Angel Sugar

「沈黙だって愛のうち」 第20章

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「駄目駄目。戸浪ちゃんも、そゆの駄目だから……。俺は、今戸浪ちゃんとの生活に満足してるんだ。だから今の生活が乱れるようなことはしない」
 笑って祐馬は言った。
「そうなんだ……。なんとなくそんな気がしたけどね……」
「ていうかさあ、姉ちゃんまだ小さい頃の夢を諦めてないのか?俺、それが聞きたいんだけど、恐ろしくて姉ちゃんには聞けないよ」
「あはは。世界征服なんて、考えてないわよ」
 そう、三人で約束したことの一つに世界征服があったのだ。今から考えるとどうしてそんな夢を語ったのか祐馬には思い出せない。それほど遠い昔の話だ。
「……良かった。マジで、姉ちゃん女帝にでもなるつもりでいるんだと思ったよ。だって、本気で狙いそうだろ?」
「やあね~そんなのいくら舞ちゃんでも、もう大人なんだから考えてないわよ。まあ、東グループの中枢に秀幸さんを据える気にはなってるみたいだけどね。私は……やっぱり世界を股に掛けてビジネスをやってみたいかな……」
「……なんだか、二人ともすごい夢を持ってるんだなあ……頑張ってよ」
「頑張ってよ……か。私、見合いでも良かったんだけどね。祐ちゃんとなら、一緒に仕事出来そうだと思ったから……」
 小さな声で里江は言う。祐馬は聞こえていたが、聞こえない振りをして、人工池で泳いでいる鯉を眺めていた。
「俺は……このまんまでいい。恋人と肩を寄せ合って日々暮らせたら満足だよ……」
 ぽつりと言った祐馬の言葉に、里江はもう何も言わなかった。



 戸浪がホテルに到着すると、ロビーで絵理が紺色のスーツ姿で座っていた。以前会ったときとは違い、髪を一つにまとめず、小さなビーズのついた髪留めを後ろにつけて、肩に下ろしてる。別人だと言われたら、そう見えてしまうほど、今日は可愛らしく変身していた。
「お待たせしましたか?」
 戸浪が声を掛けると、椅子から飛び降りるように立ち上がり、真っ赤な顔で頭を下げた。
「こ、こんにちは」
「この間はどうも……」
 戸浪は絵理の前に座って笑みを浮かべる。
「なんだか……恥ずかしいところ見せた記憶しか思い出せなくて……。こういうの初めてだし……もう、どんな顔をしていいか自分でも分からないんです……」
 一度椅子から離した腰を、再度下ろして絵理は俯き加減に言った。
「緊張しないで良いですよ。私、すぐに帰りますから……」
 食事くらいしてもいいだろうと、一瞬考えたものの、長居をすると相手に期待させてしまうだろう。それも酷だと戸浪は思ったのだ。
「……え?」
 さすがに絵理も驚いた表情になる。
「申し訳ない。どういった経緯でこの話が私の方に回ってきたのか分からないんですが、私には、おつきあいしている人がいるんです。先にそれを申し上げておいた方が良いだろうと思いまして……」
 言いにくいことではあったが、戸浪は一気にそう話した。
「……そう。ですよね。こんなに格好いい人だもの……なんとなくそんな気がしてました。例のぬいぐるみは彼女に買ってあげたんですよね?」
 彼女に……ではないが、戸浪は頷いた。
「本当に申し訳ないんですが……」
「そ、そんな風におっしゃらないで下さいっ!私……私は……。ちょっと格好いい人だからどういった方か知り合いに調べて貰うつもりだけだったんです。それが……なんだかこんな話しに膨らんじゃって……」
 鼻の頭をまで真っ赤にしながら、相変わらず絵理は俯いたままだ。
「どなたに頼まれたのですか?」
 何となく嫌な予感というか、多分そうではないかという確信に似たものが戸浪の頭を過ぎった。
「お友達が……その、色々とコネを持っていて……」
「……友達ですか?その方、如月舞さんとおっしゃいませんか?」
 じ~っと、戸浪が絵理を見つめると、小柄な身体が更に小さくなったように見えるほど、絵理は肩を竦めて頷いた。
 あの……
 あの女~!
 やっぱりそうかっ!
 はらわたが煮えくりかえるとはこのことだ。
 とはいえ、顔に出すわけにもいかない。絵理も、舞の計画に踊らされたようなものなのだ。絵理に対してはこんなくだらない内輪の問題に巻き込み、申し訳ないという気持ちの方が強い。
「ご、ごめんなさい。でも、私……澤村さんに会えて嬉しいんです。だって……一目惚れだったから……あ……」
 言うつもりの無かった言葉を出してしまったのか、口を開けたまま、絵理は自分の言ったことに呆然としていた。
「……その……もし、誰ともつき合っていなかったら……きっと絵理さんとおつきあいしていたと思います」
 社交辞令ではない、半分本気で戸浪は言ったつもりだったが、絵理の方は可哀想なほど顔を赤くしたまま、口を閉ざしてしまった。
「……本当に……なんて申し上げたら……」
 こういう場合、どうすればいいのか戸浪も分からないのだ。はっきり言って女性とつき合ったことがない戸浪だから、扱い方など思い浮かばないし、いい言葉も出ない。こうなると食事くらいつき合った方が良いのだろうかという気持ちにすらなる。とはいえ、戸浪は本当にこの場からすぐに逃げ出したいのだ。どちらかが言い出せば良いのだろうが互いに言葉を失っている今、談笑など出来るわけなど無いだろう。
 二人でにらみ合うような格好で沈黙していると、絵理の携帯が鳴った。
「あ、済みません。電源切るの忘れてました……」
「どうぞ、気になさらないで取ってください。緊急だと大変ですし……」
 にこやかに戸浪が言うと、絵理は鞄を抱きかかえるようにして、ソファーから腰を上げると、通路の方に向かって走り、戸浪から離れたところで携帯を取っていた。
 可哀想に……
 穴があったら入りたいと思っているに違いないぞ。
 あの舞が悪いんだな。
 余計なことばかりする……。
 苛々と、時計の針を見つめ、メールをチェックしてみるが、連絡はまだない。
 今頃祐馬が何をしているのだろうか。どうせ仲良く食事でもしているに違いない。祐馬というのはそう言う男だ。すぐに帰ってくるなどと言っていたが、祐馬には絶対に出来ないだろう。両親の顔に泥を塗るような行為を、気の優しい祐馬がするわけがないから。
 最後までつき合って、見合いが終わった後に、断るのだ。聞かなくても戸浪には分かっていた。分かっていても苛々する原因となっている。
「あの……済みません。仕事でトラブル出ちゃって……。私、このまますぐに現場に行かなければならなくなってしまったんですが……」
「え、あ、どうぞ。行ってください。仕事のトラブルは、時間が経てば経つほど問題も大きくなります。逆にクライアントの評価は下がりますしね」
 ありがたいと思いつつ、戸浪が立ち上がると、絵理がぽつりと言った。
「今度……またお会いできますか?」
 その言葉に、戸浪は左右に顔を振った。心苦しくあったが、期待は持たせたくなかった。
「……そっか。仕事上で会ったときはまたよろしくお願いします」
「もちろん。仕事なら……ね」
 寂しそうに笑った絵理の顔が、暫く戸浪の心に焼き付いていた。



