Angel Sugar

「秘密かもしんない」 第11章

前頁タイトル次頁
「……また……冗談言うなよ……」
 はははと大地は笑いながら言った。実際、徹が自分に対してどういう気持ちを持っているのかは知っていたが、それをここで認めるわけにはいかない。
「……笑ってるといいよ……」
 何となく寂しげに徹は言って自分の持っている缶ビールを飲んだ。
 徹の気持ちを馬鹿にしたわけでも、笑ったつもりも大地にはない。ただ、大地はこれからも徹とは友達でいたいのだ。恋愛感情とは切り離したところでずっと徹には居て貰いたいと思っている。
 だから大地は笑うしかなかった。
「なあ……徹……飲もうっ!俺は今日飲めたらいい……」
 むしゃくしゃしているのは変わらないのだ。
「いいよ……冷蔵庫空っぽになるほど飲むか?」
 先程の表情はもう何処にもなく、徹はいつもの笑顔で言った。
「うん……俺が飲んだ分は今度差し入れするよ」
「じゃあ……まだ台所の下に缶ビール冷えてないのがあるから、今のうちに冷蔵庫につっこんどこうかな……あ、冷凍庫の方がいいかもしれない」
 立ち上がった徹はそう言って、すぐ側にある玄関側のキッチンに向かうと、その下の扉を開けてゴロゴロと缶ビールを取りだした。次に直ぐ側にある小型の冷蔵庫に缶ビールを入れた。
「なあ……大。そういえば、お前、今何処に住んでるんだよ?」
 言いながら徹は立ち上がり、キッチンにもたれた。だがその視線は何故かコーポの廊下側にある窓の外に向けられている。
 窓には格子が施され、泥棒よけになっているのだが、あまり効果はありそうには思えなかった。
「……え、なんで?」
 缶ビールの縁に口を付けたまま大地は徹から視線を逸らせた。
「こないだ近くまで行ったから、おまえんちに寄ったんだけど、引き払われてたからさ……引っ越したんだなあって……何処に住んでるんだよ?」
「……隠す気はないよ。俺……あいつのマンションに今住んでるんだ……」
 手に持っている缶ビールを弄びながらそう言った。
「そんな、悩むんだったらよ、もう一度離れて暮らしてみたらどうだよ?赤の他人と一緒に暮らすからトラブルんじゃないのか?まして、そんな男と一緒にいたら嫌なとこしか見えないだろ。兄弟でも何でもないんだから……。少なくとも、女の子と云々は置いて、ぶつかるのは仕方ないかもしれないしさ」
 淡々と徹はそう言った。
「……あいつとは別に……トラぶってんじゃねえよ。自然に一緒にいるって感じなんだ……」
 最初は確かに、博貴に懇願されて仕方無しに引っ越しをしたものの、多少広いことで気は退けても、今では嫌な気などしない。最近はごく自然に暮らしている。
「トラぶってんじゃん。女と揉めてるだろう?それの何処がトラぶってないって言うんだよ」
 はっきりと徹はそう言った。
「……」
「だろ?」
「仕方ないから……」
 じっと缶ビールの縁を見た。鈍く光っているアルミの縁は何とも言えない冷たさがあった。
「仕方ないって……いいのかよ……」
 良いわけなんかない……
 だけど……
 じゃあ俺がとことんまであいつに言ったらどうなる?
