「相手の問題、僕らの代償」 第15章
湯河から指定されたビルから少し離れたところで、リーチはタクシーを降りた。
「ありがとう。じゃ、これ……」
運転手は引きつった笑いを浮かべながら、リーチから差し出されたお金を受け取った。「そうだ、暫く待っててくれるかな?友達……連れてくるから……」
「えっ」
「金は充分払うよ……」
「は……そうですか……。ですが……」
運転手は額の汗を拭きながら困った顔をしている。
「頼むよ……」
リーチはそう言って、今にも車を出しそうな運転手に食い下がった。
「あんた、実は幽霊なんだろ?やですよ、仲間を連れてあたしを食っちまうんじゃないんですか?」
それを聞いたリーチは思わず笑いそうになった。
無線で散々自分たちの事を聞かされていたので、ここにいると返答されたらどうしようかと思っていたが、この運転手は幽霊だと勘違いしていた様であった。
リーチはそれを利用させて貰おうと考えた。
「待っていてくれないのなら……三代まで呪ってやるぞ……」
そう言われた運転手は真っ青な顔で即答した。
「わわわ……分かりました!待ってます。朝までここで待ってますから、それだけは勘弁して下さい……」
半泣きで慌てふためいた運転手が気の毒に思えたが、幾浦をここから連れ出すにはやはり車が必要であった。どの程度の怪我を負っているのかは分からなかったが、軽くは無いだろう。
「車は……そうだ、あの木陰に入れてエンジンを切っておくんだ。分かった?」
ビルに向かって歩き始めたリーチは、振り向いてそう言った。
運転手は言葉が出ずに何度も頷いた。それを確認して再度歩を進める。
「トシ……ウェイクしろ。着いたぜ……」
リーチの合図にトシは暫くして意識を起こした。
『リーチ……さっきはごめん……』
「頭は冷えたようだな……」
『うん。もう大丈夫だよ……』
「何が何でも幾浦だけは助けるぞ」
『リーチごめんね……』
「どうして謝るんだ。これは俺達がけりをつけなきゃいけないことだろ?お前の為じゃない。二人の仕事なんだ」
『そうだったね……恭眞は一般人だから関係なかったんだよね……僕とさえ出会わなければ……』
「言うな!幾浦が聞いたら又怒るぞ」
『リーチって恭眞のことよく分かってるね……』
足にからみつく雑草が、真っ暗な海のように広がる。そこを頼りなくリーチは歩く。
そしてビルが目の前に迫ってくるとトシが聞いた。
『雪久さんには……』
「ちゃんとお別れしてきたから心配するな。お前も幾浦に、ちゃんとお別れするんだぞ」
『うん。大丈夫だよ』
たどり着いたビルはビルとは名ばかりのものであった。
資金繰りが付かず、途中で建設を放棄されたのか、建物の外装が施してあるのは三階までで後は鉄筋が裸のまま剥き出しになり、雨風によって腐食していた。
建物の中に入ると奥の階段の上部から明かりが漏れていた。
湯河は二階にいるのだろう。
そこに向かおうとするが、床に積み上がった段ボールが所狭しと放置されており、それを除けるにも体力がいる。その度に舞い上がる埃が、気管に入りリーチは咳き込みながら歩いた。
『何か作戦考えた?』
トシがふとそう訊ねた。
「何にも思いつかなかったよ……。お前なんかある?」
『現場復帰には早すぎて、頭が回らないんだ……』
申し訳なさそうにトシが言った。
「実は俺も……。何とかなるだろう……」
危険を知らせるベルは、ビルに入った頃からけたたましく鳴っていた。知らせてくれてどうにもならないんだよ!と言いたかったが、言ったところで止む訳も無いことは二人にも分かっていた。
階段の下までたどり着くと、リーチは壁にもたれ息を整えようとした。しかし歩くのがやっとの現実が、もう既に荒くなっている呼吸に現れている。まっすぐ立つことすら苦痛であった。
滲み出した汗が額を落ち、まだ治りきっていない胸からくる痛みを堪えるように、目と目の間にしわが寄る。
『リーチ、分担を決めよう。痛みは僕が引き受けるよ。本当は身体を引き受けたいけど、僕じゃ湯河と立ち回りは出来ない。悔しいけど、リーチが主導権を持つ方が、恭眞が助かる確率が上がると思うから……』
