「君がいるから途方に暮れる」 第4章
その日は定時に終わった。
久しぶりの早い帰宅に戸浪の表情も明るい。うちに帰って何かをする予定があるわけでもないのだが、夕方とは言えまだ明るい中を帰るのは気分的に楽だ。
窓の外に目を向けると、太陽が傾いてビル群に埋もれようとしている。
都会の日暮れ。
流されるまま居住まいを東京に決めてしまったが、住み心地はそれほど悪くない。時折襲ってくる虚しさも、乾いた都会では誰にも少なからずあることなのだ。
自分だけではないという思いが、戸浪をこの地に引き留めている。
帰ろうか。
席を立ち、自分の課をあとにして会社を出ようとすると祐馬が走ってきた。
「澤村!」
「ああ、三崎さん何ですか?」
立ち止まらずに戸浪は言った。
「おい……お前何で眼鏡を外したんだ?俺が散々言っても聞かなかったのに」
先週以来の祐馬だ。
そう言えば会社でもほとんど顔を合わせなかったが、噂でも聞いたのだろうか?
「……みんなの前で弟に奪われたんだよ。今更伊達を掛けられない」
「ふうん……それで……」
と言ったところで大地が戸浪を呼んだ。
「兄ちゃん!ちょっとちょっと!あ、こん晩は三崎さん」
「ああ、どうも」
祐馬はいつも以上に不機嫌だ。そんなことなど大地は全く気付いていない。
「大……なんだ?」
「俺まだ仕事なんだけど、来週の木曜空いてる?」
「今のところ晩は空いてるよ」
「じゃあ、おれんちに七時ね」
「どうした?何か相談事かい?」
「大良が見舞いにって色々と貰ったんだけど、俺の休みの前の日に食べるっていってるからさ。兄ちゃんもどうかなって。霜降りの良い肉もあるし、タラバガニとか、他にお酒もいいのもらったんだ。でも二人じゃ食べきれないし飲めないから」
「……あの男、今は飲めないだろうが」
まだ家で養生しているような男が何を血迷っているんだと戸浪は思った。
「それがさあ、飲むって聞かないんだ。俺はおおっぴらに飲めないし、あと、真喜子さん呼んでるんだけど……。人数が多い方がほら、あいつの口に入る分が減るだろ」
そう言う訳か。
「真喜子さんって……ああ、よく見舞いに来てくれた綺麗な人だね」
「そうそう。兄ちゃん紹介して欲しかったら俺いつでも紹介してやるよ」
「いや、それは良いが……。木曜だな?お邪魔させてもらうよ」
「じゃあ、あ、良かったら三崎さんもどうですか?」
「えっ!?」
不機嫌だった祐馬が急に問いかけられて驚いていた。
「だ、駄目だよ大、三崎さんは……」
「じゃあ、お邪魔しようかなあ……」
祐馬は急に破願する。戸浪自身は困るのだが、大地の方は「じゃあ、二人で来てね」と言うとさっさと、仕事に戻って行った。
「いい子だなあ……大地君って……惚れちゃいそうだ……」
「三崎……悪いが欠席してもらうからな」
「何だって?俺が誘われたんだぞ」
「お前を連れて行く気は無い。大地は誤解しただけだ。私とお前が友達だとな。友達でも何でも無いお前を連れて行く気はこれっぽっちも無い」
「戸浪……言ってくれるな。じゃあ、俺だけ行くよ。住所はあの子自身に聞けば良いんだからな。別にお前に連れて行って貰えなくてもいいさ」
「……」
戸浪は祐馬を振りきるように歩き出した。だが祐馬の方は後ろをずっとついてくる。
「何か用か?」
「何か用かってねえ、おまえんちに行くんだよ」
肩に手を回されて戸浪はそれを振り払った。
「……いい加減にしてくれ」
「今になってどうしてそんなことを言い出すんだよ」
「何をすればお前は私を切ってくれるんだ?」
「彼女でも出来たか?」
「そうじゃない……」
「だったらなんだ」
「私は……こんな関係が虚しい……」
呟くような戸浪の声に祐馬は苦渋に満ちた表情を作った。
