Angel Sugar

「春酔い」 第5章

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「篠原さん……何を怒ってるんですか?」
 覆面パトカーを走らせながらリーチは先程からぶすくれている篠原に聞いた。
「別に……」
 前を一度も見ずに先程から車外を眺めている篠原の様子から随分と拗ねているのが分かる。
 勘弁してくれよ……リーチは心の中で呟いた。
 最近の篠原は妙にリーチ達の行動をチェックしているのだ。しかも困ったことに利一が遥佳を気に入っていると篠原は感じているようで、いくらそれは誤解だと説明しても受け付けようとしない。
「そう言えば名執先生と何を話していたのですか?」
 話題を変えるようにリーチは篠原に聞いた。
「お前のことをさ……色々と相談にのって貰ってたんだよ。最近行動が変だけど何かご存じですか……ってね」
 ぶつぶつと篠原はそう言って相変わらず前を向こうとしない。
「篠原さん……」
「お前さ、遥佳さんのこと好きなんだろ。隠すなよ」
 篠原はいつもそこに戻ってくるのだ。
「いい加減にして下さい。何とも思ってませんと何度言えば分かって貰えるんですか。篠原さんが好きだとおっしゃるなら、私のことなど無視してアタックすれば良いんですよ」
 穏やかに言ったが内心は怒鳴りつけてやりたいくらいリーチは苛立っていた。
「そう言ってるけど、お前の行動は妙じゃないか……。実はこそこそ会ってるんだろ」
 目線だけこちらに向けて篠原は聞いてくる。
「会ってません」
 きっぱりとリーチは言った。
「この間二人でこそこそと話しをしてたじゃないか」
 何を言おうと信用しない篠原だった。
「あの時だけですよ。それ以外ありませんし、別に会う用事もありませんので会ってませんよ」
 呆れたようにリーチは言った。
「お前だって気付いてるだろ。遥佳さんはお前に好意を持ってるって」
 確かに気づいていた。
 だが認めるわけにはいかないのだ。
「こちらは好意などこれっぽっちも持ってないのに、私にどうしろと篠原さんは言いたいのですか?」
「じゃ、はっきり言ってやれよ」
 食い下がる篠原にリーチはほとほと疲れていた。
「あちらから何も言われていないのに、何をはっきり言うんですか?もし遥佳さんが何とも思っていなかったら私はただの馬鹿ですよ」
 リーチは遥佳の好意は気付いていたが、気付いていない振りを通すつもりであるのだ。
「そんなことないさ……」
 むすっとした顔で篠原が言う。リーチはいい加減、篠原の態度に困っていたのだ。このまま車を走らせている間、ずっとこの調子かと思うとうんざりする。
 仕方なしにリーチは車を道路の脇に止めると、車から降りた。
「おい、隠岐……」
 篠原が驚いた目をこちらに向ける。
「ここ最近、そんな話題ばっかりでうんざりです。何より篠原さんは私を信じてくれない。もう……貴方の勝手にして下さい」
 そう言ってリーチは車の扉を閉めた。篠原が何かを叫んでいたがそれを無視をして歩き出した。そんなリーチの態度に篠原が、慌てて車から降りようとしていたが、間の悪いことに白バイに見つかり注意された。
 後ろの方で「俺は刑事だ」と篠原が叫んでいるのを遠くに聞きながら、リーチは地下鉄に向かった。
『リーチ……』
 トシがようやくそこで声を掛けてきた。
『仕方ないだろ……あいつ、いい加減にしろって』
 イライラとリーチは言った。
『でもさ、篠原さんは遥佳さんの事で頭が一杯だから仕方ないよ』
 リーチを宥めるように言うトシの言い分も理解できるが、毎日顔を見るたびに遥佳の話題を持ち出されるのはうんざりだ。
『一杯なら一杯でいいさ、だけど仕事に持ち込まないで欲しいんだよ。それにユキになんかくだらないこと言ったみたいだろ。くそー……いい加減頭に来てるんだよ。会いたいなら勝手に会いに行けばいいし、映画でも誘ってくりゃいいんだ。だけどそこに俺を巻き込まないでくれって言いたいんだっ!それになんかしんねえけど、遥佳さんって利一に対して特別な感情を持ってるみたいだから、俺はあんまり近づきたくないんだ』
 リーチは足早に駅に向かいながらそう言った。