悔しそうにそう言ってトシは黙り込んだ。
「その方が懸命だ……。だけど、最期の最期は痛みは半分ずつだ」
それは死の直前を指していた。
『うん』
会話が済むと、リーチは身体の痛みが引いていくのが分かった。その痛みは今、トシが引き受けていた。本来なら痛みはリーチが引き受けていたのだが、この頼りない身体で湯河と対峙し、尚かつ痛みを引き受けることなど出来なかった。痛みの方に気が取られて、思うように身体を動かせなくなるからである。
何より痛みは恐怖心を煽る。怖いと思った瞬間、敗北宣言をしたも同じである。
リーチはたとえ死ぬことになっても、心が敗北することだけは避けたかった。
「いこうか……トシ……」
『う…ん』
痛みを堪えるのに必死のトシがそう言うと同時に、頭上から人の気配がした。
「湯河……貴様……」
ぎりっと引き結んだリーチの口元からそう言葉が紡ぎだされる。
「なんだぁ。死にそうじゃないか。まだ死なないでくれよ。簡単には死なせるつもりは無いんだからさ」
そう言ってくすくすと湯河は笑った。
その右手にはしっかり銃を持っていた。
「人質は死んではいないだろうな……」
リーチは、ゆっくり距離を縮めるように階段を上がる。それは獣が獲物に食らいつくまでの距離を測っているかのような足の運びであった。
「気を失ってるみたいだけど、死んじゃいないさ」
言いながら湯河は、リーチが進める足の距離分、後ろに下がる。それは怖じ気付いてではなく知っているからである。
利一という人間に不用意に近づいてはいけないという事を……
階段を上がりきったところで二人の視線は幾浦を探した。
『恭眞!』
トシが叫んだ。
幾浦は手と足をロープで縛られ部屋の端に俯せに倒れていた。顔は酷く殴られたのか赤く腫れ上がっており、額と口から血が流れていた。
右足が撃たれたのかそこからもかなり出血していた。
「私が来たからには彼を離してやってもいいだろう?」
怒りに燃えた瞳を湯河に向け、リーチが言った。
「お前が俺に命令できる立場だと思ってるのか!」
その言葉と同時に銃身でリーチを殴りつけた。その衝撃で床にたたき付けられる。更に湯河はリーチの背に足を振り下ろし、自分の重心をかけた。
「ぐっ……」
身体を裂くような痛みが全身を走った。情けないくらい、身体の反応が鈍い。
「逃げられちゃ困るし、足が自由だと何をされるか分かんないからな」
笑いながら湯河は銃を構え、リーチの左足を撃ち抜いた。
無機質なビルの中を甲高い笑いが不気味に木霊した。愉快で仕方が無いというような笑いであった。
壁に反射し、何十にも響きわたる笑い声で幾浦の意識が戻った。
うっすらと目を開けるが、殴られて腫れた瞼が視界を遮った。
ガスッ、ガスッと何かを蹴るような音が聞こえる。どうも自分が蹴られているのでは無いことに気づくと、その音の原因を確かめようと何とか上体を起こした。
「ま…さか……」
幾浦は目を疑った。湯河が蹴りつけているのは自分の最愛の人であった。
「トシー…!」
叫ぶようにそう言う幾浦に、湯河が視線を向けた。その瞬間をついてリーチが湯河の足を掴んで、引く。湯河は体勢を崩し床に倒れた。床に転がる湯河の腹にめがけてリーチは拳を突き立てた。どの位の威力があったのかは分からなかったが、湯河は腹を抱えて蹲り、すぐには立てない様子であった。
這うように幾浦の方にやってこようとするリーチは口の端が血で滲んでいた。
「どっちだ?」
側にやってきたリーチにそう問いかける。
「俺に……決まって……いるだろう?」
リーチはそう言って幾浦を拘束しているロープを解こうとするが、手は震え、血で滑り巧くいかないようであった。
「馬鹿野郎!お前達はまだ身体が十分では無いだろう?来るなといっただろう?どうして来たんだ!」
幾浦はそう言ってやめさそうとしたが、リーチにその言葉は耳に入っていないようであった。
「刑事……だから……な……俺達…仕事……熱心なんだ……」
荒く吐き出す息と共にリーチはそう言って笑った。しかし幾浦にはその顔は苦痛で歪んで見えた。
ようやくロープの結び目が解けようとしたが、動けるようになった湯河がリーチの足首を掴んで、幾浦から引きずり離した。
