Angel Sugar

「沈黙だって愛のうち」 第10章

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 料理がひとそろい並び、四人で食卓を囲んだものの、五月蠅く喜んでいるのは祐馬だけだった。タケノコご飯が美味しいだの、みそ汁の出汁が違うだの、大地を褒める姿は見るに耐えないほどだ。
 ごちそうになっているのだから、社交辞令として褒めているのだろうとは戸浪も思うが、あまりの賛辞は戸浪の神経を逆なでするものでしかない。
 戸浪の料理の腕前はひどいものだった。それは自分でも自覚をしている。味覚自体が麻痺しているのだから、美味しい味というのが分からない。こんな人間が料理上手になるわけなど無いのだ。
 そんな自分にどこか引け目を感じている。
 出来ることなら祐馬に美味しい手料理を振る舞って「これ、美味いよ」などと言ってもらいたいものだと密かに戸浪は思っているのだから、はしゃぐ祐馬をみるにつけ、お前は料理が下手だと言われているような気がしてならない。
 望んでも無理なのは分かっているが、この辺りは一言では言い表せない複雑な感情を戸浪は抱いていた。
「戸浪ちゃん。これ、美味いよ。ほら、もっと食べないと……」
 下世話にも祐馬は戸浪の受け皿にタケノコの煮物を入れてくる。
「そうだな……」
「しっかり食べないとさあ、益々痩せるよ。戸浪ちゃんは元々食が細くて、体つきも細いんだから、一杯食わないと……」
 心配してくれるのはありがたいが、食べることにあまり興味のない戸浪だ。無理に勧められると余計に食べる気を無くす。
「分かってる」
 祐馬が入れたタケノコを口に入れ、モグモグとかみ砕くが別に美味しいとか、旨いだのこれっぽっちも感じない自分が悲しい。
 いつから味覚を無くしてしまったのか、自分でも分からないのだ。確かに小さな頃は美味しいと感じるものがあったはずなのだが、今、何故それを失ってしまったのだろう。
「戸浪にい、無理して食わなくて良いよ」
 大地が心配そうにこちらを覗き込んでいた。
「いや……美味しいよ大地」
 戸浪が言うと大地は複雑そうな表情をする。大地は戸浪が味覚音痴なのを知っているからだ。いや、正確にはここにいる人間全てが知っていることだ。
 どんな賛辞も戸浪が言うと嘘になる。
 社交辞令であっても、嘘は嘘だ。味など戸浪には分からないのだから。
 ……
 落ち込んできた……
 何も話そうとしない祐馬のことで頭が一杯で、ただでさえ精神的に不安定なのだ。その上、味覚音痴だという、自分では治せないことに対しても嫌になっている。
 病院に行けば治るんだろうか……
 そんなことまで考えて、戸浪はもう一つタケノコを口に入れた。
 聞いたことがないな……
 私みたいな症状は……
 はは……
 何を考えてるんだ……
 馬鹿だ……私は。
「ごちそうさま。もうお腹が一杯だよ」
「お腹一杯になったら横になりたくないか?良かったらあっちのソファーでごろごろしてくれてもいいよ。俺は自分が作ったから、自分の尻ぬぐいのためにもう少し食べるけどさ」
 大地はそう言って笑った。
「そうさせてもらうよ……」
 椅子に座っているのが苦痛だった戸浪は、自分の皿を片づけてシンクに置くと、リビングの端にあるローソファーに座った。
 なんだか色々考えすぎて疲れている。
 そんな戸浪の方を祐馬がチラチラと見ている視線が感じられたが無視をして目を閉じた。
 会社に行くよりも疲れた自分に、戸浪は益々自己嫌悪を感じていたのだ。協調性もなく、社交辞令すらまともにできない。自分はこういう性格だと分かっているが、ふとした拍子に現実を突きつけられてはそのたびに落ち込んできた。
 はあ……
 考えても仕方のないことだ。
 腰を掛けている隣に丸くなっているウサ吉の背を撫でながら、戸浪は小さくため息をついた。

 なんとなく気落ちしているように見える戸浪が祐馬は気になっていて、様子を窺うのだが、こちらを見ようともしない戸浪に、どう声を掛けて良いか分からない。
 大地が折角料理を振る舞ってくれているのだから、自分までさっさと箸を置くことなどできないと思ったから、まだタケノコを食べている。