『遥佳さん……どうして利一が好きなんだろ……。だってさあ今まで会ったことなんかなかったのにさ……』
 不思議そうにトシは言うが、それを聞きたいのは他ならぬリーチだ。
『だろ、春菜から色々聞いてたにしても、だからといって会ったことのない利一に普通好意を持つか?気持ち悪いよ……』
 ううと唸りながらリーチは手を振った。
『そりゃ、いい人だって春菜さんから何度も聞いていたら、会ってみたくもなるんじゃないの?それを通り越して、見たことのない人を想像で好きになることだってあるからさ……』
 そんな感情はリーチには理解できないことだった。
『それより……篠原の奴……ユキに何か吹き込んだかもしれない。そっちの方が心配だよ。あいつが篠原の言葉を信じるとは思わないけどさ』
 リーチはため息を付きつつ言った。
『雪久さんに聞いた方がいいよ。もし誤解を招くようなことを篠原さんが言ってたら雪久さんが可哀相だから……』
 心配そうにトシは言った。
『大丈夫だろ』
『リーチ……大丈夫なわけないよ。だって春菜さんの話だって暫く待って欲しいっていったんだろ?それじゃあ、僕でも心配しちゃうよ』
 自分に当てはめて考えているのか、トシは酷く寂しげな表情をしている。
『そうか?』
 春菜は既に死んでいる。しかも遥佳にはなんの感情もリーチは持っていない。それでも名執は心配するだろうか?
 リーチにはその辺りはよく分からなかった。そうやって話しながらも駅構内に入り、ホームで電車が来るのを待つ。
『そうだよ』
『……なんでもないと話す方が余計になんかあることを隠してるみたいに聞こえないか?』
 どちらがいいのかリーチにも分からないのだ。どちらにしても名執は心配しそうな気がして仕方ない。
『それはリーチの話し方次第じゃないの?』
 気楽にトシは言うが、名執はとてもデリケートなのだ。言葉一つとっても選ばなければならないときがある。
『そうか……』
 ホームに入ってきた電車に乗り込みリーチはもう一度ため息を付いた。時間は昼ということもあり、人はまばらだった。座ろうと思えば座れるほど空いているのだが、いつもリーチは立つことを選ぶ。
 そうして入り口付近にあるポールを掴むと軽いゆれに身体を任せた。
 どうしようかな……と考えながら視線を自然に車内に移すとリーチは見たことのある男がいることに気が付いた。
 車両の端にやや深めに帽子を被った人物は、北海道で殺人を犯し、現在全国指名手配されている男によく似ていた。指名手配されている人間の顔は毎日毎日、警視庁で眺めているせいか、同じコーポに住む隣人の顔よりよく覚えているのだ。
『トシ……あの一番奥に座ってる奴なーんか見たこと無いか?』
 問題の男から視線をやや外してリーチはトシに聞いた。
『え……あっ……あれって道庁から指名手配されてる中際じゃないの?』
 びっくりしたようなトシの声だ。
『やっぱりお前もそう見える?』
 その中際は妙に顔色が悪かった。
『だってほら首筋に小さなほくろが見えるじゃない。中際の特長だよ』
 と、話している間に駅に着くと男は猫背になりながらホームに降りた。その後を気づかれないようリーチは追いかけた。
『確かあいつ、銃を所持してるはずなんだよな』
 一定の距離を保ちリーチは更に中際を尾行した。
『この人混みの中で問題起こせないよ。どうする?』
 二人で話している間に中際は駅の改札を抜け表通りに向かった。周囲はオフィス街にもかかわらず、駅ビル自体にショッピングセンターが入っているために人が多い。こんな場所で中際に興奮されて銃でも撃たれたら目も当てられないだろう。 
『どうする?人気のないところまでついていって職務質問してみる?』
 トシの声は緊張を帯びていた。
『まず……警視庁に連絡した方がいいな』
 リーチは柱の影に隠れながらも視線は中際から外さずに電話をかけた。
「警視庁捜査一課です」
「隠岐です。里中係長はいらっしゃいますか?」
「お疲れさまです。お待ち下さい」
 待っている間に中際が移動し始めた。それをまた尾行しながらの電話であった。
「隠岐か、どうした?」
 里中はすぐに出てきた。
「係長、道庁から指名手配されている中際を今追っているのですが……」
「中際……本当か?」
 驚いた声で里中は言う。
