Angel Sugar

「秘密かもしんない」 第10章

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「大地……?」
 寝室のベッドにいるはずの大地の姿はなかった。その代わりお互いが伝言板代わりにしている冷蔵庫にメモが貼られていた。

 ごめん。さっき友達から連絡あって集まってるらしいから行ってくる。
 多分、今晩帰られないから、先に寝て良いよ。

 大地……
 メモを手に取り博貴はその文章を暫く眺めていた。
 本当にそうなのかい?
 私の言い訳を聞きたくなかったから出かけたんじゃないのかい?
 それとも……
 顔も見たくなかったのか……
 手に持っているメモを冷蔵庫にもう一度マグネットで止めると、博貴は溜息をついた。
 友達とは誰だろうか……
 聞いたことがない……
 いや……
 一人だけいるが何処に住んでいるか分からない。
 困ったぞ。
 博貴はどうやって大地に連絡を取ろうか逡巡していたのだ。こういう込み入った話しをするのは早いほうが良いからだ。仕方無しに博貴は大地が持っているであろう携帯を鳴らすことにした。
 どうあっても今日、博貴は大地と話しがしたかったのだ。

 話しは少し戻る。
 博貴が出かけ暫く大地がベッドで眠っていると、携帯が鳴っているのが聞こえた。最初は無視していたのだが、一向に鳴りやむ気配がない。
 大地は半分眠った状態で、ベッドを這い、充電器に乗った自分の携帯を脇机から取った。
「……もしもし……」
 ベッドに突っ伏したまま携帯を耳に当て、大地はそう言った。
「大?大か?」
「ん……誰?」
「俺、俺だよ徹。お前さあ、友達の声を忘れるなよ……」
 徹はそう言ったが口調は軽やかだった。
「えっ……徹?なっ……あ、びっくりした!」
 一気に目が覚めた大地は、身体を起こしてベッドに座り込んだ。
 大地の地元での同級生はみな大学へ進学しており、数名は東京の大学に通っていた筈だった。そのうちの一人である徹の住まいは、大地の住んでいるマンションから意外に近い場所にあった。
 暇なときは会おうな~と約束しておきながら、一度徹の方が以前のコーポに訪ねてきてくれた以来、交流はほとんど無かった。
 もちろん大地からも連絡を取ろうとは思ったのだが、こちらは社会人で向こうは学生だ。その垣根がある所為か、大地は遠慮していたのだ。
 何より学生の話題に大地はついていけない。
「びっくりじゃないって……で、今日電話した理由がさあ、千尋達がこっちに来てるんだ。だからお前も来ないか?っていう誘いだったんだ。でも駄目だよな……大にはほら、あの人いるから……分かってたんだけど、一応連絡しておこうってことになって。大はいける?」
 嬉しそうな徹の口調に押されながらも大地はベッドから降りると、携帯を持ったままリビングに歩き出した。
「千尋そっちに来てるんだ……」
 博貴……
 居ない……
 何処に行ったんだろう……
 キョロキョロしながら回りを見渡すと、テーブルの上にメモを見つけた。

 栄養の付きそうなものを買ってくる

 栄養のつくもんって……
 何を買いに行ったんだよ……
 博貴が書いたメモを読んだ大地は、何故か酷い孤独を感じた。
 時間は九時を過ぎたところだ。博貴が何時出ていったのか分からなかったが、帰ってくる気配など無かった。
 あいつ……
 俺が寝たのを見計らって……
 駄目だ…… 
 俺、またこんな事考えてる。
「で、どうする?今おれんちで宴会してるけど……」
「あ、行くよ……どうせ暇だし……」
 不思議なことに頭痛と吐き気は収まっていた。なにより今一人でいると自分を追いつめるような事ばかり考えそうで恐かった。
「じゃあ待ってるよ。おれんちの住所教えてあったよな?」
「覚えてる。大丈夫、一人で行けるよ。じゃあ後で。千尋達にもそう言っといて」
 大地は話し終えると電話を切った。
 行くって言っちゃったけど……
 あいつが途中で帰ってきたら行くのを止めよう……
 と、思いながら着替えたのだが、一向に博貴は戻る様子もなく、今度は自分がメモを書き冷蔵庫に、貼りつけた。
 博貴……
 俺……
 色々聞きたい、確かめたい。
 だけど……今は……俺……駄目だ……
 ぼんやりとそんなことを考えながら、靴ひもを結び玄関を出た。
 俺が……
 居ないことを知ったら……
 あいつはどうするだろう……
 誰か呼ぶかな……
 止めよう……
 こんな事ばっかり俺考えてる……
 不吉な考えを振り払うように大地はエレベーターから下りると、後を振り返らずに駆けだした。

