Angel Sugar

「相手の問題、僕らの代償」 第11章

前頁タイトル次頁
 隠岐さん……朝御飯ですよ。隠岐さん……
 遠くの方からいい匂いと、自分を呼ぶ女性の声がした。
 うっすら目を開けるとそこは病室であった。
「あ……」
 記憶がゆっくりと戻り出す。
 あ、僕……確か撃たれたんだ……でも生きてるみたい……
「隠岐さん、目が覚めました?」
 看護婦がにっこり微笑んでいるのがトシには見えた。
「助かったんですね……」
「そうですよ。よく頑張られましたね」
「良かった…」
 看護婦はトシのベットを自動で斜めに起きあがらせると、食事の用意をし出した。
 リーチの方が先に起きている筈なんだけどな…
 二人の意識が同時にとぶと、大抵先に復活するのはリーチであった。
 トシはリーチを探した。
 するとリーチは顔を隠すように手で覆い、丸まって眠っていた。
 うーん、無理に起こせないな……起きるまで待つしかないかぁ……
「まだ、胃が固形物を受け付けませんので、お粥と味噌汁で我慢して下さいね。お腹が空いたからと言ってお見舞いのお菓子など食べないで下さい。酷い目に合いますからね」
 看護婦はそう言って笑った。
「はぁ……分かりました……」
 そう言って視線をぐるりと廻すと、病室の端に山のように積まれたプレゼントの箱と花束、折り紙のつるに等身大のクマのぬいぐるみが目に入った。
「あの、あれはなんでしょう?」
「何でも全国からお見舞いが届いているそうですよ。警視庁の方にも沢山届いているそうです。中は検査済みだそうですので安心して下さいね」
 すごい…あれ全部僕達になんだ……
 トシはなんだか嬉しくなった。
「嬉しいです……」
 トシは見ず知らずの自分達の事を心配してくれる人達がいるということが本当に嬉しかった。
 その中で目に入った花束があった。
 ひまわり……
 トシがこの花を好きだと知っているのは幾浦だけだった。
 二人がまだつき合っていた頃、ウインドウショッピングに出かけたことがあった。街頭で見つけた花屋には沢山のひまわりが置かれていた。トシはそれを見て嬉しくなって幾浦に思わず自分がひまわりが一番好きだと言ったのだ。
 トシは思わず涙が出そうになった。幾浦が心配してくれているということが分かってトシは本当に嬉しかった。胸が一杯で看護婦がもしいなかったらトシは泣き出していたかもしれなかった。
「隠岐さん自分で食べられそうですか?私がお手伝いしましょうか?」
「あ、いえ、頑張って何とか食べてみます。それで無理なようでしたら申し訳ないのですが手伝って下さい」
 左腕が固定されていたので、少し上半身が強張った感じがするが右腕は自由だった。しかし、その右手も強張り、スプーンを掴んでお粥を掬おうとするが上手くいかず、看護婦は、ハラハラとその様子を伺っていた。
 それでも何とか口に運んでお粥を口に含み、飲み込んだ。
 口に拡がる味覚が鮮烈であった。
「美味しい……」
 美味しいと言ったトシの表情に看護婦が笑みを浮かべた。
「お薬も沢山出ていますので、後で説明します。ゆっくり食べて下さいね」
 看護婦はそう言って病室を出ていった。
「もう、自分の手じゃないみたい……」
 なかなか自分の思い通りに動かない手が腹立たしかった。
 何処を撃たれたのだろうか?トシは死にそうなほど胸が痛かったのは覚えてるのだが、あの時すぐに意識が無くなったからよく覚えてないのだ。
 だが痛みが胸からくるのと、その辺りを固定されているのを見て、どうも胸の辺りを撃たれたのだろう。
 そう考えながらトシはお味噌汁に入っている豆腐をスプーンで掬おうと必死になっていた。
 どうしても豆腐が食べたいのにいくらスプーンを動かしても捕まらないのだ。何度挑戦しても、よろよろとおぼつかない手が豆腐を逃す。
 散々トライして、トシは結局諦めた。
 そうして時間をかけ、やっとお粥の皿を空にすると名執が病室にやって来た。
「ト……隠岐さん……」
 看護婦が同時にやってきたので、名執は慌ててそう言った。
「名執先生がいらっしゃると言うことは……ここは警察病院ですか……」
「そうですよ。ヘリで運ばれて来たのですよ」
「ヘリ……ですか、一度乗ってみたいと思っていたのに、乗ったことを覚えていないのは悔しいです」
