Angel Sugar

「沈黙だって愛のうち」 第4章

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 店に着くと駐車場に車を入れて、戸浪はユウマを入れた籠を持って外に出た。外は晴天で温かい太陽の陽が照っているのだが、庇のある駐車場はヒンヤリとしており、逆に心地良い。
 家族を乗せた車がどんどん通り過ぎるのを戸浪は避けるように歩行者専用の通路に入り、出来るだけ籠を揺らさないように歩いた。
 四階建ての駐車場から一階に下り、ショッピングセンターの方へと歩く。すれ違うのはやはり家族連ればかりだ。中にはそれをどうするんだと言うほどの大きさのぬいぐるみを持っている父親と子供達もいる。ぬいぐるみだけでなくペットショップも店内に入っているのか、時折ペット専用の紙箱を持った子供も見かけた。
 どの子供も嬉しそうな表情をしている。やはりぬいぐるみやペットはなににもまして子供達のアイドルなのだろう。
「ユウマ……大人しくしてろよ?」
 チラリとユウマの方を向いて戸浪は言った。するとユウマの方もこちらを見て小さく鳴いた。分かってくれているようだ。
 ショッピングセンターは横に長いタイプで二階建てになっており、屋上に何やら簡易遊園地がある。多分子供達をそこで遊ばせるために作られているのだろう。
 戸浪は自動ドアを抜け、店内に入り何か適当なぬいぐるみが無いかどうかを探そうとした。だが驚いたことに、どこもかしこもぬいぐるみや人形に溢れており、選ぼうとしても数が多すぎて目眩に戸浪は襲われた。
 これほどとは思わなかった……
 専門店を探したのが悪いのか、それともこういう店に入ったことがないから動けなくなっているのか分からない。
 どうする……
 クラクラしてきたぞ……
 通路は一メートル半ほどあるが、その両側にスチール製の棚が立ち並び、前も後ろもぬいぐるみだ。何処を見てもふわふわした毛のぬいぐるみが大小さまざま飾られている。しかも種類によって色々なメーカーがあるのか、毛の長いタイプのものもあれば、フェルトタイプのものもあり、戸浪は口を開けたまま茫然とするしかない。
 とりあえず……
 く……
 クマだ!
 戸浪は店内のあちこちにぶら下がっている案内板を眺めて、クマのコーナーを探した。もちろん、別にクマにこだわる必要はないのだろうが、ウサギやパンダなどちょっと戸浪も困る。慣れもあるのか、やはりクマが良いと戸浪は思った。
 クマのコーナーは突き当たり左の壁全面にあった。しかもブームなのか、そこだけはテーブルがセットされて人気のクマが沢山首にリボンをつけて鎮座していた。
 テディベアというやつだな……
 私にはどれも同じ顔に見えるが……
 クマが沢山乗せられているテーブルに戸浪はユウマの籠を置くと、以前あったようなクマを探した。当然ユウマに何をされても堪えないような頑丈なタイプが良い。戸浪は棚から手頃なタイプを右と左に持ち、クマを見比べ唸る。何故か同時にユウマも唸っている。
「ユウマ……なんだ?」
「ふにゃふにゃ」
 透明なプラスティックの窓をガリガリと掻き、何故か不機嫌だ。もしかして今手に持っているタイプは嫌だと言いたいのだろうか?
 不思議な猫だなあ……
 感心しながら戸浪は、ユウマの分も買えば良いのだと思った。なら戸浪達のクマを玩具にすることもないはずだ。
 そうか……
 最初から二つ買えば良かったんだ。
 戸浪はそう決めると先にいくつか手頃なサイズのクマをユウマの籠の前に並べ、次に自分の分を決めることにした。だが当然、ユウマの分を買うとはいえ油断はならない。とにかくユウマの攻撃にびくともしない頑丈そうなクマを選ぶのだ。
 棚の中で一番頑丈そうであったのは、レザー張りのクマなのだが、これはちょっと表面がツルツルしすぎて可愛げがない。かといって柔らかいタオル地のクマはまさにユウマの餌食と化す。
 困ったな……
 チラリとユウマを見ると、うーうーと唸って自分の籠の前に並べられたクマを眺めている。気に入ったのがあったのか。
 大きければ多少何があっても堪えないかもしれない。そう結論付けた戸浪はもう一度クマが並ぶ棚を眺めた。すると抱きかかえるくらい大きなタイプのクマが下の段に見えた。
 でかすぎるか?
