Angel Sugar

「秘密かもしんない」 第18章

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 真喜子に昼食をおごる為に来たのだが、問題の利香子が近づいてきたのだ。
「また新しい女を作ったのね……」
 久しぶりの利香子であったが、相変わらずの口調であった。真喜子の方はニヤニヤしながらこちらの足を蹴ってくる。
 言いたいことは分かるよ……真喜子さん……
 げんなりしながら博貴は言った。
「君ね、いい加減にしてくれないかな……君のやってることはストーカーっていうんだよ。大体ね、あんなビデオを撮っていたなんて反則だろう……」
「誰がストーカーよ。あんなに好きだって言ってくれたのに……」
 利香子は泣きそうな顔でそう言った。
「それ何年前の話しだい?そうだろう?大学時代の話しを持ち出されても困るんだよ。毎度毎度、男に振られたら舞い戻ってくる君にどれだけこっちは迷惑してるか分かってるのかな……」
 だがその台詞すら博貴は何百回も言ったか思い出せないほどだった。
 とにかくある一定期間で利香子は舞い戻ってきては付きまとい、また男が出来ると音信不通になる女だった。
「やだわ~こおんな女とつき合ってたの?貴方も趣味が悪いわ」
 真喜子が頬杖をついて、あからさまに嫌悪した顔で言った。
「何よっ!あんたこそ、邪魔なのよ」
 甲高い声で利香子は怒鳴るように言った。その所為か周囲にいたまばらな客が皆様子を伺っている。
「五月蠅いわね。男に振られるたびに、こんな男に舞い戻ってくる貴方の方がおかしいんじゃないの?目が腐ってるのね……」
 コロコロと笑いながら次に、真喜子はそう言った。
 フォローになってない……
 いや……
 別にフォローしてもらわなくても良いんだが……
 博貴は真喜子の言葉に何となく複雑だった。
「こんな男って言うんだったら、返しなさいよ……」
 更に利香子は言った。
「私はものじゃないよ。それにね、君とはもう大昔に切れてるだろう。いい加減にしないと本当に訴えるよ。大概迷惑をしてるんだからね」
 博貴は呆れた風に言った。
 どうして数年も前に別れた女に付きまとわれなければならないのだ?それも向こうから疎遠になり、男に振られたからといって戻ってくるこの利香子の考えを博貴は理解できないのだ。
「ずっと一緒に居てくれるって言ったわ……」
 耳にたこができそうだ……。博貴は本気でそう思った。
「言ってないよ。さっさとここから姿を消して、二度と私の前に姿を現せないでくれないか?不愉快だよ……」
 ムッとしたように博貴は言った。
「あのねえ、貴方、どうしてこんなホモ男が良いわけ?」
 真喜子が突然利香子に言った。
「ホモって……何よ……」
 利香子は驚いた顔になる。
「あら、貴方見た目と同じように中身もないのねえ。ホモはホモよ。光ちゃんは男同士で恋愛してるの。だから私も安心して友人付き合いが出来るって訳。女になんかこの人勃たないわよ~そんな役立たずに付きまとってる暇があったら、さっさと出ていってくれないかなあ……。食事がまずくなるのよ……。もっと他にいるでしょう。こんな所にいないで、外に出て若いツバメでもなんでも引っかけて来なさいよ。ほんと、いい加減にしないと私だって訴えちゃうから……」
 真喜子が、どう何を訴えられるのか博貴には分からないが、真喜子は得意そうな表情になっていた。
「博貴……貴方ホモなの?何時から?」
 利香子は真喜子の言葉を無視し、博貴に言った。
「……そうだよ。少し前から男の子とつき合ってるよ」
 言わなければ収まらないと思った博貴は周囲で耳をそばだてている人にも聞こえるように言った。恥などもうどうでもいいのだ。それよりこの利香子をなんとかして切りたかった。
 ここで完全に切らないとまた舞い戻ってくるだろう。いや、今振られたばかりなら、当分こうやって付きまとってくることが博貴には分かっていた。
 ワンパターンだよなあ……
 博貴はいつも思うのだが、利香子は毎回本気だから困るのだ。理解に苦しむのだが、利香子という女性は自分の中で空想したことを、そのまま現実とリンクさせている。なおさら悪いことにそれらを信じ込んでしまうと言う恐ろしい性格をしているのを博貴は知っていた。
「私がいるのにどうして男の子とつき合えるの?」
 益々利香子は怒りを露わにしてそう言った。
「私がいるのにってねえ、君とはつき合って等ないだろう。全く……」
 チラリと真喜子を見ると、下を向いて笑いを堪えていた。
 ほんと笑い事じゃないんだって……
 この調子で暫くまた付きまとわれるのか……?
