Angel Sugar

「沈黙だって愛のうち」 第8章

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 自分の考えていることに違和感を覚えていると、祐馬が素直にシャワーを浴びて出てきたようで、パジャマ姿で肩を落としている。
「祐馬……これは何だ」
 戸浪は肉の入った紙袋を祐馬に見えるように高々と上げた。
「……さっきのお客さんが持ってきたんだよ……また肉だけどさ……くれるっていうのを嫌だって言えないから……」
 言って、こちらにも聞こえるようにため息をつく祐馬に戸浪はムッとした。一番腹を立てているのは戸浪なのだ。
「どうしてお前が腹を立てるんだ」
「んなあ、戸浪ちゃん、それマジで言ってんの?」
「当たり前だろう」
 恥ずかしくも里江に勃起して会い、その上可愛らしい手紙まで貰っている祐馬にどうして腹を立てるなと言えるのだ。
「俺は……俺は途中で放置されたんだぞ!戸浪ちゃんの方はとりあえず……いってええ!」
 手加減したものの、多少嫉妬という怒りが込められている分、殴った手には力が入っていただろう。
「……そういう恥ずかしいことは口にするな」
「恥ずかしくなんかないよ……も、俺……今日は頭ガクガクだっての……」
 殴られるのが嫌なのか、祐馬は戸浪から距離を取り、向かい側に位置するソファーに座った。
「……それでな……」
 里江の手紙を言わなくてはならない。
「んだよ……戸浪ちゃん文句ばっか言ってるじゃん」
 ムッとしたが、途中で欲望を止められた祐馬にも多少可哀相なことをしたという気持が沸いてきた戸浪はここは一つ大人になることにした。
「肉と一緒にお前宛の手紙が入っていたぞ」
 戸浪は里江の手紙を机に置く。すると祐馬は驚いた視線を薄いピンクの封筒に向かわせた。
「……なんだろう……」
 チラリとこちらの様子を窺う祐馬は、手紙を取って良いのかどうか悩んでいるようだ。さっさと取ればいいものの、こんな事まで戸浪が許可を出さなければならないのか。それを思うとなんだかとても情けなく思えた。
「中身を見たらいいだろう?」
「……ここで?」
 って……
 お前、私に隠れて読むつもりか?
 ……あ……
 まあそうなるんだろうが……
 別に私は中身が見たいわけじゃないし……
「例の、里江が来たんだな」
「あっ!戸浪ちゃん、もしかして俺宛の手紙読んだのか?」
「人の手紙を勝手に開けたり、その上、読んだりなどしない。それとも祐馬は私という人間をそんな男だと思っていたか?」
 ムカムカしてきた。
 いや、いつだってムカムカしている。
 こんな調子の二人がどう、甘いムードになれるというのだろう。無理に決まっている。こんな所からも何処かすれ違っているのだから仕方ない。
「いや、そんな意味じゃあ……」
 慌てて祐馬はそう言ったが、どう考えても戸浪には疑われたとしか思えなかった。
「気にはしていない……」
 気持とは裏腹な言葉しかでないが、これが戸浪なのだ。今更この性格を変えるつもりも変えられるとも思わない。一時期努力してみたものの、結局どうにもならない頑固な自分は、これが己なのだと納得することでしか慰められなかった。
「あのさあ、なんか勘違いしてる?俺と里ちゃんとは別にたいした関係じゃあ……」
 じゃあと濁している自分に祐馬は気が付いていないのだろうか?
