「相手の問題、僕らの代償」 第3章
幾浦は、トシのことが気になって、ディズニーランドにやってきていた。
門の所で崩れ落ちる姿を見て、思わず駆けて行こうとしたが、警備員がそれより先にトシを抱き留め、園内に連れて入ったのを見て、仕方なく諦めた。
何をしているんだ…私は…。
幾浦は、結局トシが出てくるまで、連れて行かれた建物の近くで様子を窺うことにした。そしておもむろに、ポケットから封筒を取り出した。それは昨晩キッチンの床に落ちていたもので、きっとトシが忘れて行ったのだろうと、何気なく中を見てしまった。
そこにはトシよりやや背は低く見える男性が写っており、その綺麗な容貌の、一見女性に見える男性は優しい瞳で微笑んでいた。その横に伸びやかに笑うトシが写っていた。
公園で一緒にいた綺麗な男…たぶんこの写真の男がそうなのだ…
昨日、何度も破り捨ててやろうかと思ったが、幾浦は結局、自分のポケットに入れて持って来てしまった。
まるで桃色の蘭の花を思わせる容貌のその男は、幾浦がどんなにケチを付けたくとも、できない男に思われた。
そこに写るトシは、驚くほど無邪気で、幾浦には見せたことのない表情をしていた。ベットの上で枕を抱え、丸まっている姿や、この綺麗な男の首に自分の腕を巻き付けて甘えた表情を浮かべていたり、他にも、パジャマがペアであるとか、眠気眼の瞳を潤ませ、布団にくるまっている。そんな様々なショットが、幾浦の心を抉るには充分過ぎる真実を写し出していた。
最初幾浦は、当てつけかと思った。しかし、トシがそんなことをするとは幾浦には考えられなかった。
それでも、この写真を見て幾浦は身悶える程の嫉妬心が自分を支配するのが分かった。
トシは幾浦に対しては、非常に気を使う。しかし、写真に写る男に対してはそんな気配すらなく、頼り、安心しきっているのが歴然としていたからだった。
トシは自分のカップすら家に置かなかった。
ペアのパジャマなど論外、滅多に泊まることも無かった。
何より、トシと付き合って半年になるが、身体を重ねたのは数える位しかない。
その上、キスマークを付けられるのを極度に嫌った。
幾浦が冷静に考えると、誰かの影が見え隠れしていたことに気付く。
トシにして見れば、カップ等の自分の物を幾浦の家に置くのは、照れ臭かったのである。なんだか幾浦を自分のものだと言わんばかりの行動はトシには出来なかった。
泊まれなかったのは、朝帰りの自分を他の住人に見られて幾浦に妙な噂が立つと困ると思ったから、トシは幾浦に確かにもっと会いたかったが、休日を合わせることも難しかった二人は大抵、仕事の関係で会えるのは夜遅く、そして朝は早い。トシが気を使うのも無理は無かった。自分の我が儘で、幾浦を疲れさせ次の日の仕事に支障をきたすような事になって欲しくなかったのである。
キスマークに関しては、勿論リーチや名執に見られたく無かったからである。
そんな事を知らない幾浦は、トシが写真の男に自分より愛情があるのだと確信した。
それが分かっていながら、幾浦はここに来た。
たとえ写真の男を、今は私より愛しているとしても、この先の事は分からないじゃないか、トシにとってどちらも同じくらい大切だから、今まで選べなかった…私が気付か無かったら、きっとトシと今日ここで楽しい一日を過ごしていた筈なんだ…。
馬鹿だったと幾浦は思った。知らぬ振りも時には大切な事もある。それを見誤った。その事を今更、後悔をしても遅いのは幾浦にも分かっていた。
だから…一度関係を壊してしまったのなら、例え、友達としてでも繋がっておれば、挽回のチャンスは有る筈。今まで何度か身体を重ね、お互いしかいないと思った瞬間も確かに有ったのだから、時間をかければ奪回のチャンスも必ず有るはず。