 自分が思っていること全部吐き出したら……
 傷つけるだけでは済まないような気がする。
「昔のことをひっくり返して責めるのは俺……性に合わないんだよっ!」
 それは狡いことだと大地は思うのだ。   
 だが思うことと、今どう思っているかは違った。
「ここで吐き出しちまえば?いいよ……。言うところがないならここだけの話しっていうやつだ。それで大はスッキリするんだろ?俺は別に、大の彼氏を知らないし……いや、見たことはあるけど付き合いはないから、大がここで何を言ったかなんて俺はちくったりしないよ。安心して全部言っていけよ」
 徹の提案に、大地はチラリと視線を移した。目が合うと徹はニコリと笑った。その笑顔にギュッとビールの缶を掴み、大地は今度自分の伸ばしている足を眺めた。
「……俺……」
 本当は嫌だ……
 多分もうどうにもならない過去に俺はすっげー嫉妬してるんだ。
 見たことも想像も付かない女に……
 あのビデオの女性に……
 その全部に俺は嫉妬してる。
「……何であいつ……あんな男なんだよ……」
 大地はここで涙が落ちた。
 悔しいのだ。
 どうにもならないことで悔しがっている。
「なんで……ホストなんか……」
 事情を誰よりも知っていた。
 だけど……
 分かっていても納得できない事はある。
「あいつ……今まで散々女騙してきたんだ。分かってるんだ……事情も……みんな……あいつがそうしなきゃならない理由を俺は知ってる。知っていても……そんなあいつの根性がすげえ……嫌だ。嫌なんだ……俺……ほんとは……」
 好きだ……
 博貴が本当に好きだ。
 今更別れるなんて考えられない。
 だけど……
「……遊ばれてるんじゃないのか?」
 徹はそう言ってようやくキッチンからこちらに戻ってくると、大地の隣りに座った。
「それは……ない……。あいつは俺のこと好きだって分かってる。俺もあいつが好きだよ。相手は男だけど……俺……っ……」
 拭っても拭っても涙は後から後からこぼれ落ちた。それを大地は止めることが出来なかった。
「だけどっ……あいつ……酷いこと散々してきたんだっ!それで今……今は、俺だけを見てくれてるかもしれないけど……今は誠実だって言ったって、もう変わったからって何度言ったって……昔のことを全部精算できるのか?後悔して……変わったって……分かる……。分かるんだ俺……。あいつはちゃんと反省して、今は違うって……。だけどっ……やっぱりこうやって女の事が出てくると……俺はっ……何処まであいつを信じて良いか分からなくなるんだっ!」
 吐き出すように大地はそう怒鳴った。それは泣きながらだった。
「大……」
 暫く沈黙し、大地は何度か涙を拭った。
「……ごめん……俺……」
 両足を抱え、大地は俯きながらそう言った。
 言ってはいけないことを言ってしまったのだ。だが今まで沸々と心の中でわき上がっていたものを吐き出すことが出来、大地はようやく気持ちが落ち着いた。
「……」
「……今の無し。ちょっと色々あって……俺もさ……叫んでみたかったんだ……」
 はは……と大地はようやく作った笑顔を徹に向けた。そんな大地の肩に徹の手が回った。
「よせよ……」
 笑顔を無くした顔で、大地は立てた膝頭に顎を乗せた。
「大……本気なんだ……俺……」
 徹の言葉はとても真剣だった。だが大地は顔を左右に振るにとどまった。
「俺は……徹にその気になんかなったことこれっぽっちもないもん……」
 言って大地はまた自分の素足を眺めた。出来たらここで退いて貰いたいと本気で思った。
「……大……」
 だが徹は肩を引き寄せ、放してくれそうにない。
「いい加減にっ……あっ……」
 いきなり畳に押しつけられ、大地は目を見開いた。
「お前の彼氏だって何処で何してるか分からないだろう?お前だって浮気の一つや二つしてやればいいじゃないか……」
 その理屈は変じゃないか?
 あいつが何を何処でしようと俺は俺だ……
 例え本当に博貴が他で女を抱いていたとしても、だからといって自分まで同じようなことをして一体どうなるというのだ?
「大っ!俺は……っ……」
 ガッツッ!
 いきなり顔を近づけた徹に、大地は膝を蹴り上げた。すると丁度徹の鳩尾に入り徹は大地の隣りに転がり呻いた。
 悪いと一瞬思ったが、無理矢理キス等しようとする方が悪いのだ。
「俺……帰る……」
 酔ってはいるが、意識ははっきりしていた。というより、多分幾ら飲んでも今日のような日は酔えないのだろう。こんな場合は諦めてうちで寝るしかないのだ。
「……あたたたたた」
 腹を押さえながら徹は身体を起こし、壁に背をもたれさせて座った。大地はその頃には玄関で靴を履いていた。
「……はは……気を付けろよ?」
 何故徹が笑っているのか大地には分からなかった。
「何……笑ってるんだよ……」
 大地が振り返ってそういうと、徹はまだ笑っていた。
「お前……飲み過ぎて頭おかしくなったんじゃねえのか?」
 本気で大地は徹が心配になった。だが今は近づきたくなかった。
「……いや……ちょっとは嫌な思いさせてやれたかなあって……さ。じゃあな大、また遊びに来いよ」
 痛くて涙目なのか、おかしくて涙目なのか分からない表情で徹は言った。
「……お前って……絶対変だよな……。良いけど……」
 かかとをトントンと叩き、靴を掃き終わると玄関の扉を開けた。外はヒンヤリとしており真っ暗だった。時計を確認すると随分遅かった。
 タクシーで帰った方が良いかな……。
 大地がそう思った瞬間声が掛けられた。
「大地……帰ろうか?」
「えっ……!」
 声のした方向を大地が向くと、丁度窓枠の格子になっている部分の下に博貴が座り込んでいた。
 もしかして……
 徹……
 博貴がいるの気が付いてたのか?
