「春酔い」 第4章
何となくリーチが妙であったが、名執は気のせいだと思うことにした。聞いたところで、リーチに話す気が無いと、名執がいくら聞いても無駄なことを知っているからだ。それよりも己の股の所に当たるリーチの猛ったものは名執の密着した下半身にズボンの布地を通しても分かるほど熱を持っていた。それが自分の下半身を擦るたびに、身体の芯が熱く震えるのだ。こうなってしまうと話などできない。
「ああ……」
布地を通して感じるリーチのモノは熱く重量感を持っていた。邪魔する布地が邪魔で仕方が無かったが、リーチのズボンを脱がせる事も面倒だった名執は、ズボンのチャックを下ろし、リーチのモノを手に取り外に引っぱり出した。それを両手で揉むとリーチが低いうめき声を上げた。
「触るなよ……それだけで達ってしまうじゃねーか……」
そう言ったリーチであったが、嫌な顔はしていなかった。
「ああ……リーチ……触らせて……私を感じさせて……」
触れていたいのだ。名執自身を求めてくれる証を自分の手の中で感じたい。だからこそリーチの肉塊を、その熱さを確認したかった。
「駄目だっ……と、ズボンを脱ぐのもうざいな……」
そう言って半身を露わにしてリーチは言い、そのまま名執の身体を愛撫していた。逆に名執の方はシャツ一枚を羽織るだけの姿であったのでリーチの手によって早いうちから素っ裸にされていた。
「あっ……いや……」
リーチのモノに触れていた手を捕まれ、上に引っ張り上げられると名執は抗議の声を上げたが、リーチはお構いなしに自分の行為に没頭していた。離された名執の手は所在なげにシーツを彷徨う。もう一度触れようとのばしたが、リーチに「駄目」と言われてしまった。
「ユキ……」
リーチの猛ったモノは名執の蕾には進入せずに、名執の腰のあたりで上下に擦りあげられていた。名執は下半身を堅く熱いモノが行ったり来たりするたびに泣きそうな声を上げる。早く早くと名執だけが焦っているのだ。リーチの方からは余裕が感じられた。
不公平……そんな言葉が名執の脳裏を掠めた。
「リーチ……」
名執は自分の絡めた脚を更にきつくリーチの腰に巻き付かせて、ねだって見せるのだが、リーチの行為はまだ名執の上半身のみを責めあげていた。
「早く……」
愛撫に目眩を覚えながら名執はリーチの肩に歯を立てた。それに対してお返しとでも言うようにリーチは名執の立ち上がったモノに爪を立てた。
「やっ……あっ……」
涙目で名執は呻いた。
快感が名執の肌を這い、全身が高揚してくるのが分かる。
「いや?」
小さく笑うリーチに名執は顔を左右に振って見せた。
絶対的に優位の立場を取るリーチと、与えられる快感に酔う側の名執には逆らえる訳が無い。
「ああ……リー……チ……」
胸の尖りから下半身に向かって丹念に舐め上げるリーチの舌は、ねっとりとした重圧感を持って名執の肌を粟立たせる。そんな気持ちよさに小刻みに震えながら名執は息を荒く吐き出していた。
「ユキ……愛してる……」
何度聞かされても甘美なその言葉は名執を幸福にする魔法の様だ。
「私も……愛しています……」
心の底から何度言ったのか分からないほどの言葉で名執は返す。その短い言葉にどれだけの想いが込められているのかリーチは分かってくれているのだろうか?
