Angel Sugar

「血の桎梏―策略―」 第13章

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「痛い……っ!」
 右腕はラシャに折られ、治療が施されているとはいえ、まだ完全に骨は繋がっていないはずだ。このままではまた折れてしまう。
「サイファ……お願いだから力をゆるめてくれよ……」
 首筋に触れるサイファの唇が、生温かく湿っていた。そのゾッとする感触に、ライは顔をしかめる。不思議なことにそれは、屋上でラシャに陵辱されたときにも感じなかった不快感だった。
 本当ならどちらに対しても不快感があって当然だろう。
 なのに、あの男とはそこまでの気持ちはなかった。
 覚えがないはずの男であるのに。
「ライが抵抗さえしなければ、いつでも放してやるよ」
「……サイファ……俺にはサイファは友達としか思えないんだ……」
「だから?」
「俺を犯して、何が満足なんだ?それともただ、性欲さえ満たされたらいいのかよ?」
 ライの言葉に、サイファの顔が上がる。透き通った瞳には、欲望ではなく、苦悩が浮かんでいた。
「僕がそんな気持ちでライを抱くのだと、本気で思ってるのか?」
「サイファの本当の気持ちを知ったのは今が初めてだよ。それをいきなり聞かされて、抱かせてくれと頼まれたとしても、うんと言えるわけないだろ。それに今、サイファはあの殺し屋の行為に腹を立てているだけだ。そんな気持ちで犯されても、俺はサイファに感謝なんてしないし、ましてや、好きになんてならないっ!」
 吐き捨てるようにライが言うと、サイファの手が離れた。
「……そんなこと、分かってる」
 はだけたライのシャツを整え、サイファは身体を起こすと、ベッドの縁に腰を下ろした。背を向けたサイファにライはかける言葉を見つけられない。
「……」
「ずっと死んだような目をしていたライが……今は何もかもふっきった目をしている。その理由は分からないし、多分、記憶を隠しているライ自身にも説明ができないだろうけど、あの殺し屋が深く関わっているような気がして、腹立たしい」
 背を丸め、俯き加減にサイファは言った。
「ごめん……どうして自分でも謝ってるのか分からないけど……」
「もういいよ」
 サイファは振り返ることなく立ち上がり、部屋から出て行った。ライは折れた腕に撒かれているテーピングを押さえながらため息をついた。
 身体が酷く怠い。もっとも辛いのは下半身だ。普通に座るという体勢すら遠慮したいほど、今はこうやって横になっていたい。
 ライは身体をベッドに深く沈ませたまま、目を閉じた。
 骨折の痛みは感じられない。穿たれた部分の方が痛い。

 お前は私のものだ――。

 低くてよく通る声は、ライの身体の奥底にまで甘美に響き、不思議と心地よく聞こえたのだ。一体、あれはなんだったのだろうか。何か意味があるのだろうか。自分で隠した記憶の中に。
 闇夜に浮かぶ円かな月を思わせる容貌だった。
 白い肌に、深淵を思わせる瞳。
 あんなに綺麗な顔をライは見たことがなかった。
 いや、綺麗という言葉すら、あの男には似合わないのかもしれない。
 ふと、どこかで見たような気がした。
 けれど思い出そうとすると、頭痛がする。
 この現象は、隠した記憶の中にあの男のことが含まれていることを示しているのだ。
 認めたくはないが、ライはあの男を知っている。それを隠したいから、記憶にキーをかけて連邦に戻ってきた。
 俺……。
 どうして殺し屋を庇ってるんだ?
 俺はそんなことをするような男だったか?
 いや、あんな風に陵辱されたのに、どうしてあまり深刻になっていないのか。
 ライにはそういう自分の心境の方が気になっていた。
「はあ……」
 横向きになって、ライは毛布を口元まで引き寄せ、目を閉じた。
 答えが出ないことを、いくら考えても無駄だと悟ったからだった。



「ねえ、ラシャ。きっとさあ、ライはこの機会に連邦っていう組織に戻りたいんだよ。別にいいんじゃない?駄目なの?」
 窓際に立つラシャに、リーガは先程から同じことばかり口にしていて、耳障りだ。けれど、悪いことにこの口を黙らせることができない。
「ていうか、なんで様子を見に行ったの?ラシャってそういうことをしない主義じゃなかったっけ?」
 肩を左右に行き来し、リーガは尻尾を左右に振る。
「あれは私のものだからな」
 闇に浮かぶネオンに向けた目を細め、ラシャはそう言った。
「……いらないって言ってなかったっけ?」
「そんなこと、言ったか?」
 ラシャは手袋を外し、無造作に床に落とすと、額にかかる髪を撫で上げた。
 側にいると面倒で、口を開けば鬱陶しい男であるが、ライはラシャにとって今のところ暇を潰すのに必要な男であり、手放す気はない。もっとも以前に、逃げ出すチャンスを与えたが、そうしなかったのはライだ。
「僕、気になっていたんだけど……本当に殺しはもう引き受けないつもりなの?」
「ああ」
「……どういう風の吹き回し?」
「それほど不思議なことか?」
「……だって……ずっと殺しをしてきたんだよ。もちろん、僕は殺しを推奨してるわけじゃないし、ラシャが廃業するんだって決めたんだから、いいんだけど」
 リーガは相変わらずせわしなく肩を走り回り、気ぜわしい。
「だから、お前は何がいいたいんだ?」
「……別に……深い意味はないんだけど……僕もライがいてくれると美味しいものを食べられるし、無口で面白みのないラシャと一緒にいるより、ライと話す方が楽しい」
 ようやく左肩で落ち着いたリーガは、そう言った項垂れた。
「暫く黙っていろ」
 ラシャは窓際から離れ、ソファに腰を下ろすと、胸元からスティンガーを取り出し、丁寧に手入れをし始めた。
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