 徹の住むコーポに初めて来たのだが、大地が以前住んでいたコーポととても良く似ていた。
 建物は二階建て。部屋数も少なく、ここから眺める限りでは一階が五部屋程度、二階も同じ室数のようだ。そして二階の手すりから降ろされている看板は色あせながらも「広くて綺麗な空き室有り」等と決まり文句が書かれていた。
 だが確かに家賃は安そうなのだが、決して看板通りの室内とは思われなかった。
 それでも大地は懐かしさを感じた。大抵のコーポの造りは同じなのかもしれない。
 大地は以前、徹から貰ったメモに書かれている「8号室」に向かうため、足音の響く階段を上がった。するとその音で既に大地のことが分かったのか、手前から三つ目の扉が開き、そこから徹が顔を出した。
「大~!久しぶり!」
 嬉しそうな顔で徹はそう言った。
 徹はポロシャツにジーンズというラフな格好で、部屋の前にある通路に出てきた。以前会ったときとは違い、髪を茶色に染めていた。その髪は少し長目に伸ばされ、耳元で段を入れパーマを当てていた。
 何時の間に今風の男になったんだろう……
 都会に来るとこうなるのかなあ……
 等と思いながら、何だか自分が田舎ものじみた考えをしたことに大地は急に恥ずかしくなった。
「久しぶり~」
 今考えたことを払いのけ、大地は笑顔で徹に近寄った。すると、徹は何故か玄関から外に出て通路に座り込んだ。
「中……入らないのか?千尋達来てるんだろう?」
 座り込んでいる徹に大地はそう聞いた。
「いやあ……それがさああ……」
 ははと苦笑いしながら徹は言った。その横に大地も腰を下ろす。
「俺は知らなかったんだけど……千尋と金澤が、つき合ってたみたいで……。それは良いんだけど、俺さあ、どうも険悪なムードの時に二人を誘ったらしくて……夕方あいつら来てからずっと俺を挟んで沈黙したまま飲んでたんだ。で、俺がなんとか二人を仲直りさせたのは良いけど、今度はいちゃいちゃ目の前でされて、いたたまれなくなってさあ……。ま、さっき二人は帰ったんだけど、俺、なんかこう……なあ……」
 はははと乾いた笑いの徹が、大地には分からなかった。それより千尋と金澤がつき合っていた事の方が大地には驚くべき事だったのだ。
 確かに仲良かったけど……
 知らなかった……
「あの二人って……そ、そうなのか?」
「みたい……。俺は鈍感だし、そういうの分からないから今まで気が付かなかったんだけど……高校の時からだってさ……」
 徹は何処か遠いところを見ながら、自分の手で顔を仰いでいた。どうも飲んで顔が火照っているのではないようであった。
「高校の時から?俺……全然知らなかった……」
 目をきょときょとさせて大地は言った。
「目の前でいちゃいちゃされた俺の身にもなってくれよ。まあ……ほんのついさっき帰ったからホッとしたけど……」
 うう……と徹は唸った。
 確かにそれは困るだろうなあと大地も思った。
「会いたかったのに……」
「……そうだなあ……あいつらもそう言ってたよ……」
 何となく言いにくそうに徹は言った。気にはなったが大地は聞かなかった。
「……ふうん。そうか……。でも千尋が……なんか信じられないよな……」
 大地は隣にいる徹を見ながら言った。
「お前が言うなよ……。俺は大のことだって信じられなかったんだから……」
 ははと徹は笑った。
「……そ、そうか?俺は……別に……。あのさあ……何か喉乾かないか?俺飲みに来たんだけど……」
 自分のことは余り話したくなかった大地は、話題を変えようとそう言った。
「そうだったよな……。そろそろいいか……」
 言いながら徹は立ち上がった。
「うん……悪い」
 大地も立ち上がると、徹について玄関を入った。するとやはり大地が以前住んでいたコーポと同じ間取りだった。
 右手にキッチンらしきもの。玄関からは部屋全体が見渡せる。真っ直ぐ先に見える畳間には小さなパイプ机が置かれ、ビールの空き缶と、何種類かのつまみが乗っていた。その向こう側に小さなベランダがある。
「ま……既に宴会をやった後みたいになってるけど、ってやったんだけど。適当に座って、つまみでも食べてくれよ」
 徹はそう言って冷蔵庫を覗いていた。
「うん。分かった」
 靴を脱いで、少しざらざらする畳間に入ると、大地は無造作に置かれた座布団を引き寄せてそれに座った。
 この狭いところが良いのかも……
 大地はそんなことを考えておかしくなった。
