Angel Sugar

「秘密かもしんない」 第19章

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「大良っ……よせって……」
 大地が幾らそう博貴に言おうとも、当の本人は手を止めることも、離すこともしなかった。逆に博貴の手が何度も背中を上下し、大地の肌の感触を確かめるような動きを繰り返す。だがこんな所で煽られた大地は堪ったものではない。
「大地……嫌かい?」
 先程まで動かしていた手を止め、博貴は頭上からこちらの表情を覗き込んできた。その顔に対し大地は怒りの表情を向けた。
「いい加減にしろよ……」
 博貴のことだから、又散々人を煽って苛めるつもりなのだ。毎度の事とはいえ、今日ばかりは大地も頭に来た。今、大地は兄の早樹と一緒にいる。いや、真喜子も一緒だ。その上博貴は利香子という過去の女と話しをしているのだ。そんな状況の中でどうしてこんな気分になれるのだ。
 からかってるんだ……
 俺が恥ずかしい顔でもすればこいつ嬉しいんだろうか……
「大地……」
「そうやってお前は俺を何時だって困らせて楽しんでるんだろう……。どうしてそんなことばっかりするんだよ。俺は……真面目に考えてるんだぞ。お前の事だって……早樹にいのことだって……何時でも俺は真面目なんだっ!なのにお前は俺をからかってばっかりだ。俺が恥ずかしがる姿を見て楽しいか?俺には、お前……考えろって突き放したけど、じゃあお前はどうなんだよ。全然真面目さがないっ!全然ないよっ!お前は何も考えてないじゃないかっ!俺……色々考えたよ……。だから博貴の事を調べたものだってまだ見てない。人が調べたお前のことを見るのが卑怯だと思ったから……。俺が聞けばそれでいいって……。聞けなかった俺が悪かったんだって考えてた……。なのに……」
 腹が立って大地は仕方がないのだ。博貴のこんな態度を見ると、からかわれているような気がして仕方がない。 
帰ってきてくれないと言われても追い出したのは博貴だ。
 考えろと言ったのも博貴だ。
 それら全てを大地は真面目に捉え、自分なりに考えて色々答えを出そうとしている。その原因になった相手がこんな態度を見せると、大地は悲しいのだ。
「からかってなんかいないよ……」
 博貴はそういって一応は真剣な顔を向けるのだが、大地にはそれが本当に真剣に考えているのかどうか判断が付かなかった。
「お前の事でもあるんだぞ……ちゃんと考えろよ……。頼むから少しくらい真面目に考えてくれよ……でないと俺……」
 博貴の手を払いのけ、大地は俯いた。
 これ以上博貴の顔を見ていると、もっと酷いことを言ってしまいそうだったからだ。
「……そうだね……ごめんよ大地……」
 言って博貴は大地の頭をひと撫でし、自分から先に出ていった。大地の方は暫くそこから動けないでいた。

博貴は自分の席に戻ると利香子はまだそこに座っていた。気持ちの余裕がないときにこの女の相手をするのはかなり骨が折れる。
「……博貴遅かったわね……」
 まるで自分が彼女のような口調の利香子を本当に殴り飛ばしたいと思いながら、博貴は席に付くことをせずに伝票を取ると、無言で会計に向かって歩き出した。
「博貴って……」
 利香子は後を追ってきたが、振り返ることもしなかった。
 そうして会計を済ませ、まだ後ろにくっついている利香子をやはり無視し、博貴は店を出た。今はただ、さっさとうちに帰りたかったのだ。
 大地の言葉が堪えた……
 憂鬱な原因はそれだった。それほど不真面目に見えるのだろうかとも思う。これでも真面目に考えているつもりなのだが、そう見られていなかったのが辛い。
 確かに人目もはばからず大地を抱きしめたのがそもそもの間違いなのだが、大地を久しぶりに見た博貴は思わず衝動的な行動に走ってしまったのだ。
大地がいない毎日がかなり堪えているのだろう。何時も用意されている朝食も無ければ、一緒に夕食を食べることもない。キッチンで雑誌を読みながら料理する姿も見られない。
 あまりにも日常に溶け込んでいた大地の姿が今はないのだ。
 そんな毎日を過ごした末に、ここで大地に偶然会ったものだから博貴は自分を抑えることが出来なかった。
 そんな博貴の行動が大地を傷つけてしまったのだ。
 傷つける気などさらさらない。ただ暫く手の中からいなくなった大地を抱きしめて、その温もりを感じたかっただけだった。
 自分の腕の中にすっぽり入る小さな身体は、抱きしめていると安心する。サラサラの髪は太陽を一杯に吸い込んだような香りがするのだ。