自分が未練たらしく、トシを追いかけていることは幾浦には分かっていた。それでも諦め切れないのである。
だからこそ幾浦は、今日ここに来た。
誰が他にいても諦めきれないと伝えたかった。お前の答えが出るまで、今まで通り付き合いを続けたいと…それが出来ないのならせめて、友人としてこれからは逢いたいと…
幾浦はトシにそう告げたかった。
それが、声すらかけることが出来なかったのである。
幾浦は、自分がまるで学生が初恋相手に対してやるような行動をしていることに気付き、自分で自分が情けなくなった。
一度、トシはこちらを振り返ったが、悪いことをしている訳でもないのに幾浦は、木陰に隠れてしまったのである。
そして、パトカーに乗り込み去っていった。
こうなれば、トシの自宅で待つしかない。
幾浦はその自宅が今燃えていることを知る由もなかった。
リーチが警視庁に戻ったのは既に夕刻であった。
「田原管理官、お呼びですか」
田原は現在三十五才。勿論キャリア組の男であったが、キャリア組独特のエリート意識は感じられない気さくな人柄で、精悍な顔立ちの男であった。
人間関係のバランス感覚に優れ、上層部に対し上手く立ち回り、部下に対してもそうであった。しかし嫌みなところが無く、まだまだ出世するだろうと噂されている。
「せっかくの休みに呼び出して悪かった。ちょっと話がある」
そう言って田原はリーチを、手招きして打ち合わせ室へと向かった。
狭い打合せ室が、リーチには少し息苦しかったが、促されるまま椅子へと座った。
「君の住んでるところが放火されたそうだ、聞いたか?」
「はい、篠原さんから伺いました。初動捜査段階ではどのように見解がでているのでしょうか?」
「君のコーポは十戸ある内、君しか住んでいなかったそうだね」
「ええ、立ち退き命令が出ていたのですが、引っ越す暇が有りませんでしたので、なかなか…自分が刑事なのを大家さんも知っておられて、強く言えなかった様です」
そう言ってリーチ一は笑みをこぼした。
「君の部屋は二階の丁度真ん中だと聞いている。その他の誰も住んでいない一階の空部屋全部にかなりの灯油が撒かれていたようだ。発火装置の一部が見つかっているそうだから計画的犯行だな」
「随分、恨まれているみたいですね」
まるで他人事のように、リーチは言った。
「大量の灯油が撒かれたのならかなり臭う筈だ、いくら何でも真っ昼間に撒く馬鹿な奴はいないだろう。やはり犯行準備は夜だと考えて、君ほどの人間が気付かなかったのかね」
危険に対するアンテナを持っているといわれている利一が、どうしてそれに気付かなかったのか、田原には不思議であったのだろう。
「昨晩は熟睡しておりましたので…鼻も眠っていたのでしょうか…?」
昨日のトシの状態じゃあ、下でどんちゃん騒ぎがあったとしても気が付かなかっただろうなあとリーチは思った。
「まぁいい、ただ気になることが有る」
急に田原は真剣な顔をして言った。
「なんでしょうか…」
「昨日、午前中、湯河崎斗が不起訴になって釈放された」
「あ、やはりあれは湯河だったんだ…」
こんな所にいるはずはないと思ったが、そうか釈放されたのか。
「逢ったのか?」
「ディズニーランドで、それらしい人間を見たのでまさかとは思いましたが…」
「あの男の弁護士は、実は私の知り合いでな、オフレコで電話を貰ったんだが…隠岐君、君に気を付けるよう忠告をしてやって欲しいと言われた。表だっては言えないが、かなり君を恨んでいるようだったと、言っていた。昨日の今日で放火の犯人が湯河だとは思えないが、お前も知っての通り、あの男は何処か妙だ、頭の回線がキレとる。それは今回不起訴になった事件の内容でも明らかだ。身辺を充分気を付けるようにしてくれたまえ」
