと……
 私が何とかしなければ……
 今すぐにリーチの元へ戻られる距離に名執は居ないのだ。それに事件がらみだと今、日本に帰ったとしてもリーチ達に会えないということも考えられる。それよりまず、原因を突き止め、出来ればこれ以上リーチ達の被害が及ばないようにしたいと名執は思った。
 本当は帰りたい。リーチの側に居たいと名執は心底思っている。だが帰りたいと言う気持を必死に押さた。
 私はいつもリーチに助けて貰っている……
 今度は私がリーチの為に出来る限りのことをしたい…… 
「グランマイヤーさんに……会ってきます……」
 名執は決心を付け、グランマイヤーの特別病室へと向かった。



「隠岐……生きてるか?」
 ベットに横たわるリーチに篠原は言った。
「何とか……」
 リーチは苦笑しながら、篠原が病室を行ったり来たりしている姿を目で追っていた。
「馬鹿野郎……のこのこついて行くからそんな目に合うんだ」
 足を止め、こちらを向いた篠原は今にも怒りで倒れそうな表情をしていた。
「怒らないで下さい……」
 宥めるようにリーチはそう言ったが、篠原は止めていた足をまた動かし、せわしなく部屋を行ったり来たりする。その姿にリーチは苛つきながらも、表の表情だけはいつもの利一の顔を保っていた。
「全く……全く馬鹿!」
 篠原はリーチに先ほどから馬鹿と連呼していた。だがもう済んでしまったことはどうにもならないのだ。何よりリーチは分かっていながら相手に着いていった。別に後悔などしていないのだ。
「何とか生きてますし……」
「たりめーだ」
「私だって……袋叩きにあうとは思いませんでした。いくら何でも五人を一度にはきついです。でも反撃はちゃんとしましたよ。ほら、向こうだって怪我しながら帰っていったし……」
 はははと笑ってリーチは言ったが、その言葉で余計に篠原を怒らせてしまったようであった。
「そう言う問題か!」
 怒鳴りながら篠原は言った。
「考えてみてくださいよ。あの状況ではついて行くしか無いじゃないですか……。銃を向けられていたんですよ……殺されるよりましです」
 とは言っていたが、最初に振り切れることはたやすくできた。だがリーチはあっさりとついていくことを選んだのだ。
 彼らのことをもっと知りたかったからだ。
「そこなんだよ……殺そうと思えば簡単に殺せるはずなのに……どうしてお前を殺さないんだ?いや、殺されるのは困るんだけどな。係長もそう言ってた」
 う~と唸りながら篠原は言った。
「そんな事……私には分かりません」
 殺すつもりは最初から無いのだ。だがその条件が問題だった。
「それによ、お前、盲腸……腹膜に癒着しかけていたそうだぞ。医者はそっちの方が怖かったと言ってたぜ。分かってるのか」
 篠原の怒りは今度盲腸に向かった。
『なんかもう……僕うんざり~怒る篠原さんの気持ちは分かるけど……。同じ事ばっかり言われても……』
 はあ……と息を吐き、トシはそう言った。それはリーチが一番思っていることだ。もういい加減に小言を言うのは止めて欲しいのだ。
 だが篠原が黙る気配は無い。かといって五月蠅い等と言えないところがリーチの辛いところであった。
「さっきから謝っているじゃないですか……」
 だる……
 怒ったってもう済んでしまったんだから……
 いい加減に口を閉じるか、ここから出ていって欲しいんだけど……
「ああああ……もう、一体奴らはなんなんだよ!ヘリは未登録のヘリだったし、奴らに該当する人物もいない。分かっているのは外人だって事だけだ。これだけ警官や刑事が雁首そろえて逃げられたんだ。ヘリを撃ち落としてりゃ、なんかわかったんだろーに……情けねーよ」
 篠原は吐き捨てるように言った。本当に腹を立てているのだろう。
「相手はヘリですし……逃げられてしまうのは当然です。ドラマでは無いのですから、ヘリを撃つわけにはいけないでしょう」
