Angel Sugar

「秘密かもしんない」 第12章

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 早樹は頭を抱えていた。というのも一番末の弟である大地が男とつき合っていることを知っただけでも混乱し、嘆いていたところに、昨晩すぐ下の弟である戸浪まで、自分は祐馬とつき合っていると言ってきた。
 どうなってるんだ……うちの兄弟は……
 昨晩は本当に頭の線が切れるかと思うほど、早樹は頭に血が昇った。思わず手が出たが、それを受け止めたのは祐馬だった。

「君には関係ない……いや関係あるが、今は戸浪と話しをしているんだっ!出ていってくれ」
 早樹は間に入った祐馬に何度そう言っても出ていこうとはせず、おまけに猫まで参戦してくる始末だった。忌々しい猫は子猫にあるまじき形相で早樹を睨み、歯をむき出しにして睨んでくる。何度引っかかれ、噛みつかれたか早樹は思い出せないほどだった。
「彼を殴るなら俺を殴れっ!」
 何処かの三文小説のような台詞を祐馬から吐かれ、お望み通りに早樹は散々殴ってやった。途中で根を上げるかと思ったが、最後まで早樹は戸浪を殴ることは出来なかった。
 それは褒めてやろう。
 ふう……
 早樹は客間としてあてがわれた畳間にごろりと横になった。朝まで説教したが二人とも全く譲らなかった。その上、時間になると会社に行ってしまったのだ。
 祐馬の方など、腫らした顔で出ていった。
 良くあんな顔で仕事に出ようと思ったな……
 呆れた男だ……
 だが、人間おかしなもので、全く知らない相手なら悪態も付けるが、暫くは随分祐馬には気を使って貰っていたのだ。それを知っているだけに、とことんまで言うことは出来なかった。何より殴りつけた拳もやや力が入っていなかったような気が早樹にはした。
 それでも早樹にはまだ言い足りない。
 まあ……
 あれだけ言い、しかも殴りつけても譲らない男達に何を言っても無駄なのかもしれない。
 心の底にはそんな気持ちも早樹にはあった。だが認められるわけなどないのだ。
 自分の弟達は確かに母親に似て、好男子だ。大地の方は逆に母親に似すぎて女の子のようだが、それでもその顔の下にある気性は早樹も良く知っていた。
 ナヨナヨしているわけでなく、骨太な男気質がちゃんとあると信じてきた。いずれ二人とも可愛らしい彼女を紹介してくれる日が来ると思っていたのだ。
 大地が小さい頃は本当に心配だった。どこから見ても男に好かれそうな顔だったからだ。背も小さい。妙な輩もうろうろしていた。それを早樹と戸浪で守ってきたのだ。
 それが……
 戸浪まで一緒になって男と付き合い、更に大地が男とつき合っているのも認めていた。
 一体これはどう言うことなんだ?
 父親の教えを守ってきた早樹にはとうてい信じられないことだ。はっきり分かった今でもまだ信じられないでいる。
 男はか弱い者を守る。
 それは自分の伴侶であり、妻となる女性に対しての男のつとめだと早樹は信じている。
 どれだけ仕事で辛いことがあっても、家には持ち帰らない。妻に心配させることは絶対屋台柱の男はしてはいけないのだ。
 べらべら話さなくても、黙々と家族を支える男の背中を見て子供も立派に育つ。
 それが立派な男であり、夫であり、父親なのだ。
 自分がどれだけアナクロな存在か早樹も分かっている。だが、それが早樹の信念であり、今まで自分を支えてきたものだったのだ。
 固い考えだと誰に言われてようが、古いタイプだと陰口を叩かれても、これで良いと思っているのだから、今更考えを変えるつもりはなかった。
 このような考え方の早樹に、男同士でつき合っていることを認めてくれと言われても所詮無理な話だと二人とも何故分からないのだろうか。
 何より大地に関しては最悪なタイプとつき合っているではないか。
 また頭に血が昇ってくるのが早樹には分かった。横になっていても、むかつくばかりで少しも気は収まらない。
 仕方無しに早樹がまた身体を起こすと、扉の隙間から、猫の睨み付けている瞳が見えた。
 くそ……
 あの猫……
 何がユウマだっ!
 こちらを見つめてくるユウマに、早樹は逆に睨み返してやった。だが向こうは子猫であるにも関わらず、根性が座っているのか、早樹のそんな瞳に負けることなく黄金色の瞳は怒りに燃えていた。
 実は早樹は動物が好きだった。本当はあのユウマという猫も膝に乗せて可愛がりたいと思っているのだが、ユウマは当然の如く戸浪達の味方に付いていた。
 早樹は小さな生き物を手の中に入れて可愛がるのがとにかく好きなのだ。小さな生き物や女性は自分が保護してやらなければいけないという意識が早樹の根底にあるからだろう。
「……お前もあいつらの味方なんだな……」
 睨み付けていた瞳を和らげ、早樹はユウマにそう言った。するとユウマはいきなり怒りの矛を降ろした早樹に怪訝な顔を向けた。
「私だってな……相手が女性だったら何も言わなかった。だが相手は男だぞ。それを知った私が、良かった良かったなんて言えると思うのか?誰だって反対するだろうが……」
 ユウマに同意を求めても詮ないことなのだが、早樹は思わずそう呟いていた。
 可愛い弟たちが……
 いつの間にか男とつき合っているなんて……
 お兄ちゃんは悲しい……
 両親が知ったらどうするんだ?
 どう説明する気でいるんだ?
 何度考えても早樹には理解できない。そうであるから認めることなど絶対に出来るわけなどないだろう。
 確かに興信所まで使い、大地の相手を調べたのはやりすぎたと早樹も思っていた。それでもし、自分が見て判断したような男で無かったら、もう少しくらい頭に血が上る量が減っていたはずだ。
 だが大地が大良と呼んでいた男は、見た目通りのくだらない男だった。
 あんな男の何処が良いんだ?
 いや……まずは……だ。
 男の何処が良いんだ?だっ!
 その上で、男であり、しかもあんな最低な人生を送っていた人間の何処に惚れられるんだ?
 大地は余程口上手くあの男に引っかかったとしか思えない。
「にゃあ……」
 そろそろとユウマが早樹に近寄ってきた。まだ疑いの目を向けてはいるが、今までになく友好的な感じが早樹にはした。ユウマの声とは逆に、その後ろにある尻尾は上下にせわしなく振られていた。
 ぱた……っ
 ぱたっぱたっ……
 ユウマの尻尾は畳に叩き付けられ小さな音を繰り返す。その仕草がとても可愛らしく見えた。
「おいで……おいで……」
 早樹は手を振ってそういうと、ユウマは目の前までやってきた。
「にゃあお……」
 ユウマは早樹の前まで来ると、一声鳴いてその場に座った。同時に後ろにあった尻尾がくるりと前足に巻き付いた。
「……お前は主人思いの良いネコなんだな……。私は別にお前が嫌いで怒鳴ったりしたんじゃないぞ……戸浪のこともだ。大地もそうだ。お前が主人を大事にするように、私も二人の弟が可愛いんだ……」
 そう言って早樹はユウマの額を撫でた。ユウマはそれに逆らわず。ゴロゴロと喉を鳴らした。
 このままではどうにもならない……
 早樹は考えた。元々姑息な手など自分には似合わないのだ。何時だって真正面から立ち向かってきた。
 そうだ……
 早樹は立ち上がった。

