「監禁愛4」 第8章
ケインが自室で書類を片づけていると、リーチからのメールが届いた。それを開けることもせずにケインは椅子から腰を上げると、名執の自室に向かって走り出した。
大丈夫だと思うが……
希望的観測だとは思ったが、ケインにしてもすぐに何かが起こるとは思わなかったのだ。
「雪久……入るぞ……」
返事を待たずに部屋の扉を開けると、室内の電気は消されて真っ暗であった。しかし人の気配は確かにあった。
名執はこの暗闇の中に居るのだ。
ショックで落ち込んでいるのだろうか……
ケインは思ったが、一応理由を知らないと言う態度を取ることに決めていた。
「おい、電気くらい……」
「つけないで下さい……」
素早く返ってきた名執の声は掠れ、風邪でも引いているようであった。
「どうした……風邪でも引いたのか?」
事情を知っていながらなんと残酷なことを言ったのだとケインは心が痛んだ。風邪ではなく泣きすぎて声が嗄れたのだろう。分かってはいたが、今は何も言えなかった。暫くの日数をどうにか乗り切れば、利一が必ずこちらにやってくる筈だ。そうすれば嘘だったと言うことが分かる。
少しの辛抱だ……
「いいえ……」
小さな声であった。
かける言葉をケインが失っていると名執が続けて言った。
「……ケイン……聞いても良いですか?」
毛布を引き寄せているような音がケインには聞こえた。では簡易ベットに突っ伏すように名執は泣いていたのだろうか?
だがその姿は暗闇に溶けて見えない。
「なんだ?」
「ケインは……あの人と……レイのこと……ご存じだったのですか?」
淡々とした名執の声はケインを責めているような口調ではなかった。
「……済まない。知っていた……」
自分まで一緒になって嘘を付くのが心苦しい。だが仕方がなかった。
全部分かったときに、謝る。それまで耐えてくれ。少しだけ辛抱してくれ……ケインは何度も心の中でそう思った。
「……そう」
何故教えてくれなかったのだと責められるのではないかとケインは考えたのだが、意外に名執は静かにそう言うに止まった。
大丈夫だ……
なんとか耐えてくれそうだ。
リーチは名執が馬鹿なことをするのではないかと心配していたが、どんなに好きな相手でも振られてしまえば一時的に落ち込むが、時間が経てば何とかなるものだとケインは考えるタイプだった。
恋愛はそう言うものだ。
ケインにも振られた経験は過去にあったが、その時は酷く落ち込み、何をする気にもなれないものではあったが、それらは時間と共に苦い思い出となる。
「雪久……今日のオペは代わってもらうように言っておこう」
安堵の息を吐きながらケインは言った。
「……お願いします……」
「何か……欲しいものがあれば持ってきてやるぞ」
「……ケイン……私のことは……あの人には言わないで下さいね……」
やはり小さな声だった。もしかしたら毛布に潜っているのかもしれないとケインは思った。
「落ち込んでいることか?」
「……そう……あの人の……所為じゃありませんから……」
「雪久?」
部屋の雰囲気が妙であった。
「なんだか……今まで辛いことばっかりでした……でも今が……一番……辛い……」
その声の口調で名執がまた涙を落としているのがケインには分かった。だが何となく奇妙な感覚が肌をチクチクと先程から刺しているのだ。
一体これは何だ?
言いしれぬ不安が急にケインの心に膨れあがった。
「今は辛いがすぐにマシになる……恋愛などそう言うものだ」
ケインの言葉に名執が小さく笑った。
「そう……かもしれないですね……暫くしたら楽になれる……」
変な会話だ……
どう楽になると言うんだ?