「じゃあ。冷静に話をしよう……」
それは祐馬の言葉とは思えないほど、珍しいものだった。
「……冷静に話し合ったところで、答えは決まっている」
二人きりになりたくない。
そうなるとどうせ流されるのは目に見えているから。
「いいから。来いよ」
ガッと腕を掴まれた戸浪はあきらかに駅とは違う方向に引きずられる。一体何処に行こうというのだろう。そんなことを考えていると通りの突き当たりにビジネスホテルが見えた。
「三崎!」
「黙ってろ」
「だが……っ!」
何か言いかけた瞬間に、ぎりっと手首を力強く掴まれた所為で、戸浪は黙り込む。
そうして仕方なしにホテルにはいると、祐馬はさらに嫌がる戸浪を引きずり、フロントで借りた部屋の扉を開けた。
「……三崎……私は……もう止めたいんだ……」
祐馬の背を見つめながら戸浪は顔を振った。
結局は同じ事の繰り返し。
だが、戸浪はどうあっても祐馬との関係を清算したかった。
「手放す気はない……」
振り返り、途方に暮れたように俯く戸浪を祐馬は抱きしめる。恋人同士であるならば、心地よい抱擁になるのだろう。
しかし、そんな気持ちなど少しも沸いてこない。
冷えてしまった心は何者も受け付けないのだ。
「……」
「戸浪……」
祐馬は戸浪に口づけた。
慣れたキスはこんな状態であっても頭の芯を痺れさせ、体の自由を奪う。
情けない……
女の代わりに抱かれることに嫌悪を感じながらも、受け入れている自分が汚らしいものに思えて仕方がない。
「……冷静に話し合うんだろう?」
言っても仕方のないことを戸浪は口にした。
「……ああ……冷静に……」
祐馬は口ではそう言いながら、戸浪のネクタイを解き、シャツのボタンを外す。
「祐馬……」
「座れよ」
はだけられた胸元を押され、そのままベッドに戸浪は腰を下ろして祐馬を見上げた。するとどこか切ない瞳がこちらを見下ろしている。
「終わりにしたい……」
「……駄目だ」
ギュッと身体を抱きしめられて、厚い胸板に戸浪は頬を埋めた。
どうせ、いつものように身体を開かされるだけだ。
その間、現実から遠く離れた場所に戸浪の心は遊離して漂っている。自分が今何処にいるのかも何を考えてるのかも分からない。
己が上げる声すら遠くに聞こえ、快感に翻弄されながら、同時に虚しさが積もる。
どうしてこんな事になってしまったのだろうか。
よくよく考えると祐馬の最初の怒りは言いがかりだ。言いがかりにどうしてつき合わなければいけないのだ。
そこまで分かっていて何故この男を受け入れているのだろうか私は……
欲求の捌け口の吐き出す先を互いの中に見つけたのからか。
確かにそれで良いと思ってきた。
紛れもなく自分の中に性欲が存在していたからだ。
だがそれを知ってしまうと空しくなる。
「戸浪……俺から離れるなよ……」
懇願するように聞こえる声。
「……もう……いい……」
のしかかってくる身体を受け止めながら、戸浪は目を閉じた。口から出る言葉と、身体の動きがちぐはぐだ。
拒否しているのか、それとも現状に満足している自分が実はいるのか、戸浪に判断がつかない。しかし、こうやって抱きしめられたら、結局仕方がないと諦めているのも自分だった。
「……っ……」
既にはだけた胸元に祐馬がキスを落とし、そのまま滑らせて胸の尖りに歯を立てる。痺れに似た快感がそこから放射状に身体を覆った。
「あっ……」
「俺無しじゃ、この身体をもてあますぜ……」
するりとズボンの中に手を突っ込んだ祐馬は、戸浪の熱くなっている部分をギュッと握り込み、そのまま上下に擦る。
己の欲望が形取られていく様を戸浪は見ることができずに目を閉じたまま、身体を逸らせて息を吐いた。