 そろそろ祐馬もお腹が一杯なのだが、そういう事情で戸浪のところに行けずにいたのだ。
「兄ちゃんさあ……」
 小さな声で大地が言った。
「え?」
「俺は母さんに聞いたんだけど……。戸浪にいの味覚音痴って、ちっちゃいころに高熱出してからみたいなんだって。原因は不明で、二、三日熱が下がらなくて、病院に連れて行くのが遅れたのも悪かったみたい。母さんはそれ、戸浪にいには話してないみたいなんだよな」
「そんなこともあるんだ……」
 何故か博貴がうんうんと頷いている。
「……戸浪ちゃんの味覚音痴って原因があったんだ……」
「でもそれが分かったのも、ずいぶん後らしいんだ。だから本当に熱が原因だったのかもよく分からないらしいよ」
「まあ、人間は多少、なんとか音痴を持ってるからねえ。別にいいんじゃないかな。私は運動音痴だけど」
「お前は単に、出不精で、面倒くさがりだからだろ。何言ってるんだよ」
 くすくす笑っている博貴に大地がムッとした顔で怒っていた。
「戸浪にいはちっちゃい頃、あんま身体が強い方じゃなかったし、結構ちょっとしたことで熱を出してたから……。俺は背はちっちゃいけど、身体は丈夫だったからさあ。早樹にいは逆に身体もおっきいし、病気知らずだから、兄弟でも不公平だよなあ……」
 モグモグとタケノコを頬ばりながら大地は言う。
 戸浪が弱いとは思わなかった祐馬だったが、考えてみると、戸浪はちょっとしたことで熱を出す。疲れが溜まっている所為だと思っていたが、祐馬は例えどれだけ疲れても熱など滅多に出さない。では戸浪は弱いと言うほどではないのだろうが、かといって頑丈で、身体が強い方だというタイプでもないのだろう。
 俺にはなんも言わないもんな……
 疲れたとか、辛いとか、しんどいとか……さ。
 祐馬は言ってもらわなければ、なかなか気付くことが出来ない鈍感な部分を持っていた。これからはもう少し、戸浪をよく観察して、気を回すこともしてやらなければならないだろう。
「戸浪さんって、文豪タイプだよねえ……」
「なんだよそれ」
「ほら、内面に向かって自問自答するタイプ。こういう人っていきなり世を儚んで死んじゃうんだよ。繊細な人って大変……あいたっ!」
 大地は思いきり博貴の頭を殴ったようだった。だが、祐馬はその一言が気になって仕方がなかった。
 確かに戸浪は自問自答するタイプだ。あまり祐馬に心の内を話そうとはしない。
 それって……
 やばいのかなあ……
 だんだん心配になってきた……
「ごちそうさま。大地君、美味しかったよ。沢山ありがとう」
「え、あ、ううん」
 博貴に対して振り上げたお玉を、さっと後ろに隠して苦笑いする大地に、祐馬は笑いを堪えながらも自分の食べたものをシンクに運び、戸浪が座るローソファーに向かった。
 戸浪はソファーに深く座り込み、ウサ吉を撫でながら目を閉じている。その表情はどことなく寂しげに見えた。
「戸浪ちゃん」
「ん?もう食べ終わったのか?」
 言って戸浪は閉じていた瞳を開ける。大地と同じ薄茶の瞳だが、その輝きは全く違う。どこから見ても女性には見えないのだが、綺麗な顔立ちで、やや目の端が上がっているのもきついと言うより、戸浪の思慮深さがそこに現れているように見えた。
「うん。食った。もう、腹が一杯」
 腹を撫でる仕草をして、祐馬は戸浪の隣に腰を下ろした。
「良かったな」
 小さな口元に笑みを浮かべる戸浪は、機嫌がいいのか悪いのか分からない表情をしている。
「今度さ、タケノコ掘りに行こうか?」
「は?何を言ってるんだお前は……」
 小さな声を上げて戸浪は笑った。
「私は……暫くはタケノコを見たくないな……。ここで散々タケノコを見たから」
 笑顔のまま俯く戸浪の額にかかる薄茶の髪はサラサラだった。触れると分かるその柔らかさは、自分の髪の質とは全く違う。
「それは言える。俺、こんな、タケノコばっか並んだ食卓見たの初めてだよ。すげえな。大地君は」
「大地は……人をもてなそうとするとき、いつもああだよ。沢山作ってみんなで騒ぐのが好きなんだ」
 戸浪はどうなのだろうか。
 みんなで騒ぐのが好きなのだろうか?
