「秘密かもしんない」 第5章
うう……早樹にいの小言が始まったよ……
大地は心の中で溜息をつきながら隣りに座る戸浪をチラリと見た。やはり戸浪もげんなりとした顔をしている。
「大体お前達は何時の間にそんな女みたいな真似をしてるんだ……何が女子高生のノリだ。一体どういうノリなんだっ!」
俺も分からない……
だって適当に言っちゃったんだもん……
それより……
博貴……寂しそうだった……
大地を見送った博貴の表情が今も目に焼き付いていた。
あの広いマンションに一人で帰ったのだろうか?
なんであそこで早樹にいが出てくるんだよ……っ!
俺は博貴と帰るつもりだったのに……。
色々問題は山積みとはいえ、博貴が折角迎えに来てくれたのだ。ビデオのことはゆっくり話し合えばいい。何かあれば今まで話し合って来たのだ。お互い思うことがあれば、自分の中に持たずに話し合おうと決め、そうしてきた。
だがもし、あのビデオの話しが、大地とつき合ってからの事であったなら、多分許すことは出来ないだろう。どういう事情があったとしても、大地と付き合いながら、自分の知らないところで他の女性と抱き合ったのなら、どれだけ謝られたとしても多分大地は許せない。
俺以外に愛しているとは言わない……
俺以外と抱き合わない……。
ホストに対してそんな約束をさせたのは滑稽だった。自分でも、馬鹿なことを言ったと何度も思ったことだった。それでも大地には譲れない事だったのだ。
相手が男性にしろ女性にしろ、それが大地の持つ倫理観だ。フリーな恋愛などとても大地には出来ない。もちろん、遊びでつき合うなどもってのほかだ。
自分が誠実である事に対し、相手にもそれを求めることは当然のことだろう。
もし博貴に約束して貰えなかったら大地は今、博貴とは一緒に暮らしてはいない。
いや、つき合うことも抱き合うことも出来なかった。それは相手が男だからと言う事ではなく、恋愛観の問題だった。
大地が望んだ約束を、博貴は受け入れてくれたのだ。
それを守ってくれている筈だった。だから、あのビデオもきっと過去なのだ。
博貴がそう言ったのだ。
過去だと……
人の言葉には振りまわされないようにしようと決めた。誰よりも博貴の言葉を信じることにしていた。
俺は俺の見ている博貴を信じよう……
博貴は今まで俺に誠実に接してくれたんだ……
だから今度は俺が……
「大、お前聞いているのか?一体何をぼけっとしてるんだっ!」
早樹がより大きな声でそう怒鳴った。
「……え?何か言った?」
フッと顔を上げ、早樹を見ると先程より怒っており、チラと視線を戸浪に向けると、こちらは呆れた顔をしていた。
あ……やべ……
俺、説教されてたんだっけ……
「……あ、はは。き、聞いてるよ……」
大地はもう笑うしかなかった。
「戸浪……何時から大は人の話を聞かない男になったんだ……」
と言って早樹は戸浪の方へ話しを振ったが、戸浪は乾いた笑いを浮かべた。
「そういえば戸浪……お前は彼女くらいいるんだろう。だったら大に少しは手ほどきをしてやれ」
「はあっ?い、いませんよ彼女なんて……」
いきなり振られた話題に戸浪は驚いたように言ったが、口調が何やら裏返っていた。
「その年になっていないのか?じゃあ……大、お前は……どうなんだ?」
だが驚いていたのは早樹の方のようだった。
「俺の仕事、早樹にい知ってるだろ。おっさんしかいない職場でどうやって女の子を探せっていうんだよ……も~そんなのは一番上の兄ちゃんからだろ。人にそんな事聞くけど、じゃあ早樹にいにはいるのか?」
「……あ、私はいい」
ごほんと咳払いして早樹は言った。
なんだ、早樹にいだっていないんじゃないか……
何、人に振ってるんだよ……
「……兄ちゃん悲しいぞ。お前達が分からない……」
ガックリと肩を落とし、早樹は言った。
俺もがっくり来てるよ……
もういい加減にしてくれよ……
「戸浪にしろ大にしろ、彼女がいない。そのくせ大は男と手を繋いでいる……一体どうなってるんだ……私は恥ずかしい……」
ここで男泣きでもしそうな雰囲気の早樹だった。
「……早樹にいは、ずっと海の上で生活してるから分からないんだろうけど、流行に乗り遅れたら、ただのおっさんになっちゃうよ。別に早樹にいにこんな風に流行を取り入れてよって言っても無理だろうけど……。もう少し頭柔らかくしないとさあ、今の若い人に嫌われるぞ。早樹にいにも後輩いるんだろう?絶対頭の固い嫌な先輩だって思われてるよな……なあ、戸浪にいっ!」