「……あっ……あ……いや……だ……」
「嫌だと言いながら、足、自分で広げてるじゃねえか」
くくくと笑いながら祐馬は戸浪のズボンを剥いで、握り込んだ部分を口に含んだ。そのとたん戸浪の意識は白く染まっていった。
口元に含んだものを舌で舐め回すたびに頭上から戸浪の嬌声が聞こえた。いつもより感じやすくなっている身体は、気持ちがいいくらい素直だ。
「これじゃあ……駄目だ……っ!」
そう言って戸浪はいきなり身体を起こしてこちらにしがみついてくる。最初は散々嫌がるくせに、乗ってくると大胆になるのが戸浪だ。
それを愛だと祐馬が錯覚しても仕方がないだろう。
「戸浪……」
「もっと……滅茶苦茶にしてくれ……駄目だこんな刺激じゃあ……身体が……っ」
切なそうな瞳で戸浪は言う。
いつか自分から本当にこういってくれたらとずっと思っていた言葉だ。例え快感の果てに漏らされる言葉だとしても祐馬は嬉しい。
「ああ、もちろん……してやるよ……滅茶苦茶にさ……」
指先をいきなり蕾に持っていったのだが、既にそこはひくつき柔らかくなっていた。ぬるりとしたものが既に上から流れて来ており、受入体勢は万全のようだ。
祐馬は躊躇わずいきなりそこに自分の雄を突き入れた。すると戸浪の身体はしなり喜びの声を上げて、自らも腰を振る。
「あっ……あああっ……祐馬……」
半開きの口元から熱く息を吐き出しながら、自分を呼ぶ声が聞こえた。綺麗な目が熱と涙で潤み、その中に自分が映っているのを見つけると堪らなく戸浪が愛しくなる。
だが、これは偽りのものだ。
戸浪の気持ちは最初から無い。
自分が無理矢理戸浪の身体を手に入れ、戸浪が強く拒否できないのを良いことに今まで己の欲望のまま貪ってきた。
今まで戸浪は祐馬を完全に拒否せずに、嫌だと言いつつも受け入れてくれていたのは奇跡に近い。
最初は嫌がっていた。が、暫くすると身を任せるようになった。
そして今は拒否しようとしている。
いつかそうなるだろうとは思ったが、本当に拒否される日が来るとは思いもよらなかった。拒否されるまでに何とか戸浪の気持ちを祐馬自身に向けさせようとしたのだが、どうもそういう事は苦手であったせいか、美味く言葉に表せない。
二人で食事や、遊びに出かけようと戸浪を誘うことは確かに考えた。
何度もだ。
だが祐馬は実行に移せなかった。
戸浪は祐馬が何処に住んでいるのかも知らない。
聞こうともしない。
互いに性欲を処理して、それだけの関係だと割り切ってきた。
違う。
戸浪だけがそう思っているだけだったのだ。
意外に時間はあったはずであるのに、何も出来なかった祐馬が馬鹿なのだろう。永遠にこの関係が続けられると、理由もなく信じていたのは祐馬だ。
いつか、いずれと先延ばしにしているうちに戸浪の方が気がついたのだ。
この関係は正常ではないと。
そう、はっきり言って異常だ。
どうにかしようと今更あわてふためいている自分が祐馬は情けなく思う。
映画のチケットも戸浪と一緒に行こうと決めたから、買ってきた。しかし当前のごとく誤解されて終わった。
あのとき、お前と行きたいのだとどうしても祐馬は言えなかった。
言えば良かったのだろうか?
どうせ信用して貰えないと言うのが分かっていたので言えなかったのだ。
戸浪を手放すことは絶対出来ない。
祐馬は手の中で喘ぐ戸浪を見ながら強く思った。
つなぎ止めることが出来るのなら何だってする。
だが今更、正直に自分の胸の内をさらけ出しても、遅すぎることを祐馬は知っていた。
いずれ戸浪は完全に祐馬に見切りを付ける。
それがいつ現実になるのか。
そう遠くないような気が祐馬にはした。
「戸浪……」
愛している……。
祐馬はその言葉を心の中で呟いた。