 それが一番の問題だ。
 大地にもし会ったとしたら、この女はあることないことばかりを吹き込みそうだと真剣に博貴は考えた。
 それはかなり不味い……
 ただでさえ後ろ暗い博貴だ。いくら大地に利香子は虚言癖があると話したところで信じて貰えるとは思えない。
 なんだか……
 私は損だなあ……
 はあ……と心の中で溜息をつきながら相変わらず怒る利香子を無視するように博貴が視線を横に向けると、大地らしき姿を見つけた。
 ……
 あれは……
「大っ……地がいる」
 あまりの事に博貴は思わず腰を浮かせたが、大地の前には例の早樹が座っているのを目線に捉え、そのまま椅子に座り直した。
「え……大ちゃんがいるの?」
 博貴と同じように真喜子も利香子を無視し、博貴の視線の先を追う。
「あ、ホントだわ……偶然ねえ……」
 真喜子は嬉しそうだが、博貴の気持ちはまたそぞろ落ち込んでくる。この状態を向こうから見たらどう想像されるかを考えただけで、頭が痛くなりそうであった。
「ちょっと、聞いてるの?博貴っ!」
 こちらが無視をしていても利香子は相変わらず文句を言っていたようであったが、もちろん博貴は聞いてなどいなかった。
「もう帰ってくれないか?」
 厄日だ……
 今日は厄日なんだ……
「どうぞ、ここ開けてあげるわ。ゆっくり話しでもしたら?私は大ちゃんの所に行ってくるわ~。料理が来たらあっちに運んで貰ってね。もちろんこっちにつけとくから」
 真喜子はそう言って立ち上がった。
「ちょ、ちょっと真喜子さん……」
 あそこに大地がおり、そしてここで利香子と二人きりなど博貴には耐えられないと思ったのだ。
「だって、この人変なんですもの……。私、変な人は受け付けないの……」
 困ったような顔をして真喜子は言った。
「だれが変なのよ」
 利香子はもう切れる寸前だ。
「あんたが変だって言ってるの。耳も聞こえないわけ?」
 真喜子も負けていない。
「真喜子さん……」
「こっちは貴方が始末付けなさいよ。あっちは私がちゃんと誤解を解いてあげるから……。分かった?」
 ニッコリ笑って真喜子は言った。
「……あ、そういうこと。た、頼むよ……」
「今度、新作のビトンのバック買ってもらおうっと」
 嬉しそうにそう言って真喜子は大地のいる外に向かって歩き出した。
 ビトンって……
 はあ……
 やられた……
 とはいえ、真喜子が大地に説明してくれるのならこれほどの味方は居ないだろう。バックの一つや二つ買ってもお釣りが来るほどだ。なにより、博貴の言葉より、真喜子の言葉の方が信用して貰える。
 悲しいことだが事実だった。
「じゃあ……座って。人が見てるから……」
 今まで真喜子が座っていた場所を指差して、博貴は言った。利香子は言われるままにその席に腰を下ろした。
 
「大ちゃ~ん!!やっほ~」
 うわっ……
 真喜子さんが来たっ!