「へえ……そうか」
 だんだんこの話題を続けるのが嫌になっている。はっきり言わない祐馬の態度にも呆れているのも理由だが、里江という女性がとても戸浪の目に好感度良く映ったのも苛立ちの理由なのかもしれない。
 元々戸浪は余り女性を視線の中に入れることがない。もちろん男性もそうだが。というより、人の行動を余りじっくり見ないタイプであるために、顔を覚えると言うことがすくないのだろう。仕事上ではきちんと相手を見るが、それ以外の日常、電車の中で何時も誰が何処に座るとか、何曜日にこういう人物が乗っているとか、全く興味がないのだ。
 生きることに精一杯だから……と言う理由ではないことだけは言える。要するに周囲に無関心なタイプなのだ。それは祐馬も知っている。それでも、あの里江は目に付いた。活発で、外向的なタイプに見えた。祐馬もどちらかと言えばそのタイプだから、里江とは例え恋人同士でなくとも合うのではないかとピンと来たと言って良い。
 逆に戸浪は外向的ではない。もちろん、内向的ではないが好んで外に出るタイプではないから余計に里江が目に付いたのだろう。
 もし、もしも、里江と見合い話が持ち上がっていなくても、例え祐馬と友人関係であっても、戸浪は嫉妬していたであろう。そう思わせるのが里江という女性だった。
「んなあ……戸浪ちゃん……もしかして焼いてる?」
 こちらの気持など全く理解しない鈍感な祐馬は嬉しそうに言った。
「何故私が焼くんだ。それよりも、肉を何とかしろ。このまま放置しておけばユウマが袋を食い破って生肉を食うぞ。」
「そんなん食わないよ~」
 と、祐馬が言っている横でユウマが袋に爪を立てた。
「こらっ!それは食べ物じゃないっ!」
 正確には食べ物であるのだが、ユウマに生肉を食べさせるわけにはいかない。
 戸浪はユウマから再度袋を取り上げて祐馬に押しつけた。
「戸浪ちゃん……」
 情けない声でこちらを見る祐馬に腹も立つ。どうしてこうもっと男らしくなれないのだ。優しい性格と男気は両立しないのか?
「さっきから話してるだろう。冷蔵庫に入れてこい」
「うん……分かった」
 肩を落としてリビングから出ていく祐馬の後をユウマが追いかけて歩いていく。それでも里江の手紙はポケットに入れるのだから、抜け目がない。
 気になる……
 チラリとリビングと廊下を繋ぐ入り口を眺めながら戸浪は本音が漏れた。
 気になる……
 一体何が書いてあるんだ。
 いい年をしてラブレターか?
 そんなものはもう卒業しても良い頃だろう?
 違う……
 気になるんだ。
 女性から手紙をもらったことがないと言うわけではない。戸浪も学生の頃は男女ともよくもらったものだ。祐馬にしても、悪い男ではないから多少あっただろう。
 それでも学生の頃はどちらかと言えばあこがれに近い部分での手紙だ。いい年をした女が手紙を書くのだから相当の気持ちがこもっているに違いない。
 相当の気持ちがこもった手紙……
 普通何を書く?
 
 拝啓祐馬様……?

 いや、そんな風に書く女性ではないだろう。
 幼なじみと言うのは気さくな間柄に違いない。

 いや~ん祐馬ちゃん元気にしてた?
 私?もち、元気にしてたよ。

 ……
 馬鹿馬鹿しい。
 いい年をした女が、そんな手紙を書くか??
 ……なんだか……
 趣旨が違うような気がする。
 戸浪は一人で色々考えてみるものの、手紙の内容が全く思いつかなかった。幼なじみであり、小さい頃の約束を果たすために会うというのは一体どういうものなのだ。そんな経験が無いために予想も付かない。
 見せて欲しいと祐馬に言うのも情けないことだろう。しかも戸浪にとっては赤の他人だ。里江にとっても戸浪は他人であり、実は男と暮らしていることなど全く気が付いていないに違いない。
 これも祐馬の姉の企みだ。そうであるから、祐馬が男とつき合っていることなどこれっぽっちも臭わさなかったに違いない。何処の世界の女性が、見合いする相手の男がゲイであることを知って快諾する?