何かがおかしい……
「おい……」
「…………あと…宜しく……お願いします……」
自分でも言葉に出来ない不安のためにケインは部屋の電気を点けた。
名執は想像通り、ベットの上で毛布にくるまって横になっていた。だがその顔色に血の気が無く、半眼の瞳は虚ろであった。
「雪久……」
そろそろとベットに近づくと、嗅ぎ慣れた匂いが鼻をついた。
まさか……
そっと毛布を掴み、ケインは一気に捲った。
「うっ」
毛布の下にあるシーツは元から赤い色をしているのだろうかと見間違えるほど血で染め、名執自身は白衣やシャツを真っ赤に染めていた。握りしめるカッターも血に染まっている。
「雪久!」
ケインが名執を抱き起こそうとすると、うつろな瞳がこちらを見た。声はもう出ないのか口だけが「死なせて……」と動いた。
「ば……馬鹿!お前は馬鹿だぞ!」
ケインは喉元までこれは嘘なんだと叫びそうになった自分を必死に押さえた。この状態でそんな事を言ったとして、名執が信用するとは思えなかったのだ。何よりこの最悪の結果は予想されたことだった。
ケインが来るのが遅かったのだ。
済まない……
私が……
血は名執の脇から流れ落ちているようであった。出血の仕方を見ると動脈は切っていないようだ。それでもこのままだと本当に死んでしまうだろう。いや今ももう危ないところだ。
「くそ、すぐに血管を補合しないとこれは止まらないぞ」
名執を抱え、すぐさま廊下に飛び出すと、ケインは手術室へと向かった。
抱える身体からボトボトと血が床に滴り、それはケインの白衣を染め、通り過ぎる廊下に転々と血の跡を付けていた。
「大丈夫だ、お前は今いい場所にいるんだからな。死にはしない」
そう言うと名執は震える手で自分が持っていたカッターをケインの首に当てた。
「死なせて……くれと……お願いしています……」
泣きはらした目が、血の気のない顔色の中で唯一赤い色を見せていた。
「したいようにしろ。私は聞かないぞ」
「ケ……イン……」
名執はそう言うのを最後に気を失った。ケインは手術室に付くと手が空いている看護婦を呼び、すぐに補合手術を施した。ためらい傷も無く、すっぱりと切られた静脈が、狂言ではなく本気で死のうとしたことを物語っていた。
ケインは涙が出そうであった。それほどあの利一に惚れているのだ。こんな事を計画した利一を恨んだ。それ以上にケインはこうせざる終えないところまで追いつめた見えない犯人が憎かった。
ただ……
なにもかもが、やりきれなかった。
手術を終えるとケインは名執を隔離室に入れることにした。手足を拘束するのは可哀相だと思ったが、意識を取り戻すと名執は又自分を傷つけるだろうと確信していたのである。それに点滴等を自分から外す恐れがあったのだ。
とにかく死にたいという衝動が落ち着くまで、手を打てることは全て打っておかないとケインは安心できなかった。
「先生……一体名執先生はどうなされたのですか?」
看護婦の一人が名執の毛布を整えながら、困惑した表情をこちらに向けた。だが事情を話すことなど出来ない。
「個人的なことだから詮索しない方がいい。それより君は専属で名執先生を見張ってくれないか?」
「は……はい。余計なことを聞いて済みません……」
看護婦は頭を下げて慌てていった。
「いや……言い方が悪かった。私も良く分からないと行った方が本当の所だが……。ただ意識が戻ってからまた名執先生が自分を傷つけると困るのだ。可哀想なのだがこういう処置を取らせて貰う。ああ、他の先生やプロフェッサーが名執先生の拘束を外してやるように言っても聞かないように。絶対にだ。何かあってから私に謝られても責任はとれんぞ」
有無を言わせないような口調でケインは言った。
「は……はい!」
看護婦はケインの剣幕に驚きながらも頷いた。今ここで、きつく言い聞かせていないと今後何が起こるか分からなかったからだ。
「頼んだよ。私はプロフェッサーに報告をしてくる」
名執がまだ切れない麻酔のため、ぐっすり眠っているのを確認し、ケインはランドルフの元へと向かった。
ランドルフの自室の扉をノックすると向こうから扉が開いた。
「ケイン君、名執君の事は聞いたが一体どうしたというのだ?」
青ざめたプロフェッサーに怒鳴りたい衝動を抑えケインは言った。
「プロフェッサー……私こそ貴方に伺いたいのです。どうして名執先生にかかる隠岐さんからの電話を交換手に繋がないように言ったのですか?」
ケインはランドルフの顔色を見ながら冷えた目つきになった。
あのことがなければ……
もう考えても無駄なことばかりケインは今思い返しては腹立ちに拍車をかけていたのだ。
「それは……だな」
視線を外しランドルフは言い淀んだ。
「名執先生が……とても変わられたのはプロフェッサーも驚かれていましたね。あのように執先生を変えたのはそのご友人です……。名執先生はこちらに来てから、そのご友人と連絡が取れないと随分長い間悩んでおられました。それだけではありません。日本にいるご友人が訳の分からない連中に酷い目に合わされたのです。連中はその依頼者として名執先生を仄めかすような事を言ったそうです。それから二人の関係がおかしくなった。名執先生にとって心の支えである人から縁を切られたのです。それが引き金となって先生は生きることに絶望されたようです。だから自分で死のうとした。その原因は貴方が作った」
ケインは腹立ちを抑えるような口調で言ったものの、自身は無かった。だが本来なら怒鳴りつけてやりたいほどだったのだ。
「違います……誤解ですよ……」
ランドルフは困惑した表情のままそう言った。
「何が誤解なのですか?私は貴方を尊敬していた。その貴方がこんな事を引き起こした。確かに名執先生を引き留めたいと言う気持ちも分かる。だが名執先生はここでは生きていけない人だ。期限付きだからこそ、ここにおれたのだ。それなのに貴方は名執先生の優しさにつけ込み、理由を付けてはずるずる帰国を延ばし、その上、人の友人関係にも口を出して……。私はこんな事を計画した貴方が信じられない」
ここまで来ると腹が立つより情けなかった。
「知らなかったのだ。その隠岐という人物が友人だとは……。それに私はその連中というのが良く分からない。一体どう言うことなのだ?」
ランドルフは驚きながら言った。それを信じて良いのだろうか?