「帽子を被っているのでちょっと顔は良く分からないのですが、首筋にあるほくろや、背格好、ちらっと見た顔が手配書にそっくりなのです。今追いかけていますが、相手が拳銃を持っている可能性もありますので応援を願いたいのですが……」
 ちらちらと中際を窺いながらリーチは言った。
「篠原はどうした?」
「あ、ちょっと今は一緒に行動していないのです」
 篠原と一緒に行動していたら多分見つけることは出来なかっただろう。
「仕方のない奴だな。まあいい、現在地点を教えてくれ」
 リーチは里中に現在地点を言って電話を切った。問題の中際はキョロ キョロ周りを気にしながらビル街に入ると、今度は細い路地裏に入っていった。
『なんだ?なんであんな所に入って行くんだ?』
 ビルとビルの合間に出来た細長い路地は外から覗く限り、暗く、日光が射さしたことが無いような場所であった。
『さあ……分からないけど……』
 トシも困惑している。
『ここって通り抜けできたっけ?』 
 そっと暗がりの奥を覗きながらリーチは言った。
『抜けられなかったはずだよ……』
 トシが思い出すように言う。
『じゃ、どうして抜けられない路地なんかに入ってくんだよ』
 怪訝な表情でリーチは考え込んでしまった。
『知らないよ、入ってみれば?』
『そうだな……だけどさ、こっちは逆光で中が見えないけど向こうから見ると俺たちって思いっきり標的になっちまうぜ』
 入り口付近で思案しながらリーチはトシ言う。
『じゃ、応援到着するまで待つ?』
『それもいいかもな……』
 もちろん勇気はあるが、こういう場合は慎重でなければならない。特に追いつめられているという心理状態を持つ犯人は些細なことで錯乱状態に陥る。リーチ達が取り押さえられるのなら良いが、万が一逃した場合、何人も道連れになるはずだ。
 それが分かっている為にリーチ達は酷く慎重になっているのだ。
 すると、「ぐうっ」というくぐもった声が聞こえた。
『今のなんだ?』
『分からないよ』
 まだ応援が到着する様子は無い。待っている事も出来ずにリーチは仕方なく路地に入ることにした。
 路地に一歩踏み出すと急に辺りが暗くなったため、瞳が暗がりに慣れようと必死に光量を調節していた。
 暫くすると暗がりに慣れた瞳が周りの景色をぼんやりと浮かび上がらせた。そんな中、奥の方に黒い姿を見つけた。どうもうずくまっているようであった。
「どうしましたか?」
「……」
 黒い影は何も答えない。
「大丈夫ですか?」
 肩に手をのばそうとすると、中際によってはじかれた。
「……あっちに行け」
「苦しそうな声がしたのでなにかあったのかと思いまして……大丈夫ですか?」
「うるさい」
 といって中際は、ごほごほと咳をした。
「病院に行った方がいいですよ」
 確か先程見た限りでは酷く顔色が悪かった。病気でも患っているのだろうか?
「うるさい!放って置いてくれ」
 せわしげに手を振りながら中際は言う。
「ですが……」
「死にたくなかったら、放って置いてくれ」
 次に薄暗がりに銃のシルエットが浮かび上がった。当然、銃口はこちらを向いている。
「……あの……そういう物は振り回さない方が……」
 と、リーチが言ったところで銃を掴む手首をねじりあげた。
「……良いですよ」
 同時に銃が地面に鈍い音を立てて転がる。
「ぐうっ……貴様……刑事か?」
 ねじり上げられた痛みで顔を歪ませながら中際は言った。だが痛みで顔を歪めているのか、なにか病気でそんな表情になっているのかよく分からなかった。
「そうですよ」
 ようやくパトカーの音が聞こえてきた。応援が駆けつけたのだろう。
「はは……はははは……俺はもうすぐ死ぬんだ。はは……お前らの思い通りには行かない」
 といって中際はせき込みながら笑い出した。
「……何が思い通りにならないのか分からないですね……」
 銃を取り上げてポケットから出した手錠をねじり上げていた手首にかける。だが中際は、ふふふふと低く笑いながら後ろによろけていた。
「どうせ……俺は……死ぬんだ……はは……」
 ドンッと、中際が突き当たりの壁にぶつかった瞬間、危険を知らせるベルが鳴った。ぶつかった衝撃で上にあった木材がバラバラと落ちてきたのだ。リーチはその場をスライディングをして離れた。それでもいくつかは自分の方へと落ちてきた。