 いや……まあ……ソファーに座らせておけばいいんだし……
 そのクマは座った状態で体長一メートルほどの高さがある。触ると流石にしっかりした縫製がされており、目も鼻も頑丈についていた。旗は持たせることは出来ないだろうが、首に巻かれているリボンが取り外し自由になっているようだ。
 これを合図にすればいい。
 戸浪はこの大きなクマを買うことにした。値段を見ると一万円もしたが、まあこの位の出費なら腹も痛まない。
「ユウマはどれにするんだ?」
 大きなクマを担ぎ上げてユウマを覗き込むと、好みだろうと思われるクマの方を向いて喉を鳴らしていた。
「これか?」
 ユウマの向いている方向にあるクマを持ち上げると、それだといわんばかりに鳴く。毛足の長そうなクマは、目と鼻がフェルトでできており、いかにもユウマの爪に合いそうだ。
 戸浪はそのクマも手に持つと、ユウマの籠を持ち上げてキャッシャーに向かった。
「プレゼントですか?」
 大きなクマと小さなクマをテーブルに置いた戸浪に向かって、どう見てもアルバイトだという感じの女性が聞いてきた。ここで違うと言えばなにやらクマ愛好家に見られるのではないかと思った戸浪は「プレゼントです」と、言った。
「あ、別々に包んでください」
 付け加えるように言って、戸浪は包装が終わるのを待っていたが、ユウマがうごうごと鳴いていることに気が付きいた。
「どうしたユウマ……」
 籠を見ると舌をだして荒い息をしている。
「もしかして暑いか?」
「ふにゃああ……」
 暑いようだ。
 それは先程から戸浪も感じていたが、どうもこの店内の空調が余りうまく動作していないようで、空気が淀み、更に温度が普通より高いのだ。もちろん猫は暖かいところを好む生き物なのだろうが、暖かいにも限界があるだろう。
「すみません、ちょっとお時間頂けますか?」
 アルバイトの女性は、滅多に売れないであろう巨大なクマを包装するのに格闘していた。
「あ、じゃあ……屋上にでもぶらりと出てきますので、その間に包装お願いします」
「あの……メッセージはどうさせて貰いましょう……」
 ……
 プレゼントにはありがちなメッセージか!?
 どうする?
「そ、そうですね。祐馬君へ。何時もありがとう。と、書いて貰えますか?」
 自分で言って恥ずかしかった。何がありがとうなのかも自分で言いながら良く分からないのだが、誕生日でもないのに、お誕生日おめでとうとは言えない。甥っ子もまだいない状況であるからこういう物を小さな子にプレゼントしたことも皆無だ。
「分かりました。本当に済みません」
 アルバイトの女性はぺこりとお辞儀をして、戸浪に言った。礼儀の良い子だと思いながら戸浪は早速屋上に上がることにした。そこでユウマを出してやったら少しは涼めるはずだ。
 ブラブラと戸浪は階段をあがり、屋上に出た。すると小さな子供を連れた母親や父親が、小振りのメリーゴーランドに子供を乗せたり、機関車に乗せたりして愉しんでいる。だが丁度屋上の左端が工事中という垂れ幕が建物の上から被さり、見慣れた緑のロゴが見えていた。
 なんだ……
 東都系列か……
 屋上に新しい施設を作ろうとしているのか、そちらから聞こえる音がかなり五月蠅い。しかも別に遊園用の音楽が流されているのだが、それと混ざり合ってやや気になる。
 大人達は時折響く鉄骨を打ち据える音にどうしても視線を工事現場の方に向けがちであったが、子供は全く気にならないようで自分達の遊びに夢中だ。
 戸浪は屋上右にある屋台が一列に並んでいる前に設置されたパイプ椅子に座り、丸テーブルに籠を置くと、ようやくそこでユウマを外に出した。やはり暑かったのか、籠を開けた瞬間、手にむうっとしたなま暖かい空気が触れた。