 大地はもう向こうを見ることをしなかったのだが、しっかり気が付かれていたのだ。
「こ、こんにちは……真喜子さん」
「あら、こちらは?」
 真喜子は初めて見る早樹にそう言った。
「俺の一番上の兄ちゃん」
 ぼそっと大地はそう言った。
「そう、貴方が早樹さんね。初めまして。大ちゃんの友達の真喜子です」
 真喜子はこれでもかと言うほどの笑みを浮かべて早樹に言った。
「あ……何時もうちの弟が世話になっています……」
 って兄ちゃん……
 俺が世話になってるなんて言ってないだろう……
 と、大地は思ったが口にはしなかった。何より早樹の頬が何故か赤らんでいることに大地は気が付いたのだ。
 あれ……
 早樹にいって……
 真喜子さんがタイプなのかな……
「ねえ、大ちゃん。こっちに混ぜて貰ってもいいかな?ほら、あっち、変な女が来たから私まで変になりそうになって逃げて来ちゃった……」
 言いながらも既に真喜子は椅子に腰をかけていた。
「別に良いけど……あの人ってさあ……」
 チラチラと博貴と例の女が向かい合わせに座り何かを話しているのを見ながら大地は言った。
「そうそう、光ちゃんが大昔に遊んだ女よ」
 さらっと真喜子はそう言った。
 ……
 真喜子さんって……
 すげえ……
 早樹がどんな顔をしているのか大地は気になり、前に座る早樹を見ると、苦虫を潰したような顔で川の方を眺めていた。そこに、ウエイトレスがやっと昼食を運んで来た。
「……ねえ真喜子さん。どうしてあの女の人がここにいるんだ?俺……その方が不思議なんだけど……」
「あの女でいいのよ。自分が振られたらすぐに光ちゃんの所にちょっかいをかけに帰ってくる人なの。聞くと大学の時に少しつき合ってたらしいけどね。でも同情も出来ないわよ。ストーカーよストーカー……。ほんと気味悪いわ……」
 ふうと息を吐いて真喜子は言った。だがその言葉に早樹が反応した。
「同じ女性が女性に向かって気味が悪いだとか、ストーカーなどと軽々しく言っていいのか?」
「本当の事ですもの。早樹さん……でしたわね。じゃあ早樹さんが、あの女の人の面倒見てくれるんですか?私は止めた方がいいと思いますけど……ねえ、大ちゃん」
 最後は大地の方を向いて真喜子はニッコリと笑う。
「え、あ……うん……」
 大地はあの女性がどういう女性かまだ良く分からないのだ。だからどう答えて良いのか分からない。
「それとこれとは……」
 真喜子に押され気味の早樹はそう言って口ごもった。
「光ちゃんがあの女にどれだけ引っかき廻されているのか知らない人が、軽々しく言って良い台詞じゃないと思うんですけど……。私は事情を知っているから何でも言えるんです。ねえ、大ちゃん」
 また真喜子はそう言ってこちらを見て笑う。
「……うん……」
 仕方無しに大地は又そう言った。
「大、光ちゃんって……誰だ?」
 こそこそと早樹がそう聞いてきた。
「あ、大良の源氏名。ホストで働くとき、あいつ光っていうんだ」
「……そうか……」
 納得してるし……
 早樹と真喜子を見ていると、どう考えても早樹の方が立場が弱そうであった。
「でさあ、ストーカーって……」
 そんな早樹を置いて、大地は真喜子に訊ねた。兎に角あの女性のことを知りたかったのだ。大地はビデオに映っていた女性をずっと気にしていたからだった。
「季節の渡り鳥みたいに一定期間経つと帰ってくるのよあの女。男に振られたらいっつも光ちゃんの所に嫌がらせに行くのよねえ……。で、あることないこと言って泣いたりしてさあ、回りから見たらほんと酷い男になっちゃうのよね……光ちゃんが……。でも、あの女ほんとはた迷惑な人なのよ……同じ女として恥ずかしいわ……」
 呆れたように真喜子は言った。
「そうなんだ……」
「私、この間大ちゃんに話しを聞いたとき、誰のことか分からないからああいったけど、あの利香子なら知ってるわよ。光ちゃんの店でも一度暴れたことがあるのよね。ほんと、あの女のことで悩むのは、馬鹿らしいわよ。光ちゃんが、母親を一人で面倒見るって事を知って、あの女は逃げたんだから……。そのくせ男に振られたら光ちゃんの所に戻ってきて、好きだと言ったって詰め寄るのよ。今度も、母親が亡くなったのを聞きつけて舞い戻ってきたに違いないんだから……。変な女のくせに、そういうところだけ計算高いのね。最低だと思うわ。本当に好きな相手だったらその人の母親が植物人間になったとしても、ついていくじゃない。あの女は、自分が面倒を見るのが嫌だったのよ。誰もそんなこと言ってないのによ。私がもし光ちゃんのことを好きで、その事知ったら、付いていくわ。だってこれから先どうしたら良いんだ……って思っている人をどうして独りぼっちに出来るの?だって好きな相手でしょう?私なら出来ないわ……」
 真喜子は言い終えるとふう~っと息を吐いて興奮した気持ちを落ち着けたようだった。だが大地は途中から違うことが気になっていた。
「真喜子さん……」
 大地は真喜子の方を見てそう言った。
「何、大ちゃん」
 そう聞いてくる真喜子に対し、大地は目線で早樹の方をチラリと見る仕草をしてみせた。すると真喜子は気が付いたのか、早樹の方を向き、ニッコリと笑った。
 うわ……
 違うよ……
 笑ってくれって言ってないのに……
 大地が言いたかったのは早樹が非常に真喜子を見惚れていたからだ。なのに、笑いかけたりすると、余計に早樹が舞い上がりそうに大地には思えたのだ。
 ……
 もう良いけど……
 確かに真喜子さんは綺麗だし……
 早樹にいが見惚れるのも分かる……
 俺が言うのも何だけど……早樹にいってうぶだもん。
 はあ……
 もう……
 大地はまた視線を店側に移し、博貴と真喜子が教えてくれた利香子を眺めた。じっと様子を伺っていると、確かに利香子の方が興奮して怒鳴ってているようだ。だがここまで内容までは届かなかった。
 変な女……か……
 確かによくよく考えると、自分と抱き合うビデオを隠して撮るというのも変だと大地は思った。それだけに留まらず、博貴の自宅に送りつけたのだ。
 普通はしないよなあ……
 俺だったら嫌だ……
 それに博貴とやってるときのビデオなんて撮りたいとも思わないよ……
 だってやっぱ……
 やだよ……そんなの……
 ビデオを隠してまで撮った気持ちが大地には理解できなかった。余程、思い出にしたかったのだろうか?