 昼頃まで寝ているつもりであったが、結局博貴は今朝起きてから眠ることなど出来なかったのだ。
 ああ……
 参ったな……
 いや……
 困ったなあ……
 朝から何度もしたように博貴は枕の上で頭を右に向けたり、左に向けたりを繰り返していた。

「……何であいつ……あんな男なんだよ……」

 と、言われてもこんな男だとしか答えられない。

「なんで……ホストなんか……」

 それを言われるのも辛い。だがこればかりは金を稼ぐ手段としてどうしても必要なことであった。この事については何とでも大地に言える。

「あいつ……今まで散々女騙してきたんだ。分かってるんだ……事情も……みんな……あいつがそうしなきゃならない理由を俺は知ってる。知っていても……そんなあいつの根性がすげえ……嫌だ。嫌なんだ……俺……ほんとは……」

 ものすごく酷い男だと思われているような気がしてならない。確かに酷いこともしたが、大地の考える酷いと、博貴がしてきたあれは酷かったな……と思う事がずれているような気がする。
 それとも自分がそれほど酷いと思っていないことでも、大地にすればとても酷い事になるのだろうか?

「だけどっ……あいつ……酷いこと散々してきたんだっ!それで今……今は、俺だけを見てくれてるかもしれないけど……今は誠実だって言ったって、もう変わったからって何度言ったって……昔のことを全部精算できるのか?後悔して……変わったって……分かる……。分かるんだ俺……。あいつはちゃんと反省して、今は違うって……。だけどっ……やっぱりこうやって女の事が出てくると……俺はっ……何処まであいつを信じて良いか分からなくなるんだっ!」

