Angel Sugar

「血の桎梏―策略―」 第4章

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「何で笑ってるんだよ?」
「え、だって、ライは帰るんだろ?そりゃ……ライがいなくなると寂しくなるけど、その方がいいって僕は思ってきたからさ」
 リーガはライの側にちょこんと座り、尻尾を左右に振った。
 何度見ても、リーガはただの猫に見える。これで無敵を誇る種族とはとても思えない。黄金色の瞳にうす黄色の体毛、尻尾は四本あって、それらすべてが自由自在に動く。時々生き物ではなくて、精巧なアンドロイドのようにもライには見えた。
「俺、用事を終えたら戻ってくるよ」
 頭痛が治まってきたライは、毛布にくるまりながらも、身体を起こして床に座り込んだ。
「ええっ!」
 本気でリーガは驚いていた。
「俺、ここにいるって約束しただろ?」
 乱れた髪を撫で上げて、ライはため息をついた。ラシャは仕方ないとして、リーガにまで歓迎されていないと思うと、自分で決めたこととはいえ、やりきれない気持ちになる。
「……まあ、そうだけど」
「ねえ、そんなに俺がここにいるの嫌かな?」
「嫌なんかじゃないよ。ただ……僕はライが心配なんだ……」
 潤んだ目を向けてリーガは言った。そんなリーガの頭をライは撫でた。
「俺のことは心配しなくていいよ……覚悟を決めてここにいるんだから……」
「……」
「大丈夫だって」
 何度もリーガの頭を撫で上げ、宥める。リーガの心配も理解できるが、ライはここから逃げ出す気はないのだ。
「とりあえずシャワーを浴びてくるよ。それからラシャに話して……あ、ラシャは部屋にいるのかな?」
「いるみたい」
「そう、じゃあ、出てから連邦領に戻る話をするよ」
 ライは未だ心配そうにしているリーガをその場に置いて、立ち上がると、バスルームに向かった。
 今の問題はラシャではない。自分のことだ。
 ライは熱いシャワーを浴びながらため息をついた。
 現在、連邦でどういう立場に立たされているのか、全く分からないのだ。
 いつも時間どおりに出勤していたライが、突然仕事場に来なくなり、しかも自宅にもいない。旅行に行くとか、急用ができたという話も上司にはしていないし、友人にも話していないのだ。
 ライは婚約者であるミランダのうちへ向かう途中にラシャに出会い、ここに連れてこられた。今ごろ、大騒ぎになっているに違いない。そんなライがひょっこり職場に顔を出せばどうなるのだろうか。
 いや、どんな言い訳を用意しておけばいいのだ。
 記憶喪失になって彷徨っていたとか。
 事故にあって入院していたとか。
 ライが考えられる言い訳は、どう考えても通用しないものばかりだ。かといって、正直にラシャに出会ったということは、口が裂けても言えない。
 どうしようかな……。
 ライはバスルームの壁に頭を当てて、何度目か分からないため息をついた。もしこのピアスの調節がなければ、戻ろうなどとは考えなかっただろう。けれどこのピアスの調節にはコードキーが必要で、その辺の病院では対処できないのだから仕方ない。
 何か理由を考えておかないと……。
 弟のことで悩んでいたことは、周囲の人間も知っている。それを理由にして、急に何もかも投げ出したくなったと言えば、不審がられながらも、納得してもらえるかもしれない。ピアスの調整を終えたら、辞表を提出して、次に自分の家に戻り、必要なものだけを持ち出し、賃貸契約も解除する。そして今度こそミランダと会い、婚約の解消を告げたらいいだろう。
 何もかも中途半端にしたまま、ライはここに来てしまったのだから、連邦に戻るこの機会に、気になることにはすべて決着つけなければならない。
 今のところ先が見えないのだ。
 これからラシャと自分がどうなるのか、分からない。
 それでもライはここに居座るつもりだった。
「……はあ……」
 バスルームから出ると、棚から柔らかいタオルを手に取り、身体の雫を拭う。肌に鮮やかにつけられた、ラシャのキスマークが生々しく明かりに照らされて、ライは一人で顔を赤らめた。
 ついこの間まで、ライは男とセックスをしたことがなかった。想像もしたことがないし、してみたいという興味に駆られたこともない。けれど、ラシャに抱かれるたびに、身体が柔らかくなって、キス一つで身体が疼くようになった。
 自分でも信じられないほど、身体が劇的に変化を遂げている。
 痛みを伴っていた挿入も、今では心待ちにしてしまうほど、あの刺激に餓えているのだ。ラシャの怜悧な瞳がライを捉えるとき、ゾクリとしたものが背を這う。愛情が込められた瞳でもないのに、ライはわけもなく動揺してしまうのだ。
 それには恐怖も含まれているのだろう。
 数え切れないほど人を殺した男だけが持ち得る、独特の雰囲気が、ライの足を竦ませる。
 ライは雫を拭うと、ローブを羽織り、バスルームから出た。
 とりあえず、ラシャに連邦領に戻ることを伝え、リーガから聞いたことを問わなければならない。
 殺しはしないと言った。
 なのにどうしてまだ続けているのだ。
 それともライに告げてくれた言葉は、単なる誤魔化しだったのか。
 ラシャは何を考えているのか、ライには全く分からない男だ。もともと感情を持っていない男だから、余計にそう見えるのだろう。
 一緒に暮らして分かったことと言えば、ラシャはあらゆることに対して無関心であると言うことだ。ライの存在すら、空気のように思っている節がある。そんな男に、何かを問いかけたところで、望む言葉が出てくるわけなどない。
 ライは肩を落としたまま、ラシャがいるであろう部屋に入った。ラシャは街並みを見下ろせる眺めのいい部屋で、ソファに横になって目を閉じていた。
「何の用だ?」
 ライの気配を感じ取ったのか、ライが口を開く前にそう言った。
「あのさ、俺、明日、一度連邦に戻ることにしたんだ。ピアスの調整をしてもらわないと、まともな生活ができないからだけど……いいかな?」
「私に聞くべきことではないだろう?」
 ラシャは相変わらず目を閉じたまま、そう言う。
「……たぶん、二、三日で帰ってこれると思う」
 そろそろとラシャに近づき、ライは床に座った。
「ライ……」
 ラシャは目を開けると、視線だけをライに向けた。
「なに?」
「お前が誰のものであるか、理解はしているだろうな?」
 つ……と、頬を指先でなぞられ、ライはビクリと身体を竦ませた。ラシャはライを所有物としか見ていないことを知っていても、こんなふうに触れられると、何かが心の奥でざわめく。
「分かってる……」
 ライはようやくそれだけを言った。
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