 はあ……
 博貴はどうするつもりなんだろう……
 真喜子の話を聞いていると、引っかかると恐いタイプの女性に思えて仕方ないのだ。そんな女をどうやって博貴はあしらうのだろうか?
 とはいえ、真喜子が博貴を庇っているのではないかともフッと思ったが、真喜子はそんな事はしない。何よりハッキリと真喜子は博貴のことを悪い男と言っているのだ。だから嘘などつかれたことはないと断言できる。
「……大ちゃん、食べよう。あっちは放って置いても大丈夫よ。いつものことだから……。光ちゃんもせいぜい恥をかいていたらいいの」
 嬉しそうにそう言って、真喜子はフォークを持った。
「あ、早樹さんも私を気になさらずに食べてくださいね」
「……あ、はい」
 かしこまった早樹を見ながら大地も食べることにまず専念しようと思った。すると真喜子は手を合わせて「頂きます」と言っていた。
 真喜子さんって謎だよな……
 どういう人なんだろう……
 大地は時折そう思うのだが、博貴よりも真喜子の方の謎が多かった。育ちの良さがわかる仕草などを見ていると、ホステスに見えない。特に今日は薄化粧であったため、いつもより清楚な雰囲気が漂っていた。
 綺麗なんだよな……ほんと……
 早樹にいが惚れても仕方ないかもしれない……
 当の真喜子は早樹のそんな態度に気が付かないのか、楽しい話題を沢山提供してくれた。話し上手というのだろう。早樹の方も最初は「はあ……」とか「そうですね」なんて言っていたのだが、食事が終わる頃にはうち解けて話しをしていた。
 それはいい……
 まだ居座っている利香子を見ながら大地は立ち上がった。
「どうしたの大ちゃん」
 急に立ち上がった大地に真喜子はそう言った。
「うん……俺ちょっと手を洗ってくる……なんか油付いちゃって気持ち悪いから……」
 何となく二人の間にいるのが悪いかなあと思った大地はそういうと、手洗いに行くことにした。そうなると、店の中を通らなければならないのだが、どうせ気が付かれているのだから構わないと大地は思ったのだ。
 店に入ると、相変わらず博貴と利香子は何やら話し込んでいた。
 もう怒鳴ってはいない。話しが付けられたのかなあと思ったが、内容まで聞こえている訳ではないので、大地は遠目でそれをチラッとだけ確認すると、店内の奥にある手洗いに入った。
 洗面台の所で液体石鹸のプッシュを押して、泡を立てながら手を洗った。それが済むと今度は顔も洗う。冷たい水が頬を伝い顎から滴が落ちた。
「はあ……」
 え?