 そう言ってトシは笑ったが、途中でせき込んだ。
 胸を中心に痛みが走る。
「余り笑うと身体が痛みますよ。ですがそんなことを言うくらいですから、もう大丈夫ですね」
「でも、上手く身体が動かないんです」
「五日ほど、意識が無かったのですから仕方ありませんよ」
「え、そんなに……ですか……で、私は何処を撃たれたのですか?」
「心臓の真上ですよ」
「えええっ!」
 トシは驚いた。胸の辺りだとは思ったが、心臓の真上を撃たれたとは夢にも思わなかったのだ。普通撃たれたら即死の場所だからだ。
「それで……助かったんですか……?」
「今、ここにこうしているという事は、助かったということですよ」
 名執はそう言って微笑んだ。
「先生、お話中すみませんが、ミーティングがありますので私はこれで……」
 看護婦が申し訳なさそうにそう言った。
「ええ、いいですよ、お薬は私から説明します」
「済みません……」
 看護婦はそう言って出ていった。
「本当に……二人とも助かって良かった……」
 名執は看護婦がいなくなるとそう言った。
「心臓の真上でどうして助かったんですか?もしかして、肋骨に当たったとか……」
「そうです。リーチは心臓が右にあったのかと私に聞いておりましたが、さすがトシさんはよく分かってらっしゃる」
「え、リーチ起きてたんですか?」
 では何故今眠っているのだろう?トシは不思議に思って名執にそう言った。
「あ、ええ。それが色々ありまして、また眠ったようです。リーチ……起こせます?」
「さっき覗いたけど……顔かくして丸まって寝てました。ああいうリーチは起きるまで待たないと駄目なんです。何かあったんですか?」
「大したことでは……無いのですが……」
 名執は複雑な笑みをトシに返した。だが二人の事だから心配するほどの事は無いだろうとトシはそう思って話題を変えた。
「そうだ、雪久さん。あのプレゼントの山の中にある。ひまわりだけど……恭眞が持ってきてくれたんですか?」
「え、どうして分かるのですか?」
「そうなんですよね?」
「え、ええ。幾浦さん、毎日病院に来ては、ひまわりを置いて帰られていましたよ」
「僕がひまわり好きなの恭眞しか知らないから……。そっか……やっぱり恭眞が来てくれてたんだ。嬉しいな……」
 そう言ってトシはひまわりを見ながら瞳を潤ませた。
「会いたい……ですか?」
「ううん。もう気持ちを精算したから……」
 トシは静かに言った。
「そうですか……」 
「撃たれる前の日にね、本当はリーチのプライベートの番だったんだけど……僕が恭眞に会いに行きたいって言ったら、何も聞かずに代わってくれたんだ。本当は反対されると思ってたんだけど……。リーチのお陰で僕は最後の思い出をもらった……。恭眞すごく優しかった……。それを僕は最後の思い出にしたんです。婚約、決まったみたいだし……これからはもう会いません。会ってはいけない人になったから……」
 淡々とトシは、そう言った。
「リーチが……許してくれたのですか……」
「うん」
 トシはそう言って笑みを見せた。
 静かになった名執を見たトシはその様子が妙だと感じていた。
「あの、雪久さん?」
「じゃ、お薬の説明をしましょう」
 名執は気を取り直して、薬の入ったかごを脇机から持ち出した。
「雪久さん……それみんな飲むんですか……」
 トシは薬が嫌いだった。
 ちなみに注射も嫌いである。
「そうです。早く治りたかったら、きちんと飲んで下さいね。患者さんの中にいるんですよ……飲んだと言って薬を捨てる人が……」
「はーい……早く治りたいから飲みます」
 薬の説明を受け、食後の薬をしこたま飲んだ。
「胃が……気持ち悪い……」
「少し気持ち悪いかと思いますが、鎮静作用のものもありますのですぐに眠くなりますよ」
 名執はそう言ってトシの布団を整えた。
 トシは睡魔が襲ってきているにもかかわらず、病室内に飾られたひまわりから視線が外せなかった。それに気が付いた名執が言った。
「こちらに持ってきてあげましょうか?」
「ううん……いい……ここから見ているのが僕には似合ってるから……」
 トシはそう言って目を瞑った。
「雪久さん……ひまわりってど……の位もつんだろ……」
 その言葉を最後にトシは眠りについた。