 アクション映画のように何でも撃って言い訳ではないのだ。
「当たり前だ!」
 自分から言ったことであるのに、篠原はそう怒鳴った。
『ねえ……なんとか言って出ていって貰ったら?リーチ疲れているでしょ?』
 トシが心配そうにそう言った。
『そうする……』
 手術を終え、ようやく病室に戻ってきたのだ。本日は色々自分の身に起こりすぎ、疲れていたのだ。
「済みませんが……篠原さん……少し眠って良いですか?」
「あ、悪かった。今度は屋上も警官が固めているからな、安心して寝ろよ」
 篠原は苦笑して頭をかいた。
「はい。ありがとうございました」
 篠原は「じゃ」と言うと、病室をやっと出て行った。
 はあ……
 ホッとした……
 リーチは身体をベットに沈めそう思った。そんなリーチにトシが言う。
『リーチ……大丈夫?半分持つよ』
 今まで痛みはリーチの担当であったのだが、崎斗の事件以来、トシは利一がその身体に怪我などをすると、リーチに痛みを分担しようと提案してくるのだ。
 それはトシが、今まで利一の負う痛みを全てリーチに任せていたという罪悪感からだろう。リーチにも罪悪感はある。ただ、今回の痛みに関してはやはり、リーチが分かっていながら負った怪我だ。それをトシにまで引き受けさせることは出来ない。
『いや、俺が自分からついてったんだから俺の痛みにしとくよ。というかな……まだ麻酔が効いているらしくて、殆ど痛まないんだ』
 全く痛まないと言えば嘘になるのだろうが、トシに本当の事を話すつもりなどリーチには無かった。
『そっか……ならいいんだけど……』
 疑うことを知らないトシは、リーチのその言葉すっかり騙されていた。
『それにしても……せっかっくアジトに連れていって貰えると思ったのに……。屋上で袋叩きに合うとは夢にも思わなかった……』
 ふうと溜息を付きリーチは言った。
『でもリーチ……結構善戦したよね』
 トシは笑っていた。
『こっちも肋骨を折られたけどな。あいつらも何本か折ってやったぜ』
 殴られて腫れた顔でリーチは笑った。
『えっとね、金髪で青い服を着た人の右腕……それと茶色にメッシュ入った人の手首、髪を肩まで伸ばしていた人の左腕と肋骨、それから……』
『お前良く覚えてるな』
 感心したようにリーチは言った。
『だって見てるしかないもん』
 当然のようにトシは言う。まあ確かにそうだろう。
『だな……』
 屋上に再度連れていかれたリーチはヘリに乗せられると考えていた。しかし、ヘリから降りてきた彼らの仲間が一斉に殴りかかってきたのだ。結局幕を引いたのは機動隊が屋上に突入したからだ。そこでようやく彼らはヘリへと乗り、去っていったのだ。
「あきらめろ」ヘリから降りてきた中の一人が言ったことをリーチは覚えていた。

「なんのことか分かりません」
「とぼけるな」
「とぼけている余裕はないでしょう」
「分かって居るんだろうが……」
「私が描いている人のことを言っているなら……」
「言っているならなんだ」
「人の恋路を邪魔するな!」

 リーチがそう言ったとき何人かがひるんだのを思い出した。その隙に二人の鳩尾にストレートを食らわしたのだ。感触からいって肋骨が折れただろう。
 依頼人は利一という刑事と名執の関係を、雇い入れた彼らには話していないのだろうか?それを初めて知った彼らは自分たちのしていることの馬鹿馬鹿しさに気付いたのか?
 リーチはそこまで考え、学生の頃止めた煙草が無性に吸いたかった。
 それにしてもこのままでは、いつまでも誰かに見張られ自由に動けそうに無かった。何よりリーチ達が動くことで関係のない周囲を巻き込んで行く。
 リーチは名執を迎えに行く気でいた。だがこの金魚の糞を付けた状態で、名執の居る場所に向かったとして、果たして無事にたどり着けるのだろうか?