きっと分かってくれているのだろう。だからこそリーチは名執の身体の隅々まで愛してくれるのだ。
「ユキ……」
熱っぽい瞳を細めながらリーチは名執を見つめる。名執はリーチに見られていると感じるだけでどうにかなってしまいそうなほど身体が疼く。
「リーチ……」
ようやくリーチの指先が名執の蕾を刺激し始め、ゆっくりと周りを揉みほぐしながら少しずつ中に進入してくる。すると心地良い刺激が下半身を支配していく。
「あっ…ああ」
「ユキのここ、すごく濡れてる……」
名執のモノを手の中でこね回しながらリーチは言った。
「うっ……あ……や……」
座り込んだ形で名執は頭を左右に振った。そんな名執を見ながらリーチは名執のモノを口にくわえ、舌で先端を弄ぶ。名執は快感に背を仰け反らせながら掴んだシーツに爪を立てた。
「……あ……ああ……」
散々焦らした後、リーチは名執を這い蹲るように俯かせると腰を引っ張り上げる。次に露わになった白い谷間を力強い手で割り開き、その奥にある隠された部分に己のモノを突き入れてきた。
「あーーーーっ……」
深く突き立てられたリーチの楔は狭い名執の最奥を突いている。すると痛みのような痺れが名執の身体全体を支配し身体の震えが絶頂を迎えた。
「ユキ……イイ?」
「……あ……気持ちいい……」
「痛いんじゃないのか?」
「ちっとも……」
うっすら笑うとリーチは遠慮なしに腰を動かし、名執の狭い内側を己のモノで擦りあげてきた。既に滑りの良くなっていたその部分は、淫猥な音を部屋にこだまさせ、互いに揺れる身体がベットをきしませる。
その音すら名執の快感を煽るだけのものでしかない。
「あっ……ああっ……」
ベットにしがみつきながら膝を付き、腰を上げている名執は涙がボロボロとこぼれていくのを頬に感じた。それは決して痛みからでは無い。
あまりの気持ちよさに涙が出るのだろう?
「ユキ…お前のここは気持ちいい……」
感嘆の混じった声でリーチは言った。
「ああ……私も……」
涙に濡れた瞳にうつるシーツがくしゃくしゃになっていた。手に力が入りすぎて引っ張っているのだろう。
「……もっと……気持ちよくして……」
とぎれとぎれそう言った名執であったが、切実な言いようであった。
リーチは名執の願いを叶えるように腰を動かし出すと、名執は身も心も一つになることだけを望んだ。
散々、求めあった結果、朝の四時を過ぎていた。しかし外の景色はまだ暗い。騒音から隔離されたマンションの一室は、空調の僅かな音だけが時折聞こえる。
そんな中、名執とリーチは気怠げに抱き合いながら求め合った後の余韻を楽しんでいた。
「……眠くてシャワー浴びるのもめんどくさい……」
小さくあくびをしながらも、リーチは頬を名執の額に触れさせていた。
「リーチ……今日もお仕事でしょう?もう寝た方がいいですよ。私も眠いです……」
名執の方は笑みを浮かべながらそう言った。
「だよな……お前も仕事だし……」
また、ふあむとあくびをしてリーチは瞳を細めた。互いの触れる肌が汗でじんわりと湿っているのが分かる。そんな肌に触れていると、少しずつ熱が引いていくのが名執には分かった。
このひとときも名執にとって極上の時間なのだ。
「明日も早いのですか?」
「んー八時頃に行けばいいと思う……」
リーチは毛布を引っ張ると、腕の中に抱き込んでいる名執とともに潜り込み、自分が散々愛撫した胸に身体を寄せてきた。
「リーチ?」
「なに?」
上目遣い名執を見つめるリーチの漆黒の瞳が眠そうに曇っているのが見えた。汗で濡れた髪がリーチの額に掛かっているのを同時に見つけた名執は手を伸ばしてかき上げた。そんな名執の仕草にリーチは気持ちよさそうに瞳を細める。
それは子犬が頭を撫でられている姿にも見えた。
「……ぷっ……」
性格と容貌にあまりにもギャップがあるリーチの姿に名執は思わず笑いが漏れる。
「何でわらうんだ?なんかついてた?」
名執が突然笑ったせいでリーチは不思議そうな表情を向けた。
「リーチが子犬みたいに可愛かったんです」
「トシと一緒にすんな」
不機嫌そうにリーチは言った。どうもリーチは利一の容貌に不満があるようなのだ。だから可愛いと思われることを酷く嫌う。