「どうして不起訴に…?」
「かなりの金が動いた」
「娘が死んで、死姦されても金で済むんですね、自分だったら許しませんけど…」
そう言ってリーチは笑っているが、目は怒りに燃えていた。
「とにかく気を付けてくれたまえ。私の話はそれだけだ、君は家の様子でも見に行くといい。ー…で、今日泊まるところはあるのかね?なんなら家に来てくれても構わんよ。家内も喜ぶ」
「お言葉に甘えさせて頂きたいのですが、さっき友人の家へ、今日泊まらせてくれとお願いしたばかりで…無理に頼みましたので今更断れないのです。申し訳ございません」
「そうか、なら仕方ないな。金は総務にいくらか用意するように言って有るから、寄ってから現場に行きたまえ」
「お心使い、感謝いたします」
そう言って、リーチは会議室を出た。
やっぱり湯河だった…やっかいなことになりそうだ…
一ヶ月ほど前、トシが帰り道不審な人物を目撃した。きょろきょろと落ち着きがないので、その後を追いかけると男は神社にはいって行き、ある行為を楽しみだした。
ぎょっとしたのはトシとリーチであった。何度も嗅いだことの有る、一度その臭いを知ると忘れられない臭いが周辺に漂っていた。
死臭…であった。
立場はリーチに代わり、その男を捕まえようと林に飛び込んだ。すると、更に驚いた。リーチですら一瞬凍り付いた程であった。
その男は死姦行為を行っていた。
逮捕された男は湯河崎斗二十四才、自供によると三日前二十四時、神社の表通りで、車に跳ねられ死亡している女性を発見し、神社に運び、三日間死姦行為を行った。それを裏付けるように死亡推定場所から、肉眼でも分かる血痕を発見。女性のものと確認される。 死亡原因は後頭部強打による脳内出血。周りに女性を跳ねたであろう自動車の、サイドミラーの破片、フロントガラスの破片などが見つかり、鑑識より車種が特定され、聞き込み調査の結果犯人が分かった。
その男は山下勝己四十五才、近所で酒屋を営んでおり、事件のあった晩、飲酒運転をし女性を跳ねたことは覚えているが怖くて逃げ出したと。自供した。
殺人死体遺棄容疑で、山下勝己を、死体遺棄破損容疑で、湯河崎斗をそれぞれ逮捕した。
かなりの金が動いた…
田原はそう言った。きっと亡くなった女性の両親に支払われたのだろう。
だが遺体とはいえ、娘を辱められたのは事実だ、それなのに金で許せるのか?
湯河はかなり資産家の息子だった…一体どれだけ支払われたのだろう…
リーチは総務で金の入った袋を受け取ると、その薄さにがっくりきた。
「隠岐さん、お貸ししたお金を給料から月払いで分割して落としますので、同封の書類に記入して後から提出して下さいね」
「えっ、返さないといけないんですか?」
「当たり前です。ただ、その中の明細を見て頂ければお分かりになるかと思いますが、見舞金は、そのまま受け取って下さい」
これだから役所ってやつは…
湯河の様な奴が金持ちで、真面目に世間の為に働いている俺達が、こんなに貧乏いや、一文無し…やってられねーよな…
リーチはため息をつき、ペラリとした封筒をポケットに突っ込んで、燃えてしまったであろう我が家に戻ろうと警視庁を後にした。
実際、自分の家に戻ってきたリーチは想像以上の酷さに愕然とした。
既に日が暮れ、辺りは夜の闇に包まれている頃であったにも関わらず、強力なライトで照らし出されたコーポの一帯は真昼のような明るさであった。