「トシさん……」
 リーチは二人のことを邪魔をしようとしたりはしなかった。どちらかと言えば、応援していたのだ。だが幾浦から酷い言葉を言われてどれほど辛かっただろう。名執は幾浦には婚約者がいるという重大なことを今思い出した。
 例え真実を告げたところで幾浦にはもう婚約者がいるのだ。どうころんでもトシは辛い立場に立たされるのだ。
 どうして話してしまったのだろう……
 名執は幾浦に利一の秘密を話した事を本当に後悔した。
「ごめんなさい……トシさん……」
 そう言葉を残して名執は病室を後にした。すると向こうから看護婦が名執を呼んだ。
「名執先生…隠岐さんに会わせて欲しいと……いつもの方が……」
 幾浦だ。
「隠岐さんは今眠っておられます。会わせることは出来ません。私の自室に通して下さい」
 名執は事務的にそう答えた。
「はい」
 看護婦はそう言って今来た廊下を去っていった。
 今、名執に出来ることは、もう二度と幾浦をトシやリーチに会わせないことだ。
 名執はそう心に誓うと自室に向かった。
 そうして自室に着くと既に幾浦は看護婦にお茶を出され、簡易応接セットのソファーに座っていた。
「先生……」
「貴方の希望は何も叶えることは出来ません」
 名執はいきなりそう言った。
「昨日は……申し訳ないことをしたと反省しております」
「反省されても遅すぎるのです。貴方に……話さなければ良かったと、私は後悔をしています」
「申し訳ありませんでした……」
 幾浦はただそう言って頭を下げた。
「幾浦さん……彼らが重傷を負う前の晩、トシさんが貴方の自宅を訪問したそうですね。その日はリーチが身体の支配権を持っていたようです。それでもトシさんから頼まれたリーチは何も言わずに身体の支配権を譲りました。貴方の家に行くことを……そこでなにがおこるかを知っていながら……反対することもなく譲ったのです。それなのに貴方は昨日取り返しのつかない言葉をリーチに対し、言いましたね。それがどんなに彼を傷つけたか分からないのですか?」
「トシが……目を覚ましたのですか……?だからその事を聞いたのですね?」
「今はそんな話をしてはおりません!」
 名執は滅多に立てない腹を立てていた。
「済みません……自分がリーチに対して、酷いことを言ってしまったと、分かっております……」
 幾浦は申し訳なさそうに、そう言った。
「分かっておれば……理解が出来れば……もうここには来られない筈ですよ」
「…………」
「お帰り下さい……」
「どうしても……トシに会いたいのです」
 幾浦は必死にそう言った。
「トシさんはお会いしたくないと申しておりました」
「そんな……」
「トシさんとリーチはある意味で誰もその間には入り込めないほど深く繋がった関係です。互いが互いを思いやって大切に思っているのです。その片方を否定するということはもう片方も否定しているようなものです。それを理解できない貴方には無理です。お引き取り下さい」
「ですが……」
「これ以上の話し合いは無駄です」
 名執はそう言って幾浦の言葉を切り捨てた。
 冷えた名執の容貌は、これ以上何を言っても無駄であることを語っていた。
「今日は……帰ります。もし……トシの気持ちが変わったのなら…会わせて下さい……」 そう言って幾浦は部屋を出ようと戸口に立った。
「リーチに……申し訳なかったと……反省していると……伝えて下さい……」
 幾浦はそう言うと扉を開け、帰っていった。
 その姿を名執は、ため息と共に見送った。



 幾浦は悩んでいた。
 自分が無配慮な言葉を言った所為で、意識が戻ったであろうトシに会えないことが辛かった。
 仕事も手につかず、毎日がぼんやりと過ぎていく。
 そのまま忘れるか、思いきれるのならばいいのだが、トシの本心を知った今ではそんなことはひとかけらも思わなかった。
 名執が怒る気持ちも幾浦には重々分かっていた。
 幾浦がトシを愛するように、名執もリーチを愛しているからである。
 一つの肉体に二つの魂……
 よくよく考えると幾浦にはまだ、その事がよく分かっていなかったことに気付いた。
 名執はどうやってその事を納得したのだろうか?トシを愛するということは、リーチをも好きにならなければいけないのだろうか?