 だから……
 俺にあんな事言わせて……
 違うっ!
 あんなことして……
「なっ……何でここにいるんだよっ!」
 慌てた大地はそう怒鳴った。すると博貴はうーんと立ち上がり、膝を何度か屈伸させるとこちらを向いた。
「……帰ってきたら大ちゃんが居なかったからね。今晩どうしても話しがしたかったから君を探してたんだ。だけど携帯は繋がらなかったし……仕方無しにお兄さんの所に電話をしたら……ここだっろうって言われてね……」 
 視線を外しながら博貴はそう言った。
 携帯……
 大地は博貴を見据えたままポケットに手を突っ込み、そろそろと出すと博貴から何時かかったのか分からないのだが、着信は入っていた。
「……」
「帰るんだろう?もう遅いしね……大ちゃんは明日仕事なんだから……」
 言いながら博貴は通路を歩き出した。だが大地はまだ動けなかった。
 大地は自分が言ったことを必死に思い出していた。だがようやく思い出した言葉はどれも博貴にとって最悪な言葉だった。
 俺……
 酷いこと言ったよな……
「大ちゃん。突っ立ってないで……ほら帰るよ。それともまだ何処か行きたいところがあるのかい?」
 博貴はコーポの階段の真ん中まで来たところで立ち止まり、手すりを持ってこちらを見上げていた。
「……帰るけど……」
「じゃあ……帰ろう」
 博貴はいつものように笑顔でそう言った。
 笑ってる……
 博貴……
 俺はあんな酷いことを言ったのに……
「博貴っ……俺……」
 手すりを掴んだままこちらを向いている博貴が、大地の声にやや顔を傾けた。
「ん?」
 穏やかな瞳はずっと大地を向いたままだ。
「……な……何でもない……」
 大地はゆるゆると歩き出した。何を言っても言い訳にしかならないからだ。
 コーポの階段を降り、大地が後ろに来たことを確認してから博貴はまた階段を降りだした。待っていてくれたのだろう……そう思うと大地は胸が痛かった。
 俺……
 酷いこと言ったのに……
 また涙が出そうであったが、大地は今度は耐えた。
 下まで降りてくると、コーポの前にある、アスファルトだけを敷き詰めた野ざらしの駐車場に博貴は車を停めていた。
 元々は真っ赤なフェラーリに乗っていたのだが、大地が恥ずかしいと言ったことで、ごく普通のソアラをこの間購入した。そのクリーム色の車体が大地の目に入った。
 博貴はポケットからキーを取り出すと、車の扉を開けた。
「大地……帰りたくなかったら……無理に帰らなくても良いよ。どうする?」
 こちらに背を向けたまま博貴はそう言った。その博貴の口調は相変わらず何時も通りの口調だった。
「え……俺……帰る……」
 大地は一瞬顔を上げ、また俯いた。合わせる顔がないのだ。だが、大地は大人しく助手席に座ると、博貴の視線から逃げるように窓の方を向いた。
 博貴は車を出し、マンションにたどり着いてからも無言だった。

 大地はうちに戻ると、博貴を追い抜きそのままバスルームの脱衣場にある洗面台まで走った。  丸い半円状になっている縁に片手をかけ、大地は蛇口を捻って勢いよく水を出すと、顔を洗った。何度も水で顔を洗い、その冷たさに頭がはっきりとしてくる。  大地は暫く水が排水溝に流れていくのを眺めてから、鏡に映る自分の顔を見た。そこに映ったのは泣きはらした目を真っ赤にした情けない顔だった。
 ……
 あいつ……
 これ見たんだな……
 頬を撫でるように鏡に映る自分の顔に手を伸ばした。ツルツルの鏡は紛れもなく今の大地を映していた。
 あいつ……何も言わなかったな……
 聞きもしなかった。
 聞かれても……どう答えていいか分からなかったけど……
 何度も鏡を撫でて大地はそう思った。
 明るい洗面台の場所は今の大地には似合わないような気がした。
 俺には……
 あいつを責める権利なんかないのに……
 どうしてあんな事を言ってしまったんだろう……
 だってっ……
 いると思わなかったんだ……っ!
 分かってたら……俺……あんな事……
 半円状になっている洗面台の縁を今度は両手で掴み大地は後悔した。既に言ってしまったことに今更後悔しても遅いのだが、博貴を傷つけてしまったという事実が大地を酷く責めていたのだ。
 寝よ……
 寝て忘れろっ!