グイグイと戸浪の肘を掴んで大地はそう言ったが、戸浪の返事ははっきりしなかった。
「……あ……まあ……なあ……」
「男同士が手を繋ぐような自衛隊員はいないっ!」
何となく狼狽えたように早樹は言った。
「兄ちゃんに隠れて繋いでるんだっ!怒られるの分かってるからさ。だってこれ流行だもん」
大地はとにかく流行で押し通すことにした。何より世間に疎い兄の早樹だ。これが一番押し切るには良い理由になる。
「流行って……本当に流行ってるのか?戸浪……」
早樹は困惑したようにそう言った。
「え……そ、そうですねえ……」
苦笑いしながら戸浪は言った。
「……なんだか変だな。じゃあ猫に知り合いの名前を何故付けてるんだ?」
怪訝な顔で早樹はそう言った。
「自分の飼っている動物に知り合いの名前を付けたりするのも、また流行ってるんだよっ!田舎でもいただろっ!向かいに住んでいる剣さんちの犬っ!あいつ金太っていったけど、あそこのじいちゃんの名前だったじゃないか。そういうもんなんだよっ!都会にもその流行がやってきたんだっ!」
大地、自分で言って訳が分からなかったが、とにかく押し切ることにした。もう何でもかんでも流行なのだ。
「それは……お前、身内の名前だろう。あの三崎さんは戸浪の友人だろうが、身内じゃない」
「最近は友達の名前を付けるのが流行なのっ!もうっ早樹にい、流行に理由とかないんだよっ!お腹出すシャツにしろ、下駄みたいな靴にしろ、友達の名前を猫に付けたり、男同士でも友達だったら手を繋いだりするのが今の流行なんだっ!そうなんだよっ!」
怒鳴るように大地はそう言った。
「……分からん。同性より異性の方が良いはずだろう……」
早樹はそう言って溜息をついた。
あ、何かいい具合に納得してきたぞ。
単純だからなあ……早樹にいも……
「分からなかったら、そういうもんだと思ってりゃいいじゃん」
と言って大地が戸浪を見ると、俯いて必死に笑いを堪えていた。
も~
戸浪にい……笑いを堪えている場合じゃないんだけどな……
「そう言えば……あれも流行だったのか……」
「え?」
「手を繋ぐ男は他にも見たことがあってな。ふうん……妙な流行があるんだな」
早樹はそう言って納得していた。
それって……
自衛隊での話し??
……まあ……
いいか……
理解のある人だときっと早樹にい尊敬されるよ……
妙な誤解をしたまま納得した早樹を見た大地は、とりあえずホッとした。早樹は怒ると恐いのだが、筋を通せば話しは通じるのだ。この場合、筋を通したのか、間違った事を早樹に教えてしまったのか分からないのだが、仕方ないだろう。
「……以前はお前達に怒鳴ったように叱ったんだが……今度からは流行だと思って見て見ぬ振りをするよ……」
急に怒りを忘れたように早樹はそう言って苦笑した。
「……大……」
肘でこちらをつついてくる戸浪に、大地はニッコリと笑っていった。
「早樹にいって、きちんと話せば分かってくれるから、父さんより尊敬できるよ俺。だって父さんって、言い出したら耳貸さないもん。でも早樹にいはその点、俺達の言うこときちんと聞いて判断してくれるから俺好きなんだよなあ~。なあ、戸浪にい」
ニコニコと満面の笑みを作りながら、戸浪と、そして早樹を見る。この笑顔と、父より話しが分かる兄という表現の威力は昔から絶大なのだ。
「……そりゃお前、私はあんなに頑固じゃないからな。きちんとした理由があれば、耳を貸すに決まっているだろう」
早樹は得意げになっている。
「……あ、俺、夕飯作るの忘れてた……。戸浪にい、早樹にいに美味しい物作ってやろうよ~」
と言って大地は立ち上がった。
「あ……ああ。そうだな……」
慌てて戸浪も立ち上がる。
「久しぶりに大の手料理を食わせてくれ」
そう言った早樹は先程の怒りなど何処にも無かった。
「大……お前……すごいな」
キッチンに二人で戻ってくると、戸浪が感心していた。
「……でもあんな訳の分からない流行を信用する早樹にいってよっぽど世間にうといんだよ」
冷蔵庫の中を眺めながら大地は言った。
「……だろうな……ほとんど海の上だから……」
言って戸浪が椅子に座ると、祐馬が心配そうにやってきた。
「戸浪ちゃん……大丈夫だった?」
「え、あ、お前、戸浪さんだろうがっ!」
戸浪はそう言って祐馬に怒っていた。
さんでもちゃんでもいいよもう……
あんまり変わらないし……