 だが一つの身体しかないところに二人の人間が入っていて、片方を好きになったら必然的にもう片方も認めなければならない。
 私にそんなことが出来るのだろうか……
 独占は出来ないのだ……
 どちらが抱いているのかは分からないが、名執もある意味でトシの身体を抱きしめているのだ。幾浦しか知らないと信じていたトシの身体の隅々まで名執は知っているのだ。それがリーチだと分かっていても幾浦は嫉妬で身が捩れそうになる。
 必死に理解しようとするのだが、いつもそこでつまずくのであった。。
 トシを愛しているだけではいけないのだ。
 最初は心だけ独占できればいいと思った。しかし現実にリーチという人格に会ってそれだけでは解決できないことがあることを思い知らされた。
 幾浦はその辺のもやもやしたものも含めて、トシと会って話がしたかった。しかし幾浦があれから何度病院に行っても名執は態度を硬化させたまま、一向にトシに会わせてくれる様子は無かった。
 その度に幾浦はひまわりの花束だけを置いてくる。
 トシ……お前が好きな花だ……気付いてくれているよな……
 幾浦は自分の席から見える景色を見ながらトシのことを思った。
 このままでは本当にもう二度とお前に会えない……
 ならば……自分に出来る最後の手段……
 いつトシが見るか分からないが、メールに自分の正直な気持ちを乗せて送るのだ。
 幾浦がそう決心して卓上のパソコンを開いたその時、専務からの呼び出しの内線が入った。
「はい、今すぐそちらに伺います」
 そう言って幾浦は受話器を下ろした。
 見合いの件だろう……
 幾浦は、さて、何と言って断ればどちらの立場も守れるのか必死に考えながら席を離れた。

「幾浦です。入っても宜しいでしょうか……」
 専務室の扉の前で幾浦はそう言った。
「ああ、入りたまえ」
 野村はそう言って幾浦を室内に入るよう促した。
「失礼します」
 入り口で一礼して幾浦は入る。
「ま、立って話もなんだから、座りなさい」
 野村は部屋の真ん中にある来客用のソファーに座りながら幾浦も座るように言った。
「はい」
「ところで、今日呼び出したのは他でもない。うちの娘の件だが考えてくれたかね……」
 野村は幾浦の目をじっと見つめてそう問いかけた。
「色々考えたのですが……専務程の方の娘さんは私にはもったいないと……」
 そう幾浦が言うと、野村は不快な表情をした。
「随分悩みました……このまま言わずにことを進めてもいいのではないかとも思いましたが、私にはとても出来ません……」
 幾浦はさも申し訳なさそうにそう言った。
「どういう事かね……」
「私は子供が出来ない身体なのです……」
 そう幾浦が言った瞬間、野村の方が面食らった。
「そ、そんな断り方をしなくても、嫌なら嫌と言えばいのだよ」
 野村は信じられなくて腹立たしげにそう言った。
「信じていただけないのなら、今からでも一緒に病院に行ってもらっても構いません。私も酷く悩みました。こんなこと…私とて人に知られたくありませんから……ですが、専務が私をかってくれ、娘さんとの見合い話を戴いて……本当に嬉しかったのです。その専務に真実を黙っていることなど出来ませんでした……」
 苦しそうにそう言う幾浦の姿を見た野村は、暫く逡巡するように周囲をぐるりと見回した。
「そうか……いや、疑って悪かった…。分かった。娘の件は諦めるよ」
 ばつの悪そうな顔をして野村がそう言った。
 幾浦はホッとした。では病院に行くぞとか、子供の事など気にするなと言われた時のことは考えていなかったからである。
「それでは、これで私は失礼させていただいて宜しいでしょうか……」
「あ、ああ君も忙しい身分だからな……行っていい」
 野村もその方がありがたいようだった。
「では……あ、専務……このことはどうか内密に……」
 幾浦は心配そうにそう言う。
「分かっているとも。このことは私の胸にだけに収めておくよ……それにだ、私は君を有能だと思う気持ちは変わらないから、安心してくれたまえ……」
 何を安心しろと言うのだろうか?出世のことか?