 その音を聞きつけて応援の警官達が走ってきた。
「何があったんだ?」「どうしたんだ」と口々に叫びながらこちらに向かってくる。
「済みません……ここです……」
 いくつかの木材を払いのけてリーチは手を振った。だが体中が打撲で痛み、声が上手く出せない。
「隠岐!」
 同じ三係の警部である田中が慌ててリーチの身体に乗っている木材を掴んで払いのけてくれようとしていた。
「何があった?」
「分かりません……けほけほ……あ、中際はもう少し奥で下敷きになっています」
「おい!」
 田中が他の警官に指示を出し、それに伴って警官達は奥に向かう。
「大丈夫か?」
「打撲だけですよ……」
 木材をどけて貰い、次に引っ張り上げられたリーチは笑みを見せながら田中に言った。
「隠岐を救急車に乗せてくれ。精密検査した方が良い」
 田中は担架を持ってくるように言い、この場から逃げようとしたリーチの手首を掴んで離さなかった。
「あ、何処も痛みませんよ」
 軽い打撲であちこち痛みを感じたが、精密検査をするほどの打撲を負った箇所はない。
「後で何かあったらどうするつもりだ!」
 だが田中は駄目だという風に怒鳴った。
「済みません……」
 頭をかきながらリーチは肩をすくめた。
「警部!駄目です。中際は死んでます」
 奥で木材を片づけていた警官が声を上げた。
「どうせ助かったとしても死刑のやつだ。そっちは解剖にまかしてくれ、隠岐、お前は病院だ」
「は、はい……」
 病院に行くのは避けたかったが、仕方ないと諦めた。
 リーチは大人しく担架に乗せられて病院へと向かった。

 病院に着くと田村に迎え入れられ、案の定検査検査で引きずり回された。どうせそのメニューを作ったのは名執だということがリーチには分かっていたが、ここまでする必要があるのかという疑問の方が大きかった。
 ひとそろい検査を受けて病室に運ばれたリーチは、田村に文句を言った。
「あのー……ただの打撲だと思いますが……」
 しかも個室のベッドに運ばれているのだから、過保護も良いところだろう。
「隠岐さん。聞けば頭にも木が落ちてきたんですよね。田中さんからちゃんと連絡を受けているんですよ。今は別に異常が無くても、体の中で内出血を起こしている場合があります。それに気が付かず、あっと思ったときには遅いんですからね。検査はきちんと受けてください」 
「ですが……たんこぶも出来ているみたいですし……内出血なんかは無いだろうと……」
 ぼそぼそとリーチが言うのだが、田村は首を横に振った。
「いいえ。隠岐さんは自分の身体を軽んじるところがあるので、貴方の言葉は信用できません。はいはい、文句を言わないで、結果が出るまでここにいて下さいね。逃げ出して捜査に戻っても、田中さんが追い返すと言ってましたよ」
「……厳しいですね」
 リーチは苦笑するしかなかった。
「それと、隠岐さんがやや疲れておられるようですので点滴をします。ちゃんとご飯を食べて下さいね」
「済みません」
 田村が点滴の針をリーチの腕に刺して固定させると早々に病室から出ていった。
『雪久さんがこのメニューを指示したんだろうね』
 くすくすとトシが笑いながら言った。
『だろうな……やりすぎだっての……。検査でどっと疲れたよ……CTスキャンまでやったんだぞ……眠くなるっての』
 ふあむとあくびをしてリーチは言った。
『折角だからちょっと横になったら?』
 トシは嬉しそうだった。
『ん……だな~。違う意味でも俺、疲れてるし』
 へへへと笑いながらリーチは意味ありげに言った。もちろんその理由をトシは知っている。
『またそんな恥ずかしいこと平気で言うだろ……もう』
『いーの。いーの』
 リーチは起こしていた身体をベッドに沈ませた。
 少しだけ開けられた窓から入ってくる風が頬を撫でていく。今、桜は満開なのだろう。見に行く時期を逃しそうだなあと考えながら、リーチは窓の外を眺めていた。すると扉をノックする音がした。
「どうぞ」
 名執だろうと思ったが、相手は遥佳であった。
「田村さんに聞いて……大丈夫ですか?」
 心配そうに遥佳は言う。清潔な白衣は遥佳によく似合っていた。
