「秘密かもしんない」 第15章
「戸浪にい……?」
「まあ……私から見て思ったんだが、あの男はかなり大に惚れてるね。それを逆手に取ってやればいい。連絡なんかする必要はないぞ。向こうからしてくるまで待っていたら良いんだ。どうせ大からしてくれると向こうは思っているはずだからな。別段大したことじゃない。大に何かを企めと言っているわけじゃないんだ。というより、お前にはそんなことは出来ないだろうからね。だから、何もしなくて良い。暫くお前が沈黙していたら良いことなんだから……」
フフッと笑って戸浪は言った。
「……でもさあ……」
戸浪の嬉しそうな顔に大地の方が困ってしまった。
「一度くらい焦らしてやれ。そのくらい大はしたっていいんだからな。それより大が一人で暫く考える時間が出来て良かったじゃないか。一度離れて、相手を外から眺めてみるのも良いだろう。すると何時も一緒にいて見えないところが見えくる。それからゆっくり考えるのも必要だと私は思うんだけどね……」
なにやら良く分かったように戸浪が言った。
「……それって……戸浪にいの経験から言ってるのか?」
「え……あ、いや……そういう訳じゃないがな……。そうだ、そろそろユウマを寝かしつけてくるよ……」
戸浪は膝の上に乗っているユウマを抱き上げて椅子から立ち上がった。
「うん。じゃあ、俺……自分のもの片づける」
チラリと時間を確認すると五時半過ぎだった。何時も起きる時間よりまだ早い。
眠くないけど……
ちょっと横になろうかな……
皿を洗い終えた大地は、手を布巾で拭きながらそんなことを思った。だが考えると自分は何もこのうちに持ってきていないのだ。
「大、どうする?リビングの方に横になるよう布団を敷いたが、少し横になるか?」
戸浪が何時の間にかキッチンに戻ってきてそう言った。
「あ、うん……横になろうかな……でさあ……俺……パジャマとか何も持ってきてないんだけど……」
大地がそういうと、戸浪は分かった顔で、シャツを差し出した。
「これで代わりになるだろう。何だったら、お前の荷物は全部あっちから引き上げるといい。少しは自分のしている馬鹿さかげんに気が付くだろうから」
シャツを受け取った大地は戸浪の言葉に頷く事が出来ず、ただ笑うだけにとどまった。
大地は着ているものを脱ぎ、シャツに着がえると戸浪が用意してくれた布団に横になった。何故かそこにユウマがやってきて大地の隣に身体を伸ばした。
さっき寝かしつけると戸浪にい言ってたのに……
なんだかおかしな奴だなあ……
そう思いながらも、大地は猫や犬が好きなため、ユウマが横になっているのを嬉しそうに眺めた。
「戸浪にい……こいついいの?」
「ユウマは大のことが気に入ったんだろうな……。お前が気にならないのなら一緒に寝てやるといい。私も少しだけ寝室で横になるよ……じゃあおやすみ……」
小さく戸浪は欠伸をすると、そこからリビングから出ていった。
「お休み……兄ちゃん……」
大地もそう言って身体を横にすると、ユウマの背を撫でた。光沢のある黒い毛はサラサラしていた。手入れが行き届いているのは、戸浪と祐馬が大切にしているからだろう。
「可愛がられているんだな……俺もなんか動物飼いたいな……」
昔、大地は公園で拾った犬を飼っていた。名前は「犬」だ。もちろん大地が拾ってきた為、大地が面倒を見ていたのだ。いくら洗ってやっても薄汚れているような毛色に毛質はごわごわしていた。その上毛の量が多かった。だから小さな時から既に年寄り犬に思われていたのだ。
顔も毛に覆われており、どんな顔をしているのか全く分からない犬だった。指で毛をかき分けるとようやく小さな瞳が見える。その目はいつも大地を見ていた。
澤村家の家計事情により、犬にまで食べ物が廻らないことも多かった。そんなとき、大地は犬を連れて近所を廻り、夕食の残りを貰ったことを良く覚えていた。