 戸浪は何故かプリンスホテルまでやってきた。
 別に、意味など無い。
 祐馬達の様子を窺いに来たわけでもない。ただ、ここのケーキが美味しいと噂で聞いていたからちょっと寄ってみただけだ……と、自分に言い聞かせ、ロビーをそろそろと歩いていた。周囲を窺ったところで、多分、何処かのレストランか、料亭にいるにちがいないのだから、ここで会えたら奇跡だろう。
 暫くロビーをうろつき、フロントまで移動したが、数十分後には戸浪も諦めて、一階にあるケーキ屋で噂のショートケーキを買い込むと、ホテルから出ようとした。
 だが、ホテルの一階からも見える日本庭園に、祐馬の姿を見つけた。隣には女性の姿も見える。あれが、里江かもしれない。
 戸浪は大きなケーキの箱を持ったまま、一階にある吹き抜けの通路を抜けて、庭園の方に出るガラス扉を抜けると、大きな木に向かって小走りに走った。身を隠さなければ、戸浪の存在がばれてしまうからだ。ここで見つかったら、どんなことになるか想像がつかない。だからといって、何も見なかったと自分に言い聞かせて帰ることが出来なかったのだ。
 戸浪は木の幹に隠れながら、頃合いを見計らい、隣の木に走る。そうやって、少しずつ二人との距離を縮めた。すると、祐馬と話していた女性は例の里江ではなく、舞の方だった。憤慨しているのか、かなり距離があるにもかかわらず、怒鳴り声がここまで響き渡ってくる。
「一体全体、どういうつもりなの!どうして私がこれだけ骨を折ってるのか分かってる?貴方達の為なのよ」
「姉ちゃん……でかい声で叫ぶなよ……。父さん達に聞こえたらどうするんだって……」
「五月蠅いわね。あんたに口答えする権利なんて無いんだから。ほんと……もう、里ちゃんの約束まで反古にするなんて、最低よ」
「姉ちゃんは世界征服するんだろ。勝手にしてくれていいから」
 と、祐馬が肩を竦めて言った瞬間、舞のバックが祐馬の頬にヒットした。
 あれは痛そうだな……と、戸浪は同情しつつも、世界征服とは何だろうと考えていた。あまりにも常識とかけ離れた会話であったので、戸浪も首を傾げていたのだ。
「いってえよっ!」
「そんな、小さな頃の話を持ち出さないでよ!」
「持ち出してきたの姉ちゃんだろ……俺は、嫌だっての……」
「祐馬。いいこと、あんたはね……やだ。やだわ……あっちもぶち壊して来たんだわ……も……もうううう……貴方達って最低よ」
 ハッと気がついたときには遅く、舞と戸浪は目が合ったのだ。会話が気になり、あまりにも近寄った為に見つかってしまったのだ。
「わあ……戸浪ちゃん、来てくれたんだ~」
 祐馬だけが嬉しそうに笑っていた。走って逃げるか?と、一瞬考えたが、見つかってこそこそ逃げ出すのも、自分が悪いことをしたのを認めることになる。
 仕方なしに戸浪は祐馬の方に向かって歩き出した。
「貴方、貴方まで折角私が計画した見合いをぶち壊してきたのね」
 腕を組み、仁王立ちの舞は、戸浪にまで激しい口調で言う。
「ああ。そうだが。最初から、そのつもりだった」
 冷ややかな瞳で戸浪は返す。だが、舞は一向に堪える様子もなく、ため息だけをつく。
「いいわ。二人ともそろっているし、良く聞きなさいよ」
「何だよ姉ちゃん。俺、里ちゃんにはちゃんと話したし、もう、戸浪ちゃんと帰るよ」
「待ちなさい。まだ言いたいことがあるのよ。帰るつもりなら、最後まで聞いてからにしてちょうだい」
 逃げ腰の祐馬にピシャリと舞は言い放つ。
「どうする?戸浪ちゃん」
「聞かせて貰おうか」
 戸浪も腹をくくっていた。
「いいこと、よく聞きなさい。私はアゲマンなの」
 脈絡のない、突然の言葉に二人は目を見開いたまま、自信満々に立っている舞から目をそらすことが出来なかった。
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