Angel Sugar

「君がいるから途方に暮れる」 第7章

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 翌朝、汗ばんだパジャマの不快感から戸浪は目を覚ませた。パジャマを着替えたいと思い身体を起こすが、まだ酷く怠い。
「兄ちゃん起きた?ん~なんか、まだ調子良さそうじゃないね……。仕事休めそうならもう一日休んだら?」
 キッチンに立って大地がこちらに向かってそう言った。
「ああ、そうした方が良さそうだな……」
 情けないことに頭の芯がまだぐらぐらと頼りない。これでは仕事に必要な集中力など臨めないだろう。
「パジャマ着替えたほうがいいね。あーっと俺、洗濯物も干さなきゃ……」
 大地は着替えのパジャマをこちらに寄越し、かご一杯に入った洗濯物を持ってベランダへ出ていった。今のうちに着替えてしまおうと思った戸浪は、慌てて新しいパジャマに着替えて布団に潜る。
 悪い事をしている訳でもないのに、心臓がどきどきしてせわしない。
 暫くすると大地がベランダから戻ってきた。
「兄ちゃん朝ご飯食べる?」
「ああ……意外にお腹が空いてるんだよ」
 そう言って戸浪は笑うと、ホッとしたような笑みを大地は浮かべた。
「良かった。じゃあ、今朝は普通の白ごはんで良いよね。お昼は博貴に作ってもらうようにいうから。あ、俺が作ったのを温めて貰うように言っておくの間違いだった」
「そのくらい出来るから大丈夫だよ。彼にも迷惑を掛けて……済まなかった」
「気にしなくていいよ。それにあいつがしたことは戸浪にいを迎えに行った事くらいだから、別にたいしたことしてねえもん」
 大地はそう言って、朝食を乗せたお盆を持ってきた。
「明日には身体がまともに動きそうだ」
 その言葉の根拠は無いのだが、明日なら大丈夫だろうと戸浪は思ったのだ。
「ねえ、兄ちゃん……あのさあ」 
「どうした?」
「俺、考えたんだけど、実は兄ちゃん三崎さんのこと嫌いなんじゃないの?」
 大地にも感じ取れるほど、態度がおかしかったのだろう。こうなるともう隠せないと思った戸浪は、ただ頷いた。
 ただ、嫌いな理由は聞かないでくれと戸浪は切実に願った。
「だからさあ、俺、そんなの全然知らなかったから、木曜の晩に三崎さんを誘っちゃったけど、あの件さあ三崎さんが今度聞いてきたら俺、中止になったって言うけど、いいかなあ」
「え、大、いいのかい?」
 そうしてくれるのならありがたい。
「うん。俺が誤解して誘っちゃったんだもん。俺がちゃんと言うからさ。兄ちゃんごめんね。俺の所為で苛々してたでしょ。でもちゃんと言っとくからもう、心配すんなよ」
「……助かるよ……本当に……」
 心の底からそう言った。
 戸浪から言えば絶対祐馬は信用しないだろう。しかし誘った相手の大地が言ってくれるのなら祐馬も信じるはずだ。 
「さーて俺も会社に行く準備しないと……」
 大地はばさばさと着替えて準備を整えた。
「大地……気をつけてな」
「うん」
 そう言って大地は自分の家から出ずに博貴との部屋を繋ぐ扉を開けて出ていった。あちらも起こしてから行くのだろう。
 大地も大変なのだと戸浪は思いながら、布団に身体を横たえたが、気になっていたことが一つ解決したことで、起きたてよりぐっと気分が良くなった。
「後はあの男を切ってしまうだけだ……」
 天井を眺めながら戸浪は呟くように言った。
 


 今日も戸浪が休みだと聞いた祐馬は仕方無しに大地を捜した。
 このビルの警備員をしている事は聞いていたので、何処かにいるはず。
 祐馬が真っ先に向かった警備員事務所には見あたらなかったために今は何処かの階の見回りでもしているのだろう。
 そうして祐馬はビル内を散々うろつき、巡回している大地をようやく見つけた。
「やあ、お兄さん調子はどうだい?」
 怖がらせないように、愛想良く言ったつもりであったが、何となく大地の様子がよそよそしく感じられた。
「随分良いです。明日くらいから多分出社出来ると思います」