「ええ、大丈夫です。別にここにいなければならないほど酷い怪我など一つも負ってないのですが、主治医の先生が厳しいんですよ」
 暗に名執をほのめかしてリーチは笑みを浮かべた。
「名執先生ですね」
 遥佳がにこりと笑って言った。
「そうです。いつも本当に感謝しているのですが、時々患者に過保護になるのがたまに傷です」
 名執が聞くと逆に、身体を大事にしない人がいると言いそうだ。
「名執先生は尊敬できる方です。本当に患者さんを大切にされているんですよ。医学の知識もすごいですけど、オペをされる先生も素晴らしいです」
 これほど褒めてもらえると名執も本望だろうなあとリーチは考えていた。
「分かってはいるんですけど……刑事という職業を持つと、こんな風に横になっている時間も惜しいのですよ」
 困ったという顔でリーチは言った。
「隠岐さん」
 遥佳がこれから言おうとし考えたことを、一瞬でリーチは先読みした。
「なんでしょうか?」
 だが気付かぬ振りを続けた。
「私……」
 急に思い詰めたような表情で遥佳はこちらを見る。
「……言うと後悔するのではないですか?」
「私……後悔しません。私は隠岐さんに恋をしています」
 はっきりとした口調で遥佳は言った。
「私はそれに応えられません」
 間をおかずにリーチは言った。
「つき合っている方がいらっしゃるから?」
「そうです。その人が私にとって一番大切な人ですから、例え遊びでも裏切るような事をするつもりはありません。貴方に魅力が無いと言っているわけじゃないんです。遥佳さんはとても魅力的で性格も良い。だから遥佳さんが望めば、私より立派な方がいらっしゃいますよ」
 小さな笑いを浮かべながらリーチは言った。
「そんなこと……言わないで下さい。私の何処に魅力があるのですか?だって隠岐さんは私に魅力が無いから、私を選んで下さらないのでしょう?」
 潤んだ瞳で遥佳は言った。
「私が大切にしている方は一人です。私にとって魅力的なのはその人だけですから……」「私はお姉さんと違いますか?」
 大きな黒い瞳が涙に濡れている。どうみても春菜そっくりだった。
「貴方と春菜さんは本当に似てます。声も顔も……同じ瞳に同じ髪……。でも似ているけれど、貴方は春菜さんじゃないんですよ。違うのは当然だと思いますが……」
 遥佳の様子を窺いながらリーチは淡々と話した。
「同じ……です。お姉さんが感じた痛みも悲しみも……私は自分の事のように感じる……。なのに違うというのですか?」
 ギュッと口元を引き締めて遥佳は手を震わせていた。
「同じだと言われる方が普通嫌だと思いますが……」
 どうして遥佳が春菜にこだわっているのかリーチには理解できない。
「お姉さんと私はまるで双子のようにお互いを感じることもあったのです。お姉さんが亡くなった日も、私は苦しくて気を失いました。考えること、行動を起こすこと……離れていても私はお姉さんの事が分かった。いいえ感じたのです。だから隠岐さんに会ったときも、まるで他人の様な気はしなかった。むしろ懐かしいという感情の方が強かった。それにお姉さんが隠岐さんを愛したように私もそんな気持ちが……」
 胸の内をはき出すように遥佳は言う。
「止めなさい。貴方は遥佳さんです。春菜さんではない。いくら貴方が春菜さんと似ているとはいえ、貴方は違う人格を持った人です。貴方は貴方らしい生き方をすれば良いのです。似せようとしなくても良いでしょう……」
 ここまで来るとリーチは背筋に冷たいものが走った。
「似せようなどとは考えたことはありません。似ているんです」
「似ていません。これだけは断言しておきます。春菜さんと一緒にいた私が言っているのですよ」 
「……私は……」
 ぽろぽろと涙を流しながら遥佳は病室を飛び出していった。
『あー……リーチ泣かした』
 今まで後ろで興味深げに見ていたトシが口を開いた。
『うるさい。俺にどうしろっていうんだよ。こういうことはな、はっきり言わなきゃ……うげっ』
 入れ違いに名執が入ってきたのだ。遥佳が走っていく姿を見たのか、困惑した表情をしていた。
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