「はいはい……。そろそろ眠りましょうか?」
話題を変えるように名執が言うと、先程まで眠そうにしていたリーチの目が、急に真剣な色合いになった。
「あ、と……ちょっとまて」
「どうしました?」
名執にはすぐぴんと来た。春菜のことだろう。
それなら一晩くらい眠らなくても良いと名執は本気で考えた。
「春菜のことなんだけど……」
言いにくそうにリーチは小さな声で言う。珍しいことだった。
「ええ」
「もう少し待ってくれるか?」
本当は聞き出したかった。待てないと言うリーチから無理矢理聞き出してしまいたいと名執は心底思った。
だがいつものように名執には言えない。優先順位は名執ではなく春菜であることを知っていたからだ。無理に聞きだそうとしたところで、リーチは絶対に言わないだろう。それだけ春菜という存在はリーチにとって特別だからだ。反対に聞き出そうとする名執の方が疎ましく見えるかもしれない。
名執は冗談であってもリーチにそんな風に見られたくなかった。
「ええ……何時でも構いません」
精一杯笑みを作って名執は言った。リーチはそれを聞いて安心したのか、もう何も言わずにすっと眠りについた。
残された名執はリーチがこれほど側にいるにも関わらず、肌に寒さを感じた。
名執が巡回を終え、自室に戻ろうと病院内の廊下を歩いていると田村の姿を見つけた。なにやら研修生相手に怒っている。珍しいこともあるのだと奮闘する田村を遠目に見ながら名執は苦笑していた。が、それに気が付いた田村がこちらに足早くやってきた。
「名執先生。今、笑ってらっしゃいましたね?」
ずいっと詰め寄り田村が言った。
「いいえ、大変そうだと感心していただけですよ」
言いながらもまだ名執の口元には笑みが浮かんでいたため、説得力には欠けていた。
「まぁ……いいです。それにしても最近の子は……何を考えているんでしょうか」
ため息を付いて田村は肩を落とした。
「何か問題でもありましたか?」
珍しい田村の様子に思わず名執は聞いた。
「私が担当している研修生の三人ですけど、こんな物を持ち歩いていたんですよ」
田村はポケットから香水の入っているアトマイザーを取り出し名執に見せた。
「若い女性達ですし、消毒薬の臭いが気に入らないのですか?」
看護婦は香水を付けることを禁止されている。
「あ、自分たちでつける訳じゃないそうです。お年寄りの患者につけてあげていたそうです。全くどうしてそんな勝手なことを許可も貰わずに出来るのか私は不思議です」
信じられないという表情で田村は名執に同意を求めるような表情を向けた。
「日本ではまだ導入している病院は少ないですが、長期の入院では一般の人も、お年寄りも精神的に不安定になります。それを和らげる為に化粧をしてあげたり、綺麗な服を着せてあげるんですよ。これは患者さんの精神面に確かに有効です。多分何処かでそんな話を聞いて実行したのではないでしょうか?悪気もなかったことでしょうし、余りきつく叱らないように」
名執はやんわりと田村に言った。
「私も知らないとは言いませんが、するならするときちんと報告してもらわないと……」
「今後彼女たちも反省するでしょう」
そういって名執は笑顔を見せた。
「ここだけの話ですが、結構良い香りするんですよ」
そういって田村は研修生から取り上げた香水を名執に差し出してきた。
「ブランド物ではないですね……あ……」
いくつか渡されたアトマイザーの中で一つの香りに名執は驚いた。それはこの間リーチがつけてきた香りと同じであったからだ。
「あ、それは結城さんの香水ですよ。市販品じゃないんですって。知り合いに調香師がいるらしくて、わざわざ作ってもらった香水だそうです。ちょっと欲しい香りですよね」
田村は本気でそう言っていた。
「そ、そうですね」
「これは帰りのミーティングに返すつもりです。もちろんお灸はしっかりすえておきますが」
にこやかな笑みで田村は言った。
「お手柔らかに願いますよ」
名執が香水を返すと田村は香水をもう一度ポケットに戻し、来た廊下を引き返していった。
どういうことなのだろう?
