Angel Sugar

「沈黙だって愛のうち」 第13章

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 日東設計の土井理絵……
 彼女の話が出てくると戸浪も思わなかった。一体どういう繋がりで見合い話が転がり込んできたのだろうか、これではどう考えても戸浪には何か作為的なものが背後にあるように思えてならない。それとも戸浪の考え過ぎなのか。
「……どういった経緯でこのお話が私に来たのでしょう?」
 釣書から顔を上げて戸浪は柿本に聞いた。
「その顔は、彼女のことを知ってるのかい?」
 どちらかと言えば戸浪より驚いた表情で柿本が言った。
「一度、ちょっとしたきっかけでお会いしたことがあります」
「そうか……。知らない相手より、知っていて良かったのかもしれないな」
「ですが、私は今のところ全く結婚など考えていませんので、本当に会うだけです。お会いしてその後、お断りをしたら柿本さんの顔を潰すのではないのですか?もしそうなら最初からお断りします」
 どうせなら最初から断った方が、面倒にならなくて良いのではないかと戸浪は考えた。問題が大きくなり、後から断りにくい状況になれば、それこそ柿本の立場がなくなるだろう。
「いや。会うだけで良いらしい。よく分からないんだが、向こうもそう言っていた。多分、無理強いは駄目だと分かっているからだろうね。男女の中は確かに縁だが、だからといって無理に勧めたところで、結局離婚なんて事になったら、それこそ持ってきた相手もいい気持ちにはならないだろう。澤村君は私や話を持ってきてくれた相手に気兼ねせずに、答えてくれたら良いんだよ。もしかすると、会えばまた違うかもしれないしね」
 額の汗を拭いながら柿本は笑った。
「はあ……。会うだけですが……」
 釣書を持ったまま、戸浪はため息をつく。
「今週の日曜日に予定されているんだが、時間は大丈夫かね」
 今週の日曜日?
 それは……
 祐馬の見合いの日だろう!
 ……
 もしかしてこれは、あの舞が企んでいるのか?
 ここまで来ると戸浪には互いの日を故意に合わせられているような気がしてならないのだ。そこで鉢合わせでもして、戸浪と祐馬の仲をこじらせようとでも、祐馬の姉は浅はかにも考えているのだろう。馬鹿馬鹿しくて戸浪には笑うことも出来なかった。
 あからさますぎて、見え見えだ。
 全く……
「私は大丈夫です。丁度その日は暇にしていますので……」
 舞がそこまで企むのならこっちにも考えがあると、戸浪は腹をくくった。舞がその気ならば、受けて立つしかないだろう。
「そうか。良かったよ」
 何も知らない柿本は嬉しそうだった。多分柿本はどうしてこの見合いがお膳立てされたのか聞かされていないに違いない。柿本に話を持ってきた相手が、やはり断れない相手からだったのだ。数名、間を挟んだとしても、それなりに圧力を掛けることなど東家の力を使えば簡単に出来るはずだった。
 そして舞は行使できる立場にいる。
「場所はどちらで行われるのですか?」
「赤坂ホテルの一階にある喫茶店だそうだ」
「分かりました」
 戸浪は、笑みを浮かべて柿本を安心させるように小さく頷いた。

