Angel Sugar

「春酔い」 第14章

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「互いに抱き合って……分かったんだよ。春菜との関係は友達以上にはならないって……。不思議だろ……確かに俺……春菜を好きだったよ。今だってそうだ。それなのに、恋愛と考えたとき、ちょっと違った。春菜もそうだった。俺達……お互い、慰めてもらえる相手を捜してたんだ……。心の深い部分で理解し合える相手が欲しかったんだ」
「え……」
 意外な言葉に名執はどう言って良いのか分からなかった。
「端から見れば恋人同士だったんだろうけど、俺達は仲のいい友達だった。何でも話せるし、互いに話し合えた。でも違ったんだよ。他の人には理解して貰えなかったから、ややこしくなるから言わなかったけどな……。何て言ったらいいんだろ……俺も良く分からないんだけど……。確かに愛していたけど……上手く言えないな……。ただ分かってるのはお前に対する愛情と春菜に対する愛情は全く別物だって言いたいんだ」
「友情……ですか?」
 にわかには信じられない。
「言葉にするとそれが一番近いかな……」
「リーチ……私は別に貴方が春菜さんのことを愛していたとおっしゃっても別に構いません。もし私に気を使っているのでしたら……」                   
「いや、別に気を使ってるわけじゃないよ。だから誤解してるって言ってるんだよ。心の部分での深いつながりっていう関係なんだ。これが同性なら信じて貰えるんだろうけど、俺の場合、異性だからな。信じろっていうのが難しいのかもな……」
 仕方ないかという感じにリーチは言った。
「……ニュアンスは何となく分かりますが……」
 困ったように名執は答えた。
 自分が考えていた春菜という女性に対するリーチの想いは愛情だとばかり思っていたのだ。それが友情だと言われてもピンとこない。だがここでリーチが嘘をついているようにも見えなかった。
「でも春菜が生きている時、トシのことは話せなかったよ。春菜は利一がリーチだと思ってたんだ。それが俺に春菜との関係を友情だと思わせたのか、どうあっても話せなかったトシの存在が一線を引かせたのか、いまでは分からない。ただ春菜の事をあまりにも知りすぎていたから、反対に友達としての思いの方が強くなったんだと思う。過去を知らない人と恋愛して、結婚する。互いにそうだったから辛いとか悲しいとか思わなかった。トシと俺の事を話せたのは……ばれたのは……ユキ……お前が最初なんだ」
「リーチ……」
 複雑な気持ちを上手く名執は伝えられない。
「たぶん……春菜が病気で死ななかったら二人とも……友人関係のまま大学を卒業して……就職。その先も良い友達としてつき合えたんだと思う。それで春菜も恋をして、結婚して……俺のとこと家族ぐるみで付き合ってたんだって。春菜の夢がそうだったんだ。優しい夫と可愛い子供と小さな家で小さな幸せを掴みたかった。自分に無かった平凡な幸福をあいつは求めていたんだ……」
「もし……リーチが自分の事を……トシさんの事を話していたら……違う結果になっていたと思います?」
 一番聞きたかったことを名執は口にした。
「……そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない……。ユキ……未来は誰にも分からないよ……。ただ、どう転んだとしても、俺は彼女とは結婚しなかったし、彼女も俺を選ぶことは無かったと思う……。あいつがいても、俺はお前を選んでいたという確信があるんだ。たださ、結婚だけが愛を証明できることとは限らないだろう。抱き合うことだけが愛じゃない……。友情も一つの愛だと思う。ただ、お前は春菜にはなれないし、春菜だってお前になれない。愛情の形が違うんだよ」
 息を吐き出しながらリーチは言う。その言葉には偽りはない。リーチは自分にも説明しにくいことを今、名執に語っているのだろう。
「不謹慎かもしれませんが……私は……それを聞いて嬉しい……」
 困ったように、それでも笑みを浮かべて名執はリーチに言った。
「嬉しい……か……うん。どっちかっていうと、いやがるかなって思ったけど……。下手に聞いたら誤解するような話しだしさ。お前に誤解されたく無かったし……それも言えずにいた理由だよ。たださ、俺……お前を初めて見たとき……恋したんだ。無理なのは分かってた。それでも諦めきれなくて……お前の関心引きたくて……仕事しててもお前の事ばっかり考えてな……。ああ、これが人を好きになるってことなんだって初めて知った。お前に出会わなければ、春菜とのことが恋だと思っていたかもしれない……。お前だから馬鹿なことしたし……。考えてみればよくあんな、後先考えずに犯罪まがいのことしたと思うよ。うーん……いや、犯罪だったよな、あれは……。お前が許してくれなければホント刑務所行きだったよ」