「そうか……良かった」
 三崎はそう言って笑みを見せたが、大地は視線を合わせようとしない。
「あの、それで今週予定していた木曜の晩の話しなんですけど……あれ、中止になってしまって……折角お誘いしたのですが、又今度に……」
 急な事だな……と思いながら祐馬は聞いた。
「又、今度って何時?」
「予定はまだ決めてないんですけど……」
「ふうん……」
 視線をあちこち彷徨わせてそわそわする大地の態度はやはり妙だった。
「兄も残念がっていました……」
「嘘だろ?あいつが嫌がったんだろ?」
 そうに違いないと祐馬は確信したのだ。
 だから大地の様子がおかしい。
「え?」
「嫌がったのは戸浪だろって聞いてるんだよ」
 祐馬にしてみれば、初めて戸浪とセックスする以外の機会であった為、でどうしても行きたかった。だが、祐馬が楽しみにしているのとは逆に戸浪の方は気に入らなかったのだろう。だから弟の大地に断れと言ったのだ。
 それが分かると無性に腹が立ったのだ。
「だから、そうじゃなくて、俺に予定が入ったんです。仕方ないじゃないですか」
 戸浪は周りを見回して誰もいないのに気がつくと大地の腕を掴んで非常階段へ引きずり込んだ。
「ホントのことを言えよ」
 大地を壁に押しつけ祐馬は言った。
「……さっきから言ってます。それより急に何するんですか。俺、三崎さんにこんな事されるいわれはないですけど……っう」
 ぎりっと祐馬に手首を握りしめられた大地は声を上げた。
 少々可哀相かな……とは思ったが、祐馬は本当の事が知りたいのだ。もちろん、戸浪が祐馬を嫌っているからだと分かっているが、それでも言葉として聞かないかぎり信じられない。
 だが、そんな扱いに大地の方が切れたのか、いきなり腹にけりが入った。一瞬息が止まりそうなほどの衝撃を祐馬は受け、大地を掴んでいた手を離した。
「げふっ……っ」
「なんだかよくわからねえけどな。俺、あんたにこんな事されるいわれないんだよ」
「ゲホゲホ……君の会社は社員に手を出していいのかい?」
 いきなり蹴るか?と驚きながら祐馬はなんとかそう言った。
「ばっかじゃねえの?いいたきゃ言えよ。俺、別に首になったって、痛くもかゆくもないぜ。いっとくけど、今の本気じゃないぞ。本気ならあんた今頃、血を吹いてるんだからな」
「見た目と違って骨のある子だなあ……」
 ははと三崎は笑った。
 こちらが本気になってやり合っても相手は二十歳にもならない子供だ。まともに相手をする訳にはいかない。
「……とにかく、そう言うことだから……」
 と言って大地が非常階段から出ようとしたところを祐馬は足を引っかけて大地を転倒させた。
「あんたなあ!」
 大地は顔を真っ赤にして怒っている。しかし怒ってはいるのだが、可愛い顔の所為で迫力が無かった。
「俺が知りたいのはあいつが嫌がったんだろうってことだ。中止だろうが何だろうがどうでもいいんだよ。それを教えてくれたら良いんだ」
「どけよ」
「俺はそんなこと聞いてるんじゃねえだろうが」
 と言って祐馬はもう一度大地の手首を掴もうとすると今度はそれをかわして大地はまた腹を殴った。その勢いで祐馬は床に倒れた。
「あいっってえっ!ガキのくせにさっきから何べん殴るんだ!」
「あんた、いい加減にしろよ!んなことしらねえよ!俺は俺の都合の話しをしてるんだ。兄ちゃんがどう思ってるのかなんて聞いた事ねえよ!」
 仁王立ちで怒鳴る大地は、怒りで沸騰しそうなほど顔を赤くしている。
「嘘だ……な」
 急に虚しくなった祐馬は床に座り込んだままそう言った。
「……何でそんなことにこだわるんだよ……訳わからねえよ」
 大地は溜息をついて怒りの矛をさげる。だが、自分のしたことを反省している様子はない。
「お前の兄さんがどんなか知らないだろ」
 祐馬は急に全てを壊してやりたかった。
 この可愛らしい弟は兄の本当の姿を知らないのだ。戸浪の事であるから、自分たちの関係まで大地に話していないだろう。
 聞けばどんな顔をするだろうか?
