Angel Sugar

「血の桎梏―策略―」 第6章

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 ライの上司であるエリアル・サマーは驚くべき報告を受けていた。
 行方不明になったライが戻ってきた。
 エリアルはライがラシャという、現在連邦で指名手配をされている殺し屋と接触をしていたであろうということも報告を受けていた。その上で、ライは無事だったのだ。
 エリアルは緑色に光る、報告書の電光掲示板を消し、立ち上がる。
 身長は百七十センチ、肩までの赤茶の髪、細い顎。一重の瞳は知性を表し、細い鼻筋はどこか神経質な印象を与えるが、彼女の心は見た目とは違い、寛大さと、深い慈悲を心に備えている女性だった。けれどだからといって、闇雲に誰かを信用することもなく、また、情に流され、判断ミスを犯すこともない。何事対しても、深い理解を示しながら、時には冷酷に対処することもしばしばだ。
 だからこそ彼女は、走査課の統括を任され、上層部からも信頼を得ている。
 そんな彼女が、ライに再会した。彼が話すことにたいし、なんら疑問を抱かず、すべてすんなり信用する訳などなかった。
 ライは力を制御するピアスの調節をするために戻ってきた。
 ラシャと鉢合わせしていたであろう事実は覚えていないという。その時の記憶が抜け落ちていると、目を逸らせることなく告げた。
 エリアルからみて、ライは行方不明になる前に比べ、一種独特の雰囲気を纏って戻ってきた。もっと後ろ向きで――やる気がないわけでなく、彼の遭遇した事件によって、そうなってしまったのだが――排他的なところが見受けられたが、今は少しばかり饒舌で、表情に動きが戻っていた。
 行方不明だった一ヶ月の間に、何か彼の生活を一変するような出来事があったとしか思えない。
 エリアルはとりあえずライの言うことを信用している振りをして、ピアスの調節を優先させるよう、ライに告げた。そうしなければ、クスリの力でようやく均衡を保っている力がいつ暴走するか分からなかったからだ。
 けれどエリアルは、ピアスの調節をする技師に先に連絡を取り、ある指示を出し、ライにそれと気づかせることなくクスリで眠らせると、ライの同僚であるサイファ・シュレーンを呼び出した。
「ピアスの調整はどうなの?」
 エリアルは技師のトロルに問いかけた。トロルはリクライニングシートに眠っているライを見下ろしながら頷く。
「終わりました。ただ、彼は自分で記憶の操作をしていますね……」
 トロルはチラリとサイファに同意を求めるように見る。
「サイファ、そうなの?」
「ええ、ライの心は走査できません。自らキーをかけていますね。それを解除する言葉が分からないことには、例え走査能力を持つ私でも、覗くことはできません」
 サイファは冷えた眼差しをライに送ったまま、言う。  
 彼は必要以上にライに肩入れしてきた男だった。日常で随分と密接な関係を作り上げていた二人であることを知っていたから、ライの走査に彼を選んだのだ。そのサイファが言うのだから、どうあっても無理なのだろう。そして自らキーをかけていることこそ、ライが人には知られたくない何かを抱えていることを表し、またラシャが少なからずかかわっていることも容易に想像ができた。
「私が気になっているのは……このことです」
 トロルがそっとライの襟元を開き、鮮やかに鬱血している痕を見せた。するとサイファの顔色から血の気が引き、引き絞られた唇は白くなる。
「私には話さなかったけれど、肉体関係のある誰かとライは今まで暮らしているということね。かなり親密そうだわ」
 それが誰であるのか、想像はついても、ただ信じられない。
 ラシャは長い間、殺し屋として名を馳せてきた。なのに、彼に関する情報はほとんどなく、またその容貌すら、データがないのだ。
 噂では目を見張るほどの容姿だといわれていたり、逆に、二目と見られない恐ろしく醜い姿をしているとも言われていた。どちらが事実なのかも、ラシャに出会い、生き残っている人間がいないため、分からない。
 ただ、ここに、長い間連邦を翻弄してきたラシャという殺し屋をおびき出せるかもしれない人間が存在することになる。どういういきさつかは想像することもできないが、ライはラシャに気に入られたから、殺されることなく生かされている。そしてライも、ラシャが殺し屋であることを知りながら、その事実をエリアルに告げることなく、記憶にキーをかけていた。
「ライは昔のライだと思わない方がいいのかもしれないわね」
 冷えた声でエリアルは言った。
 ライにはことのほか目をかけてきた。
 彼の持つ弱さ、そして苦しみを理解してきたからこそ、同情もし、そして他の部下よりも可愛がってきた。そんなライをとてつもない闇に引きずり込んだのは、ラシャなのだろう。数多くの闇を覗き込んできたライだ。普通の精神より強いはず。それを上回る暗さを持つ闇に出会い、惹かれたのかもしれない。いや、ラシャが何かを仕掛けたのか、またどういう手を使ったのか、分からない。それでも、エリアルはライをこのまま帰す気などなかった。
「トラップを仕掛けるわ。キーのかかっている記憶の上に、さらにトラップを仕掛けて、ラシャをおびき寄せるのよ。もっとも、ライがそういう餌になるのかどうか、それだけの価値があるのか、私にも分からないけれど……」
「失敗すると……大変なことになるのでは?」
 エリアルのトラップについてすぐさま気づいたトロルは、額に汗を浮かべて言った。
「そうね。キーをかけているはずの記憶が、トラップの下から戻るようなことがあれば、ライの命はないでしょう。仕方ないわ、この子が自分で強力なキーを記憶にかけているんだから、それを上回るトラップをしかけようとすると、その代償は大きくなる。ただ、私は、ラシャとライがどういう関係であったとしても、この子を帰す気がないの。この子は連邦の人間であり、私の可愛い部下よ。誰の手にも渡す気はないわ。そうでしょう? サイファ」
 エリアルの言葉に、サイファは小さく頷く。
 彼がライに友情以上のものを抱いていることを、ライは知らないが、エリアルはサイファの想いを知っている。そんなサイファならば、身近でその身を挺してもライを守り抜くだろう。今のライに必要なのは、そういう人材だ。
「彼はしばらくサイファのところで面倒を見て頂戴。ライの警護はこちらですぐさま整えるわ。ライには気づかれないよう、周囲に配置しましょう。トロル、貴方はライのトラップと一緒に、目覚めたライが不審を抱かないよう、新しい記憶を作って埋め込んで頂戴。いいわね。これは命令」
 トロルは手元にある操作盤を、無言で叩き続けた。
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