 久しぶりにそんな大地を自分の手の中に入れ、自分でも驚くような事をしてしまった。今までの博貴なら考えられない行動だった。もちろん、何事も二人の間にないときはからかいまじりに大地を抱きしめたりすることはあったが、今はそんな場合ではなかったのだ。
 大地をうちから出したことが……
 間違ってたんだな……
 後悔しても仕方がないのだが、すぐにそこに戻ってくる。
「博貴って……」
 まだくっついてきている……
 チラリと後ろを振り返り、相変わらずの利香子を目線に捉えると博貴は立ち止まった。
「いい加減にしてくれないか?」
「……どうしてよ……」
 どうしてというこの言葉は何を元に出てくるんだろうか……
 全く理解に苦しむ。
「逆に聞くけど、どうしていつも私に戻ってくるんだい?それが不思議で仕方ないよ」
 ポケットに手を突っ込んで博貴はそう言った。
「だって……博貴は優しい人だから……」
 思わず目が見開くような事を利香子は言った。
「私が?何処が?」
「……何時も優しい声を掛けてくれたわ……」
 かけてない。
 何時どういう言葉をかけたというのだろうか?博貴には益々訳が分からなかった。
「……私はもう男の子しか興味ないんだ……。それも可愛い子しかね……。同席していた女性が言ったとおり、男の子しか勃たないよ」
 それは本当の事だった。
「……病気なの?」
 利香子は表情を硬化させる。
「……どうとでも」
 はあと溜息をついて博貴は足下を眺めた。
「ねえ……博貴って……」
 こちらの言うことなど耳に一切入っていないのか、利香子はそう言って博貴の腕に絡んできた。それを振り払う元気も今博貴にはない。
「……重いから離してくれないか……」
「私が元気にしてあげるからさあ……ねえねえ……遊びに行こうよ……」
 ってこの神経はなんだ?
「ねえ……君は知らないと思うけど、少しだけつき合った君だから教えてあげるよ。私はね、君みたいな女の人を裏でソープに売り飛ばしたりしてるんだよ。知らないだろうなあ~」
 もちろん嘘だが、永遠に切ってしまうにはなかなか良い話しかもしれないと博貴は思った。
「……え?」
「だって、私の住んでいるマンションを君は調べたんだろう?あんなのホストの稼ぎだけじゃあ買えないよ。そのくらい幾ら君が馬鹿でも分かってくれるよねえ……」
 じっと利香子の目を見つめて博貴は言った。
「……じょ……冗談でしょう?」
「冗談なんか言わないよ。君に商品価値があるかどうか知らないけど、あんまりしつこいこと言ってくるんだったら、二束三文で引き取って貰ってもいいね。もう君、本当にしつこい。大学の時遊んだ相手だから、多少はこっちにも引け目があったけど、ここまできたら私も堪らないよ。何時までも付きまとわれることを考えたら、君を売ってしまう方が多少私にもお金が入ってくるし、気も休まる」
 ハッキリとそういうと、利香子は腕を掴んでいた手を離した。
「貴方って……何時からそんな人になったの?」
 それは軽蔑を含んだものだった。
「昔からだよ……遊んだ女も売った女も数え切れない。だから君が言ういい人って言う言葉に笑いしか出ない」
 ははと乾いた笑いで博貴はそう言った。売った女など一人も居ないのだが、遊んだ女は確かに多かったのだ。別に完全に嘘を言っている訳ではない。その事実に自分で落ち込むだけだ。
「……最低……っ!」
「最初から私は最低だって言ってるだろう。嫌な目に合いたくなかったら二度と私の前に姿を現さないでくれないか?今度現れたら、君の住所を取引先に渡すからね」
 冷ややかな目で利香子を見ながら博貴は言った。この言葉は幾ら変わり者の利香子もぞっとしたのだろう。
 利香子は表情が真っ青になっていた。
「……貴方のこと誤解していたわ……さよならっ……二度と貴方のところになんか戻ってきてやらないから……」
 頼んでもいないのだが、訳の分からない言葉を利香子は言うと、足早に去っていった。
 全く……
 これで本当にあの利香子が諦めてくれるんだろうか……
 奇妙な嘘を付いてしまったのは仕方ないだろう。ひっぱたいたところであの利香子は諦めないからだ。
 うちに帰って寝直そうか……
 博貴は暗澹たる気持ちを引きずりながら家路に向かって歩き出した。 
 
「大、体調でも悪いのか?」
 席に戻ってくるのが遅かった為、早樹は心配そう聞いてきた。だが体調が悪いのではない。あまりの博貴の態度にむかついているのだ。