 苦笑しながらリーチは言った。
「あの時は……実際……貴方の事が憎かった……。貴方の事が分からなくて……怖くて……。でも、貴方の気持ちを知ったとき……全てが逆転したのです……。自分でも不思議な感情でした。最初は持て余して……認められなくて……。でも惹かれていることを認めたとき、素直になれました」
 正直に名執は言った。
「そっか……ありがとう……ユキ……」
「でもリーチ……。どうしてリーチが春菜さんの親戚に恨まれなければいけないのですか?」
 それも分からないことだった。春菜は癌で亡くなったのだ。決してリーチが原因ではない。なのに、墓参りをすることすら気を使うリーチが不思議だったのだ。
「あ、ああ。それが一番話しにくい……。俺と春菜と旅行に行ったことがばれてさ、で、俺がすげー資産家とか、立派な両親でもいれば良かったんだけど、素行調査されたんだ。それで俺が捨て子で、両親も親戚もいなくて、財産も無いって事が原因で毛嫌いされたんだ。逆に資産目当てかって思われたみたい。だから、ろくでもない奴だと思ったんだろ。ま、俺はその通りだったけど、俺達が作り上げた利一って性格は自分で言うのもなんだけど、いいやつなんだぜ。それでも現実に財産とか後ろ盾とか何もない人間は、春菜の親戚から見ると駄目だったんだ。でも俺達は会ってたよ。学校もいっしょだったしな。で、春菜が……癌だと分かって……年末に入院したんだけど……。会わせて貰えなかった」
 又、窓の方に身体を向けてリーチは言った。
「あんまり会わせてくれないから、こっそり忍び込んで会いに行ったんだ。そのころ春菜はもう末期で……無茶苦茶痩せて……髪も抗ガン剤で抜けてたから帽子被ってた。それでも意識はあったんだ。俺を見て嬉しそうに……笑った……。俺……」
 リーチの肩が震えていた。
「リーチ……」
 思わず名執はリーチの肩にそっと自分の手を置いた。
「ずっとここにいてってあいつ言ったよ。俺、分かったって約束したけど……春菜の親戚に見つかって……叩き出された。あいつ……俺が……病室をつれ出される時、こっち向いて……泣いてた。俺にはあいつの不安が分かった。あいつ……怖かったんだ。……一人ぼっちで、死ぬのが……。だって、あいつら、自分たちは雇った看護のばばあに全部任せてほったらかしだったんだぜ。それなのに、俺をどうして追い出せるんだ?あいつらは春菜のことを分かってやれなかった。俺……それからもう、病室に入れなかったから、毎日病室の窓の下で座って見上げてた。そこで奇跡が起こるのを必死に祈ってた。雨が降っても……雪が降っても、そこにいたよ……。側にいて欲しいってあいつが言ったから……せめて近くに……いてやりたかったんだ」
 リーチが泣いている。名執自身もその告白に胸を痛めた。悲しみが乗り移ったかのようだ。どんな気持ちで毎日春菜の病室の窓を見上げていたのだろうか?きっと寒い時期に毎日見上げていたのだろう。冷たい雨が降っても、雪が降ってもリーチはそこに居続けた。言葉では言い尽くせないほど辛かったに違いない。
 名執はそんなリーチを想像して胸が痛んだ。
「3月の末頃だったかな。病院に植えられていた桜が咲いていたよ。俺、その木にもたれながらやっぱり春菜のことを考えていた。その日は真夜中だっていうのに、桜がものすごく綺麗に見えた。不思議に思っていたら春菜の声が聞こえたんだ。あいつ、病室の窓を開けて俺を呼んでた。もう動けなかったはずなのに、俺はそのときは不思議に思わずに、木を上って春菜の病室に入った。あいつは……もう……枯れた枝みたいに細くなっていて……脂肪と筋肉がごっそり取れたみたいだった。春菜だって言われなければ俺も分からなかったかもしれない。それほど……酷かった……。もう……駄目だって……思った……。あいつ……死ぬときは側にいて欲しいって、蚊の泣くような声で言ったよ。だから俺、病室の出入り口の方ににベッド寄せて誰も入ってこれないようにしてからベッドに一緒に入って……抱いていてやった。あいつが不安にならないように……ずっと……背中を撫でて……声を掛けて……。あいつ……俺の腕の中で……少しずつ冷たくなって……あいつは……」
 リーチはそこで声が詰まった。涙が止まらないのだろう。名執も思わずもらい泣きしていた。何て悲しい別れだったのだろう。大切な人のためにそこまで出来る人がいるだろうか?