リーチがどうして遥佳の香水を身にまとっていたのかが名執には分からなかった。普通に考えると二人が自分の知らないところで会い、抱き合うか何かをしたのだろう。だからリーチの襟元近くに香りが付いていたのだ。しかし、もし、本当にリーチが遥佳と何かあったのだとしたら、シャワーも浴びずに名執の家に来るだろうか?そんなすぐばれるようなことをリーチがするはずがない。リーチが本気で何かを隠すつもりなら、名執には絶対気付かせない様にするだろう。
考えてみるとこの間のリーチの行動は少し変だったのではないだろうか。いや……気のせいだと否定するものの、名執には自信がもてなくなっていた。
リーチは名執に隠れて遥佳に会っているのだろうか?自分が過去愛した春菜にうり二つの彼女に会っている?
それは考えたくは無かった。もし、本当に名執の考えるようにリーチが遥佳に会っているのだとすると、何か事情があるのだ。
名執はリーチを疑いたくなかった。
午後一番に運び込まれた患者の手当をし、名執は一息つこうと自室でるとコーヒーを買いに自販機のある二階のフロアーに向かった。そこで名執は篠原を、見つけた。名執が声を掛けようとすると篠原の方も気が付いたのか、こちらに走ってきた。
「名執先生!お久しぶりです」
相変わらず篠原は元気いっぱいだ。
「ご無沙汰しております。今日は何か?」
にこりと笑い、名執は言った。
「刺された被害者の様態を聞きに来たんです。出来れば診断書を出して貰おうと思って」
頭をかきながら篠原は照れたような表情で言う。
「それは大変ですね。そういえば貴方のペアの隠岐さんはどうされました?」
二人はだいたいペアで動くので、名執は自然な気持ちで聞いた。
「名執先生……結城さんって御存知ですか?」
篠原は何となくおもしろくないという顔になった。
「ええ、うちの看護研修生として来ておられるようですが、何か?」
「そうなんです。ここで研修生として来ているのは知ってるんです。用事のついでに会えたらいいなーって、俺は思ってきたんですけど……」
肩を落として篠原は視線を落とす。
「研修生はある意味普通の看護婦より忙しいですからね」
名執には肩を落としている篠原が結城に好意を抱いている事に気が付いた。
「いえ、そうじゃないんです。隠岐にそれとなく協力して欲しいと言ったのに、あいつの方が結城さんと会ってるみたいで……」
「え?」
先程の不安がまた名執の心に渦巻いた。
「今も隠岐の奴、姿を消したから、どっかで立ち話でもしてるんだろな」
はーっと聞こえるように篠原はため息を付いた。
「ご友人ですか?」
動揺を抑えながら名執は聞いた。
「何でも昔つき合っていた人の従姉妹らしんですけど……。ま、確かに、張り込みの時のお弁当は俺じゃなくて隠岐に持ってきていたのは分かっていたんですけどね。隠岐はどちらかというとありがた迷惑っぽく感じてたみたいなんですけど。本当にそう思ってたのかは分からないでしょう?会って、いいなって思うこともありますし」
ぶちぶちと愚痴を篠原は言った。
「張り込みの時にお弁当ですか……」
そんなことが刑事に許されるのか名執は知らない。
「そうなんですよ。毎日美味しいお弁当持ってきてくれて……美味かったです」
嬉しそうに篠原は言った。
「……お仕事中に良いのですか?」
怪訝な顔で名執は聞く。
「やだなー名執先生。堅いこと言わないで下さいって。あの時だけだし、普段はそういうことは断りますって」
手を左右に振って篠原は慌てて言った。
「そうですか……」
名執はだんだん気が滅入ってきた。
「それにしても隠岐……結城さんと会ってから行動がおかしいんですよ。妙にこそこそしてるんです。この間も三人で食事に行ったのに途中で隠岐が抜け出して、そしたら次に結城さんが抜け出して、二人とも帰ってこないし、俺が探しに行ったら駐車場で深刻そうに二人で話してるし……。こんなに隠岐のことが分からなくなることなんて無かったのに……」
事情を知ってます?というような目を篠原は名執に向けたが、答えられるわけなど無かった。名執より篠原の方が二人のことに詳しいからだ。
「何も知りませんが……」
「先生は隠岐と仲がいいから何か聞いてると思ってたのですけど……」
篠原は再度肩を落とした。