 一応空気穴はあるのだが、狭い籠の中でユウマによって暖められた空気がそこに澱んでいたのだろう。
「うごうご……」
 鳴いているのか、喉を鳴らしているのか分からない奇妙な声でユウマは籠から出てきた。何が言いたいのか戸浪には理解できないが、ユウマが今不機嫌に思っている事は戸浪にもわかった。
「暑かったな……はは……すまない」
 ユウマはテーブルの上でうーんと伸びをして、姿勢良く座る。屋上を渡る風はそれほど強いものではなく、背筋を伸ばしているユウマのヒゲや、背の毛をユラユラと揺らしていた。
 ユウマは普通の猫より綺麗だと戸浪は思っていた。もちろん戸浪も祐馬も普段からユウマの手入れをかかさないのもあるが、身体を包む真っ黒な毛は光沢があり、しかも触れると柔らかい。そして体のラインに沿って波打つ毛はあちこち光を反射して、これでもかと言うほど艶があるのだ。なにより小さな顔についている黄金色の瞳は、安物の宝石ではない。曇りのない澄んだ黄金だ。いつ見ても、戸浪はこのユウマを誇りに思える。
 これが親ばかだと世間一般に言われていることは戸浪は知らない。
「なんなら、ハムは無いだろうが、フランクフルトでも食べるか?折角ここまで来たんだしな……」
 ユウマの好物はハムだった。
「にゃう……ゴロゴロゴロ……」
 嬉しいのかユウマは猫なで声を上げて戸浪の手に擦り寄ってきた。
「ちょっとここで待ってろよ」
 戸浪は立ち上がり、屋台に向かうと、フランクフルトを二本買い、片方には何も付けないように頼んで受け取る。そうしてきびすを返して席に戻ろうとすると、ユウマの座っているテーブル近くを通りがかかる親子連れの子供が「あ、猫ちゃん……」と口々に声を掛けているのが見えた。
 ユウマが彼らに威嚇するのではないかと戸浪は心配したが、可愛いだの、綺麗だのと言われるのを喜んでいるのか、当のユウマは胸を張り、気取ったように顔を上げていた。
 一応……
 ポーズを取っているのだろうな……
 まあ、人間嫌いにならなくて良かったが……
 最近のユウマはかなり落ち着いたのだ。集金に来る人に毛を逆立てたり、回覧を持ってくる人に唸ったりすることは無くなった。一度は人間に捨てられ不信感を募らせていた猫も、ようやく人間にも色々なタイプがいることを知ったのだろう。
「ユウマ……人気者だな……」
 戸浪が椅子に座り、買ってきた何も付けていない方のフランクフルトを箸で小さく切って口元に運んでやると、ユウマはパクリと噛みついてきた。
「ふが……ふご……」
 少し大きく切りすぎたのか、頬をまん丸に膨らませてユウマは食べている。
「ゆっくり食べるといいよ……はは……悪かった……大きく切りすぎたんだな……」
 それでもユウマは初めて知ったフランクフルトを夢中になって食べている。たまにはこんな時間もいいのだろう。もしぬいぐるみをこっそり買う気でなければ祐馬と一緒に来ても良かった。
 チラリと見るとユウマはもう自分の分を食べ終え、口元を丁寧に前足で拭っていた。戸浪がその空になった入れ物に自分の飲み水を少し入れてやると、今度はそれを舐める。
 穏やかだなあ……
 心地よい風。
 そしてぼんやり出来る時間。
 戸浪はこういう時を過ごすのが好きであった。
 食べ終えて満腹になったのか、ユウマは背を伸ばしていた体を丸めて目を細め、ゴロゴロと鳴いている。ユウマも気分が良いようだ。
 ……
 帰りに買い物でもして帰るか……
 だがそちらこそユウマを連れては入られないだろう。だからといって車に置き去りにするわけにはいかない。自分が捨てられたのだという気持をユウマに思い出させないためにも、外に出たときは側にいてやらないと駄目なのだ。
 寂しがり屋だからな……
 私と似てるか?