 あいたたたた……
 あれは痛かった……。
 大地が泣きながら叫んだ言葉に博貴はがっくりと肩を落としたのだ。
 困った。
 博貴は兎に角困っていた。
 多少オブラートに包んで過去を話すつもりが、そのオブラートすら役目を果たさないような気がしてきたのだ。
 それが分かったから昨日は何も言えなかったのだ。
 洗いざらい言えば、博貴は確かにすっきりするだろう。だが大地はどうだ?大地が想像している酷い男を上回っていたらどうするんだ?
 う~ん……
 困った……
 誤解は解いておきたい。博貴は本当にそう思っていた。だがそれに伴って芋蔓式に出てくること全てを話して、果たして大地は分かってくれると思うか?
 はあ……
 何度目か分からない溜息を博貴が付いたとき、インターフォンが鳴った。
 ……?
 誰だろうと思いながら博貴は立ち上がると、寝室にも設置されているインターフォンを取った。すると、下の管理人からの連絡だった。
「オーナーの大良さんに会いたいと、澤村さんという方がいらしてますが……どうされます?」
 ……澤村?
 どっちだろうか?
「身長が高くて細いタイプの男性かい?」
「いえ、がっしりしたタイプの方ですけど……」
 ……
 一番上の兄か……
「どうしましょうか?」
「そうだね……会うよ。私の方も話しが合ったんだ。エレベーターを上まで上げてくれて良い」
 言って博貴は腕組みをした。
 何しに来たのか位は分かるけどねえ……
 過保護な兄にも困ったものだ……。
 ああいう岩の様な男は扱いに困るのだ。信念を持たない男と、信念を貫くことを生き甲斐にしている男とどう合うというのだ。
 合うわけなどないだろう……
 ピンポーン……
 どういう態度を取ろうか逡巡していると、玄関のベルが鳴らされた。
 とりあえず……
 話しをするしかないな……
 博貴は数発は食らう覚悟で、大地の兄である早樹に会うことに決めた。
 