大地はその犬を本当に可愛がっていた。だが、六年目の夏、蚊から伝染する病気で犬は死んだ。毎年きちんと駆除をしておれば助かった病気であったのだが、幼い大地にはそんな知識がなかった。一度も動物病院に連れていったことなど無かったのも知ることの出来なかった原因だろう。
もちろん家族の全員が知らなかったのだ。犬が血尿を出したとき、今まで無関心だと思っていた父親が犬を車に乗せ、隣町にある動物病院に数時間かけて連れていってくれたことを大地は良く覚えていた。
だが手遅れだった。
そうして犬が死んだとき家族全員で裏山に葬ったのだ。まるで家族を失ったようにそこにいた澤村家の人間はそれぞれの泣き方で涙を見せた。それがずっと心残りで未だに動物を飼えないのだ。
知識があったら、今も元気に生きていたのかもしれない……
そう思うといくら動物が可愛くても飼えないのだ。
ゴロゴロ……ゴロゴロ……
ユウマは気持ちよさそうに喉をならし目を閉じていた。大地はその音を聞きながら眠りについた。
朝、大地はカチャカチャという物音で起きた。
う~ん……大良朝から何やってるんだよ……
目が開くと、いつも目が覚めて見える景色と違うことで、大地は自分が祐馬のうちに来ていることを思い出した。
あ、そうだった……
俺……
三崎さんちに来てたんだっけ……
目を擦り、大地が身体を起こすとキッチンに繋がるドーム状になった通路から蛍光灯の光が漏れていた。
大地は身体を覆っていたタオルケットをたたんでから、立ち上がるとキッチンに向かった。手伝えることがあったら手伝おうと思ったのだ。
キッチンに立っていたのは戸浪であった。
まさか……戸浪にいが、飯作ってるのか?
呆然とキッチンの入り口に立っていると、大地に気が付いた戸浪が振り返った。その顔はやはり眠そうだった。その足下にはユウマが座っていた。
「おはよう大……」
「おはよ……あのさあ、もしかして戸浪にいが飯作ってるのか?」
戸浪の作る料理の不味さは家族の誰もが知っている。不味いのではない。それを越えたところにあるのだ。何故そうなるのか大地も聞いてみたいほどだ。
「朝食だけな……パンをトースターに入れて焼いて、ハムエッグを作るだけだ。お前が心配するほどの事じゃない。どちらも焼くだからね。朝食は私の担当なんだよ……」
苦笑しながら戸浪は言った。
「そ、そう……」
大地は椅子に座りながらそう言った。
「ところで、大。今日は昨日と同じなのは仕方ないが、服をどうする?兄ちゃんの提案通り、向こうから荷物を引き上げてくるか?なら手伝ってやるが……」
「え……あ、うん……」
すっかり忘れていたのだ。
荷物を全部出す……
博貴のうちから?
そこまではしたくない……
「俺……今日夕方行って、とりあえずの荷物だけ取ってくる。全部出すのは……やっぱり出来ないよ」
あのうちから大地の荷物を全部出し、大地の匂いが無くなってしまったら、博貴がどうするか分からないのだ。
何となく誰か引き入れそうで嫌だった。博貴がそんな事をするとは思えないのだが、以前大地があのマンションに一緒に住むことを躊躇したとき、博貴は言ったのだ。一人だと寂しくなって誰か連れ込むかもしれない……と。それが冗談であることは分かっているのだが、やはり大地は心配だったのだ。
もちろん、例の女性の事もある。まだケリの付いていないあのビデオの女性を大地がいない間にあのマンションに引き入れていた可能性もあるのだが、疑い出すときりがない。
まず俺がしなきゃならないのは……
今日会社帰りに博貴のマンションに寄って当面の衣服だけを持って出る。
早樹にいがいたら、殴り合いになっても、もう一度話をする。
それから……早樹にいが調べた博貴の過去をちゃんと目を開いて見る。
それと……
一番大切なのは、その中にビデオの女性の住所が載っていたら、会いに行って話を聞く。
大地はそう決めたのだ。
一つずつ片づけていくしかない。何より大地は一つずつしか物事を考えられないからだ。一度の沢山の事があったから、自分自身が受け止めきれずに混乱したのだ。だから一度にではなく、順番に考えて答えを出していけばいい。