 違う……
 辛いんだ……俺……
 俺はこんなに真剣なのに……
「……え、違うよ……何でもない……」
 大地はとりあえず作った笑みを早樹に向けたが、真喜子が意味ありげな視線を向けているのが分かった。
 あ……
 ばれてるかもしれない……
 真喜子は多分大地が行った後を目で追っていたのだろう。その後、博貴が立ち上がったのも見ていた可能性は充分にある。
「そろそろ帰ろうか……大も夕方から仕事だろう?」
 意外にここで長居したのだ。そろそろ戻らないと仕事に間に合わなくなる。
「うん……あ、真喜子さんどうする?今晩店は?」
 と、言ったところで、大地は不味いと思った。何より早樹は真喜子がホステスであることを知らないのだ。それを知ったらどう思うかを考えると口に出してはならない言葉だったのだ。
「店?」
 大地が心配したとおり、早樹はやはりその言葉に引っかかったようだった。
「ええ、私銀座でホステスをしておりますの。宜しければ一度お越し下さいね」
 真喜子は動ずることもなくそういうと、自分の名刺を早樹に渡していた。早樹の方はといえば、それを受け取りながらも、目が驚きで丸くなっていた。
「ホステス?」
「ええ。そうですわ。何か問題がありまして?」
 にこやかな顔で真喜子は言った。それに押された早樹は「いえ……」とだけ言った。余計なことを言うのではないかと思ったが、意外に早樹は何も言わなかった。
 それにホッとしながら大地は立ち上がり、伝票を取った。
「大、ここは私が払うから……こういう時くらい兄にいい顔をさせてくれ……。外で待ってくれていたら良いから」
 早樹はそう言い、大地の手から伝票を取ると、会計に先に歩いていった。
「……で、何かあったでしょう」
 ぎく
「な、なんのことかなあ……あはは」
 いきなり真喜子にそう言われ大地は笑って見せたが、真喜子を誤魔化せるわけないのだ。
「またまた~大ちゃん。思いっきり顔に出てるって。それで隠そうとしてるの?」
 クスクス笑いながら真喜子は言った。
「……え……あの……まあ……。ちょっとだけ博貴と話ししたんだけど……あいつの事分からなくなってきた……」
 大地は視線を川の方へ向けた。
「へえ、何を言われたの?」
「何って……あいつ……俺のこと自分が追いだした癖に、俺が帰ってこないって不満を言うんだ。信じられない……。俺にどうしろって言うんだよ……」
 はあと大きな溜息をついて大地は言った。
「ふうん……それだけじゃないでしょう~」
 ニヤニヤとした顔で真喜子は言った。
 ばれている……
 これは思い切りばれている……
 それとも博貴の行動パターンを真喜子が良く知っているのかもしれない。
「……大したことはなかったけどさ……あんまりふざけてるから俺、怒鳴りつけてやった。あいつ……どうしてこう不真面目なんだろう……。こんな時にさ……分からない……」
「ふざけてるんじゃなくて……多分寂しいのよ……」
 真喜子はそう言って大地の俯き加減の顔を覗き込んできた。
「……寂しい?」
「……自分で追いだしたくせに、大ちゃんが今うちに居ないことが、随分堪えてるんでしょうねえ……馬鹿だわ……ほんと」
 あはははと笑い真喜子は何故だか嬉しそうだった。
「んなわけないよ……あいつそんな感じしなかったぞ。ただ俺をからかっただけなんだろ。いつだってそうだもん。俺、マジ今回は頭に来た」
 本音と冗談が混じっている博貴の言動に大地はいつだって振りまわされているのだ。それはお互いが一緒に暮らし、コミュニケーションとしての時もあるが、こんな状況でからかわれても笑うことすら出来ない。
「……ふうん。まあいいわ……そう思っていても……。少し頭冷やした方が良いかもしれないし……」
 誰の事を言っているのか大地には分からないのだが、真喜子に聞こうとすると、早樹が戻ってきた。
「外で待っていてくれていると思ったらまだここにいたのか……帰るぞ大……」
 相変わらず何も知らない早樹はそう言って笑った。
「あ……うん。真喜子さん外に出るまで一緒に行こうよ……」
「そうね」
 真喜子は言って、うーんと小さく伸びをした。

うちに戻ってくると、ウサ吉とユウマがキッチンとリビングを行ったり来たりしながら走り回っており、あちこちひっくり返していた。
「わーーっ……何これ……」
 椅子の上にあった座布団は床に全部落ちており、リビングに置いていたウサ吉の籠も床に転がっている。ソファーの上にあったクッション等ももちろんあちこちに転がっていた。