 するわけなど無い。
 ということはやはり、舞は里江には話していないのだろう。
「里江が来ることが分かっていたら、見せつけてやったのに……」
 出来もしないことを戸浪はぽつりと呟く。その間の悪い時に祐馬が入ってきた。
「……なに言ってんの?」
「え……あ、いや……別に……」
 誤魔化すように立ち上がると、祐馬がそれを止めるように肩に手を掛けて、珍しくも引き寄せられた。
「んなあ……なあって……」
「なんだ?」
「マジでユウマのぬいぐるみだけ買いに外に行ったのか?」
「そうだ」
 あの、大きなクマの方はまだ内緒にしておかなければならないだろう。本人がいて、私が買ってきたと言えるほど戸浪に積極性は無い。
 いないときにこっそり……
 見つけた祐馬はびっくりしながら喜ぶ。
 それが戸浪が書いたシナリオだ。
 祐馬がそれを見つけて戸浪の気持ちを分かってくれたらそれで良い。言葉にするとなにやら恥ずかしいのもある。
「それにしては時間かかりすぎると思うけど……」
「……私が何時間ぬいぐるみショップにいようとお前には関係ないだろう」
「っていうか、戸浪ちゃんって、そんな、ぬいぐるみ好きだったか?」
 何を疑っているのか分からないが、祐馬はよほど時間が気になるらしい。
「そうだ。見ていると心が和むぞ。何時間でも眺めていられるな」
「……なんか……怪しいんだよな」
 一番怪しい行動を取っている男に戸浪も言われたくはない。戸浪はぬいぐるみを買って、屋上でユウマと仲良くフランクフルトを食べた。その後、しなくても良い仕事を手伝って帰ってきただけだ。
 それの何処に怪しい部分がある?
「で、里江は何を言ってきたんだ」
「あ、話題を変えようとしてるなっ!やっぱ、聞かれると都合悪いんじゃないか?」
「お前はっ!この私が、ぬいぐるみを買いに行くと言って、他の男といちゃつくとか、ホテルでご休憩、なんてのをするとでも思っているのか?いい加減にしろっ!」
「……戸浪ちゃん、走りすぎ……俺、そんなん言ってないよ……」
 苦笑して祐馬が言うと、戸浪も我に返った。いつもなら心の中だけで叫ぶ言葉であるはずが、あまりのいらつきについ口から出てしまったのだ。
「……も、もういいっ」
 かああっと顔を赤らめて戸浪が言うと、祐馬がぎゅうっと身体を抱きしめてきた。
「すっげ……今の戸浪ちゃん可愛かったよ……」
 可愛い?
 なにが?
 どーこーが……だっ?
 と、戸浪が混乱している間に床に押し倒された。
「祐馬?」
「飯……あとにしよ……な?」
 先程とは違い真剣な表情を向けてくる祐馬にやや戸浪も気持ちが落ち着く。まあ、こういう男なのだと最初から分かっていて一緒にいる。
「……そ、そうだな……」
 そろそろと手を伸ばして、祐馬の背に巻き付ける。それは戸浪にとっては精一杯の誘いだった。すると普段は鈍感な祐馬であるのに、戸浪の気持ちが分かってくれたのか、軽いキスを額に落としてくる。
 場所はリビングであったが、それももう良いだろう。
 明日は休み。
 二人でゆっくりしたいことをすればいいのだ。
 祐馬の大きな手が、戸浪の上着に滑り、そのままボタンを弾く。小さなつま弾くような音であるのに身体が疼くのは仕方ない。
 祐馬が好きだからこんな風に自分の身体が反応するのだろう。
「祐馬……」
 背に回した手をそのまま頭に移動させて、祐馬の硬い髪を撫でる。自分の髪が柔らかいせいか、この感触が戸浪は好きだった。自分より広い背中も、好きだ。
 祐馬の唇が首筋を舐め上げながら、ボタンを外した上着の隙間から手を胸元に密着させて緩やかに動かされるとそれだけで堪らない。
「……あ……」
 慣れないリビングの空間で、誰もいないのに周囲を気にしてしまう戸浪は、一度閉じた瞳をうっすらと開けた。すると黒いものが視界に入る。
 黄金の目。
 ユウマが机の上から下を見下ろして、じっとこちらを見ていた。
「……」
 別に動物に見られてもユウマに人間の行動が理解できるとは思えない。それでもぴくりとも動かずこちらを凝視している瞳が怖い。
「祐馬……あっ……」
 胸元にある尖りにクチッと噛みつかれて思わず戸浪は声が上がった。そんな声にも反応せずにユウマはこちらに視線を固定させたまま動かない。一体猫には男同士が抱き合う姿がどんな風に見えているのだろう。
「……ゆう……まっ……あ……っ……」 
 戸浪が祐馬に気付かせるために声をかけるのだが、快感のこもった声など全く気にとめる祐馬ではなかった。
「戸浪ちゃんの身体……すっげ……気持ち良いよ……」
 親指の腹で尖りを掴んだまま祐馬は戸浪の鳩尾辺りに頬をこすりつけてきた。
 だから……
 ユウマが見てるんだっ……
 気にしないようにしようと戸浪は思うのだが、黒い顔に浮かぶ黄金の瞳は、酷く目立つ。しかもにゃんとも鳴かないユウマはいつもと行動が違うのだ。
 観察してる……
 それが今のユウマにぴったり当てはまる。
「祐馬……だから……ユウマが……」
 グイッと頬を掴んで戸浪が言うと、勘違いしたようだった。
「キスして欲しいの?いいよ……」
 違うっ!