 溜息をついたのは大地ではない。驚いて後ろを振り返ると博貴が立っていた。何時の間に入ってきたのか分からないが、確かに博貴だった。
「……び……びっくりするだろ……いきなり「はあ」って何だよ……」
 大地はポケットからハンカチを取りだし手を拭きながらそう言った。
「……ねえ大ちゃん……見た?」
 困惑した様な顔を博貴はしていた。
「……見たって……あの利香子さんとかいう人か?」
「……あ、真喜子さんから聞いたんだ……。真喜子さんと食事に来ていきなり乱入してきたんだよねえ……」
 何となく説明がましく大地には聞こえたが、まあいいかと考えることにした。
「大変だったんだ……」
 ははと取り合えず大地は笑った。
「大変どころじゃないね……。大ちゃんは帰ってこないし……」
 チラとこちらを見て博貴は自分も洗面台で手を洗い出した。
「……その言い方変だぞ。お前が追いだしたんじゃないか……。そんなこと言われても知らないって」
 ムッとした顔で大地は言った。
 俺が悪いみたいじゃないか……
 大地にはそれがむかついたのだ。
「……そうだけどねえ……」
 洗面台を見つめて博貴は気のない風に言った。
「待たせると悪いから俺は戻るよ……。お前もさっさと戻った方がいいぞ。あの人と話し合いしてるんだろう?」
「……冷たいなあ……大ちゃん……」
 博貴はこちらに振り返りそう言ったが、何がどう冷たいのか大地には分からない。博貴の問題であり、自分自身でケリを付けなければならないことなのだ。ここで大地が割って入ったとしても解決などしないだろう。逆に余計に引っかき回すような気がした。
「何が冷たいだよ……。俺が冷たかったらお前は何だっての……。自分のことは棚に上げて人のことをそんな風に言うなよ」
 何より博貴は有無を言わさずに大地のキーを無効にしたのだ。大地の話しも聞かず、それもいきなりだ。それは一体どう説明すると言うのだ。確かに博貴の言うことも一理あると大地は考えた。だから今の状況を納得しているのだ。
 それを、冷たいと言われる筋合いはない。
「……ごめん……」
 と言って博貴はいきなり大地の身体を引き寄せ、抱きしめた。
「おいっ……お前っ……ここは公共の場だろうっ!よせよっ!」
 幸い洗面所には大地と博貴しか居なかったが、いつ誰が入ってくるか分からないのだ。こんな所を見られたら恥ずかしいどころではない。
 必死に大地は身体を動かしたのだが、博貴は自分より小さな身体をしっかりと胸に抱き込んでいた。
「大地……大地の匂いだ……久しぶりだ……」
 博貴は大地の頭に鼻面を擦りつけ、そう言った。
「だからっ……お前ここがどこだかわかってんのか?」
 グイグイと必死に博貴を引き剥がそうとするのだが、背中で組まれた博貴の両手は緩まない。
「見られるのが嫌なんだ……」
 頭上から声が聞こえる。
「そういう問題じゃねえだろっ!離せって!」
 大地がそういう言葉など聞こえていないのか、博貴は大地を抱きしめたまま、トイレの個室に連れ込んだ。そして扉を閉めるとようやく博貴は大地の方を向いた。
「何考えてるんだよ……この……っ……」
 突然、口元を重ね合わされた大地は驚いて目が見開かれたまま、博貴の行動が信じられずにいた。もちろん、洗面所とはいえ綺麗な場所であったが、ここでキスしようとする博貴の神経が理解できないのだ。
「……うーーーっ……うう……うううっ」
 口元を離そうとしたが、狭い中で身体を壁に押しつけられた大地には逃げ場がなかった。博貴からもたらされる久しぶりの感触はもちろん大地にとって、心地よいものであったが、この場所と、今の自分達の状況を考えるとどうしても、キスに酔うなどと言う甘い感覚を受け入れることが出来なかった。
「離せっ……」
 ガッと胸元を掴み、そのまま顔を反らせると大地はようやく博貴の唇を離すことが出来た。だが博貴の腕は相変わらず大地の背に廻され組まれている。
「……大地……」
 何故だかひどく博貴の瞳は切なく見えた。
「大地じゃねえっ!お前、いい加減にしろよ!どういうつもりなんだよっ!こんな所で……俺は信じられないぞっ!」
 大地が怒鳴るようにそういうと、博貴は言った。
「どういうつもりって……大地は私のことを好きでいてくれるんだよね?」
 ……
 どうしちゃったんだこいつ……
 変だ……
「お前……大丈夫か?飯、ちゃんと食ってるか?」
 ずれている事に大地は全く気が付いていない。
「……大地……私は真剣に聞いてるんだよ」
 やや気分を害したのか、博貴はムッとした表情になった。
「真剣って……こんな所でか?お前……マジ、俺、心配になってきたぞ……」
「大地っ……」
 一旦離した身体であったが、また博貴に身体を拘束され、大地はその力強さに息が詰まった。
「……大良っ……よせ……苦しいって……」 
 間接に痛みを感じるほど抱きしめられ、大地はそう言った。だが博貴の力は緩むことはなく、更に背中に廻していた手をシャツに滑り込ませてきた。
「……っあ……」
 博貴の大きな手が直に背中に触れると、大地は体温が上がるのを感じた。
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