 その日の晩、戸浪が自宅に戻ると、先に帰っていた祐馬に見合いの話を切りだした。こちらのことではなく、祐馬の方の話だ。
 戸浪の見合いは赤坂だと聞いていたから、多分、祐馬も同じところで予定されているのだと踏んだのだった。
「え……別にいいじゃんよ。戸浪ちゃんが心配すること無いって」
 祐馬は言葉をまた濁した。
「心配などしてない。違う。場所を教えてくれと言ってるんだ」
「……怒鳴り込んでくるとか?あ、俺、そんでも良いよ。そうしたら、話しも早いしさあ、みんなの前で戸浪ちゃんのこと紹介してやるから」
 恐ろしいことを真面目に言う祐馬に戸浪は拳を一つ飛ばしてから怒鳴った。
「違うっ!誰が、そんなことをすると言ったんだ。私も見合いをすることになったから、お前の方の場所は何処だと聞いてるんだっ!勘違いするなっ!……あ……と」
「あたた……。見合いって……戸浪ちゃんがすんのか?どういう事だよっ!」
 先に里江と見合いをすることに腹を立てたのは戸浪だが、祐馬の怒りの方が強かった。
「柿本さんが断れない相手から話をもらっただけだ。私は単に顔を立てる為に見合いをする。こっちはどうせ断るんだから、お前が怒るのはおかしいぞ」
 この辺りが祐馬と事情が違うのだ。どちらがより立場が悪いかを考えると、幼なじみと見合いをする祐馬の方に違いない。
 戸浪はそう考えていたが、祐馬は違ったようだった。
「んなの、変だろ。それって、あてつけか?」
 祐馬のムッとした顔を戸浪は掴んで引っ張った。
「誰が当てつけだ。何故か同じ日になっただけだろう。それより、祐馬は何処でするんだ?私は赤坂だが、どうなんだ?」
「いでえええ……いでで……お、俺はプリンスホテルだって……」
「え?」
 場所が違うぞ。
 離れている。
 想像していたことと違ったために、戸浪は祐馬を掴んでいた手を離して腕を組んだ。こうなると、舞が二人の見合いを同日にした理由が変わってくる。では祐馬の言うように戸浪が見合いの席に顔でも出そうとしても出せない様に行動を押さえ込もうと考えたのだろうか?
 ……
 あの女の考えていることが分からない。
 どうする?
 舞の裏をかいてやろうと戸浪は考えていのだが、向こうの思惑が分からないことには、鼻を明かすことも難しい。しかし、ここでどうあっても一撃を与えてやりたいと戸浪は思っていた。それほどの事を舞が企んできたからだ。
 良いように振り回され続ければ、これからの嫌がらせは更に過激になるだろう。だからこそこちらもそれ相応の態度で今回、戸浪は挑むつもりだった。もちろん祐馬には分からないように、戸浪と舞の間だけで終わらせるつもりだ。
 戸浪は無い知恵を必死に出してそれらを考えていた。
 う~ん……
 同日で、しかも離れているんだな。
 どうする?
「戸浪ちゃん……」
 怒鳴り込まれて困ると舞が本気で考えているのなら、多少恥ずかしいだろうが、やってみるのも面白いかもしれない。そうなると、誰か戸浪の身代わりが必要になってくるだろう。だが、絵理の方は戸浪の顔を知っていて、身代わりを立てたとなると大騒ぎになって、それこそ柿本の顔を潰すことになる。
 では、どうすればいいのか。
「戸浪ちゃんって!」
「あ。なんだ?」
「なんだじゃないよ。分かってんの?戸浪ちゃんは見合いをするって言ったんだ。俺はどうしてそんなことになってるのか聞いてんの。なんで最初から断らないんだよ」
 いつの間にか肩を掴まれて、戸浪はドアップの祐馬の顔を見ることになった。思わず戸浪が祐馬の手を払うと、更に眉間に皺が寄る。
「だから、上司の柿本さんの顔を潰せないから仕方なしに引き受けたと話しているだろう。私はこうやってきちんとお前に説明しているが、お前の方からの説明は無い。私の方が誠実だろうが」
「……俺は……俺はねえ。戸浪ちゃんのことを思って……別に良いけど……」
 祐馬は途中まで言って、結局戸浪に肝心なことは話さずに口を閉じる。そんな祐馬の態度が戸浪には気に入らなかった。
「別に良いってなんだ?私のことを思うなら、それこそ、どうしてお前は見合いをするんだ。だろうが。私の方は断れる。お前の方は分からないだろう?」
 こちらを睨んだままソファーに座り込んだ祐馬は、隣で丸くなっていたユウマが嫌な顔をしたことに気がついていなかった。
「見合いじゃない。断るとか、断れないとかそんなんじゃないんだって……」
「ほら。そうやってあやふやにしか話さないのは祐馬の方だ。私ははっきりと話したからな」
「もういいよっ!戸浪ちゃんは全然分かってない。戸浪ちゃんは格好良いんだぞ。しかも美人なんだぞ。でも女みたいなタイプじゃなくて、男女とも振り返るような容姿をしてるんだぞ。分かってんの?そんな戸浪ちゃんが見合いしたら、相手の女が惚れるの目に見えてるじゃんか。後で戸浪ちゃんが相手に断ろうと、へのへのもへじの女が、戸浪ちゃんを見てポッと赤らめる様子を想像するだけで俺はすっげえ、気分が悪いんだっ!」
 祐馬は怒鳴りつけるのではなく訴えるような声で言った。
「……へのへのもへじって……なんだ?」
「そんな話じゃないだろっ!顔が分からない女って言いたかったんだっ!」
「……そ、そうか……いや……悪かった」
 子供のように癇癪を起こしている祐馬の隣に座って戸浪はそろそろと身体を寄せた。
「悪かったって思うんだったら、見合いなんかすんな」
 ブツブツとそれでもはっきりとした声で祐馬は言う。
「仕方ないんだ。柿本さんと約束してしまったしな。それより、お前と同じ日だから、私も気が紛れてホッとする。一日ここでお前が帰ってくるのを待っている私の身にもなれ。それより、気が進まなくても見合いでもしていた方がどれほど気が楽か」
 ……
 なんだか慰める立場ではないような気がするんだが……
 戸浪は、ふと疑問に思ったが、隣で拗ねている祐馬を宥めるにはこちらが大人にならなければならないのだ。
「……一日中いないわけないじゃん。俺、すぐに帰ってくるつもりだったし、帰ってきて戸浪ちゃんがいなかったらすっげ~不安じゃんか。俺なんか……別に戸浪ちゃんが心配するような男じゃないからいいけどさ……」
「……じゃあ、電話で済ませたら良かったんだろう。お前がわざわざ会いに行くというからややこしいんだ」
「小さい頃の約束があるって言っただろ。そんなん、電話でごめんって軽く言えるわけないじゃんか。俺だって……ちょっとは悪かったって里ちゃんに思ってるんだから……」
 むか……
 私に対して悪いという気持ちは無いのか?
 戸浪は一瞬手を振り上げそうになったが、何とか堪えた。つき合っている相手が年下の場合、大人になるのは年上の方の宿命だ。
 何度もそう心の中で繰り返す。
「そうか」
「あっ!戸浪ちゃんにも悪いって思ってるからな。里ちゃんに対してよりもっと、もっと悪いと思ってんだ」
 急に何かを思いだしたように祐馬は叫んだ。
「とにかくだ。今週末はお前は例の幼なじみと見合いだ。私は、上司からの命令で見合いだ。何も問題はない」
 戸浪がそう言って立ち上がると、ユウマは身体を伸ばしてソファーから飛び降り、足元に絡みついてきた。
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