二階は完全に焼け落ち、柱の骨組みだけが煤こけながらも、天に向かって何とか立っている。かなりの水が放水されたのか、周辺は水浸しであった。
燻る火がそこかしこに残っており、ゆらゆらと立ち上っている。コーポの周辺は所轄の警官や、刑事。消防隊員と野次馬でごった返しており、大騒ぎであった。
こんな状態をトシには見せられないと思ったリーチは、今日は起こさないことに決めた。
取りあえず、リーチは野次馬除けに張って有るロープをくぐり、現場に入った。
「ちょっと、ちょっと、あんた!入らないで下さい!」
若い警官が、走り寄ってきた。
「私のことですか?」
只でさえ腹が立っていたリーチは止められたことでムッとしたが、利一モードを保った。
「あの、私は…ですねー」
「いいから、現場を荒らされては困るんです。野次馬はここから出ていって下さい!」
職務に忠実で有るのは結構であったが、それも時と場合による。
「自分の住んでいる所が燃えたんです。それなのに入ってはいけないとおっしゃるんですか?」
少し、声を荒げて、リーチは言った。
「えっ」
驚いた警官が、じゃあ貴方は…と言おうとしたとき、所轄の白木刑事がやってきた。
「隠岐さん!大変なことになりましたね」
「参りました。放火だそうですね…」
ああっ!じゃやっぱり、この人が警視庁の隠岐さんだったんだ…と言うような表情を作った若い警官がばつの悪そうな目を向けた。
「あの…申し訳有りません…気付きませんで…失礼なことを…」
最後の方は声が小さくなって聞き取れなかった。
「いいんですよ。初動捜査は現場の保存が一番優先しますので、その位の勢いがあったほうが頼もしいですよ」
リーチはそう言って、若い警官に笑顔を見せた。それを見て、ホッとし、又、誉められたと思った若い警官は嬉しそうに「ありがとうございます!」と言って、他の野次馬を追っ払う作業へと戻っていった。
「希望は持っておりませんが、何か焼け残ったものは有りませんか?」
リーチは、僅かの希望を白木に繋いだ。
「駄目です。完全に燃えてしまったようです。空気が乾燥していたのと、少し風が有ったのが影響して、かなり激しく燃えたようです」
「そうですか…」
それから白木はリーチを連れ、何処から火が出ただの、第一発見者が誰だとか、詳しい話をし始め、結局リーチの身体が解放されたのは夜の十一時であった。
鑑識は夜を徹しての作業であるので、まだ作業中の人達にリーチは声をかけ、名執のマンションへと向かった。
リーチは表通りまで出て、タクシーを捕まえようと暗い夜道を歩いた。
さすがに十一時にもなると人気はなく、リーチの歩く靴音だけが辺りを木霊させていたはずであった。
え…つけられてる…
リーチがゆっくりと振り返ると、そこには幾浦が立っていた。その姿は夜空の月を隠すように、立ちはだかっている様にリーチには見えた。リーチは自分より、背の高い幾浦が気に入らなかった。
幾浦…何でこいつがこんな所にいるんだ?
リーチはトシを起こした方がいいのかどうか悩んだ…
幾浦は、すっとリーチの前にやってきて、その手を掴んだ。
「あの…幾浦さん」
リーチは困った。トシはプライベート時、いつも幾浦に、どんな風に話しかけているのか全く知らなかったのである。
「トシ…」
真摯な幾浦の瞳が利一を見ていた。しかしそれはトシでは無いことを幾浦は知らなかった。
「聞いてくれ…昨日は悪かったと思っている。私も色々考えたんだが…他に誰がいても、私はお前を離したく無い。お前がこれからどういう選択をするかは分からない。だがそれまでは…私と…これまで通り付き合ってくれないか?」
それを聞いたリーチは激怒した。トシを起こすものかと決心した。