「じゃあ君は……早樹さんに……いや、自分の両親にどれだけ悲しい思いをさせても自分の気持ちを突き通せる自信があるのかい?ねえ……どうなんだい?私の過去をどうにも許せない君に……出来るわけないだろう?そうだろ……大地……」
もし両親ばれたら、どれだけ時間がかかっても理解して貰うように説得する。それは理想で、絵空事のようなものかもしれないけど、俺はここまで俺を大きくしてくれた両親を理由もなくただ振り切ることはしない。早樹にいもそうだ。早樹にいにも絶対分かって貰う。
俺は早樹にいも好きだ。例え、博貴からするとただの邪魔者なのかもしれないけど、俺にとって大切な兄ちゃんなんだ……。博貴が言うように振り切ろうなんて卑怯なことはしない。俺は自分のやっていることが悪いと思っていない。後ろめたくもない。俺はあいつが好きだから一緒にいるんだ。あいつの側にいたいから俺はつき合ってるんだ。
あいつの過去にしても俺は全部知ったらきっと泣くんだと思う。それは仕方ない事だと諦めて貰うしかない。泣くのは俺があいつをそれだけ好きだからだ。泣いたから別れようとは思わない。後は自分の気持ちを整理するだけだ。
大地はそう決めた。決めたからにはあとは、その気持ちに従って行動すれば良いのだと、心に決めていた。
ただまだ気になるのはビデオの女性だった。もし、その女性に会い、博貴とまだ関係があるのが分かったら、諦めるしかない。
その時大地は博貴に別れようと言うだろう。博貴がその事に対して、遊びだと言い訳をするなら殴って別れるつもりだ。
だが今はそこまで考える必要はないのだ。
結果はどれもまだ出ていないからだ。
「そうか……あ、大、悪いがパンを並べてくれないか?」
戸浪は深く追求せずにそう言った。
「うん」
大地は戸浪に言われるまま椅子から腰をあげ、トースターの所に行くと焼き上がったパンを取り出し皿に移し替えた。
「でさ……早樹にいって何やってるの?俺すっげー気になってるんだけど……」
パンを乗せた皿をテーブルに並べながら大地は言った。
「普段はこのうちでゴロゴロして祐馬のゲームをしているようだよ。時々出かけているみたいだけどな。そのことを私も詮索しないから何をしてるのか実際は分からないね。ここ暫くは祐馬と何故か仲良くゲームをしたりしているようだし……ユウマもここ最近は早樹兄さんの膝の上に乗ったりして、なにやら不気味だよ……」
困惑したように戸浪は言った。
「早樹にい……戸浪にいのことは認めたのかな……」
「それはないだろうな。ただ毎日顔を合わせる祐馬の酷い顔を見て、少しは悪いと思ったようなんだ。まあ……あれは酷かった」
酷いと言いながら、戸浪は笑っていた。
「……でも早樹にいと三崎さんって一緒にゲームしたりしてるだろ?それって仲良いじゃん」
「祐馬が誘うんだよ。あいつは本当に馬鹿の上に超がつくんだろう。嫌な奴でもあんなふうにすり寄られると、無下にはできないんだろうなあ……早樹兄さんは元々そういうところがあるから……」
大地はそれを聞き、祐馬らしいと本当に思った。
「……じゃあ……いつか早樹にい……戸浪にいの事は認めるつもりなのかな……」
いいなあ……と思いながら大地はまた椅子に座った。
「どうだろうな……そうなってくれると良いが……。早樹兄さんも複雑なんだろう。私が初めて大の事を知った時のようなショックを受けていると思うんだ。だから私も早樹兄さんを責めたり出来ないんだよ。気持は充分理解できるからね……」
言いながら戸浪はフライパンの上で焼き上がった目玉焼きを皿に移し替えていた。
「でもあの時戸浪にいはもうつき合ってたじゃないか……」
頬を膨らませながら大地は言った。
