Angel Sugar

「血の桎梏―策略―」 最終章

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 ラシャが用意したエアカーに乗り、ようやくライは自分の居場所に戻ってくることができた。追跡されているのではないかと、何度となくライは背後を振り返ったが、入らぬ心配に終わった。
 自宅と言うにはまだ慣れない場所だが、ラシャの住まいに戻ったことで、意外に安堵している自分に驚きながらも、ライはラシャのベッドでグッタリと身体を伸ばしていた。無理やりDNAマーカーを消去したために、発熱したのだ。
「気分はどう?」
 リーガはライの回りをウロウロとしつつ、心配していた。ラシャと言えば、ライを自らのベッドに横たえると、部屋から出て行った。今、何をしているのか、分からない。いや、いつものことながらラシャの考え自体よく分からない。
「まだ吐き気が治まらなくて、気持ちが悪い……」
「DNAマーカーを強制的に排除したから余計だと思う。でも明日にはその気持ち悪さも取れると思うよ。ラシャがそう言ってた」
 リーガは枕元でライを見下ろして言う。
「ねえ、リーガ。どうしてラシャは俺を迎えに来てくれたんだろう……」
「ラシャがライを何度か迎えに行ったことは話したとおりだけど、どうしてっていう理由は僕にも分からないよ。それこそラシャ本人に聞いてみたら?」
 覚えていないが、最初、サイファのところにいたライをラシャが迎えに行ったらしい。その上、連邦のビルに拘束されたライを連れ戻そうともした。ライはそれを聞いて、不思議と胸が昂ぶり、何かを期待してしまった。
 もっとも、あの冷酷非情なラシャが、甘い感傷からライを連れ戻そうとしたわけではないのだろう。ではどういう心境の変化から、ラシャは重い腰を上げたのだろうか。期待するなと言われても、ライはどうしても胸の高まりを抑えられないでいる。
「……うん……そうだよよね」
 熱っぽい目を擦り、ライは気持ちを落ち着けるために、ゆっくりと息を吐いた。
「多分……深い意味はないんだと思うけど」
 リーガは外の景色を眺めながらぽつりと言った。
「俺も、そう思う……」
 ラシャに関しては期待などしない方がいい。
 いや、期待といっても、どういう類のものをライ自身抱いているのか、自分の気持ちも定かでないのだ。ただ、すべてが曖昧で、混沌としている。
「……でも、聞いてみるんだよね?」
「気になってることだから……聞くよ」
「……僕、ラシャに、もうライをそっとしておいたらって何度も言ったんだ。でも、ラシャは首を縦に振らなかったんだよ。僕はいまだかつてラシャが何かに執着している姿を見たことがない。ラシャって女も男も買ってたけど、相手が本気になっても二度目はないんだ。なんていうか、ラシャは日常でもそうだけど、セックスにもすごく淡泊なんだよね。でもライには執着してる。そんな自分にラシャは気づいていないけど。……僕から希望的なことはあんまり言えないけど、確かにラシャは変わったように思うよ。それがいい方になのか悪い方になのか、分からないけどさ」
 リーガの言葉にライは驚きながらも、自然と唇に微笑が浮かんだ。
「笑ってる場合じゃないんだけどね……。ああいうラシャに執着されたら、もう絶対にもとの生活には戻れないってことなんだからさ。僕は何度もラシャにライを解放するように言ったけど、もうこれからは言わない。言ってももう無駄だから。ライも覚悟を決めた方がいいよ」
「うん。それでいいよ。俺は最初から覚悟を決めてたから、もしラシャの気分を害して殺されたとしても、誰も恨むつもりはない。安心して」
 ライの言葉に、リーガは笑った。
「僕が側にいる間は、そういうことはさせないから、安心してくれていいよ」
「ありがとう……リーガ」
「今晩は無理だと思うけど、明日は……ご飯作ってくれるんだよね?」
 期待に満ちた黄金色の瞳が輝く。
「うん。何でも作ってあげるよ。楽しみにしておいて」
 ライは手を伸ばして、リーガの柔らかい毛を撫でた。触れているだけで奇妙なほど安堵できる癒しが、この薄黄色の毛にある。
「あ、ラシャ……」
 リーガの言葉にライは扉の方を向いた。
 ラシャはシャワーを浴びてきたのか、光沢のある白いシルクのローブを羽織っている。熱かっただろうシャワーもラシャの肌を朱に染めることなく、怜悧な美貌がそこにあった。
「そろそろ休む。お前も自分の場所で寝るんだな」
 ラシャはそう言って、ライの横になっているベッドに腰をかけた。
「あ……うん。ライ、お休み」
「お休み、リーガ」
 リーガはベッドを飛び下り、寝室から出て行った。
 静寂だけが周囲を包み、ラシャは背を向けたまま座っている。もしかすると窓からの夜景を眺めているのかもしれないが、向けられた背は何も語らなかった。
「……ラシャ、聞きたいことがあるんだけど……」
「なんだ?」
 ちらりと背後を窺ったような気がしたが、ラシャは振り返りはしなかった。
「俺のこと……どうして迎えに来てくれたんだよ?」
「私が飽きるまでは相手をさせる。お前が言い出したことだったはずだが」
 ゆっくりとラシャは振り返り、冷えた眼差しをライに向けた。
 おおよそこの世に存在するどれほどの美辞麗句もこの男を現す言葉になり得ない。見慣れたライでも一瞬目が奪われてしまう。
「ラシャらしい答えだよな。そっか……なんか急におかしくなってきた」
 単純な理由からラシャはライを迎えに行ったことを知ったからだ。
「でも……記憶が弄られていて覚えてないけど、ラシャが迎えに来てくれたってリーガから聞いて……俺、嬉しかった。ありがとう……」
 どういう理由でラシャがライを迎えに来たのか、そんなことはどうでもいいのだ。リーガから聞いて、ライは嬉しく思った。正直にそう伝えたかった。
「嬉しい……か。理解に苦しむ男だな、お前は」
 ラシャは冷ややかな表情を崩さず、ライを組み敷く。
「そのセリフをそのままラシャに返すよ……」
「熱を出していても、口だけは減らんな。まあいい」
 身体を覆っていた毛布を剥ぎ取り、ラシャは露わになったライの胸元へ、指を走らせる。優しさすら感じられる緩やかな手の動きに、ライは身を捩らせた。
「俺は……そのためにここにいるんだ……」
「面倒なことだな」
 いつも表情のないラシャの顔が、どことなく迷惑そうに歪んだように見えた。
 もしかすると、緩やかではあるが、何かが少しずつ変わってきているのだろうか。
 リーガの言うよう、それがいい方か悪い方か分からないが。
 いや、今見たかもしれないラシャの表情のように、実は錯覚かもしれないのだ。
 けれど今はそんなこと、どうでもいい。
「ラシャ……」
 ライは自らも手を伸ばしてラシャに擦り寄った。
 落とされるだろう、愛撫を受け止めるために。

―完―
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