 ……ったく……
 どうすれば自由に動けるようになるのか?リーチは必死に考えた。あの訳の分からない奴らを何とか切り離さないと、こちらが動くたびに誰かが傷つくのだ。それはどうしても避けたい事態だ。
 この間銃弾に巻き込まれた若い警官は、今もショックで職場を休んでいるそうだ。例え弾が貫通し、今はもう気にするほどの怪我ではなかったとしても、銃で撃たれたというショックはなかなか心から去ってくれないのだろう。そんな彼らと同じような目に、また誰かを合わせるなどリーチは考えたくなかった。
 自分だけの話ならいい。だがこれ以上周囲を巻き込みたくなかった。
 う~ん……
 どうしたらいいんだ……
 あれこれ考えているとレイが入ってきた。
「隠岐さん……大丈夫ですか?」
 足を少し引きずっているのは撃たれた所為であった。
「私より……レイさんの足は大丈夫ですか?」
「弾は貫通していましたので、すぐに直ります。暫く歩くのに不自由ですけど……」
 そう言って笑みを見せた。それを見てリーチはトシに言った。
『このままじゃ俺達は動けない』
『分かってるよ。で、突然どうしたの?』
 トシは急に言われたことに少々戸惑っているようであった。
『これから俺がレイに相談することを黙って了解してくれ』
 リーチはようやく一つの方法を実行することにした。もうこの方法しか残っていなかったからだ。
『何をしようとしているの?』
 それに答えずリーチはレイに言った。
「レイさん……それにケインさんに協力して欲しいことがあります」
「なんですか?」
 レイは不思議そうな顔をしてベット脇の椅子に座った。
「レイさんも……少しは私の状況を理解して下さっていると思います。それでお願いなのですが……」
「はい……」
「私の恋人役を演じていただけませんか?」
 きっぱりとリーチはそう言った。
『ええ?』
 トシは驚いたようにそう言った。
「えっ?」
 もちろん同じようにレイも驚いていた。
「ここまで来たら、はっきり言います。多少はレイさんも色々想像されていると思うのですが、今日襲ってきた女性や、その仲間達は、どうも私と名執先生の関係を快く思っていない人物に雇われて居るようなのです。それが分かった私は、名執先生を連れ戻しに行きたいのですが、今の状況を見ていると、私が先生のいる場所にたどり着くまでに色々と邪魔が入るでしょう。最悪私の事に巻き込まれ、関係のない誰かが傷つく……。それは避けたいのです。だからこうして欲しいんです……」
 リーチはそこで一度言葉を切った。
「私に……どうして……欲しいんですか?」
 怪訝な顔でレイはこちらをじっと見ている。そんなレイにリーチは続けて言った。
「彼らが言うように私は今回の事で少し考えが変わった。そのうちレイさんの看病してくれる姿に私は惚れた……とでもしていただけると、とてもありがたいのですが……」
「あの……それは……」
 レイは驚き、とまどっていた。
「その事はケインさんにも伝えて、あちらで名執先生を監視してもらいます。先生にはその事を黙っているつもりですので、もしもがあると私が今度、後悔することになってしまう。だからケインさんに先生のことを頼むつもりです。私の計画も、もちろんケインさんには話します。でも先生に話すときっと演技は出来ないでしょう……。演技だと思われたら駄目なんです。だから話せません。私も辛いですが……それしか私自身が自由に動ける方法が無いのです」
 向こうにたどり着くまでの間なのだ。
 とにかく監視が緩まなければどうにもならない。その監視を緩めるにはこの方法しかリーチは思いつかなかったのだ。
「隠岐さん……」
「お願いします。私と先生のことを知っているのはレイさんとケインさんだけなのです。同僚もその事を誰も知りません……だから頼めるのは貴方達しかいないのです。暫くの間で良い。恋人役を演じては貰えませんか?」
 幾浦は当然知っていたが、彼にはそんな役目が果たせるわけは無い。名執も信用しないだろう。
『リーチ……いいの?雪久さんにもしもがあったら……』
 トシは心配そうにそう言った。
『それまでに連れ戻す……』
 決めたのだ。
 リーチは多少のリスクを背負っても、名執のいる場所に無事にたどり着きたかったのだ。その為にこれ以上誰かを巻き込むことは出来ない。
