Angel Sugar

「沈黙だって愛のうち」 第2章

前頁タイトル次頁
 都合が悪そうな表情をしているぞ……
 祐馬の方をじっと見つめながら戸浪は思った。同じようにユウマもジロリと祐馬を見つめていた。そんな二人の様子に流石の祐馬も気が付いたのか、慌てて手を振った。
「あ、た、大したことじゃないよ。そんな目で見られるような事じゃないって~」
「ほお……そうか」
 それ以上何も言えないだろう。なにより祐馬の姉がいる前で、問いつめるような醜態を晒すわけにはいかないからだ。
「祐馬。何が大したことじゃないの?里江さんは楽しみにしていらっしゃるのよ。それなのに貴方は忘れていたとか言わないわね?」
 畳みかけるように舞は言って、やはり戸浪の方に向かって勝ち誇った表情をしていた。
 ……
 私を見るな。
 思わず戸浪は心の中でだけで呟いたが、実際は舞に向かって人の顔をジロジロ見るなと言いたかった。それほど舞は、最初玄関口から顔を合わせてからというもの、戸浪の顔ばかり気にしているようだった。
 こんなことがあったのはあの腹立たしい事件の時以来だ。
 気に入らない……
 こちらを見つめてくる舞の視線を真正面から受け止め、戸浪はジロリと睨みを利かせた。すると舞は小さくため息をついて、ようやく目線を祐馬に移した。
「それで、先方は会いたいとおっしゃっているのよ。お断りは出来ないわよ」
 きっぱりと舞が言うと、祐馬が「げえええ……」と嫌そうに言った。
「なんですか、その下品な言葉遣いは。常々思って来ましたけど、祐馬は最近どんどん言葉が荒くなってるわ。下品な付き合いをしているからじゃないの?」
 舞はチラと戸浪を見て、また視線を逸らせた。その態度が気に入らない。
「違うよ。俺、いつもこんなんだったじゃん。姉ちゃんが気持ち悪いほど丁寧なだけだろ?んも~一緒にすんなよ。俺は普通のサラリーマンで、姉ちゃんの旦那みたいに偉いさんと付き合いがある訳じゃないんだから、こんで良いんだよ」
 正座していた足を崩した祐馬は疲れたように言った。
「秀幸さんから聞いたわ。貴方、仕事を適当にしているそうね。字が違うと言っても祐馬も東家の係累よ。もっときちんとしなさい」
 イライラと舞はそう言う。
「え~関係ないって~。俺は三崎祐馬だもんなあ~。姉ちゃんは如月舞じゃん。もう全然東って名前とは関係ねえじゃんよ。俺、そういう家とか名前とかにこだわんの嫌い」
 ブチブチと祐馬は言って珍しく不快感を露わにしていた。そんな祐馬が戸浪は好きだ。
 のほほんとした性格はお坊ちゃんで育ったからではなく、多分元々がこういう大らかな性格をしているのだろう。戸浪とは違い小さな事に拘らない祐馬に対し、不満もあることはあるが、逆にどうでも良いことでウジウジと悩む戸浪のようなタイプには丁度良いのだ。
 問題があるとすれば押しの強さが無いことだった。
「何を言ってるの。ああもう、そんなことはいいわ。それより来週の日曜は時間を取るのよ。里江さんとお約束したんだから……」
 勝ち誇ったような顔を舞は戸浪に向けた。
 ……
 なんだこの女……と、思うが、何やら雲行きが怪しいのだけは戸浪にも分かる。
「えええーーーっ!なんでそんなこと勝手に決めてくんだよっ!俺はなんも言ってねえじゃんか!」
 いきなり祐馬は立ち上がってそう叫んだ。
「約束は約束でしょう。男の癖に、男の方から約束を反故にするってどういう了見かしら。貴方そこまでふぬけになったわけじゃないんでしょう」
 冷たく突き放す舞は、祐馬の怒鳴り声になどにこれっぽっちもひるんでいないのがわかる。ようするに、立場的に言えば姉の舞が祐馬よりも強いのだ。
 それは見ていて良く分かる。
「つうか……里ちゃんとのことは俺の問題じゃんか。なんで姉ちゃんが間に入ってくるんだよ……」
「貴方がはっきりとした態度を取らないから私の方にとばっちりが来たんでしょう!」
 とばっちりという言葉が、何故か強調されていた。
「……うう……」
 口では勝てない祐馬は唸りながらまた座った。それを見た舞は満足そうな表情で言った。
「私が言いたかったのはそれだけ。だからもうおいとまするわ」
 優雅に立ち上がった舞はニッコリではなく、にんまりとしている。
「……姉ちゃんお昼は?」
 そんなことを聞くか?