 どちらかと言えば静かな方を好みそうだった。
「ふうん。大地君らしいよなあ。でも俺は……戸浪ちゃんと二人で囲む食卓の方がいいな」
 祐馬が言うと、戸浪の頬がやや赤らんだ。なのに、表情からは笑みが消え、なんとなく怒っているようにも見える。これが戸浪独特の照れ方だ。
 こういう戸浪を見ると可愛くて、人目をはばからず抱きしめたいと祐馬は思うのだが、実際そんな行動にでようものなら、散々殴られるに違いない。
「戸浪ちゃん。な、帰ろうか?俺、ユウマに餌やるの忘れてきたし……」
 嘘だった。
 戸浪が帰りやすい理由を祐馬は作ってやりたかっただけだ。
「え?それは可哀想だろう?」
 心配そうに戸浪は立ち上がり、まだテーブルのところに座っている大地のところに向かって歩いていった。
「なあ、ウサ吉」
 戸浪が大地と話をしているのを見ながら、祐馬はウサ吉の背を撫でた。ふわふわの毛並みは大切にされているのが分かるように手入れされている。
「あの人が俺の好きな人だぞ。お前も知ってるよな。戸浪ちゃんは大地君の兄ちゃんだけど、全然違うだろう?俺は大地君も可愛いと思うけど、戸浪ちゃんには負けるぞ」
 祐馬が小声で語りかけると、ウサ吉は丸い目を更に丸くさせて「ヴヴ……」と、鳴いた。



 うちに帰ってくると戸浪はすぐにキッチンにあるユウマの餌が入れられている皿を見たのだが、ちゃんと入っていた。
「祐馬!餌、入ってるぞ」
 戸浪の周りをうろうろとしていたユウマを抱き上げて、既にリビングでくつろいでいる祐馬に戸浪は怒鳴った。一体これはどういう事なのか分からなかったからだ。
「うん。知ってる。ていうか、俺が入れたもん」
「は?」
「戸浪ちゃんが帰りたそうにしていたから、嘘ついちゃったんだ。ごめん」
「……別に帰りたかった訳じゃない」
 ムッとして戸浪は言うと、祐馬はソファーに伸ばしていた身体を起こして驚いた顔をした。
「そんでもいいけどさ。じゃあ、俺が帰りたかったことにして置いてよ」
「……」
「んなあ、何、怒ってんの?」
 覗き込んでくる祐馬の視線を逸らせて戸浪は唇を噛んだ。変に気を回されていることが分かって腹が立ったから。
「私は……大地ともう少し話がしたかったんだ……」
「じゃ、今度外で茶でもしてきたらいいじゃないか。電話っていうのあるしさ。そんな急ぎの話だったのか?」
 祐馬の言葉遣いに益々戸浪は苛立ちを覚えた。こんな風に顔色を窺うように話をされるのが一番嫌だったのだ。
 赤の他人や、会社の同僚なら良いのだが、祐馬となると最悪だった。
 自分は小さな事でうじうじと悩む。そんな時、はれ物を扱うように接されるのが嫌なのだ。祐馬はどちらかと言えば鈍感な方であるから、戸浪が何を悩んでいようと分からない節があった。そんな祐馬の性格に苛立つこともあるが、戸浪は救われてきたのだ。
 なのに、今は妙に気遣われている。
 わがままなのかもしれないが、それは嫌なのだ。放って置いて欲しいのだ。
 気付かずに……いて欲しいだけだった。
 どうでも良いことで悩んでいる自分を、祐馬を通して気づくのが嫌だった。
「別に……もういい」
「戸浪ちゃん、疲れただろ?さっさと風呂に入ってきたら良いよ。そん後は、一緒にここでごろごろしようよ」
 急にこんな風に言う祐馬は不自然だ。
 大地から何か聞いたのかもしれない。
 それとも、自分が隠し事をしていて、それを戸浪に分からせないようにするために、妙に優しく接するのだろうか。
「……お前は……」
 里江の事で悩んでいるのだろうか。
 これからどうするか、色々考えている自分を悟られないように、逆に気を回しすぎてこんな風に祐馬はなっているのだろうか。
「戸浪ちゃん?」
 祐馬にとって、どうでも良いことであるなら、戸浪に話すはずだ。言えないのは祐馬自身が迷っているからに他ならない。
どうすればいいのだろう。
 聞けば良いのか?
「祐馬……あの……」
 いつの間にか目の前に立っている祐馬の顔を見上げて戸浪は口を開いた。
 聞いて、はっきりさせる方が良いだろう。
「何?」
「さと……」
 里江のことを聞いてしまえば言い。
 どんな答えが返ってきても、祐馬が決めたことなら戸浪は受け入れるしかないのだ。
「え?」
 だがもし……
 祐馬がここから出ていくようなことになったらどうする?
「里芋が……」
「里芋?」
「……いや……別に……」
 戸浪は祐馬から顔を逸らせて俯いた。
 決心が付けば必ず祐馬から話してくれるはずだ。それまでの間、もう暫く二人でいたらいいのだろう。今すぐに答えを聞いてしまうと、ここにはいられなくなるだろうから。
 いや、祐馬自身、まだ答えを出していないかもしれない。
 戸浪が問いかけることで最悪の決心を付けてしまうきっかけを作る可能性だってある。
 なら、今、聞くことは時期的に適当ではない。
「里芋食いたいの?まあ、タケノコばっか食ったから違う物が食べたい気持ちはわかるけどさあ……なんか戸浪ちゃんって面白いよな……」
 戸浪の気持ちなどこれっぽっちも分からずに、祐馬はただ笑っていた。
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