 違うーー!
「違うっ!猫のユウマが見てるんだっ!」
 首まで赤くした顔で戸浪が言うと、祐馬は顔を上げてテーブルから覗き込むユウマを確認して言った。
「邪魔すんなよ……」
 にゃあ
「ほら、ちゃんと分かってるみたいだよ」
 と、祐馬はにっこりとした表情を戸浪に返す。そういう意味で戸浪は注意を促したのではない。見られるのが嫌なのだ。それが例え猫であっても嫌だった。
「嫌だ」
「何が?」
「見られるのは嫌だと言ってるんだ」
「猫じゃんよ」
「猫でも嫌だ」
 子供は大人の行動を見て覚えるのだ。猫でもそうかもしれない。考えると恐ろしい。
「……もういいけどさ……要するに、戸浪ちゃんは今日その気になれないってことだろう?」
「お前はユウマが見ていてもできるのか?」
 呆れてしまった。
「猫じゃんか……ただの……それもうちで飼ってる猫なんだからいいだろ?」
「まねしたらどうするんだっ!」
「まねって……あいつだって年頃になったら、雌猫とやるだろ。なに言ってるんだよ」
 ことごとく祐馬と戸浪の意見が食い違っている。
「私が言いたいのは……猫であっても……お前と……その……してるところは見られたくないんだ……」
 ボソボソと戸浪が言うと、祐馬はムッとしたように立ち上がる。それと同時に電話が鳴った。
「出てよ。俺、今マジでそういう気になれないんだっ」
 また機嫌が傾いた。
 もう怒鳴る気も失せた戸浪は外されたボタンを留めつつ電話の受話器を上げた。
 相手は弟の大地だった。
「ああ、大地。久しぶりだね……」
 ごく普通を装い、戸浪はそういった。
『兄ちゃんこれからおれんち来ない?あ、三崎さんも連れてきてもいいけどさ……』
「は?あ、ああ……どうしたんだ?」
『タケノコすっげえもらったんだけど、食いきれないほど、俺、湯がいちゃってさあ……夕飯まだだったら、こっちに来ない?来てくれると助かるんだぁ』
 こういう誘いを断るわけにはいかないだろう。
「ああ……今から伺わせてもらうよ……。じゃああとでな」
『うん。早く来てね』
 こちらの状況など知らない大地は嬉しそうな声でそう言い、電話を切った。
「祐馬。弟の大地が夕食を一緒にどうかって聞いてるけど、行くか?」
 拗ねた男はチラリとこちらを見てため息をつく。嫌みとしか思えない。それでも一応戸浪は自分が祐馬を押し止めたことに申し訳ない気持ちが合ったため、むかつきながらも耐えた。
「どうするんだ?私は行くつもりだが、大地は二人で来て欲しいと言っていたぞ」
 そんな風に大地は言わなかったが、こうでも言わないと祐馬の立場も無いだろう。
「え、ほんとか?」
 急に機嫌を良くする祐馬は単純そのものだった。
「ああ……で、どうする?」
「行こうよ。折角のお誘いだしさあ。大地くん料理上手いって聞いてるし……」
 む……
 なんだかそれは私に対する嫌みか?
 こっちは随分と気を使っているのに……
 と、言いたかった戸浪であったが更に耐えた。
「じゃあ着替えるか……」
 戸浪は祐馬に見えないところでため息をついて、クローゼットに向かった。
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