幾浦は、自分に婚約者が出来たのにも関わらず、トシに付き合えと言っている。それもどういう選択を…と言うことは、トシは昨日、幾浦が婚約者が出来たと聞かされ、そんなのは嫌だと言いながら、別れたくないと言ったのかも知れない。それに対して、幾浦は、跡継ぎを作る義務が有って仕方ないだろう、だが、好きなのはトシだー…とかなんとか言って、とりあえず昨日はトシの方が身を引いたが、未練たらたらのトシが今、幾浦からそんな台詞を聞けば、誰がいても良い…になってしまうのは目に見えているとリーチは思った。
策士め…リーチは腑が煮えくり返る位頭にきていた。
選択…その台詞は、どう考えてもお前が選べと言わんばかりでは無いか…俺が好きなら、婚約者のことは耐えろ。それが嫌なら自分から去れ…と。すぐに答えが出ないのなら、それまではとにかく付き合おう。リーチには幾浦がそう仄めかしてるとしか思えなかった。
リーチは二人が揉めた本当の理由を知らなかったのである。
「幾浦さん、それは昨日済んだ筈です。もうその話は止ましょう」
リーチは、自分は今、利一であり、トシであることを念頭において、怒りで殴りつけたいという衝動を押さえながら言った。
「トシ…どうしてだ?お前はもう割り切ったと言うのか?昨日の今日なのに、私をもう忘れたと…そんなに急に他人行儀になれるのか?」
リーチを掴んでいる幾浦の手に力が入る。視線はリーチに固定させたまま外さない。
「私を…好きだと…好きだと言ってくれたのは…偽りだったのか?」
掠れたような声で幾浦はそう言った。
トシの好きは、愛してると言う意味も含まれることをリーチは知っていた。愛してるは照れ臭くて言えないと、トシから聞いて知っていた。そして、好きより愛の方がより強い力があることを、リーチは知っていた。
「好きだとは言いましたが、愛してるとは一度も言ったことはありません」
幾浦の表情が一気に凍り付いた。
ビンゴ!
リーチは内心ほくそ笑んだ。
「ト…シ…」
幾浦が、苦しそうな表情でリーチを見つめる。
辛いか…だろうな…だが、トシはもっと苦しんだんだ。お前だって少しは苦しめばい。
リーチはそう思いながら、更に追い打ちをかけた。
「それに今は愛している人がいる」
「トシ!」
「わぁっ!」
幾浦はリーチを道の脇の草むらに押し倒した。
「やめ…やめて下さい!」
ちょっと待て!これはまずいっ。俺はやられるのはごめんだ!
じたばたと暴れるリーチを押さえ付け、幾浦はその身体の上に覆い被さった。
「トシ…頼む。そんな台詞は言わないでくれ…私以外の人間にそんな…」
そう言いながら、幾浦はリーチの唇に自分の唇を重ねた。
『ひーっ!ギブアップ!トシ、頼む!ウェイクしてくれ!』
『何、リーチ。どうし…』
リーチと交替したトシが、最初に目に入ったのは幾浦であった。
『なななっ、どうなってるの?どうして恭眞がここにいるの?リーチ!』
『いきなり襲われた!何とかしろよ、俺は抱かれるのは真っ平ごめんだからな』
自分が幾浦を煽った所為であったが、リーチは出来ることと出来ないことがあった。
幾浦の舌がリーチの舌を捕らえようとした。
ばしっ!
リーチと交替したトシが幾浦の頬を、ひっぱたいた。
幾浦は驚いた表情で、トシを見つめていた。
そのトシは、怒りで震えていた。
「恭眞…草むらで何をしようっていうの?それで気が済むの?ね、答えてよ」
幾浦は、ただトシを見つめていた。どうしてこうなったのか、幾浦自身にも分からない、そんな表情だった。
「トシ…話がしたい…」
『トシ止めとけ!話になんかならないぞ!』
『リーチは寝てて!これは僕達の問題なんだ!』