 と言うようなことを祐馬は言ったが、これが祐馬なのだろう。戸浪には情けないとしか言いようがない。もっと他に反論することがあるんじゃないのか?そう思うのだが、祐馬には無理だという諦めた気持も戸浪にはあった。
「結構よ。肉は嫌い」
 最後にそう言って舞はそのままリビングを出ていった。祐馬は見送ることもせず、玄関の開閉する音を聞き終えた後、はあと大きなため息をついた。
「……どう言うことだ?」
 隣りに座る祐馬をジロリと見つめて戸浪は言った。
 例え姉であろうと、あれだけ言われて反論できない祐馬にイライラしているのだ。 
「姉ちゃんのことか?」
「違う。里江という女のことだ」
 間抜けにも程がある。
「……あ~ちっちゃいときの友達だよ。今頃蒸し返してくると思わなかったって……」
 言って笑う祐馬だが、戸浪は笑えないのだ。
「ちっちゃい……なんだそれは。幼なじみか?」
「幼なじみっていうほどのものじゃないけどさあ……」
 戸浪が舞のために入れた御茶を何故か祐馬が飲んでいた。むろん、舞は口を付けることをしなかったが、そんな祐馬のデリカシーの無さに戸浪は呆れていた。
「それはお前の茶じゃないだろう?」
「姉ちゃん飲んでないんだからいいじゃんか……。はあ……どうしようかなあ……来週だよな……来週の日曜って言ったよな?」
 ……
 わ……
 私に聞くのか?
 あまりにもむかついた戸浪は祐馬の頭を殴った。
「あいてっ……んも~おこんないでよ……」
 これで怒るなと言う方がおかしいと思うのは何か間違っているだろうか?いや、当然のことだと戸浪は自分に言い聞かせた。
「お前が悪いのだろう?祐馬の事情をどうして私に聞くんだ?不愉快だ」
「……ごめん……」
 言いながらも肩を落としている祐馬であるのだが、何がどうなっているのか戸浪にはいまいち理解できない。
「……私には良く分からないんだが……お前はその里江さんという人とどういう約束をしたんだ?それで何を今、果たさなければならないんだ?」
「……今頃それが有効なのかどうかしらないけどさあ……。俺、小学校四年生くらいの時に、里ちゃ……いや里江さんと将来のちょっとした約束をしたんだよ……」
 困惑した顔で祐馬は言った。
「それの何処が、大層な約束になるんだ?普通誰でもするような可愛らしい約束だろう?それが何故大人になってどうして有効になるんだ?」
 小さい頃に交わす「結婚しようね」等という言葉は、掃いて捨てるほど交わされている筈だ。それが将来に置いてまで有効で、しかも本当に結婚まで行くのはまれだろう。大抵は幼い子供が大人の真似をしているだけなのだ。
「俺もそう思うよ……。んでも姉ちゃんは里ちゃんと仲良しなんだ……」
 ……
 も……
 もしかして……
「姉ちゃんと仲良しって……もしかすると、お姉さんと同級生か?」
「あ~……そうなるんだな……。だから幼なじみとはちょっと違うんだ」
 はははと笑って祐馬は言ったが、戸浪は逆に顔を怒りで赤く染めた。
「お前はそんな小さな頃から年上が好きだったのかっ!」
「うわっ!そ、そんなんじゃないよ……」
 両手を振って祐馬は言うが、こればかりは納得がいかない。
「何を誤魔化しているんだっ!里江さんという人とお前の姉さんが同級生ならそうなるだろう?」
「……ま……まあそうだけど……」
 年上……
 祐馬は年上が元々好きなのだ。
 戸浪はその事実にショックを受けた。戸浪が戸浪であるから祐馬は好きになってくれたと思っていたからだ。だが、好きであるという理由の、僅かかもしれないが、年上というファクターも含まれていると言うことに戸浪は気が付き、非常に不愉快になった。
「……お前は……」
 握りしめた拳が再度祐馬の頭にぶつけたくて仕方が無かったが、戸浪はその衝動を抑えた。
「飯……飯にしようよ……」
 誤魔化すように笑う祐馬が戸浪にはとにかく腹立たしくて仕方がない。そんなことを考えていると、ユウマが祐馬の膝に爪を飛ばした。
「ぎゃああっ!いてええっ!なにすんだよ!俺、なんもしてねえじゃんよ!」
「にぎゃーーーっ!」
 歯をむき出しにして怒っているユウマの姿を見た戸浪は、自分の気持ちを代行してくれているように思えてやや気持が収まった。だからといって、全てに納得したわけではない。
「と、戸浪ちゃん助けてよ……!」
 お盆でユウマを牽制しながら祐馬は言ったが、今そんな気持など戸浪にはさらさら無かった。
「それで、結局来週末会う気でいるのか?」
「……しかたないじゃん。姉ちゃんの顔、潰すわけにもいかないし……」
「潰すって……お前、それでいいのか?」
 普通……
 普通は断らないか?