「最近は病院に来られませんので……」
「会ったら聞いて下さいよ。何を考えてるんだって。そりゃ隠岐が好きになったんだったら別に俺はいいんです。でもあいつ、ちゃんとつき合ってる人がいるって言うし、でも俺はその話し嘘だと思うんですよ」
うんと、一人頷いた篠原は自分だけが納得している。
「……」
「隠岐はつき合っている相手はいる……って俺にいつも言うんですけど、ちゃんとした証拠を見せてくれたことがないんです。ということは、実はつき合ってる人なんかいないんですよ。たぶん昔亡くなった恋人に対する想いが強すぎるからだと俺は見てるんですけどね。でも、あいつは俺と違ってもてるから、結構な人数の婦人警官からつき合って欲しいって言われてるの知ってる。そういうのが嫌だから、周りにいるって言ってるんじゃないかって……どう思います?」
「私はいらっしゃるとお伺いしたことがありますが……。篠原さんはそうおっしゃいますが隠岐さんにはお相手がいるのではないですか?」
自分がそうだとも言えずに名執は篠原に言った。
「先生も騙されてるんですよ。あいつ、亡くなった彼女の話が出ると、すぐ無口になるんです。あの隠岐がですよ。信じられます?気持ちは分かるけど、未だにそれだけ強く想っている相手がいるのに、他につき合えないと思いません?でも結城さんは違うんだな。どうも亡くなった彼女に似てるらしいから、隠岐、きっとふらふらって行ってしまうかもしれない」
相手を見たことがあるとこの場合は言った方が良かったと名執は後悔したが遅かった。
「……はぁ、そうですか」
名執にはもう言葉が出ない。
「俺も諦めて隠岐を応援してやれば良いんですけど、俺も彼女のこと好きだし……あっ、内緒ですよ」
内緒と言われたが、篠原のこの表情では内緒になっていないだろうと名執は思った。
「誰にも言いませんよ。安心して下さい」
「済みません」
そこにリーチがやってきた。
「篠原さん。用事は済んだのですか?あ、名執先生こんにちは」
今気が付いたように装いながら、リーチは言う。
「こんにちは隠岐さん」
相変わらず平静を保ちながら名執は笑みを向けた。
「篠原さん、診断書は貰ったのですか?」
ぶすっとした顔の篠原を覗き込むようにリーチは聞いている。
「今からだよ。で、お前何処行ってたんだよ」
「え、お手洗いですよ」
どうしてそんなことを聞くんですか?という表情だ。
「嘘付くな」
「篠原さん。最近私の言うこと何も信じてくれないのですね。分かりました。診断書は私が貰ってきますよ」
リーチはくるりと向きを変えて今来た廊下を戻っていった。
「隠岐って!あ、済みません先生、じゃ、失礼します」
篠原がリーチを追いかけるように走っていった。
「……」
リーチは視線を一度合わせただけで、後は一度も名執の方を見なかった。それはいつものことであるはずなのに、何故か避けられているような気がした。篠原の話を信じるとリーチは遥佳とこっそり会っているのだ。だが本当に会っているのかは名執には分からない。
心配することは無い……
遥佳は春菜ではないのだ。似ているからと言ってリーチが遥佳に対して愛情を抱くとは思えない。似ているだけで同じではないからだ。だが遥佳が隠岐利一に好意を抱いているということは篠原の話から推測された。
張り込みの時にお弁当を持ってきてくれた……
それが許されるのか、名執には分からないが、例え夫婦でもそれは許されないことだろう。遥佳はその事が分からなかったのだろうか?
リーチは遥佳の行動をどう考えているのだろうか。利一の性格として考えても、仕事中にそういうことをされると困惑した表情を見せるのでは無いだろうか?追い返すことは出来無いとはいえ、迷惑であることに違いない。
問題がもう一つある。遥佳の香水がどうしてリーチに付いたのだろうか?リーチを信じるとして、遥佳が無理に抱きついたとも考えられる。しかし、名執から見て、遥佳がそんなことをする女性には見えない。どちらかというと大人しそうに見えるからだ。しかしお弁当を作るくらいであるから積極性も持ち合わせているのかもしれない。
「名執先生、もうすぐ回診ですよ」
ぼんやり立っているところに田村がやってきた。
「あ、そうでしたね」
名執は、もはやここに何をしにやってきたのかを忘れていた。