「まあね……でもほら、大地には分からないと思うが、兄という立場は色々複雑なんだよ……こう……割り切れないと言うか……。ただ、早樹兄さんにとって大は特別だからなあ……。重症のブラコンって言うのか?何時だって大のことを心配しているからね。口を開いたら大はどうしてるんだ?可愛い恋人でも出来たか?仕事ちゃんとしてるか?……と、お前には言わないんだが、電話を貰うといつも私の事じゃなくて大のことを聞いてくる。本当に毎回五月蠅いよ」
くすくすと声を出して戸浪は笑い、目玉焼きを乗せた皿をテーブルに並べた。
「もうコーヒーが出来ているはずだから、カップに入れてくれないか?私は祐馬を起こしてくるから……」
何となく頬の辺りを赤らめながら戸浪は言って、素早くキッチンから出ていった。
別に恥ずかしがることないのに……
その朝、起こされた祐馬も入れ、三人でテーブルを囲むと、いつもと違う朝食風景に違和感を感じた。途中、早樹が起きてくるかと思ったが、それはなかった。
大良……ちゃんと食べてるかな……
大地はハムエッグを頬張りながらそんな事ばかり考えていた。
出社し、お昼休みに大地は博貴のうちに電話をかけた。もちろん、とりあえずの衣服を持ち出すためである。それにはどうしても一度あのうちに入れて貰わないと駄目だからだ。
「あ、もしもし……俺……大地。悪いんだけど、夕方お前いるか?」
いつも通りに大地は平静を装ってそう言った。
「え、ああ……いるよ。どうしたんだい?」
博貴もいつも通りにそう言ったが、どことなく素っ気ない感じを受けた。
「俺、当分三崎さんちに居候するから、服とかお前の家から持ち出したいんだ。だけど、俺のカード使えないから、入れてくれないか?」
「……そう。いいよ。着いたら連絡をくれたらすぐに解除するよ」
それだけ言って博貴は電話を切った。
……はあ……
あいつ何考えてるのか本当に分からないよ……
また気分が落ち込みそうになるのを振り払いながら、大地は顔を上げた。
俺は俺らしくいたらいい……
あいつが何企んでるのか知らないけど……
あいつが何を、どうしたいのかも分からないけど……
これだけは分かってるから……
大良は俺と別れる気はないって……
それが分かる間は……
俺……大丈夫だ……。
そう強く心に思うことで大地は気分が良くなり、それからの仕事に支障が出ることはなかった。
時計の針がもうすぐ六時を指すところだった。
だが博貴は昼間大地から電話を貰ってからずっと針とにらめっこしていたと言って良いほど、時計ばかり見ていた。
今日は特に時間が経つのが遅いと博貴は本当に思った。
荷物を出すって……
それを聞いてから博貴には珍しく混乱していたのだ。大地の事だから、すぐに帰ってきてくれると本気で考えていたのだから、昼間大地からかかってきた電話の内容には驚いていた。
まあ……
全部とは言っていなかったが……
それだけが救いなのだが、いずれそうなるかもしれない。だが突き放し、ここから半ば追い出したような形で大地を放り出したのは他ならぬ博貴だった。今更、御免なさいで済むわけなどないのだ。
兄の戸浪のいる場所に居候すると言うことは、あの早樹とも一緒に暫く住むと言うことだ。そんな環境の中、大地が早樹に本当に懐柔されないとは言い切れないだろう。
もしも本当に大地が決心を付けたらどうするんだ?
大地が自分から離れることなど出来ないと言う自信はある。あるから大地をあんな風に放り出すことが出来たのだ。だが何かが違っていた。
大地はここに戻る気もなく、逆にここから荷物を出すと言ってきたのだ。
昨夜何を大地は考えたのだろう……
早樹のことでもなく、今問題になっているビデオの女性でもなく、ただ、博貴の態度だけに関して考えたのだろうか?
博貴は一言も別れるとは言わなかった。これから起こりうること、そしてどうにもならない博貴の過去のこと、更に今邪魔をしている早樹の事を考えて欲しいと頼んだのだ。その考える方向が博貴の考えていることとは違う方向で大地は考えたのかもしれない。
何を考えたのだろう……
私の態度の冷たさか?
それとも、私のような男はもうごめんだという結論を出したのか?