 幾浦はそんなどうでも良いことを思い浮かべて何故か笑いそうになった。そんなことなどトシの前ではただの小さな出来事に過ぎないからだ。
「はい。ありがとうございます」
 そう言って幾浦は専務室を出た。
 ホッと安堵のため息が洩れる。
 これで問題はなくなったのだ。今はただ、早く戻ってトシにメールを出したかった。
 幾浦は焦る気持ちを抑えながら自分の部署へと戻っていった。



 意識が戻って暫く経ち、トシはようやく身体を起こせるようになるまでに回復をしたが、リーチは一向に目覚める気配が無かった。トシもここまでリーチが起きてこないと心配になり、何度か呼び掛けたが返事は一向に返ってこなかった。
 そして、面会がやっと許された日、田原と篠原が病室を訪れた。
「隠岐ー……!元気そうじゃないか!」
 篠原が大きな花束を抱えてそう言った。
「具合はどうかね……?ああ、篠原君のもっている花束は一課のみんなからだ……」
 田原はそう言ってベット脇の椅子に腰をかけた。
「ありがとうございます。だいぶ調子はいいんです。ところで田原管理官にお伺いしたいのですが、上層部の方がこちらの院長先生に手術を頼んで下さったそうなんです。私には心当たりが無いのですが……一体どなたかご存じですか?」
 トシはそう田原に聞いた。
「警察庁の如月局長だよ。君が以前、局長のお孫さんが事故にあったとき、適切な応急処置で命を助けたことがあっただろう……。その時のお礼だと言っておられたそうだ」
「まさか、吉住京子ちゃんですか?」
 事故で適切な応急処置といって先ず思い出すのがその少女のことであった。
 玉突きの自動車事故で、一番酷い怪我を負ったのが京子であったからだ。トシもリーチも必死でありったけの知識を思い出して応急処置を施したが、助かるとは思わなかった少女である。
 その少女は当初、絶望視されていたが応急処置が功をそうし、奇跡的に死を免れ、今は元気に小学校に通っていると聞いていた。
「そうだ」
 田原はそう言って笑みを浮かべた。
「京子ちゃんの祖父が局長だったなんて、全然知りませんでしたよ……」
「マスコミにばれて大騒ぎになるのを恐れたらしい。丁度、国会が大変な時期だったっからな……それに言えば君も気を使うだろうと思ったそうだ……」
「姓が違うのは、お嫁に出た娘さんのお子さんだったのですか?」
 田原はその問に頷いた。
「助からないと思われた孫を最後まで助けようとして全力を尽くしてくれたお陰で今、孫は元気に学校に通っている。その孫を見る度、隠岐と言う刑事を思い出していたそうだ。だから今回、心臓を撃たれて駄目だろうと思われた君を、命の灯が消えるまでは全力で治療して欲しい、とこちらの院長に頼んだそうだよ」
 田原はそう言ってにっこり笑った。
「人助けはするものですね……」
 トシはしみじみとそう言った。
 警察病院の院長が如何に優秀で、なかなか一般患者を診れない人だとはトシは以前からよく知っていた。
「では私は申し訳ないが……これで失礼させてもらうよ……早く元気になって、また事件を片づけてくれたまえ。篠原のような刑事しかいなくて困っとるんだ……待っとるよ」
「か……管理官それはないでしょう……!」
 篠原が抗議の声を上げた。