リーチはトシが心配で仕方なかったが、僕達の問題と言われて仕方なしにスリープすることにした。
「こんな所で…こんな格好で話なんか出来ないよ」
幾浦は立ち上がると、トシに手を差し出した。
「すぐそこに車を止めているからそこで話をしよう」
トシは幾浦の大きな手を取り、自分も立ち上がった。
幾浦の車は空き地近くの通りに止めて有った。助手席側の戸を幾浦は開け、トシが乗り込むのを見届けてから、幾浦も乗り込んだ。
時間は既に十二時を過ぎ、行き交う車もなくシンと静まった闇が辺りに垂れ込めていた。街灯だけがぽつぽつと、闇の中に光を浮かべていた。そんな中で、二人は暫く無言でじっと身じろぎもせずに、シートに身を任せていた。
「トシ…」
ハンドルに肘を付き、両手を顎で組んだ幾浦が口を開いた。
「何…」
「聞いてもいいか?」
「う…ん」
「私はお前のなんなのだ?」
「えっ」
「トシ、私が想うほどお前は私のことは…」
「恭眞!」
トシは幾浦が何を言おうとしたか分かったので、思わず叫んでしまった。
「そんなこと言わないで…そんな風に思わないで…」
トシはそう言いながら幾浦の腕を掴み、顔を擦り寄せた。
「恭眞が…大好きだよ。本当だよ。きっと僕の方がずっと、恭眞のこと好きだと思う」
やっぱり僕にはこの腕が必要なんだ…どうしても、どうしても、必要なんだ…
トシはそう何度も心で呟きながら、その腕の暖かみを頬で感じていた。
「好き…か…」
ぽつりとそう言った。
「トシ、忘れ物だ…」
幾浦は次にそう言って、ポケットから例の写真の入った封筒をトシに渡した。
「え…」
受け取ったトシは、最初それが何か分からなかったが、名執から預かった写真だとすぐに思い出し、封筒を掴んだ手が震えた。
「ご丁寧に日付まで入ってた。中には私が食事に誘った日、映画に誘った日も有った。私の方が断られていたようだが…」
幾浦は小さなため息をついた。
「恭眞…僕、実は…」
何?という表情で幾浦はトシを見ていた。
どうせ駄目になっちゃうんだから…言ってしまえばいいんだ。だって僕は後ろめたいことはしていないし、恭眞だけにはそんな風に思われたくない。
トシは決心した。
「実は……」
「写真の男を愛しているんだろう?」
幾浦が、トシの言葉を継いで言った。
トシは、驚きで声が出なかった。
「違う!違うよ!雪久さんはそんなんじゃない!」
「雪久か…顔とピッタリの名だな…」
幾浦は、悲しげにトシに囁くように言った。
「あ…ちが…違う、そうじゃない。僕が好きなのは恭眞だけなのに、何でこんなことになるんだよ…」
トシは頭を振りながら、どうしていいか分からなかった。
「何が違うと言うんだ!お前は私が考えているような男じゃ無かったと言うだけだ!どう弁解したとしても、それが疑いようのない真実だ!お前が私という人間を、只の暇つぶしの相手としか思っていなかった。もういい!いい加減にしてくれ!」
ハンドルに手を叩きつけて、幾浦は怒鳴るように言った。
「ぼ…僕が…恭眞のこと暇つぶしだなんて…そんなこと本当に思ってるの?ね、恭眞…そんな人間に見えたの?今まで一緒にいて、それでもそんな風にしか思ってもらえないの?そんなの、そんなの酷いよっ!」
トシはもう自分を見失っていた。泣きじゃくりながら幾浦に訴えていた。
「トシ、お前を分かってやれるほど、私達は一緒には居なかった」
冷めた瞳の幾浦がそこにいた。
「そう、他の男に忙しかったお前…それなのに私に何を分かれと言うんだ…」
「きょ…まっ」
トシの瞳から新たに涙が溢れ出した。
「嫌だ、そんな風に思わないで…そんな目で見ないで…」
バシッ!