 今住んでいるところがやたらに広いのと、畳間の部屋がないことで大地は慣れるまで時間がかかったのだ。フローリングは昔憧れたのだが、今は妙に畳が懐かしいのだ。
 畳敷いて貰おうかな……
 リビングの真ん中とか……
 俺やっぱり畳の所でゴロゴロするの好きだ……
 ぼんやり考えている大地の元に徹がやってくると、目の前の机にポカリの缶を置いた。
「何これ……」
 の……
 飲めるんじゃなかったのか?
「何って……俺は飲まない。気分悪いんだよ……既に飲み過ぎちゃってさあ……。で、大に飲ませたら恐いお兄さんが出てくるから俺は勧めない」
 苦笑しながら徹は言った。
「……恐いお兄さんって……大良の事かよ……」
「まあな……」
 ポカリのプルトップを開け、徹は口を付けた。
「飲ませろよっ!」
 ムスッとした顔で大地は言った。ここには飲みに来たのだ。もう我を忘れるほど飲みたかったのだ。ベロベロになっても良いと思った。
「なんかお前……変だもん。どうも飲みたくて俺んちに来ただろ?そういうときに飲ませると後が恐いから出さないよ。ポカリ飲んでろ」
 ジロッと横目で徹に見られた大地は仕方無しにポカリの缶を取った。
「ちぇ……」
「……なんだよ……お前の所も痴話喧嘩してるのか?」
 呆れたようにそう徹は言った。
「べ……別に……徹が誘ってくれたから俺……来たんだからな……。そんなつもりで来たんじゃないよ」
 慌てて大地はプルトップを開けてポカリを飲んだ。冷たい液体は乾いていた喉を潤してくれる。その所為か実は喉が乾いていた事を大地は知った。
「……いいけどな……俺はあの状態に一人置かれるのが嫌でお前を呼んだんだから……。まあ……かえっちまったから良いんだけど……」
 トンとポカリの缶を机に置き、徹は既に開いているポテトチップを食べはじめた。
「……千尋と金澤が……」
 まだ信じられない大地は二人を思い出すように言った。
「あいつらはまあ……腐れ縁でここまで来た奴らだから分かるけど……。俺は何度も言うけどお前の方が信じられないの。分かる?全く……」
 バリバリっと音をたて、ポテトを食べている。
「……俺は……俺だって信じられないよ……」
 大地はムッとしながら言った。
「……まあ……お前が良いんだったら俺は諦めるしかないけど……」
 意味ありげに徹は言った。
 徹が大地に対して好意を持っていることを、以前実家に帰ったときに知った。だから余計に大地は徹に会えなかった。今日は他の友人もいるだろうということで、大地は気軽に出てきたのだ。
 それが今二人きりになっている。
 ま……
 徹だから大丈夫だよな……
 徹は俺が誰を好きなのか知ってるし……
 大地はそう思いながらポカリをごくごくと飲んだ。
「……で、お前の所はどうして揉めてるんだ?良いぜ、言えよ。既に俺は相談役を一つこなしてる」
 言って徹は笑った。
 大地はこのさばさばした徹の性格がとても好きなのだ。世話好きで、人のことを放っておけない徹は、昔から損ばかりしている。それも徹の良いところだった。
「……まあ……徹だから言うけどさ……。俺の彼氏……徹も知ってると思うけど……。あいつ……他に女がいるようなこと聞いて……それが本当なのか嘘なのか、判断が付かなくて……混乱してるんだ……。あいつに聞けば良いんだけど……なんか……俺聞きにくくて……」
 それだけじゃなくて他にも色々出てきたらどうしようという不安が大地にはあったのだ。
「きつい言い方だけど……聞いて、嘘付かれることだってあるだろうけどな……。俺はあの人のこと見ただけだから……それも酔っぱらってるときに見たから、いまいち覚えていないんだよなあ……」
 相変わらずバリバリとポテトチップスを頬張り、徹は言った。
「うん……良いんだ……。これは俺が自分で判断しなきゃならないことだしさ……」
 大地も手を伸ばし、かりんとうを掴んで口に入れた。甘い味が気を少し落ち着けてくれる。
「……ただ俺の印象は今も代わってないぞ。男も女も騙しそうな顔だった」
 徹は真面目な顔で言った。それが酷く可笑しく、大地は思わず笑ってしまった。
「俺だってそう思ってたよ……。あいつって損だと思うのはそこかな……。まあ……それなりのことしてきたみたいだから、騙しそうだなんて言われても怒れないよ……あいつ……」
 もう一本かりんとうを口に入れ、大地はもごもごと味わった。
「……じゃあなんでそんな奴とつき合ってるんだよ大は……」