「こらーーっ!お前達っ!何やってるんだよっ!」
 大地がユウマを追いかけそう叫んでいる後ろで、早樹がウサ吉を捕まえていた。早樹の腕の中に掴まったウサ吉は長い脚を上下に動かし、ぶぶぶぶと鼻を鳴らしていた。その様子から不満げに見えた。
 ユウマの方は何処かに消え、幾ら探しても出てこなかった。
 要するに二匹とも悪いことをしたという意識はあるのだ。だから大地が叫んだ段階で二匹とも逃げ出したのだろう。
 もう……
 戸浪にいが見たら驚くぞ……
 転がっているクッションを拾い、元の位置に戻しながら大地は思った。まあ、何か壊している様子は無かったので大地はホッとした。
 追いかけっこでもして、あちこち上り、その拍子にクッションなどが転がったのだろう。そんな感じだった。
「まあ、怒ってやるな……。ユウマも友達が出来て嬉しかったんだろう……。ウサ吉もきっと良いお兄さんが出来たんだと思って二匹でじゃれていたんだよ。やはり一匹でこの広いマンションの中にいると寂しいんだろうな……。こんなに楽しそうに走り回っているユウマをここに来てから見たこと無かったからな……。大人しい猫だと思っていたんだが、一匹だと遊ぶ気にもならなかったんだろう……」
ウサ吉を抱き上げた早樹は小さな頭を撫でてそう言った。するとユウマが廊下が突き当たりになっている所にある柱から顔をぴょこんと出した。
 仕方ないなあと大地は思い、ユウマに言った。
「怒ってないって……楽しかったんだなあ……いいよ。別に何か壊した訳じゃないし……。俺のうちにウサ吉引き取っても、まめに連れてきてやるよ……」
 あ……
 大地は博貴にウサ吉のことを言うのを忘れていた。
「大、そろそろ用意した方が良いだろう。後は私が片づけておくからお前は仕事に行ってきなさい……」
 早樹はそう言ってウサ吉の籠をまた机の上に乗せ、床に落ちているタオルを掴むと、籠の中に敷き詰めた。
「あ、うん……行くよ……」
 大地は服装を着替え、早樹に「行ってくる~」と言い、外に出た。そろそろ夜の帳が下りてくる時間だ。
 はあ……
 仕事、仕事……
 電車に乗らないと……
 大地は駅に向かうためにマンション前の歩道を歩き出した。
 免許取りたいな……と密かに考えているのだが、今のところ仕事が詰まっているためそれが出来ないでいる。会社の方からもうすぐ行かせてくれるという話しなのだがはっきりとした時期がまだ決まっていなかった。
 だが免許は必要なのだ。もちろん、出勤に使うためだ。
 そんなことを考えながら歩いていると後ろからヒールの音が聞こえた。別段気にせず前を向いたまま歩いていたが後ろから声を掛けられた。
「……あのう……」
 大地はその声に立ち止まり後ろを振り返ると、昼間というかついさっき見た利香子がそこに立っていた。
 ……ストーカー女……
 思わずそう大地は心の中で呟いた。もちろん本人に向かって言えるわけなどない。
「……何ですか?」
「博貴から聞いたんですけど……貴方博貴とつき合ってるって本当かしら?」
 いきなりそんなことを切り出された大地は口をパクパクとするだけで声が出なかった。利香子がそういうと言うことは博貴があの喫茶店でばらしたと言うことだろう。
 あいつ……
 何考えてるんだよ……
「……は……は……はい」
 大地は仕方無しにそう言った。
「止めた方が良いですよ……」
 って、どうしてこの女にそんなことを言われなければならないのだろうかと思っていると、利香子は続けて言った。
「博貴……昔とは随分変わったみたい……。私はもうあの人の所に戻ろうとは思わないけど……貴方が可哀相で……」
「……え……と……」
 何を言って良いか分からない大地はただそう言った。
「あの人……裏で女の人を、怪しげな所に売りさばいてるらしいから……」
「はあああああああ???」
 博貴の悪事は色々聞いてきたが、初めてのパターンだった。
「……私……博貴からそう聞いたんです。変わったわ……あの人……優しい人だったのに……そんなことをして稼いでいたなんて……」
 いや……
 そ……
 それはないと思うけど……
「だから……ほら、貴方もとても可愛い男の子だから……売られたら可哀相だなあって思って……それだけ言いたかったの……じゃあ……」
 利香子は自分の言いたいことだけを良い、去っていった。
 大地は茫然とそれを見送るしかなかった。
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