「隠岐……あんたは最高に俺を興奮させてくれるよ……」
そう言って足下で笑う湯河に蹴りを入れた。しかし蹴られ、額から血が流れ出しても湯河は不気味に笑うだけであった。
その間に幾浦は、必死に緩んだロープを解こうと、身体を捻ったり、ばたつかせていたていた。
手だけでも外せることが出来れば、足のロープを解くことなど容易い。なんとしてでもこの身を自由にして、彼らを助けなければ……。
幾浦の胸に何とも言えない不安がよぎる。
彼らが健康な状態ならばこんなに不安にはならなかったろう。しかし生死を彷徨うほどの手術をしてから、それ程日は経っていない。そんな身体で無茶をすればどうなるか、誰が見ても明らかであった。
手が自由になると、足のロープを外し、幾浦は視線をリーチに移した。湯河はリーチの上に馬乗りになり、その手で胸ぐらを掴んでいた。そこに向けて幾浦は走り出した。気づいたリーチが、トシが叫ぶ。
「来るな!こいつは銃を持ってるんだぞ!」
『恭眞!来ないでっ!逃げてっー…!』
それはは幾浦も分かっていたが、恐怖心は無かった。
ただトシを……リーチを助けたかった。
既に幾浦に向かって銃を構えた湯河の腕を阻止しようと、リーチは上がり切らぬ自分の腕で、必死に銃口を下げさそうとした。それでも銃口は幾浦から動かないことが分かるとリーチは足に噛みついた。
「ちいっ!」
湯河はそう言うと銃の柄でリーチの腹を殴りつけた。
その激痛にトシが絶叫を上げるのを、リーチは胸が抉られるような面もちで聞いていた。
再度、湯河の腕が上がったところで幾浦がその手首を掴んだ。
「銃を離せ!」
幾浦はあるだけの力でその腕を捻り上げた。
「誰が離すものか……」
それに対して湯河も必死に抵抗した。しかし二人の力が拮抗してなかなか勝負はつかなかった。
『トシ!大丈夫か?』
起きあがって加勢することも出来ず、リーチはトシに聞く。
『き……ついよ……』
絞り出すような声でトシはそう答えた。この調子では意識は長く持たないことがリーチに分かった。ここまでもっているのも奇跡に近かった。
トシの意識があるうちに何とかしなければ……リーチはそう思い、ギシリという身体を起こした。そのゆっくりとした動きもトシは酷く苦痛を味わっているのか、低い呻きを何度も上げた。
痛みを知らないトシにとってその拷問の様な痛みは、意識を砕くほどのものであったが、幾浦を助けなければー…という強い想いが、なんとか意識を繋ぎ止めていた。
ゆらりと立ち上がったリーチは幽霊さながらであった。そして何処にそんな体力があるのかと思われるほどの突進を湯河に向けた。
「リーチ!」
リーチは湯河を掴み、そのまま二人はもつれるように転がった。その先には床が無く、途中で建設を断念した名残が、真っ暗な落とし穴のようになっていた。
「リーチ!」
幾浦のその声と同時に二人は一階へと落ちた。
どどっという音が辺りに響く。
幾浦は穴の縁に近寄り下を覗いたが、何も見えなかった。
すぐさま階段を使って一階へ下りる。しかし、月明かりに浮かぶのは崩れた段ボールの山しか無かった。
段ボールがクッションになったに違いない。大丈夫だ、きっと大丈夫……幾浦はそう思い、利一の身体を探した。
「トシ!リーチ!」
段ボールをかき分けながら幾浦は呼び続けた。湯河もその辺におり、攻撃を仕掛けてくるかもしれない……と、ふと思ったが、それよりも彼らの方が心配であった。
いくつか段ボールをよけると、血が付いている段ボールを掴んだ。月に照らされそれは真っ黒なシミに見える。更に除けるとそこに仰向けに倒れている彼らを見つけた。
「大丈夫か?生きてるか?」
幾浦は自分も身体の痛みを感じていたが、今はそんなことはどうでもよかった。
その呼びかけに、うっすらと瞳が開く。
「担いでやるからな。ちょっと痛いと思うが我慢しろ」
その幾浦の言葉にリーチが首をゆっくり横に振った。
「外に……五十メートル先に……タクシー……待たしてる……から……さ、逃げて……くれよ……出来たら……無線……で、警察に……連絡……して……」
そこまで言って、リーチは咳き込んだ。血も共に吐き出す。
