Angel Sugar

「血の桎梏―策略―」 第12章

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「……あ……うん」
 衝撃が大きすぎて、ライには実感が湧かない。サイファから聞かされていることが、すべて他人事のように思えるのだからどうしようもない。
 ライはそろりとカップに手を伸ばして手に取った。弧を描いて揺れるミルクを眺めながら、『陵辱された自分』を自覚しようとしていた。けれど、頭の中が真っ白で、何かを深く考えることができない。
「もう少ししたら本部から迎えが来るよ。今度こそ大丈夫だ」
 サイファは言葉とは違い、硬い表情でそう言った。
「……え、あ……そう……」
 一口ミルクを飲み、少し甘い味覚に、砂糖が溶かされていることに気づく。けれどその味はライの乱れた気持ちを、宥めてくれることはなかった。
「ライ、本当に大丈夫か?」
 本来なら、もっと質問攻めに合うだろうと予想していたのか、それが裏切られたサイファは、怪訝な表情をライに向ける。
「俺……俺は……たぶん、大丈夫だと思う」
 身体の奥が、穿たれた場所が、鈍く疼いている。ライには慣れない不快な痛みで、ジクジクと絶え間なく襲うそれは、確かに犯された事実を物語っていた。けれど、ライはこのことで、どういう態度をとっていいのか分からないのだ。
 笑いとばせばいいのだろうか。
 それとも深刻な顔をして、泣き濡れるのがいいのか。
 ライにはどちらもこの場にそぐわないような気がして、選べなかった。
「そう……」
 サイファはまたライから視線を逸らせ、ため息をついた。それは何かを期待して、叶えられなかったという落胆に近い。
「それで……俺はどうすればいいんだ?」
 カップをまたサイドテーブルに置いて、ライは問いかけた。
「だからさっきから話しているだろう?本部にライの身柄は移動させられるって……」
「……あ……うん。そうなんだけど、どうして本部に移動するんだ?」
「キラーラシャがまたここに来ないという保証はないだろ?」
「……またって言うけどさ、どうして来たんだ……」
 キラーラシャの噂はライも知っている。
 冷酷な殺し屋で、彼に狙われたら、どういう懇願も聞き入れられず、また、しくじることはない。その容姿も、素顔も未だに不明だ。
 けれど、ライは男の素顔を見た。いや、ラシャが自らバイザーを取り、見せたのだ。どうしてライにそんなことをしたのだろうか。
「さあ……僕にもよく分からない。それこそ、ライの方が分かるんじゃないのか?」
 サイファは無造作に銀髪を撫で上げる。
「俺?」
「ライが自分で隠した記憶だよ」
「……確かにキーがかけられていることは分かる。けど……いや、よく分からない」
 ラシャに関することにライは自分でキーをかけているのだ。
 それは、誰にも知られたくないとライ自身が考えたからだろう。
 陵辱されたからか、もしくは口ではとても告白できないことがあったのだろうか。
 それともラシャがそういったことに長けていて、ライの記憶を弄ったのか。いや、それは考えられない。もし、仮にラシャがライの心を弄ろうとしたなら、ライが先にキーをかけているだろう。
「知られたくないから……ライは自分でそうしたんだ……」
 サイファは目を細め、意味深な表情でライの長い髪を自らの指に絡めた。
「……」
「ライは何を隠したかったんだと自分で思う?」
「事実は分からないって」
 ライにはただ顔を左右に振るしかなかった。
 今のところ、自分でも外せないキーがかかっている記憶の中にしか、事実がない。
「自分でキーを外してみたら……どう?」
「そう思うんだけど……キーになった言葉が分からないことには、無理だよ」
 心にキーをかけることはさほど難しくない。
 ただ、それを思い出すキーを探すことが難しいのだ。大抵の場合、それらも一緒に忘れているからだった。
 もっとも重要なことは、外部の力で無理やり思い出させようとすると、記憶のすべてを崩壊させる可能性があるということだろう。
「それすら思い出せないのは、ライ自身、必ずどこかで思い出せるだろうという確信がある合い言葉なんだろうね」
「何が言いたいんだよ……」
「……僕が探してやってもいいけど……」
 サイファはそう言って、絡めていたライの髪から指を解くと、意味深な目つきを向けた。
「何だよ……っ!」
 いきなりライの上へ乗り上がり、サイファは唇が触れ合うほどの距離まで近づける。ライはサイファの行動の意味を理解できずに、硬直していた。
「僕が覗いてやろうか?」
 またライの髪を指に絡め、サイファは言う。どことなく危ない様子に見えるサイファに、ライは作り笑いを浮かべた。
「遠慮するよ……」
「気になるんだよ……何を隠したがってるのか……さ」
 ライの両脚にサイファは身体を割り込ませ、やんわりと両手を拘束する。
「……大したことじゃないって。だからサイファ、俺の上からどけてくれよ。こういう冗談は笑えないって……」
「ああ、本当に笑えないよ。僕はライをずっと見てきた……ああ、ライは気づいていなかっただろうけどね。ライにはミランダという婚約者もいたし、僕が男だっていう性別も邪魔をして言えなかった。いつもただ、見ているだけだった……」
 苦渋に満ちた表情でサイファは淡々とそう告げた。
「サイファ……何を言いたいんだよ……?」
「……僕が一番、ライに対してこうしたいと考えていたんだ」
 ライの右手首から手を解いて、ライの首筋に指を伝わせ、赤い印のある部分でとめる。その印を、サイファの端正な顔が苦々しく見下ろしていた。
「サイ……っ!」
 あっという間にかすめ取られた唇は、言葉を呑み込む。ネットリしたサイファの舌が自分のものと絡まると、なんとも言えない味覚が口内に広がった。
「……う……うっ……」
 ライは抵抗しようとしたが、サイファによって押さえられている手首は、押しても引いても動かず、また両脚にも全く力が入らなかった。
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