博貴はう~んと唸ってまたローソファーに倒れ込んだ。と、同時にインターフォンが鳴った。
大地が来た……
博貴は身体を起こし、大地を迎えに行くために玄関から外に出た。そうしてポーチを抜けエレベーターに乗って一階迄下りてくると、自動ドアの向こうに大地と何故か戸浪が立っているのが見えた。
うわ……
お兄さん登場……
大地の表情はいつもと変わりないものであったが、戸浪の方は何処か怒りを押し殺した顔をしていた。
合わせる顔がないんだけどねえ……
そんな事を考えながら、内側にある機械にキーを差し込み自動ドアを開けた。
「大良……ごめんな……。すぐ出ていくから……」
その言葉に博貴は胸が痛んだ。
すぐ出ていくか……
自分で追い出したのにも係わらず、どうしてだい?……と、問いつめたくなったが、側に戸浪がいることで大地に言うことが出来なかった。
「この間はどうも……」
戸浪はそれだけ言うと、他には何も言わなかった。だがこちらを見つめる瞳は酷く冷たいものだった。そんな戸浪からの視線を避けつつ、二人を自宅のある最上階に案内した。
「じゃあ……大ちゃん……済んだら声をかけてくれるかな?」
手伝うわけにもいかず、博貴はそう言った。
「あ、うん。勝手にするから……」
大地は分かったようにそう言い、クローゼットのある部屋へ兄の戸浪を連れて去っていった。博貴はそれを見送り、自分はまたリビングにあるローソファーに座った。
こういう場合……
飲み物でも出した方が良いんだろうか……
なんて間抜けなことを考えているんだと博貴は思ったが、結局何も用意せず、ソファーに座り込んだまま動けなかった。
大地の態度は普通だったな……
目線だけはチラチラと入り口の方へ向けていたが、大地達が来る様子はなかった。
あの戸浪さんの顔……
あれはかなり怒っている……
つい最近、戸浪と話しをしたことを博貴は思い出していた。その時思ったのは澤村家の人間はみな、真っ直ぐだと言うことだった。その中には戸浪も含まれる。今は博貴のことを最低な奴だと思っているに違いない。
いきなり電話をして迎えに来てくれと言えば誰だって腹も立つだろう……
いや……
そんな事で怒っているわけではないのだ。多分大地から聞いて事の次第を知っているに違いない。だからあんな風に怒っているのだ。
まだ言葉で非難されるならいい。しかし、早樹が言葉で相手を責めるタイプなら、戸浪は沈黙する事で責めるタイプなのだろう。だから博貴に何も言わず、冷たい視線を投げかけてくるだけなのだ。
そっちの方が痛いんだが……
とはいえ、どう考えても博貴の方が立場が悪い。
大地と話しをしたいな……
そう思いながらまたリビングの入り口の方へ視線が向かう。すると大地がひょっこりと顔を見せた。手には大きなスポーツバックを持っている。その真後ろにやはり紙袋を両手に持った戸浪が立ち、また先程見せた冷たい視線をこちらに向けた。
「済んだから……俺、帰るよ」
大地はそう言った。
「あ、ああ。もう帰るんだ……」
苦笑しながら博貴は言って立ち上がった。
「長居する理由がないからな。いずれ全部荷物を出すためにまた伺うだろうがね」
戸浪が淡々とそう言った。
「戸浪にいっ!余計なこと言うなっ!」
大地は慌ててそう言ったが、戸浪の言葉を大地が完全に否定しているようには見えなかった。
嘘だろ大地……
君……
本気でそう思ってるのかい?
言葉には出来なかったが、博貴は今戸浪が言った言葉に酷くショックを受けたのだ。
「じゃあ……帰るよ……。見送らなくて良いから……内側からは簡単に出られるし……。あ、ちゃんと飯食えよ……」
博貴の方を見ずに大地はそういうと入り口から姿を消した。
大地……
本気なんだ?
何かを吹っ切ったような大地の態度と表情が博貴を不安にさせたのだ。それは今まで博貴が感じたことのない不安だった。
本気?
まさか……
博貴は半ば呆然と立ちすくんだまま、大地が消えた入り口を眺めることしか出来なかった。