 玄関を開けると、早樹はやや恐縮したように立っていた。
 ……
 気味が悪いな……
 いきなり怒鳴られるかと思ったが……
「こんにちは……大地君のお兄さんでしたね?」
「ああ……なんだ君は……今頃起きたのか?」
 低い重みのある声で早樹は呆れたように言った。だが早樹がいきなり訪ねてきたのだ。こちらは準備などしていない。パジャマ姿で何が悪いんだと思いながらも、ニッコリと笑って博貴は言った。
「ちょっと昨日の晩、熱をだしましてね。それで今まで眠っていたんですよ。それより、お兄さんは私に何かお話があるそうですね?」
「そうだ。ああ、体調の悪いところ、申し訳ないが上がらせて貰おう」
 早樹はそう言って、勝手に玄関を上がってきた。
「ええ……構いませんよ……」
 博貴はそう言い早樹を迎え入れると、リビングに通した。
「何か飲み物でもお持ちしましょうか?」
 ローソファーに座り、キョロキョロ室内に視線をせわしなく向けている早樹に博貴は言った。
「君はこのマンションのオーナーなのか?若いはずだが……ホストというのはそれほどの稼ぎがあるのか?」
 驚いた顔で早樹は言った。
「いえ……ホストでこんなマンションのオーナーに等なれませんよ。私の父親だった男が勝手に生前分与してくれたんです。私のことを調べられたのでしたら、その事もご存じだったのではないのですか?」
 博貴は優美にソファーに座ると、自然に足を組んでそう言った。だがパジャマ姿だと何処かその態度もなにやら傲慢に見えるかもしれないと博貴は少しだけ思った。
「ああ……全部読んだ訳じゃないからな。あんなふざけた履歴を最後まで読み切れると思ってるのか……」
 呆れたように早樹は言った。
「まあ……確かにね……」
 苦笑するしかなかった。
 こういう男を攻略するにはどうしたらいいものかと、博貴は先程から早樹を観察していた。
 意志の強さを表す、えらの張った顔立ち。太い男らしい眉。鼻もがっしりしており、顔全体が岩を想像させる。体つきもそれと同じようにがっしりとしており、ぴったりとしたシャツからは、腕を現実に見ることが無くとも、その下にある筋肉の付いた腕を想像できた。
「大地を騙しているなら……もう構わないでやってくれ」
 いきなり早樹はそう言った。
「私は大地を騙して等いません。本当に彼を愛しています」
 ニッコリと笑って博貴は言った。だがその言葉に早樹は小さな目を大きく見開いた。
「大は男だ」
「分かっていますよ」
「だったら、君も血迷わないで仕事先で適当に見繕えば良いんじゃないのか?君なら別に大じゃなくても掃いて捨てるほど相手がいるだろうに……」
 早樹は睨み付けるような目線を送ってきた。
 思い切り軽蔑されているなあ……
 博貴はそう思いながら、まあ……当然だな……と一人で納得し、笑いそうになるのを堪えた。
「掃いて捨てるほどいる中から大地を選んだんですよ」
「君はっ!性別が分かっていないのかっ!」
 ダンッと机を叩き早樹は怒鳴った。
「分かっていますよ。何度同じ事を確認すれば気が済むんですか?」
 さて……
 どうする……?
「大は……多分本当の恋を知らないんだ……だから、君のような男にひっかかったんだと私は思っている。違うか?」
 ……いたた……
 痛いこと言うねえ……
「さあ……どうでしょうか?彼は昔同級生とつき合ったことはあるそうですけどね……。何も知らない子供だと思いたいのはお兄さんの方じゃないんですか?」
 早樹から向けられる視線を受け止めたまま博貴はそう言った。
「ああ……兄から見ると、大も戸浪も何時までも私にとって可愛い弟だ」
 何処か遠い目をして早樹は言った。
 大ちゃんなら分かるけど……
 あの戸浪さんまでも可愛い弟だと思ってるのだろうか……
 兄弟が居ない博貴にはその気持が全く分からない。博貴からすると兄と言うよりただのお節介婆だ。
「……そんなものですかね……。私の兄は私を散々恨んで死んだようですので、そういう情は分からないんですが……」
 博貴が言うと、早樹は哀れみの目を向けてきた。
 それは博貴にとって一番向けられたくない目だった。
「君は可哀想な男だ……。心が捻れている……」
「あんたは真っ直ぐすぎて私には理解できませんね」
 互いに睨み合いながら、この男とは針の先程も理解しあえないと博貴は思った。
 押そうが引こうがこのタイプは自分の意志を絶対に曲げない。
 いつでも自分が清く正しく、誠実な男だと信じている、博貴には一番嫌みな男だ。こういう男が一番博貴は嫌いだった。恵まれた中で育った人間にこのタイプは多いのだ。
 早樹は大地の兄だから、何とか戸浪のように理解してくれたら……と僅かではあったが思っていた。だが今、早樹と対面し、会話をすることでこの頑固一徹の早樹とは、どうあっても折り合いを付けられないのだと博貴は悟った。
 こういう男を何とかしようとするなら方法は一つしかない。
 大地の気持ちを変えるしかないのだ。
 ごめん……
 大地……
 少し辛い思いをさせてしまうかもしれない……
「分かりました。お兄さんがそうおっしゃるなら、貴方の好きにされると良いんですよ。大地を田舎に連れて帰るも良し。説得するのも良し。それが貴方に出来るなら……ですが」
 ニヤと笑って博貴は言った。
「正体を現したな……。それがお前だろうが」
 違うけどね……
 あんたが頑固だから仕方ないでしょう……
 とことんやって貰おうじゃないか……
「そう思って結構ですよ。私は大地を騙している酷い男だとね……」
「その通りじゃないか。今更何を言っても君が歩んできた道は、今の君を作っているんだからな。取り繕っても無駄だ」
 早樹の表情はまるで、百点満点を取って喜んでいる子供のように博貴には見えた。
「もう大地には構わないで貰おう……あの子は私が根性を叩き直してやる。分かったな。大地が戻ってきてもこのうちに入れるな。それが君の罪滅ぼしになるんだろうからな……」
 可哀想な大地……
 でも……
 仕方ない……
「大地はこのうちのキーを持っていますから……暗唱コードを変えますよ。それで良いんですか?納得できますか?」
 やれやれという風に博貴は言った。
「酷い男だ……やっぱりそういう男だったんだな……ほら見ろ……」
 どういう態度を取ったとしても、この早樹という兄は博貴の事を真っ直ぐ見ることなどないのだ。最初から刷り込まれている「酷い男」というのが早樹の博貴という人間に対する評価であった。
 それはどう頑張っても切り崩せそうにない。
 だったら……
 そういう男を演じるしかないだろう。
 あとは……
 大地が少し苦しむだけだ。
 それが博貴には心苦しかったが、何時までもこの早樹に邪魔をされることを考えると、今ケリを付けてしまわなければならない。
 今後二度と邪魔などしないと思わせるような出来事が起こらない限り、早樹はまた同じ事を繰り返すのだ。毎度そんな波風を立てられる事を考えるとぞっとする。
 自分の生き方を全面に押しつけ、己が一番正しいと言うのなら、博貴も今まで生きるために培ったもので勝負するしかないのだ。
 その事で例え大地を傷付けたとしても、博貴はもう引く気はなかった。
「私からは言えませんので、貴方が大地を説得してくださいよ。その代わり私は大地に対してもう何も言わない。何もしない……約束しましょう」
 博貴はそう言ってニッコリと笑った。
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