「途中でばれたんだけど……入れないようにしていたから……警察も来たよ。でも俺は譲らなかった。春菜が死んで……朝になってから扉を開けたんだ。俺もうちょっとで警察に捕まるとこだったんだけど、あいつの遺書が見つかって……警官も同情してくれてさ……春菜の親戚の中にも同情してくれる人がいたから……俺は無罪放免だった。それにあいつの死に顔は本当に安らかだったから、もし捕まっても……俺……後悔しなかったよ。遺書は二つあって、一つは引き取ってくれた人にお礼の手紙。で、俺宛に一つ……あいつ、俺がずっと守ってくれたから、これからは私が魂になって守ってるって書いてあった。それからだよ、危険な状況にベルが鳴るの……。多分、春菜が守ってくれているんだなって思った。俺はなにもしてやれなかったのに、あいつは今でも俺の側にいてくれている……。何も……本当に何もしてやれなかった……。それなのにあいつは……。でもな、後から聞いたら……あいつ前日にもう死んでたんだ。霊安室が一杯だったのと、家の方で色々事情があって連れ帰るのを一日延ばしたんだってさ。じゃあ、窓から俺を呼んだのは誰だったんだろうって……。もう深くは考えてないけど……」
 言ってリーチは薄く息を吐き出した。ようやく言えたという安堵が感じられる。そんな様子を見た名執はリーチが今まで話せなかった理由がようやく理解できたような気がした。
 リーチにとって春菜との別れは今も鮮明な記憶として心の中にあるのだろう。それはどれだけ時間が経っても褪せることのないものなのだ。
「リーチ……春菜さんはどうしても貴方の側で逝きたかったのですよ。だからそういう不思議な事も現実に起こったのだと思います。貴方がしてあげたことは誰もが望んでも、して貰えないことなんです。大切な人に抱かれて死ねると言うことはある意味とても幸福です。私がもしその立場になったら……。やっぱり貴方に抱かれて死にたい……」
 幸せだと思う。
 そんな風に死ねたらどれだけ幸福だろう。
 名執は本心からそう思った。いや、切実な願いといっても良い。
「やめてくれよ……誰かの死にあうのはもうゴメンだ」
 と、言いながら、リーチは窓の外を向いたままであった。
「リーチ……こっち向いて下さい。もう話は終わったのでしょう?」
 ずっと背を向けられていると名執は不安になる。それが例えこのような状況であっても感じるものなのだ。
「え……あ、……」
 何故かリーチは慌てていた。不思議に思った名執は腰を上げて、そっとリーチの顔を覗き込んだ。
「わ、馬鹿、見るなって」
 といったリーチであったが、身体はまだ急には動かせないのだ。
「ふふ……可愛い……」
 リーチの瞳は泣いたことで真っ赤に腫れていた。涙の筋も残っている。それに気がついた名執はそっとリーチの頬や目の周りを拭いてやった。
「別に恥ずかしがること無いでしょう……」
 名執が言うと照れ臭そうな表情でリーチはこちらを向く。ここが病室でなければ名執はリーチを抱きしめていただろう。そんな顔だ。
「辛い話を、聞かせて下さって、ありがとうございました」
 名執は心底からそう言った。ずっとずっと聞きたかった話であったから。
「も、いいから……な、キスしてくれよ……」
 じっと名執を見ていった。リーチの瞳にはチラチラと欲望が見え隠れしていた。ここが病室であるにも関わらず、全く……と、やや呆れながらも、名執はそっと唇を近づけてリーチの唇に触れさせる。
 軽いキスのつもりであったのに、リーチは待っていましたとばかりに舌を名執の口内に進入させてきた。当然、名執は拒否などしない。いつだって求めているもの。それはリーチが自分を愛してくれているという確固たるものだった。
 態度だけでは足りない。愛しているという言葉ですら、名執は時に不安になる。いつだって名執は身体に感じることのできる行為をリーチに求めてしまう。だからこそリーチがそれらを与えてくれるとき、逆らうことなど出来ないのだ。
 自分が欲しいと思っているから。
「私って……今は、こんな事してはいけない立場ですのに……」
 一応、名執は医者らしくそう言って椅子に座り直した。
「白衣のお前は扇情的だよ。マジでそそられる。なあ、今度お前、白衣を着てやろうか?」
 先程のしんみりしたムードはもう無い。
「一度やって懲りました……」 
 一度病院でそんなことを強要されたのだ。あのときどれだけ恥ずかしい思いをしたか。いくら名執でもここで出来る限度をわきまえているつもりであった。
「……違うよ。うちでの話だって。ここじゃねえよ。ユキちゃんって結構大胆」
 何が大胆なのか名執には分からなかったが、その言葉にとりあえずにらみを利かせておいた。もちろん、迫力は無い。
「……あ、そうだ、幾浦は怒ってたか?」
「ええ、もちろん怒ってらっしゃいます。私だけ蚊帳の外かと言ってとてもご立腹でしたよ。ですが、遥佳さんの情報を取るためにハッキングして貰ったときに、幾浦さんも内容に目を通しておられるのです。どうもそれから遥佳さんに同情的な部分をもたれまして……貴方達が無事なら許すしか無いだろうと言っておられました。精神的なことで、事件になっても責められないところもありますので……。ところでトシさんは?」
 後ろでずっと聞いていたのだろうか?