大地はそう思いながら冷蔵庫を漁った。
田舎料理を作ったらいいかなあ……
とにかく早樹にいが喜びそうなもの作ろう。
で、機嫌を良くして置いて……
俺、遅くなってもいいからうちにこっそり帰ろう……
一人で夕飯を食べているかもしれない博貴の事を思い大地は帰ることに決めた。
「大、一人で帰られるかい?送っていくが……」
「いいよ……ああもう……急ぐと上手くいかない……」
食事を終え、早樹が風呂に入っている間に大地は帰ることにした。早く逃げ出さないと何を言われるか分からなかったため急いで大地は靴を履いていたのだ。
「だがもう遅いぞ……」
「大丈夫だよ……あ、適当に俺のこといっといてね。あー邪魔しちゃ駄目だよ……」
ユウマは大地が結ぶ靴紐に必死に前足を伸ばしているのだ。そんなユウマが大地には可愛かった。
「ユウマ。又来るからさ、兄ちゃん達頼むよ。お前結構格好いいもんな」
大地はそう言ってユウマの頭を撫でた。だがユウマの方はそんなことよりも靴ひもが気になるのか、必死に前足で紐を追いかけている。
「こら……ユウマ。いい加減にしないか……。大は帰るんだからな」
ユウマを抱き上げ戸浪は言った。だがユウマの視線は抱き上げられながらも靴ひもの方に未練を残すような視線を送っていた。
「じゃあ……又、電話する」
ようやく靴をはくと大地は立ち上がった。
「大、あの男の事でまた相談があったらいつでも電話してくるんだぞ。幾らでも相談にのってやるから……、余り思い詰めるんじゃない」
戸浪はうっすらと笑い、ユウマの頭を撫でていた。
「うん。ありがとう……。俺も……色々考えるところ有るけど……。あいつの事信じてみるつもり。だって俺、大良のこと好きだからさ……」
えへへと笑って大地は玄関の扉を開けた。すると心地よい風が外から吹いてくる。
「あ、大、タクシーを拾うんだぞ。分かったな?」
「分かってるって。俺女じゃないぞ。何処の馬鹿が俺を襲うって言うんだよ」
大地は自分が他人からどう見えるのかいまいち分かっていないのだ。
「……まあ……いいが……気を付けてな」
心配そうな戸浪に手を振って大地は、マンションを後にした。この時の二人の会話を早樹が聞いていたなど、全く気が付かなかった。
一体どう言うことなんだ?
烏の行水宜しく風呂から上がった早樹は廊下に出ることをせずに、玄関にいる大地と戸浪の会話を聞いていたのだ。
好きとか嫌いとか……
いや……
嫌いとは言わなかったな……
だって俺、大良のこと好きだからさ……
好きだからって……
なんだそれは?
友人に対して好きを言う言葉を使うこともある。そういう意味なのか?
その友人と手を繋ぐことも有るのか?
まて……
大地はまだ二十歳にもなっていない子供だ。夕方見た男はどこから見ても二十歳を越えていた。そんな年齢差のある二人が手を繋ぐのは流行だからといっても変ではないか?
早樹は頭から垂らしているタオルの端をもってぼんやりと考えた。まだ乾ききらない髪からポトポトと水滴が落ちている。だがそんなことを気にする余裕が無かった。
友達……
大良博貴か……
調べてみるのも良いだろう。
興信所に友達いたしなあ……
早樹はそう決めると、洗面台に引き返し濡れた髪を乾かすことにした。だが何となく心の中に生まれた不審が、ずっと早樹の胸の内で燻っていた。
「大ちゃん……帰ってきたんだ……」
マンションに戻り、玄関に入った瞬間に博貴が走ってきた。その姿に大地はなんだか嬉しくなった。
「うん……あそこにいると早樹にいの小言につき合わされるから……嫌になっちゃって帰ってきたんだ……」
やや博貴から視線を逸らせて大地は言った。そんな大地を博貴は胸元に引き寄せ抱きしめた。
「……大良……」
「うん……なんだかねえ……大ちゃんが帰ってこないような気がして心配だったんだ。一晩だけだって分かっていたんだけどね。だからとても嬉しいよ」
博貴は頬を大地の頭に何度も擦り寄せた。
「……大良が迎えに来てくれたときに一緒に帰りたかったんだけど、ほら、早樹にいがあんなことしたからさ……」
目を細め、厚い胸板に大地も頬を寄せ、いつも博貴が付けているオーデコロンの薫りにホッと気持ちを落ち着かせた。
この匂い……
博貴の匂いなんだよな……
「……うん……一緒に帰ってくれる気持ちが分かっただけでも、私はホッとしたんだ。私は大地が許してくれないかもしれないと酷く不安だったんだから……」
この男も不安になるのだろうか?