「置いて行ける訳ないだろう!」
幾浦はそう言って身体を起こしてやろうとしたが、それをリーチは止めた。
「だめ……だ……動かさない…方が…いいと…思う……」
「リーチ!」
見ると胸から、かなり出血をしていた。傷が開いたのだ。
「行け……頼む……お前を……殺……させる訳には……いかないんだ。ここ……で、三人とも……死んだら……俺達……の、来た……意味…ないだろ…」
「リーチ!」
「仕事だから……気に……すんな……」
そう言ってリーチは笑みを見せた。
「な、ユキに……伝えて……くれよ……ごめん……て……」
「リーチ!聞けないぞそんなことは!お前達を置いていって、先生になんて詫びればいいんだ?一生、私を後悔させる気か?」
すると今度はトシが幾浦に言った。
「恭眞……お願いだよ……逃げて……」
「トシ……置いてはいけない!」
すると背後からガサっと言う音がした。その音に一瞬、三人の身が強ばる。
「行っ……て!でないと……僕…一生……死んでからも……恨むから……ね」
「トシ……」
「大丈夫……だから……応援……呼んでで…来て…」
「分かった。すぐに戻ってくるからな」
そうだ、まず、応援を頼めば何とかなるかもしれない。それと救急車だ!幾浦はそう考え、足を引きずりながらビルの外へと向かった。
その姿を見えなくなるまでトシは見送った。
きょう……ま…
涙が溢れてくる。
会えて……良かった……
「くそぅ……もう一人は逃げたか……」
先ほど音のした方向に湯河は立っていた。何に打ち付けたのか、片目が潰れており、左腕があらぬ方向に曲がっていた。
落ちた段ボールの下に鉄屑があったのだ。
「隠岐……どこだぁ……」
その声は深い地の底からやってくるような声である。
「隠岐……」
見つからないことを二人は祈ったが、天は見事にその希望を裏切った。
「そこかぁ……」
血塗れの顔で歪んだ笑いを浮かべた湯河は、動けずに仰向けになっている自分たちを見つけた。
「最期に……いい思いをさせてやるぜ……」
そう言って湯河はズボンのチャックを下ろした。しかしそこにあるはずのモノは折れ曲がり血塗れになっていた。
利一がやってきたとき湯河は既に勃起していた。その状態で地上に叩き付けられたのが原因であった。
「どういう……ことなんだよ……俺の……大事なモノが……」
狼狽える湯河を見たリーチは薄笑いを浮かべた。
自分たちが勝ったと、そう思った。
それだけで充分であった。
暫く狂ったように叫びを上げていた湯河であったが、くるりとこちらに向き直り、落ちている鉄の棒を拾った。
「殺してやる……」
その言葉は呪文のように聞こえた。
タクシーの運転手は、足を引きずり、もの凄い形相の幾浦を見て思わず車を発進させようとした。
「無線で……警察に連絡してくれ……それと救急車を頼んでくれ……」
「ででで……出たぁ……幽霊の仲間が……」
血で染まった脚や、シャツに付く血が運転手を動転させた。
「何を言ってるんだ!もういい、無線を貸せ!」
引ったくるように幾浦は無線を掴み、怒鳴った。
「警察と救急車を頼みます。ここに殺人犯の湯河がいる。今、隠岐刑事がその男に捕まって瀕死の状態なんです。早く来て下さい!」
三回そう繰り返し、向こうから「すぐに連絡をします」という言葉を貰った幾浦は、来た道を戻り始めた。
タクシーの運転手は何がなんだか分からずに、呆然とその様子を見ていた。
今……今行くからな……トシ……リーチ……
幾浦は必死にビルに向かって走った。
入り口につくと呻き声と、雄叫びのような笑いが聞こえた。
月明かりに浮かび上がったのは、湯河が鉄の棒を利一の腹部に突き刺している姿であった。
「トシー……!」
駆け出した幾浦の脚が何かに躓き転んだ。起きあがるとそこに、湯河が落とした銃があった。黒光りするそのものを迷わず手に取り弾を装填する。
何度もアメリカで練習した感覚がその手にはあった。
殺してやる……
幾浦はゆっくり銃を構えると湯河に向かって標準を合わせる。
口元には笑みが浮かんでいた。
『リーチ!痛みは半分ずつだっていったじゃないか!』
苦痛で喘ぐリーチにトシは必死に言っていた。