 博貴は何も言わなかった。
 聞かなかった。
 怒ってるかな……
 怒ってるよな……
 何時までもここにいるわけにもいかない大地は、洗面所から出るとパジャマに着替え、寝室に向かった。
 聞かれたら……
 何て言えばいい?
 だけど聞いていなかったかもしれないし……
 いや……
 あれじゃあ聞こえてる……
 謝った方が良いんだろうか……
 でも……何を言っても言い訳になるしな……
 あ……でもあいつ……
 俺に何か話しがあるって言ってた……
 寝室に入ると博貴は居なかった。
 ……先に寝てよ……
 気まずくなった大地は、毛布に潜り込み頭まですっぽりと隠すとそのまま丸くなった。だがいつまで経っても博貴は寝室には入ってこなかった。
 気にはなったが、大地はビールを飲んだ所為もありそのまま眠ってしまった。

 翌朝目を覚ませると、博貴が一晩寝室には来なかった事を大地は知った。早く起きたのだろうかと、手を伸ばして博貴が何時も眠っている所を撫でたが、ヒンヤリした感触しか感じなかった。
 それは博貴が一晩ここには来なかったことを物語っていた。
 ……
 俺が悪いんだよな……
 毛布から身体を出し、ベッドを降りると、大地はキッチンに向かった。頭が疼くのは昨日飲んだ所為だ。
 頭痛いなあ……
 仕方ないよな……
 リビングとキッチンが繋がった部屋に入ると、丁度マントルピースの前にあるローソファーに博貴は横になっていた。
 ……あいつ……
 そろそろと大地が近づくと、博貴はぐっすりと寝込んでいた。寝顔を見るように床に座り込み、大地は声を掛けるかどうか悩んだ。
 俺……
 ごめん……
 なんだかまた目頭が熱くなるのを大地は感じた。
 何時も泣くのは大地だった。博貴は泣いたりしない。それだけ自分より大人なのか、それとも昔泣きすぎて今泣くことを忘れてしまったのか分からないのだが、博貴が泣いた姿を見た事がなかった。
 博貴も泣くことがあるんだろうか……
 俺には想像が付かない……
「……ん……大ちゃんおはよう……」
 言いながら博貴の手は大地の頭に乗せられ、そこにある髪を何度か撫で上げた。
「……はよ……」
 まっすぐ博貴の顔を見ることが出来ずに大地は視線を逸らせたままそう言った。
「……どうしたんだい?泣きそうな顔してるよ……」
 博貴はソファーに横になったまま、苦笑した。
「……え、いや……何でもない……飯……作るよ」
 立ち上がろうとする大地を博貴は手を伸ばして自分に引き寄せた。
「大地……」
 ギュッと抱きしめられた大地は胸にまた痛みを感じた。
「……俺……」
 ごめん……
 ごめんな……
 お前を傷つけた……
 俺は……っ……
 一旦止めた涙が溢れそうになるのを大地は必死に堪えた。
「いい……良いんだ……大地」
 博貴はただそう言った。
 責めることもしない。淡々とした言葉だった。
 暫く博貴の腕の中に拘束された大地であったが、博貴がやんわりと身体を離した。
「私は朝食はいいよ。悪いけど君一人で食べてくれないか?まだ眠くて……」
 小さく欠伸をしながら博貴はローソファーに座り直した。
「え?」
「私は夕方からだからね。アルバイト。昼頃まで眠るから……」
 博貴は言って立ち上がった。
「……あ、うん。分かった」
 やはり気まずい。
 こんな気まずさは今までに無かったことだった。
「仕事……頑張っておいで」
 博貴はそれだけ言うと、リビングから出ていこうとした。が、大地は博貴の後ろ姿に声を掛けた。
「俺に……っ……話しあるって言ったよな……。いいのか?」
 精一杯の意思表示だったが、博貴はこちらを向かずに手だけを振って、行ってしまった。
 その背中に抱きつきたいと思いながらも、結局大地には見送ることしか出来なかった。
 俺は……
 酷いことを言った。
 そのことを謝ることも出来なかった。
 お前は俺に話しがあって俺を捜してたんだよな?
 どうしても聞いて欲しかったからあんな時間なのに捜してたんだ。
 何時だって良いはずなのに……
 それだけ大事なことだったんだよな……
 だから俺を待ってた。
 そこで俺の言葉を聞いた……
 どう思った?
 なあ……
 俺……
 どうしたらいい?
 そんな大地の気持ちに答えてくれる相手は誰もいなかった。
前頁タイトル次頁

↑ PAGE TOP