「貴方に……隠岐さんのことを話したのは一体誰です?」
睨み付けるような視線をケインはランドルフに向けた。
「それは……」
困惑した表情で言葉がとぎれた。
「グランマイヤーさんですか?」
誘導するようにケインは言った。
「違う」
「では一体誰です?そんなくだらないことを貴方に吹き込んだのは……」
「レオナードさんだよ」
観念したようにランドルフは言った。
「え??」
出てくるとは思わなかった人物の名前を聞いて、ケインは暫く言葉が出なかった。
目を覚ました名執は自分が拘束されていることに気がついた。鎮静剤が効いているのか、麻酔がまだ残っているのか分からなかったが、頭がぼんやりとしていた。
死ねなかった……
人ごとのように呟いた。
狂ってしまうことも出来ない……。
「先生……何か食べられますか?」
側についていた看護婦が名執が目覚めたことに気がついてそう言ってきたが、答えなかった。何も食べたくはなかったのだ。食べるという行為は生きるという行為だからだ。死にたいと切実に願っている名執にはそんなものはいらなかった。
「拘束が……きついのですが……」
掠れた声で名執は言った。
「私がそれを緩めるも、外すことも権限がありません。済みません……」
申し訳なさそうに看護婦は頭を下げる。ケインが余程きつく言い聞かせているのだろう。名執はそう考えると今度はケインを恨みがましく思った。
だが名執は考えることを止めた。誰かを恨んでも何も好転はしないのだ。時間が止まってしまったのだ。あらゆる事が虚しく思えた。誰かと話しをすること……仕事をすること……食事をすること……生きるということ……すべてはもうどうでも良くなったのだ。
たぶんこのまま死ねるのだ。時間はかかるが、死は確実に訪れるだろう。
それだけが今、名執の望むものであった。
リーチだけが唯一名執の生きる支えであったのだ。
彼が居たから生きることが出来た。
その喜びすら感じることが出来たのだ。
一番大切な人を失ってどうやって生きていけるというのだ?