「良かった……。トシも、もう起きてたんだけど、幾浦に何て言ったら良いの?って悩んでてさ、寝たふりしてるから」
 笑いながらリーチは言う。
「え、今は?」
「寝てるよ。当たり前だろ。俺、トシにも今の話し、したことないんだぜ」
 驚いたようにリーチは言った。本当に名執とリーチだけの秘密にしたいのだろう。それがとても嬉しかった。
「そ、そうですよね……」
「詳しい話は知らないんだ。断片的なとこは知ってるけどな。言うなよ」
 二人だけの秘密。
「ええ。もちろん」
 名執が小さく頷くと同時に、病室をノックする音が聞こえた。
「おい、いつまで面会謝絶なんだ」
 扉を開けて入ってきたのは幾浦だった。
「済みません。どうぞ入って下さい。先ほど意識が戻ったのです。夕方にでもお知らせしようかと……」
「で、トシは起きてるのか?」
 切れ長の目がじっとリーチを眺めている。リーチの方は愛想笑いを浮かべていたがそれは苦笑に近い。お互い会うと悪態の応酬になるのだが、二人を眺めていると名執はほほえましく思える。
「悪かったなぁ……心配かけて」
 リーチがそう言うと幾浦はジロリとリーチを睨んだ。
 怒ってはいないと言っていたはずであったが、今の幾浦を見ていると、様子が違うようだ。
「お前が元凶だろう……。もっと謙虚な言い方は出来んのか?」
 結局のところ、この二人はこんな風にしか会話が出来ないのだろう。
「トシ起こそっと」
「待て!お前には言いたいことが山ほど……!」
 ベッドに駆け寄ってきたが、名執にはもう遅いことが分かっていた。
「あの……恭眞……ゴメンね……。そんなつもりはなかったんだけど、結果的には恭眞をのけものにしたみたいになったから……」
 視線を外しながらトシは言う。
「う……その、怒ってはいないぞ」
 急に幾浦が態度を変えたので名執は思わず笑ってしまった。彼らが入れ替わると幾浦の態度が急に違ったものになるから、その差がほほえましいのかもしれない。
「あのね、僕も春菜さんのこと好きだったんだよ。初恋だったんだ。リーチは表に出すタイプだからああだけど、僕はじっと心の中で思うタイプだから……」
 トシは何も知らない。
 それでもトシの恋は本物だったような気が名執にはする。
 淡い恋だったのだろう。
「あ、ああ、名執……」
 頭をかきながら照れを隠すように幾浦はこちらを向いて言った。
「分かっていますよ。後三十分ほどで、看護婦さんの見回りがありますので、気をつけて下さい」
 そう言って名執は病室を出た。
 自室に戻ると、警視庁にリーチ達が意識が戻ったことを伝え、面会は夕方から出来ると連絡を入れた。それが済むと大きく伸びをする。リーチたちの意識が戻ったことで名執は急に力が抜けたのだ。ホッとした。
 何よりずっと心に引っかかっていた春菜のことも聞くことが出来たので、余計に安心したのかもしれない。
 こうしている今でも春菜はリーチ達を守っているのだろう。春菜がリーチから貰った感謝は死の世界に向かってもなお残るものだったのだ。
 幸せな人……
 色々考えていると、いつの間にか名執は頬杖をついて眠っていた。
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