リーチは先程から、その身に受ける痛みを全て引き受けていたからだ。
『だめだよっ!リーチ!こんなの嫌だ!』
『いつか…言おうと……思ってたんだ』
『なに?なんだよ?そんなこといいから、自分一人で苦しまないでよ!』
『お前に嘘ついていたんだ……ずっと……ずっと前からさ……それがいつも心に引っかかって…辛かったよ』
『なんのこと言ってるんだよ』
『昔、精神科医にかかったことあったよな……あの時…俺、お前に嘘ついたんだ。本当は俺が消される予定になってたのに……俺達のどちらかが消されるって、お前に嘘ついた……。ごめんな……お前だけの身体になる予定だったのに……予定外の人間まで居てさ…だから…その償いに……痛みを引き受けてやるよ……最期まで……』
『そんなことは昔っから知ってたよ。だからなんだって言うんだよ!あいつは藪だったんだ!僕がリーチを作り出せる訳無いだろ!どうしてそんなことで悩むんだよ!なんでそれが償いになるんだよ!やめてよ、聞きたくないよ。そんなこと……』
『トシ……』
『リーチ……僕たち二人で一人じゃない。元々二人なんだよ』
『……』
『半分ずつだよ……リーチ…』
『ああ……』
リーチは、安堵の溜息を吐いた。
危険を知らせるベルが、いつの間にか止んでいた。死ぬ寸前には止まるんだ……とトシは思った。痛みもそれ程感じない。これが死を迎える瞬間なのだとも思った。すると銃声が辺りを木霊した。二人は湯河によって最期の審判を下されたのだと確信した。が、痛みは襲ってこなかった。瞑った瞳を何とかこじ開け、最初に視界に入ったのは、銃を構えてこちらを向いている幾浦だった。
何が起こったのか分からず、トシは現状を把握しようと必死に意識を集中させた。そしてやっと理解したのはリーチが言った台詞で全てを知った。
『幾浦が……湯河を……殺したのか?』
その湯河は自分たちの横に白目を剥いて事切れていた。後頭部周辺には血と脳の破片がが飛び散っている。
「きょ……ま…が……そん……な……」
近づいてくる幾浦をしっかり見つめてトシは囁くようにそう言った。涙と血が混じり合って視界を曇らせる。
「トシか?」
自分の横に膝を付いた幾浦がそう言って、顔を覗き込んだ。
『トシ、幾浦の…持ってる…銃を取り上げろ……いくら正当防衛……でも……だめだ』
「きょ……ま……銃を……僕の手に…握らせて……」
小さな吐息の様な声でトシは言った。
「いいから……いいんだよ……気にするんじゃない……」
「だめ……だよ……お願い……だか……ら……僕たちが……撃った……。恭眞……そう…言ってね……絶対……誰に聞かれても……そう…言って……お願い……お願い……」
トシは溢れる涙が止まらなかった。
たとえ正当防衛でも、一般人が銃で人を殺すと周囲の目はやはり厳しい事を知っていた。だが、自分が…刑事の身である自分達が殺したのなら、誰も文句は言わないだろう。トシとリーチはそう考えたのである。
「分かった。分かったから泣かないでくれ……」
そう言って幾浦は、力を失ったトシの右手に銃を握らせた。
「連絡したからな。すぐにお前達の仲間が助けに来てくれるぞ。それまで、もう暫く頑張るんだ。トシ、聞こえるか?」
「う…ん…」
トシは自分たちが、もう助からない事が分かっていた。辺りを染める血がそれを証明していた。
遠くからパトカーの音が聞こえだした。やっと終わったと、安堵感が身体を支配する。
「きょう…ま」
「なんだ?」
トシの左手をしっかり握りしめた幾浦がトシを見つめた。
「会いたく……なったら……夜遅くても…会いに行って…いい?」
「いい…よ」
「僕が……きょ…真から……貰った…プレゼント…みん…な、燃えちゃったから……又、買って…くれる?」
「何でも…買ってやる……安心していい。だから、もう話すな」
トシの蚊が鳴くような声に幾浦は不安になったのだ。
「きょ…まとアルと……三人で…ずーっと……一緒に…暮らすんだ……。ずーっと…」
「ああ、分かった。ずっと一緒だよ。トシ……約束だ」
『リーチ…僕眠くなっちゃったよ。寝てもいい?』
『俺も……』
幾浦の呼びかけを遠くに聞き、二人は眠りについた。