 それに、約束とはいえ幼いときに交わした事を馬鹿正直に受ける祐馬も祐馬だ。嫌なら嫌だと断れば良いことであるし、小さい頃の戯言だと言えばまたそこで逃げられるだろう。
 だが祐馬は週末に行くと約束した。一体どういうつもりで祐馬が了解しているのか戸浪には全く分からないことであり、理解しがたいことであった。
 私の立場はどうなる?
 祐馬と今一緒に暮らし、そして夜のお勤めは少ないとはいえ、体の関係もあるのだ。言うなれば恋人同士と言える。そんな戸浪を隣りに、何故女性と会う約束が出来るのか分からない。
「里江さんと姉ちゃんって、ほんと仲がいいからね……」
 違う……
 違うだろう。
 お前の意志はどこにあるんだ?
 要するに見合いを姉は持ってきたのだ。それをどうして了解できるのかと戸浪は言いたいのだが、のほほんとしている祐馬の態度に呆れすぎて言葉が出なかった。
「……もういい……」
 戸浪は立ち上がってそう言った。これ以上祐馬と話をしたところで腹が立つことしかないからだ。
「……あれ、肉食わないの?」
 肉……だと?
 肉がどうして今、問題なんだ?
 問題なのは……
 来週末の見合いだろう?
 違うか?
 違うのかっ!
 眉間に皺を寄せてジロリと祐馬を睨むと、目線を逸らした。それすら戸浪には腹がたつ。
「肉なんぞ食うかっ!」
「……んだよ~……最近戸浪ちゃんって男の生理、頻繁に来すぎだよ……」
 ため息つきつつ祐馬が言った。
「そういう言い方をするなっ!お前が悪いんだろう?違うのか?」
 大体……
 折角のクマは使い所もなく不気味にぶら下がったままで、相変わらず祐馬は手をだしてこない。その上、普通は恋人に気を使うはずが、姉に気を使っているこの状態を耐えろと言うのか?
「……カリカリしすぎだって。なんかさあ、マジ怒ってばっかじゃん。俺だってそういう戸浪ちゃんばっか見てるの嫌だよ……」
 珍しく反抗的に祐馬が言い、ホットプレートの線をコンセントに差していた。
 ……む……
 むかああ……
「私はそんなに毎日、毎時間、毎秒、怒っている訳じゃない。きっかけを作っているのはお前だろう?」
「もういいよ。勝手にすれば?俺は腹減ったから肉食うの」
 こちらを見ずに祐馬は言って立ち上がると、キッチンに向かって歩いていった。残りの材料を取りに行ったのだろう。
 なああお……
 ユウマが体を擦り寄せてまるで戸浪を慰めるように鳴いていた。同じ名前を持っているはずが、猫の方が優しいという事実が戸浪には非常に悲しく思えた。
「ユウマ……お前は優しいな……」
 黒い体を撫でていると、祐馬が野菜を入れた皿を持ってきた。
「……んも、さあ……へそ曲げてないで飯食おうよ……」
 チラリとこちらを見ながら祐馬が言うのだが、いちいち棘のある言い方をするのが気に入らなかった。普通にどうして言えないのだろうと腹がたつより戸浪は辛かった。
「……一人で食べると良いんだ……」
 意地を張っている自分を自覚しているのだが、ここまで来ると引っ込みがつかないのも戸浪の性格だ。
「あーそう。いいよ。んじゃ俺一人で食うよ。んだよ……ちょっとしたことでいちいち怒るなよ……」
 ちょっとしたこと……
 ちょっとしたことだろうか?
 私はそれほど狭量な性格をしているか?
 だがどう考えても戸浪には納得がいかない。
 見合いを了解している祐馬の気持ちが全く理解できないのだ。
「ユウマ……おいで……」
 戸浪はユウマを抱き上げてリビングから出た。これ以上ここにいると祐馬と更に険悪にをなりそうな気がしたからだ。性格的に譲ることも引くことも出来ない戸浪には、それを分かっていながらここに居続けることができなかった。
 
 寝室まで引き上げてくると、戸浪はベッドに体を伸ばした。ユウマも一緒にベッドに体を伸ばしていた。
「ユウマ……」
 愛猫の名前を呼ぶと、またいつものゴロゴロという喉を鳴らす音が聞こえてきた。
「……なあ、私が意地を張りすぎるのか?どう思う?」
 猫のユウマに問いかけても答えなど返ってこないことは分かっているのだが、戸浪はそう言った。
「……まあ……確かに多少は……なんていうか……意地を張ってると自分でも自覚してるが……」
 ユウマから視線を外し、寝室の窓から見える景色を眺めながら戸浪は呟くように言った。少しずつ冷えてくる頭が、興奮していた気持を落ち着かせてくれる。
「……そういえば……ちょっと祐馬は変だったか?」
 先程の祐馬のことを思い出しながら戸浪はそんな風に思った。何時もと少し態度が違ったような気がする。もしかすると仕事で何かあったのかもしれないという考えにたどり着いた。
 普通こんな風に言い合っても、祐馬は絶対に引いてくれるのだ。それは何時も戸浪がありがたいと思っている事であるが、今日は違った。
 何かあったのか?