 多分名執はリーチのこれから言い出すことを、そのまま受け取るだろう。その先のことも予想がついている。
 だがこの方法しか選べなかったのだ。
「僕は……その……それしか方法が無いのでしたら……協力します……でもケインが何て言うか……」
 困惑した顔でレイはそう言った。
「ケインさんのメール番号か何か御存知ですか?」
 リーチは静かにそう言った。
「ええ」
「教えて下さい。電話は怖くて出来ませんので……」
「分かりました……でも……」
 まだ迷っているレイの姿がそこにあった。
「責任は私がとります」
 全ての責任は俺が負う……
 この先のこと全て……
 俺は……
 どんな手を使ってもユキを連れ戻したいんだ……
「……あの」
「気が向かないのなら断って下さって構いません」
 断られると困るが、レイの事も考えての事だった。
「いえ、そうではなくて……実際僕は何をすれば良いのですか?」
 レイは小さく溜息を付いてそう言った。決心を付けてくれたのだ。
「あ、そう言う質問ですか……そうですね……取り合えず作戦会議でもしましょうか?」
 リーチはそう言い、ようやくニコリと笑みを浮かべた。



 グランマイヤーの特別病室はホテルのVIP用の部屋さながらの装飾が施されていた。観葉植物と花が所々に置かれ、部屋の雰囲気を和らげている。但しグランマイヤー自身は無菌状態を保たなければならないので、彼の眠るベットの周りは硬質ガラスで囲まれていた。
 一時は意識不明であったが、最近は調子が良く、端から見ても快方へと向かっているように思われた。一日のうち半分は眠っており、身体はそれほど自由には動かせなかったが意識ははっきりしている。時折看護婦に冗談を言ったりする事もあった。
 名執がその病室に入るとレオナードがこちらに向かってきた。
「先生、ご主人様が今お目覚めになられていますので、宜しかったら話し相手になっていただけませんか?」
「そうですね。私も少しお話がありましたので……」
 名執がそう言うとレオナードはグランマイヤーの側に案内し、脇にあった椅子を名執に勧めた。
「名執先生、回診ですか?」
 年老いた小さな瞳がこちらを向いている。しかし瞳の奥は鋭い光りを発していた。
「いいえ、本日はお話があって参りました。少しお時間をいただけますか?」
 勧められた椅子に腰をかけた名執は、そう言ってまっすぐとグランマイヤーの方を見た。
「嬉しいことをおっしゃって下さる……」
 満面の笑みを向けたグランマイヤーはいつも通りであった。
「日本におります私の友人の事です」
「先生のご友人……?」
 グランマイヤーの態度は普通であった。
「ええ、その友人が今大変な目に合っておりまして……」
「それはご心配ですね」
 グランマイヤーは本気で心配している表情になった。どう見ても嘘をついているように見えない。
 これはどう言うことなのだろうか?
「プロフェッサーに帰国したいと申し上げましても聞き届けて貰えないのです」
 心の中で動揺しながら、名執はそう言った。
 この人じゃない?
 では一体誰が?
「いや、きっとそれはわしが先生に側にいて欲しいと希望しておる所為かもしれん。そのような事情ならさぞかし先生もご心配でしょう。プロフェッサーには私から先生を帰すように伝えてもらうことにしよう」
「……」
 どこから見てもグランマイヤーは人の良い老人であった。
「確かに先生に……わしが死ぬまで側にいて欲しいと思うが……先生は正規の職員ではない事をわしも充分理解しておる。日本にいる先生の患者さんもわしと同じように考えているはずじゃからな……」
 悲しそうに目を細めてグランマイヤーは言った。名執は他にも聞きたいことがあったがグランマイヤーのその目を見たことで言えなくなってしまった。
 彼ではなかったのだろうか?
 一体どうなって居るんだろう?
 分からない……
 名執は益々分からなくなってきた。だがこれ以上、追求など出来ない。
 仕方がないので名執はその後、当たり障りのない雑談を交わし、グランマイヤーの病室を後にした。
 そのころケインはリーチからのメールを受け取っていた。
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