Angel Sugar

「血の桎梏―策略―」 第3章

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「おおっと、睨まないでくれ。ゾッとする」
 大仰に手を振ってアヌビスは背後にある引き出しから、黒い錠剤を四つ取り出し、ラシャの方へと差し出した。
「一度の使用は一錠。丸一日は次まで間隔を開けた方がいいだろう。一度に売れるのはこの量だ。致死量ぎりぎりだな」
「ああ」
 ラシャは錠剤をポケットに入れて、カードをアヌビスに手渡す。アヌビスはラシャの透き通るような指先に一瞬、魅入られていたが、ハッと我に返ってカードを手に取った。
「一つ聞いていいか?」
「なんだ?」
 アヌビスから視線を逸らし、ラシャは精算が終わるのを待っていた。
「ラシャはやばい仕事から手を引いたと聞いたが、噂は本当か?」
「まあな」
「お前ほどの男だ。今更人殺しが怖くなったという理由じゃないだろう。どういう心境の変化なんだ?」
「それを知ってどうする?」
 チラリと視線をアヌビスに向けると、落ちくぼんだ瞳が、興味深げな色合いを灯していた。
「単なる興味だ」
 苛々とラシャは答えたが、アヌビスはまだ話がしたいようで、口を開いたまま閉じようとしない。
「どういう?」
「精算は終えたか?」
「あっ、ああ、うちは読み取り機が旧式でな。時間がかかるんだ」
「私は気が長い方じゃない」
 すうっと目を細めると、アヌビスは慌てて手元の機械を操作していた。
「分かってる。長い付き合いだからな。だが、ラシャ、おたくの取引先は主に帝国だったはずだ。面倒な奴らに目をつけられたりしないのか?」
「知らんね。すんだら、さっさとカードを返すんだな」
 ラシャが手を伸ばすと、アヌビスはカードを寄越してきた。それをポケットに入れて、ラシャは立ち去ろうとした。
「ラシャ、あんた、悪いことは言わないから、帝国とだけはもめない方がいい……っ!」
 スティンガーがいつの間にか放たれ、アヌビスの頬の脇を掠めると、背後にある棚に突き刺さった。
 針を長くした様な形状のスティンガーという武器は、持ち主のDNAを瞬時に判断し、赤の他人がそれを掴むことが出来ない様な仕組みになっている。連邦で作られたものではなく、帝国製だ。また分解することが出来ない金属で出来ていた。
「私はおしゃべりな人間が嫌いなんだ。付き合いが長いと分かるはずだが?」
「そ……そうだったな。他にまた何か必要なものがあれば、寄ってくれ」
 アヌビスは引きつった笑いでラシャとスティンガーを見比べながら、冷や汗を拭っていた。
「またな」
 ラシャはアヌビスの店を出て、ギルドの街並みへ身を投じた。
 私からすると珍しいことだな。
 ラシャはポケットに手を入れて、ブラック・コブラの錠剤を弄んでいた。
 ライが頼んだからと言って、こんな場所へ足を運ぶ必要などない。放っておけば、自分でなんとかするか、勝手に死んでいただろう。
 もっとも、うちで死なれると後が面倒だが。
 ラシャは漆黒の髪を撫で上げた。
 ライは今までに出会った人間にはないものをラシャは感じた。だから今のところうちの中に放置して、気が向いたときだけ、セックスの道具にしていた。
 ライに対してどういう感情もラシャは持ち合わせていないのだ。
 出て行きたければ勝手に出て行けばいいと考えていたが、ライは何を考えているのか知らないが、未だに居座っている。しかも、殺しをやめろとまで口にした。
 ラシャが殺しをやめようと決めたのは、ただの気まぐれだった。幾千夜、繰り返していたことだったが、もともと未練などなければ、続ける義務も、ない。単調な毎日を繰り返し続けていただけだ。
 今の自分を変えたいと思っているわけでもなかった。
 あの男が口にした、馬鹿げたことに付き合ってやろうと思ったのは、ちょっとした興味からだった。
 今のところ生かしておきたいから、ラシャは薬を手に入れた。
 興味が失われるまでの間は、とりあえずまともであってもらわなければ困る。もっとも、薬で精神を崩壊させようと、知ったことではないが。それはそれで、反抗することもなく、楽しませてもらえるだろう。
 ラシャにとってこの世界は行き過ぎていくだけのものだ。
 時間も時代も、なにもかもが、道で人とすれ違うだけのものでしかない。けれどライに出会い、ふと足を止めてみようと考えた。己に課せられた長い時間の中で、少しばかりライという人間とかかわってもいいだろうと思ったのだ。興味のあるうちは弄び、興味を失えば放り出してしまえばいい。
 あとはライが勝手にするだろう。
 気まぐれから始まった奇妙な共同生活は、まだ先が見えないものだった。



 ライが頭痛で目を覚ますと、床に薬が置かれていた。床は相変わらず冷たく、毛布にくるまっていたものの、身体の芯まで冷えている。ブルッと身震いをして、ライは身体を起こし、見知っている真っ黒な錠剤を二つを、水なしで呑み込んだ。
 まだ頭痛がとまらない。
 頭の中に銃の弾がいくつも入れられ、シェイクされているような痛みは、相変わらずライを悩ませている。この薬が効いてくる頃には、少しはまともに物事を考えられるだろう。
「ライ、薬を飲ん……あっ、二個しかないっ!ライ、一度に二個も飲んだの?」
 同じように床で丸くなっていたリーガが叫んだ。
「ああ……うん。頭痛が酷いときには仕方ないよ」
「ラシャが言ってたけど、一回に一錠なんだよ。死んじゃったらどうするの?」
 リーガはオロオロと床を行き来し、ライの笑いを誘った。
「普通の人ならね。俺は別。三つはきついけど、二錠くらいなら大丈夫」
 何度も深呼吸をして、胃の中に入った薬が早く効くようにと、床にまた寝ころぶ。
「……ライって……」
「すぐに効いてくると思うけど……これ、もともと四つしかなかったの?」
「うん。ラシャが買ってきたのは四つだけ」
「じゃあ、明日には切れちゃうな……どうしようかな……」
 薬を続けて飲むことは、精神の崩壊を意味する。悪いことに、医療機関に行くわけにはいかないライは、やはり一度連邦の機関に戻らなければならない。
「俺……連邦に一度戻るよ」
 ライの言葉にリーガは何故か笑みを浮かべた。
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