「はい、お忙しいのにわざわざありがとうございました」
 トシがそう言うと田原は帰っていった。
「酷いよな……ような……しか……だって」
 そうブツブツ言って篠原はトシの方を向いた
「しかし、隠岐、良かったな……俺なんかもう駄目だと思ったよ。救急隊員も絶望してたもんな……それが、弾が当たったのは肋骨だっていうじゃないか……奇跡だよこれは!」
 篠原はそう言ってトシの手を握った。
「本当に……良かったな……隠岐……」
 そう言った篠原の目は潤んでいた。
「篠原さんにもご迷惑をかけました……」
「ん、いや俺なんか……なんにも出来なかった……悪かったな……」
「いいえ、下の命令を無視して私を助けてくれたそうじゃないですか……それに子供が助かったのも篠原さんがすかさず引き上げてくれたお陰です」
「なんだ……誰に聞いたんだよ……」
「午前中、係長が来られて話してくれました」
「俺が一番乗りだと思ったのに……」
 残念そうに篠原が言った。
「それで……誰も教えてはくれないのですが……湯河は……」
「うーん。全く足取り掴めず……だ……」
 言いにくそうに篠原が言った。
「そうですか……」
 そう言った姿が、とても不安そうに見えた篠原はトシを明るくさせようと必死に振る舞った。
「なんか食い物ないか?俺、腹減っちゃったよ」
 そう言ってベッド脇の机の扉を開けた。
「隠岐……お前さ、食った物のゴミくらいちゃんと捨てろよな」
「ええっ?」
 扉の中から飴や、チョコの屑が出てきた。
 リーチ……夜中に起きて食べてたんだ……
 だから朝食の時、いつも胃が重くて全部食べられなかったのだ。全く、起きているのなら声を掛けてくれたらいいのにとトシはムッとした。
「あ、ばれました?動けないのでそこに隠しておいたのに……看護婦さんに食べてはいけないと言われて……隠れて食べてたんです……」
 とりあえずトシは照れた笑いを篠原に向けた。
「お腹が空いたのでしたら、あっちのプレゼントの山に何かあるんじゃないですか?」
「隠れて食うなよな……怪我、治らないぞ。しかし、お前にこんなところがあるなんて、結構可愛いとこあるじゃないか。黙っててやるよ」
 そう言いながら篠原はプレゼントの山に視線を移した。
「そういや警視庁にも沢山届いているよ……腐る物は、お前に悪いがみんなで食べてるけどな、妙なのもあったぜ……石鹸とか、肌着、パンツとかさ……」
「きっと、家が燃えたことも報道されてましたので、それで皆さんそういう生活用品を送ってくれたんじゃないでしょうか……」
「そうだろうな……あっ!これいいな……」
 そう言って篠原はプレゼントの山からブランドのスーツを取り出した。
「お前さ、家燃えて良かったな。刑事の給料じゃこんなの買えないぜ」
 それでも燃えてしまった思い出は返らない……
 トシのそんな思いに気付かず、篠原は嬉々としてプレゼントを開けまくった。
「篠原さん……あとでちゃんと片づけておいて下さいよ……」
 呆れたようにトシがそう言うと、病室近くに立って警護している警官のうちの1人がやってきた。
「隠岐さん済みません……。どうしてもお会いしたいという方が……」
 もしかして……恭眞……?
 トシは急に心臓が高鳴った。その鼓動で胸が痛い。
前頁タイトル次頁

↑ PAGE TOP