 だから祐馬がカリカリしているのか?
 ああいう祐馬は珍しいのだ。だから余計に戸浪はどうして良いか分からない。
 ……
 私が謝れば良いんだろうが……
 ん?
 問題が変わってないか?
 祐馬が例え、今日、何か会社で苛ついて、あんな態度を取ったにしても、姉の言うことを素直に聞いて、見合いを了解したのは他ならぬ祐馬だ。この点に関して戸浪は怒っているのだから、当然と言えば当然だ。
 それに対して、どうして戸浪から謝り、そして引いてやらねばならないのか。
 そうだ……
 私は怒って良いのだ。
 祐馬が悪いんだから……
 その事を考えると又戸浪は腹が立ってきた。
 私は一体なんだ?
 恋人なのに……
 祐馬の恋人であるはずなのに……
 何かが掛け違っているような奇妙な感覚に、違和感を覚えながら戸浪は目を閉じた。
 
 一人取り残された祐馬は、やはり意地になって一人で肉を食べていたが、それもだんだん虚しくなってきた。
 んだよ……
 むかつく……
 肉を掴んでいた箸を机に放り投げ、祐馬は体を後ろに倒して床に寝転がった。
 俺がいっくら色々計画しても全滅してるんだもんな……
 チラリとボロボロのクマを眺めながら祐馬はため息をついた。何をやっても戸浪は喜ばない。いつだって祐馬一人が空回りしているのだ。
 そんな自分が情けない。
 年下だから……そんな考えなど持ちたくないのだが、何処か祐馬は戸浪に遠慮している部分がある。こればかりは本当のことであるから否定できない。もちろん、男らしく胸を張って戸浪を引っ張ることが出来ると良いのだが、それをしようとするととたんに戸浪の機嫌が傾くのだ。
 結局の所、戸浪から見ると祐馬は年下の子供なのだろう。
 恋人同士ってこういうもんじゃないよな……
 その考えにここ暫く取り憑かれている祐馬なのだ。だから色々戸浪に対してリアクションを起こすのだが、その度に殴られて追い払われている状態を繰り返していた。
 俺……
 対等に見られてない?
 どう頑張っても縮まらない歳の差は、たった三つであるのに埋まらない。この差をなんとかしないと、ラブラブな日々など永遠に来ないだろう。
 普通の恋人同士になりたい……
 エッチだって毎日とは言わないから、普通にしたいのだが、誘ってもなかなか事が進まない。そのうちうやむやになっているのだから、これで本当につき合って、しかも同じベッドに寝ている実感など涌くわけがないのだ。
 はあ……
 俺だって性欲あるんだって……
 どうしてこう、上手く行かないのか祐馬の方が聞きたいほどだ。何をやっても戸浪の機嫌を損ねるばかりで、思い通りにならない。ひねり出したアイデアから、クマのぬいぐるみをぶら下げているが、あれを合図に使ったことなど皆無だ。祐馬がどんな気持であのクマをぶら下げたか戸浪は絶対に理解しているはずであるのに、今では気持ち悪いだの、捨てろ等、酷いことばかり言うのだから、いくら打たれ強い祐馬であっても落ち込むことだってある。
 少し前、もう絶対に一緒に暮らせないと思った事件があったが、それでも今こうして二人で暮らしている。あれだけのことを二人で乗り越えたのだから、これからは変わるんだ……と思っていたがその予想は見事にうち砕かれていた。
 全く変わらないのだ。
 何時もと同じ、しかも状態は益々悪くなっているような気がするのは祐馬の気のせいだろうか?
 恋人と暮らしているはずであるのに、単なる同居人のようになっている今の現状がこれからも続くのだと考えると無性に虚しくなるのだ。戸浪は元々淡々とした生活を好むタイプであるのは知っている。だから、祐馬が今の状態に不満を持っていたとしても、戸浪はこれで良いと思っているのだ。
 これが本当に恋人同士か?
 そんな疑問が沸々とわいてくる。
 俺は……
 いつまで年下でいなきゃならないんだろ……
 何処までいっても変わらない歳の差を縮めようと思っているわけではない。ただそれを感じない関係に祐馬はなりたいだけなのだ。
 でなければ、いつまで経っても二人はこの状態で続いていくだろう。多分、根を上げているのは祐馬なのだ。
 祐馬が戸浪に求めているのは普通の恋人同士の関係だった。
前頁タイトル次頁

↑ PAGE TOP