だが死ねなかった。
残された逃避はそれしか無かったはずなのに……
まだ……
死ぬ方法はある。
ただゆっくりと近づくだけだ。
それも良いかもしれない。
ゆっくりと……
名執は息を薄く吐き出すと、開けていた瞳を閉じた。
「意識は戻ったのか?」
ランドルフと話し、その後ケインは問題のレオナードを探したが見つけら無かった。仕方無しに、ケインは名執の様子を見に戻ってきた。
「あ、あ、はい」
看護婦は突然声を掛けた所為でびっくりした顔でパイプ椅子から腰をあげた。そんな看護婦に「座っていて良いから……」と言って腰を再度下ろさせた。
「意識は戻ったか?」
ケインは名執のベットに近づき、手すりに手を置いた。
「先程……拘束がきついとおっしゃっただけで……その後は何も……」
「そうか……」
ベットに拘束されている名執を見ると、眠っているのか瞳は閉じていた。
「食べられるとは思わないが、軽い食事を用意しておいてくれないか?」
ケインが看護婦にそう言うと「分かりました」と言い病室を出ていった。
「雪久……眠っているのか?」
ケインは伺うように声を掛けたが、名執はぴくりとも動かなかった。
「何か食べた方がいいぞ……」
そう言うとうっすらと目が開き、瞳がこちらを向いた。
泣いて腫れた瞼が痛々しい。顔色も酷く悪かった。失血死寸前の血をぶちまけたのだ。血の気がないのも仕方がない。
「雪久?」
何か言いたげな瞳を向けると名執は又目を閉じた。
「……暫く窮屈だと思うが……我慢してもらうぞ……」
ケインはそう言ったが名執はもう目を開けなかった。
ああ……
そうだ忘れていた……
ケインはあまりの事態に、リーチにメールを返信することを忘れていたのだ。この状況を伝えるのは気が進まなかったが、本当のことを書くしかないのだ。
「暫く眠っているといいよ……」
看護婦が帰ってくるのを待ち、入れ違いに病室を後にすると、自分の部屋へとケインは歩き出した。
その足取りは重かった。
リーチはベットの上で、ノートパソコンを開き、メールをチェックしていた。ずっとケインからのメールが届くのを待っていたのだ。
そうしてケインからのものが来ているのを見つけ、嫌な予感がしながらも、そのメールを開けた。
雪久は自殺未遂を図った。
発見が早かったので簡単な手術で済んだが、状態は悪い。
そちらからのメールが届いた段階ですぐに駆けつけたのだが遅かったようだ。
済まない。
まだこちらには来られないのですか?
頼むから早くしてやってくれませんか?
雪久を助けてやってくれ。
申し訳ないが私には雪久を助けてはやれない。
医者は怪我は治せる。だが名執の負っている傷は医者には治せないものなのだ。
それは隠岐さんが一番よく分かっているはずでしょう。
早く来てやって欲しい。
そちらの状況は充分理解しているつもりです。
だがこのままでは日々弱っていき、最後には結局死んでしまうでしょう。
だから早くこちらに来て雪久に嘘だったと言ってやってくれ。
私が言ったところで雪久は信じないはずだ。
隠岐さんの到着を誰よりも待っているのは私ではない。
雪久なんだ。
ケイン
「……っ……!」
リーチはケインからのメールを受け取って涙が出そうになった。
名執は自殺をしようとしたのだ。では自分との電話の後すぐに死のうとしたのか?
どんな気持で……
絶望したのだろうか……
俺があんな事を言ったばっかりに……
それを考えると身体が震えるほど苦しかった。
ユキ……
ごめん……
今すぐ嘘だって言ってやりたい……
だけどまだ動けないんだ……
ギュッとシーツを握りしめ、リーチは今名執が感じているであろう痛みを想像し、歯を食いしばった。
『リーチ……』
後ろで見ていたトシが何か言おうとしたのだが、一言だけで言葉は続かなかった。そんなトシにリーチはホッとした。
慰めの言葉を貰ったとしても落ち込むだけなのだ。今は例えトシであったとしても言葉をかけられたくは無かった。
ある意味、リーチは予想していたことだ。リーチが自分の元から去ることがあれば、その先一人では生きてはいけないと名執は以前、話してくれたことがある。それは他の人間が言う言葉とは違い、重いものであった。
そしてその言葉が本当のことだったと証明されたのだ。
ユキ……
本当にこの方法で良かったのか?