 思わずそんなことを考え戸浪が笑いそうになると、いきなり頭上から大きな紙のような物が飛んできて上から覆い被さってきた。一番驚いたのはユウマのようで、甲高い鳴き声と共にパンチを繰り出し、紙に穴を開けた。
 そして遠くから女性の声が響く。
「きゃーっ!ご……ごめんなさい!」
 戸浪が、紙を掴んで覆い被さっていた紙を除けると、黄緑と薄いベージュを基本にした作業服を着た女性が、他にも筒状に丸めた紙を手に持って謝っていた。
 ……
 図面か?
 手に持った紙をよくよく見るとCADで引かれた図面だった。向こうで工事をやっている人間がこの休憩場で無謀にも図面を広げていたようだ。
「……あ、穴……」
 戸浪が自分の取った図面はユウマのパンチで所々破れてしまっていた。ユウマを責められないのだが、これでは使い物にならない。
「申し訳ない。うちの猫が驚いて穴を開けてしまったようで……」
 フーッと毛を逆立てて怒っているユウマを抱き上げて戸浪は言った。ユウマの今の状態ではすぐに興奮は収まらない。戸浪とて、突然上から紙が落ちてきたのだから驚いた。しかも普通の大きさではない。おおよそ畳半分くらいある紙であったからユウマも驚いたのだ。
「済みません、風で飛ばされてしまって……」
 そう言った女性は肩ほども無い髪を後ろで一つに括っているせいか、後れ毛がピョンピョンと跳ねている。だがだらしない様には見えない。瞳は小さいがくりっと丸く、鼻の頭に小さなそばかすが少しあった。いつも外で仕事をしているのが分かるように肌が小麦色に色づいている。
「いえ……私の方は構わないですよ。あちらでやってる工事の方ですか?」
 ユウマを片手に抱き上げながら、もう片方の手で図面を女性に渡した。
「そうなんです。急に直しが入ったのでそこの机でちょっと……事務所は一階にあるんですが……そこまで降りて直すほどのものじゃなかったものですから……」
 女性ははにかんだ笑みを浮かべていた。
「なるほど……」
「うう……うう~うにゃあん……うにゃ……うにゃにゃ……」
 戸浪に抱かれながらもユウマは肩の所に爪を立てながらしがみついている。余程恐かったのだろう。そんなユウマの背を撫でて宥めていると女性が言った。
「ごめんなさい……驚かせてしまったかしら……」
 小さな目がユウマの姿を覗き込む。
「元々恐がりですので気にしないで下さい」
「なら良いんだけど……。あ、私、日東設計の土井理絵って言います」
 言ってぺこりと頭を下げた。
「え、東都じゃないんですか?」
「あ、この作業服ね。これは借り物なの。現場に入るなら着ろっていわれちゃって……。あら、御存知なの?」
 不思議そうな表情で理絵は見る。
「ちょっと同業だと思っただけで……」
「同業?設計の人?」
「あはは。そうですが……そちらではなく建築の方です」
「……東都と同業っていったら……青鹿か笹賀ね……」
 思い出すように理恵は目を彷徨わせていた。
「……まあ……いいでしょう……」
 その三社はライバル精神が強い為、あまり戸浪は自分が笹賀で働いていることを知られたくなかった。
「まあ、良いことにしましょ。……それにしてもすごいパンチ……」
 戸浪が渡した図面の穴に指を入れて理絵はまた笑い出した。しかもそれが止まらない。
「……あの……」
「ごめんなさい……なんだかツボに入ったみたい……お……可笑しい~」
「……それほど笑わなくても……」
 苦笑しながら戸浪が言うと、理絵は笑いながら図面をこちらに見せた。
「だってほら、丁度、うちのロゴと東都のロゴを綺麗に打ち抜いちゃってるのよネコちゃんの手」
 言われて戸浪が見ると確かに、これがクリーンヒットだろうというようにロゴに穴が開いていた。
 さすがユウマ……
 いや……
 そんな話はどうでもいいか……
「それで、問題はこっちの穴。このままじゃあCAD図面を打ち出しし直さないと駄目なんだけど、上から書き込んでる分、新しいのをそのまま使えないの。だから、貴方もご同業みたいだからちょっと手伝ってもらえない?今人手がないのよ」
 いきなりの理絵の提案に戸浪は目を丸くした。
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