 徹がいきなりそう言った。
「なんでって……」
「昔悪かった奴が今良くなるとは俺は思えないんだけど……。ほら……良く言うじゃん、浮気性の男と結婚したら一生そのことで泣かされるって……」
 思い出すように徹はそう言った。誰かそんな夫婦を見たことがあるのだろうか?
「……それは……人によるだろう……。あいつは……そんな奴じゃないぞ」
 今度は大地がジロリと徹を睨んだ。
「でもさあ……大。お前が悩んでいることは要するにそういうことだろ?」
「……はあ?」
「昔、女と散々遊んだ男は、これからも遊ぶし浮気する……かもしれないって思ってるから悩んでるんじゃないの?」
 痛いところをつかれた大地は肩をすくませた。
「違うよ……」
「同じだよ……だって、今また女の影がちらついてるんだろ?じゃあ……そういうことだろ」
 あっさりと徹は言った。
「そういう事ってどう言うことだよ……あいつは……」
 違う……
 その言葉が途中で止まり、大地は言えなかった。
「……だからさあ、大のつき合っている相手がどういう性格か、俺分からないけど、昔、女癖が悪かったら今だってそういう部分持ってるに違いないって言いたいんだ。でも大、俺に怒っても仕方ないことだぜ。だってお前がどうするか決めることなんだろうし……」
 淡々と徹は言った。
「……まあ……まあそうなんだけど……」
 結局自分が決めなければならないことだ。それは充分解っている。
 ただ恐かった。
 必死に受け止めようとするのだが、恐いのだ。
 折角真喜子に貰った根性は、早樹の事で吹っ飛んでしまった。
 あのビデオの女性と会っているのだろうか?
 大学時代からずっと付き合い……
 そしてセックスフレンドとして今も時折会っている?
 あの電話はそうだったようだ。
 約束……
 してたのだろうか?
 でも俺には文句を言いに行くって言っていた。
 それは本当の事なのだろうか?
 ……分からない。
 信じなければ……
 そう思う気持ちが酷く頼りないのだ。
「大……」
 黙り込んでしまった大地が心配になったのか、徹はこちらを覗き込んでいた。
「あ……ごめん。すっげー暗くなったよな……。俺そんなつもりじゃなかったのに……」
 はははと笑って大地は言った。
「……いや……いいよ」
「俺……やっぱり飲む……。なんか飲まなきゃやってられねえもん。徹が止めても俺は飲むぞ」
 言いながら大地は勝手に冷蔵庫まで行くとビールを取りだした。だが徹は何も言わなかった。
「そういえば……俺、ここんとこ全然飲んでなかった」
 未成年だと言われ、博貴にも大地はお酒を飲む許可を貰えないのだ。料理に使う清酒やワインなどは認めてくれるが、食前酒すら博貴は大地が飲むことにいい顔をしないのだ。
 前例があるからだけどなあ……
「考えると俺達未成年だから……。でもサークルでは何のかんの言って結構飲むな……」
 徹はそう言って大地が持ってきたビールを手に取りプルトップを開けた。
「俺は今日酔いたい気分なんだっ!」
 大地はそう言ってぐいっとビールを一気に飲んだ。炭酸の泡が喉に痛みを走らせたが、お構いなしに大地は胃に流し込んだ。
「……おい……飲んでも良いけどさあ……暴れないでくれよ……」
 困惑した顔で徹は言った。
「俺が暴れ出したら逃げろよ」
 大地自身も今日ばかりは自分が酔ってどうなるか分からなかったのだ。
「お前が酔ったら……」
 徹が意味深にそう言った。
「んだよ……」
 ビール片手に大地は徹を見た。
「いや……なんでもない……」
「ふうん……あっ!するめ!するめがあるっ!これとビールって旨いんだよな」
 手を伸ばしてするめを掴むと大地はそれをくわえた。
「あのさあ……大……」
「なに?お前もそんな暗い顔しないで飲めよ。当てられたからってなんだよ。お前だって誰か作れば良いんだっ!千尋に当て返してやれよ!!いや……あんまり勧められないけどな……。辛いことも多いし……」
 するめを口の中でもごもごと噛みしめながら大地は言った。
 人を好きになるって……
 何でこんなに辛いんだろう……
 どうしていつも悩まなきゃならないんだ……
 考えながらどんどん視線が俯く大地に、徹が何とも言えない笑みを口元に浮かべた。
「俺は……まだ大を諦め切れないんだぞ……」
 その言葉は真摯な瞳と共に発せられた。
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