リーチは自分に問いかけた。名執の心が今どんな状態であるのかが手に取るように分かる。
苦しんでいるはずだ。
それも生きていることに苦しんでいる……。
助かったことでケインを恨んでいるかもしれない。
名執は脆い。それをリーチは知っている。
今どうしているのだろうか?身体は大丈夫なのか?そんなことばかりがリーチの頭に浮かんでは消えていた。だが、決めたのはリーチ自身であった。ここで後悔することはできない。
ただ、見張られている間は動けないのだ。早く自分を見張る人間の気配が消えて欲しいとリーチは切実に願った。自分達が自由になれば誰が止めようと空港に直行しようと決めていた。幾浦には昨日ビザを自分達の自宅から取ってきて貰うようにメールを入れていたので、それは大丈夫だろう。
『ねえリーチ……行く気だろ?』
今まで黙っていたトシが急に声をかけてきた。
『まあな……お前が駄目だと行っても俺は行くぞ……』
『反対はしないよ。だって恭眞にビザを取ってきてってメール出してたから……きっと行く気なんだろうな~って思ってた。でもそれならそれでちゃんと僕に話して。僕だって雪久さんのこと心配なんだから……』
少々腹立たしげにトシは言った。
『済まない……』
『ただね、僕思うんだけど……ビザを使って出国したら向こうにすぐばれちゃうよ。だってここから逃げたらすぐに国際線のチェックされそうじゃない……』
当然のようにトシは言った。確かにそうなのだが他に向こうに行く手だてがないのだ。いくらなんでも船では遅すぎる。
『じゃあ……どうしたらいいんだよ……』
ムッとしながらリーチは言った。
『FBIのバークに相談してみようよ。きっと良い方法を授けてくれると思う』
そうなのだろうか?どうしてバークなのかリーチにはピンとこなかった。
『どうしてバークなんだ?』
『やだなあリーチ……バークの家族って軍人一家だよ。バークだけが警察官じゃないか。きっとそっち方面に明るいはずだし……上手くいったら密入国出来るはずだよ。バークのお兄さんは空軍だし、お父さんも確か結構上の人だったよ。きっと何とかしてくれるって』
当然のようにトシはそう言った。
『あ、そっか。アメリカの空軍基地がこっちにもあるんだよな……そっちに手を回して貰ったらいいんだ……。トシって抜けてる割にはそう言うところに気が回るんだよなあ……』
リーチは感心してしまった。
『リーチって……僕のこと馬鹿だと思ってない?』
『そんなことねえよ……』
あとは警官だけだよな……
病室を守っている警官を巻くことは容易い。こちらは何時だって巻けるのだ。一番心配なのは誰かを巻き込むことだった。その心配が無くなれば後は何も心配することはない。
畜生……
チラリとリーチが防弾ガラスの向こうを見ると、真っ暗な夜の景色が広がっていた。その暗闇の向こうからは今も見張られている気配がする。カーテンを開けるなとは言われていたが、あえてリーチは開けていた。レイと仲良くしている姿を見せなければならなかったからだ。
「隠岐さん、回診です」
レイが病室の扉を開けて入ってきた。
「レイさん……私の身体はどの位で動いても良いのでしょうか?同僚はまだ安静にしなくてはいけないと言うのですが……」
「退院は出来ます。但し激しい運動をされると傷口が開きますのでそれは許可出来ませんが普通の生活をするくらいなら……。隠岐さん……行くつもりですね」
分かっているのか、レイは笑いながら脇にある椅子に腰をかけた。
「ええ……」
「うーん……長距離の旅は少し辛いかもしれないですよ。肋骨は固定しているので、体力をかなり消耗します」
医者としての顔が困惑する。
「分かっています……ですが時間が無いんです……」
リーチが事情を話すとレイは真っ青な顔になった。
「スノウが……」
「貴方の所為じゃありません……私の所為です。だから出来るだけ早く行きたいのですが、監視の気配がまだあります。それが無くなれば……」
一番の問題がそれなのだ。
「僕は……スノウに何て言って謝れば良いのでしょうか……」
俯いたままレイは膝に乗せた手を震わせていた。
「謝るのは私です。それよりレイさん、こっちに来て座って下さい」
そう言ってベットに座るように促した。
「大丈夫……先生はそんなに弱い人じゃない……私が迎えにいくまでに元気になっていますよ……」
「大丈夫ですよね……ケインがいるもの……」
言ってレイはリーチに促されるまま、椅子から腰を上げベットの端に座った。
「こちらはこちらでしなければならないこともありますし……」
リーチはベットに腰をかけたレイの頬に手を当てた。
「見られています?」
レイは頬に当てられた手を振り払うこともせず、リーチの方をじっと見つめた。
「ええ、こっちを見てます。あ、視線は逸らさないで下さい。こちらは気付かない振りをしないと駄目ですから……」
ニッコリとした顔でリーチは言った。
「は、はい」
リーチはまるで恋人にするようにレイの頬を優しく撫でた。レイのほうと言えば、芝居と分かっていても恥ずかしいのか、こちらが触れている頬が徐々に赤く変わっていく。
「先生は本当に純情な方ですね」
「いえ……その……」
照れくさそうにレイは俯いた。
「名執先生は……ケインさんがちゃんと見ていてくれると約束してくれています。私はその言葉を信じているんです」
信じている。
信じていなければこんな事など出来ないのだ。
「ケインは責任感が強いから……きっと守ってくれますよね」
やや顔を上げたレイは真剣な面もちでそう言った。
「ええ」
外から見ると仲の良い恋人に見えるはずなのだが、自分たちを見つめる気配は消えそうになかった。