幾浦の手が、トシの頬に跳んだ。
一瞬何が起こったのか分からなかったトシは、呆然と幾浦の顔を凝視していた。すると暫くして頬から鈍い痛みがするのが分かった。
かなりきつく叩かれたのか、トシの口の端は切れ、一筋の血が流れ落ちた。
「私だけが、どうしてこんな思いをしなければならないんだ…」
幾浦はそう言って、トシを手荒く掴むと車のシートごと倒した。
「相手の男は知らないんだろ?雪久という男は…私のことを…」
見たことのない幾浦の、何かに取り憑かれた様な瞳が、トシを見据えた。
「トシ、キスマークを身体中に付けてやろうか?お前が跡を付けられるのを嫌がった理由がやっと分かったことだしな……」
苦悩にに満ちた表情で幾浦はそう言いながら、トシのシャツを脱がしにかかった。
「雪久と言う男にも、私のように苦しませてやる。お前に騙されているという事を思い知り、のたうち廻るといい」
幾浦は自分の解いたネクタイで、トシの両腕を後ろで縛った。
「抵抗もしないのか…私にはそうするだけの価値も無いのか…」
やや自嘲気味に笑い、幾浦はトシに身体を重ねた。
トシは幾浦の気がそれで済むなら構わないと思いながら、無言で静かに目を閉じた。
「それで、どんな風に男をたらし込むんだ…お前は……」
「そ…そんなことできない」
トシは震えるような声で言った。
「嘘つきめ…」
幾浦は、トシの首筋から胸へ舌を這わすと、ピンク色に盛り上がった乳首をきつく噛んだ。
「いっ……あっ……きょ…恭眞…」
「私の名前を呼ぶな!」
幾浦に一喝されたトシは身を強張らせた。
怖くない…怖くない…大丈夫…恭眞は優しくしてくれる…
トシは小刻みに震えながら、何度も何度も呟いた。
「トシ……」
幾浦は、愛撫もそこそこにトシの膝を抱え上げた。
「怖いか?」
冷たい響きで幾浦は言った。
「こ…怖く…な…い」
トシはそう言って、きゅっと目を瞑った。
「そうか…」
それだけ言って、幾浦はまだ堅く窄ぼんだ箇所へ、力任せに己の猛ったものを突き立てた。
「あああああっ……!」
トシの絶叫が、狭い車内にこだました。
それでも幾浦の手は緩まなかった。
「ああっ……あ…あっ…」
弓なりにのけ反ったトシの身体が痛みに耐えきれず、その体勢のまま戻らない。のけ反ったまま悲鳴を上げ続け、瞳からはボロボロと涙を流した。
幾浦が腰を動かし始めると、身体が痙攣し接合点が擦れて血が滲み出す。
痛みは身体のあらゆる所を駆けめぐり、一時も神経を休ませてくれない。
只でさえ、トシは今まで痛みと皆無の人生を歩んできた。少し大きな怪我になるとリーチが痛みの感覚を、全部引き受けるからであった。
生まれて始めてと言っても過言でないその激痛に、トシの視界は真っ白になっていた。
歯を食いしばって、耐えることなど出来ず、わなわなと震えた口元から、何度も呻くような悲鳴を出し続ける。
下半身の感覚は、激痛のみを脳に伝え、トシの意識は麻痺寸前であった。
「痛いか…だろうな…これは私の痛みだ…お前から受けた私の痛みだと思え!」
幾浦は吐き捨てるようにそう言った。
それを麻痺寸前意識の中、何とか聞き取ったトシが言った。
「い…たく…な…いよ」
泣きそうな顔をしかめながらも、笑おうとトシは努力していた。
「だっ…て…きょ…恭眞がっ…教えて…くれ…たもの…」
その声で幾浦が眉間に皺を寄せた。
「く……」
「いた…く…ないって…な…んども…言えばっ…いたく…なく…なるって…おし…えてくれた…もん…」
笑わなきゃ……
笑顔が好きだって言われたから……
痛くなんか無い……
辛くも無い……
恭眞……
僕を……滅茶苦茶にしていい……
だって無茶苦茶にされればされるほど、
恭眞が僕を愛してくれてたって分かるから。
痛くても……
痛ければ痛いほど……
僕は愛されたって分かるから……
恭眞……
だって……
だって、僕が一番好きなのは恭眞だって、恭眞も知ってるよね。
大好きだよ……
ねえ……恭眞……
明日になったら、きっと僕に笑いかけてくれるよね…
明日になったら、誤解も解けてるよね…
そうだよね…恭眞…
それだけを信じて、トシの意識は深い闇の中へと沈んでいく。
だが幾浦はトシが叫ぼうが、涙を流そうが、最後まで優しさをみせ無かった。