「……なんだよ……」
「あいつはな俺の玩具だ……」
 ははっと笑いながら祐馬はそう言った。
 大地はそれを聞いて急に血の気が引く。
 そうだ、そうなんだよ。戸浪はそういう奴なんだと、心の中で祐馬は思いながらも何処か惨めな気持ちも味わっていた。だが口から出してしまった言葉を今更引っ込めることなど出来ない。
「……なんだよそれ……」
「はあん。それは聞いてないのか……じゃ教えてやるよ。あいつは俺のこと気にいらねえくせに、身体は俺を欲しがるんだぜ」
「黙れ……っ!」
「戸浪の下の口は俺を銜え込んでどんな風に悦ぶと思う?まあ、お子ちゃまには分かんないだろうなあ」
 ククククと笑って祐馬は言った。 
「あんた……最低だよ……。俺がそんなことで動揺すると思う?どうせあんたが兄ちゃんに無理矢理強要したんだろ。でなきゃ兄ちゃんそんなこと出来ないの知ってる」
 大地は怒り満ちた瞳をむけてそう言った。
「だからお子ちゃまなんだよ。戸浪が本当はどんな淫乱で、快感に貪欲か信じられないだけだ。なんなら教えてやろうか?お子ちゃまにもさ……」
 と言ったところで大地はもう一度腹にけりを入れた。
「うっせえんだよ。法律がなきゃ、俺、あんた殺してたぜ」
 そう吐き捨てるように言い、大地は非常階段から出ていった。
「ぐは……。なんちゅう……暴力ガキなんだ……」
 祐馬は腹を押さえながら呟いた。



 明日、出社するために戸浪は自分のマンションへと帰りたかったのだが、大地に挨拶すら無しに帰るわけにも行かず、ぼんやりとテレビを眺めながら、この部屋の主が帰宅するのを待った。
 しかしなかなか帰ってこないので、いつの間にかうとうととしていると、遠くで扉の開く音がして、戸浪は目を擦りながら立ち上がった。
「ああ、お帰り大地……」
 玄関まで迎えに出たのは良かったが、大地の様子がおかしい。
「た、ただいま……」
 顔が妙に強ばっているのだ。
「どうした?もしかして私の風邪が移ったか?」
「え、ううん。そんなこと無いよ。俺……年がら年中元気だから……」
 大地の笑い方もなんだかとってつけたような笑いだ。
「……なんだか妙だな……。でもまあ、お前も会社で色々あるんだろう。そうそう、面倒をかけたが、明日からは会社に出るから、着替えのこともあるし私はこれから自分のマンションに帰るよ」
「……兄ちゃんさえ良かったら、ここにいてもいいよ」
「?大、何を言ってるんだい?ははん。寂しくなったんだな……」
「ち、違うよ。そんなんじゃないよ……」
 大地は慌ててそう言う。
「大……色々迷惑かけて済まなかったね……。意外にお前が頼りになることが分かって兄さんは嬉しいよ」
 ニコリと笑って大地の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「俺……あのさ、……木曜の件、三崎さんにちゃんと断ったから……もう心配しなくていいからさ……」
「ありがとう。嫌な役を引き受けさせてしまったね。彼、何か言ってなかったかい?」
 玄関で靴を履きながら戸浪は言った。
「ううん。別に……何も」
「そうか、じゃあ……」 
 大地が本当に変だと思いながら戸浪はコーポを後にし、表通りでタクシーを拾うと自分のマンションへと戻った。そうして自分の部屋の玄関まで来ると、祐馬が座り込んでいた。
「……何してる?」
 冷ややかに戸浪は言った。
「……別に……」
「じゃあ、どいてくれないか?」
 そう言うと祐馬は素直に扉の前から移動した。
「……戸浪……」
「何だ……」
 戸浪は扉を開けながらそう言った。
「悪ガキに殴られた」
 憮然とした表情で祐馬は言った。
「……で、うちに何しに来たんだ?」
 本当なら戸浪は怒鳴りちらしてここから追い返したいところであったが、そうすると祐馬の方が逆に切れるため、出来なかった。
「お前はいつもその台詞ばっかだよな。何しに来た?何の用だ?いい加減にしろよ……」
 祐馬の言葉に力がない。
 珍しい事だった。
「……やめにしたいと言ってるだろう?」
「俺は嫌だと言ってる」
 きっぱりと戸浪は言う。
 堂々巡りで答えが出ないことをまた始めるしかないのか。
 そんなものにつきあえない戸浪は無言で玄関を開けて中に入ったが、当然のように祐馬がついてくる。そんな祐馬を押しとどめて戸浪は言った。
「帰ってくれ」
「お前なっ!」
 いきなり掴まれて引きずられた戸浪は、両膝に激痛が走って思わずその場に座り込んでしまった。この間浴びた冷たいシャワーと朝晩冷える最近の気候が古傷を刺激したのだ。
 こんな時に……と戸浪は思ったが痛くて自力では立ち上がれなかった。
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