俺が感じてたように……
チラリと顔を上げると、切ない瞳がこちらを見ていた。それはどう見ても嘘を付いているようには見えなかった。
「……そうなんだ……」
良い言葉など大地には浮かばなかった。
「もし……大地が……聞きたいなら……何でも話すよ。他の誰に嘘を付いても……大地にだけは嘘を付きたくない」
擦りつけていた頬の動きが止まって、じっと大地の言葉を待っている博貴の事が大地には分かった。
「……俺……」
……
俺……
俺も不安だった……
多分……
まだ不安は解消されない……
聞いたところでそれが解消されるとも思わない。
だから俺……
もう聞かない。
お前が過去だって言ってくれてるから……
それで良いことにする。
知ったら……
知ってしまったらきっと……
俺……
許せないかもしれないから……
知らない方が良いかもしれない……
「俺……聞かないよ。お前が俺のこと本当に大事にしてくれてるの分かるから……。聞いても過去だもんな。大良も色々あったんだから……今更それを思い出させるようなことも俺……したくない」
言って大地は博貴の胸に更に身体を擦り寄せた。
違う……
恐いんだ……
俺は……
本当の事を知るのが恐いんだ。
知ったときに自分がどういう行動に出るか分からないから……
それが恐い……
だから……
聞きたくない。
絶対に聞かない。
何も知らずに、過去だと思っている方が……
俺にはまだ安心できる。
お前がこうやって抱きしめてくれているから……
だけど……知ってしまったら……
幾らお前が抱きしめてくれても……
何度俺に愛してるって言ってくれても……
今は俺だけだって囁いてくれても……
俺は……
駄目かもしれないんだ……
「大地……君には絶対に私は自分を偽ったりしない……それは分かって欲しい……。君だけを愛していることも……大切にしていることも……誰よりも……君を必要としていることも……全部……本当の事なんだ……」
博貴の廻している手に力が込められ、きついほどの抱擁に大地は酔いそうだった。その圧迫感が逆に心地よく感じるのは、不安な気持ちが大地の心の中にあるからだろう。
今まで通りに暮らせばいい……
何もないんだから……
今は……
一緒にいるんだから……
「俺……俺も大良のこと……好きだ……」
博貴の方をじっと見つめて大地はそう言った。すると博貴は伺うような、そろそろとした動きで、こちらの唇に自分の唇を重ねて来た。
「……ん……」
肉厚な舌が大地の舌を捉えて緩やかに愛撫し出す。その動きは何時もと違い優しかった。
「大地……」
口元が離れると、もう一度博貴は大地を抱きしめた。
俺……
これで良いんだ……
知らなくて良い事って世の中には一杯あるよな……
そのうちの一つなんだ……
だから……
良いんだ……
目を閉じて抱擁に身を任せていると、背に廻っている博貴の手が、シャツを捲り上げてきた。その動きに逆らわず、大地はシャツを脱ぎ、上半身裸になった。
「なあ……」
閉じていた目を開けた大地は上目遣いに博貴を見る。すると博貴は優しげな瞳をこちらに向けていた。
「なんだい?」
「……お前……こんなとこでやるきか?」
顔を赤らめながら大地が言うと、博貴が小さく笑った。
「寝室に行こうか……大地が欲しくて堪らないんだ……私はここでも良いけどねえ……」
「うわ……恐ろしいこと言うなよ……。玄関口でなんか俺やだぞ……」
以前はしたことがあるのだが、大地はあんまり良く覚えていない。
「じゃあ……寝室に……」
言って博貴は軽々と大地の身体を抱き上げた。
「……博貴……」
大地がそう呼ぶと、博貴は大地を抱え上げたまま額に唇を寄せた。