Angel Sugar

「血の桎梏―策略―」 第16章

前頁タイトル次頁
「じゃあ、どうしてラシャはライを取り戻そうとするの?ライはもともと連邦の人間だし、どうでもいい存在なら放っておいてもいいんじゃない?」
 再度の問いかけに、ラシャは表情のない顔に浮かぶ、うっすらと色づく唇を歪めて、微笑してみせた。もともと表情のない男がこんな反応を見せると、リーガはなんだかうそ寒い。
「自分のものを取り戻すことのどこが問題なんだ?逃げ出すチャンスはやった。だが、ライはそうしなかった。もう遅い」
 自分のもの……。
 そうやってライに執着していること自体、ラシャにとって今までなかったことなのだ。リーガが指摘しているのはそこなのだが、ラシャは自分の行動の異常さに、気づいていないのだろう。
「……なんだ、まだ問題があるのか?」
 バイザーに覆われたラシャの表情は分からない。けれど、その口調から冷えた眼差しを送っていることだけは想像できた。
「別に……ないよ」
「では、無駄口を叩くな。――来るぞ」
 えっ……っと思った瞬間、フォースフィールドにレーザーガンが当たり、四方へはじけ飛び、ビルの外壁を崩す。
「うわ~もう?」
 連邦ビルの入り口を見ると、重装備をした男たちがそれぞれに銃を持ち、リーガたちを狙っていた。まだこちらは何の行動もしていないのに、すでに照準を合わせられている。ただ、この近くを通っただけだという言い訳は通用しないようだ。
「……仕方ないね……」
 リーガが肩を竦めるのと同時に、集中砲火が浴びせられた。



 何をするわけでもなく、部屋の中を行ったり来たりしていると、かなり上の方で何か騒ぎがあるのか、ビル全体が揺れるような、小さな振動が伝わってきた。ライは入口にいる警備員に声をかけたが、無視された。
 ……なんだよ。
 俺だって、いろいろ気になるんだよ。
「うあっ!」
 床が大きく揺れ、いや、建物自体が左右に揺れたような振動を受けて、ライは思わず柱に掴まって、そうすれば頭上で何が起こっているのか分かるとでもいうように、天井を見つめた。
「なあ……なんだか変だって。俺、ここにいるのもやばいと思うんだけど……」
 入口にいる警備員にもう一度声をかける。けれど、岩にでも話しかけているような反応しか返ってこない。
「……くそ」
 苛々としつつも、部屋から出られない苛立ちを押さえるよう、ライはソファに腰を下ろした。上が騒がしいのも、あの男がやってきたからだろうか。
 何故?
 ライが顔を見たからか。
 それがラシャにとって問題なら、ライは口封じのためにすでに殺されているはずだ。けれどラシャは殺すこともなく、ライを放置して去っていった。
 また、ここまでやってくる理由はなんだ?
 右腕の痛みは今もリアルで、あのときのことをまざまざと思い出すことができる。ラシャは怒っていた。どうして怒っていたのかが分からない。何故腕を折られなければいけなかったのか、無理やり陵辱される理由も。
 俺……自分の記憶を弄ってるけど……。
 あの男と……実は合意でやってたとか?
 自分の性格を考えても、陵辱され続けた生活を送って、まともな精神を保っていられるとは思わないのだ。本当にそんなことがあったなら、記憶を弄る前に連邦ですべてを明らかにしてからで、その前に自分を守るような行動を取るとも思えない。
 ライはどういう理由かは分からないが、自分の記憶を連邦の人間には見られたくないと思ったのだ。だから隠した。
「ライッ!」
 シールドの向こうからサイファが血相を変えて叫ぶ。銀髪は乱れ、いつもは抑揚のない声に熱が籠もっていて、紅潮した顔をしていた。余程のことがあって、慌てているといった様子だ。
「サイファ……どうしたんだよ」
「あいつが来た」
 サイファはそう言って部屋の前に待機している警備員に指示を出し、彼らをエレベータの方へと向かわせた。
「あいつ? ……もしかしてキラーラシャ?」
「ああ。上の騒ぎはそれだ。あれだけの準備をしていたのに……全く歯が立たない……」
「……一人だろ?たった一人に手こずるのか?」
 もちろん、キラーラシャがどういう理由なのかは知らないが、無敵だという噂は聞いている。けれど、キラーラシャが今のように正面切って戦いを挑むことはなかったことから、あくまで噂だと思っていた。
 あらゆる攻撃に無敵な人間などいない。
 今までその姿すら記録に残されていないキラーラシャだから、そういった噂が一人歩きしたのだと考えるのが普通だろう。
「ラシャは絶滅したと言われている、バイサーを従えてる。僕も初めて見た。攻撃が全く通用しないんだ。すべてが弾かれて……返される。自分達が撃った弾頭で怪我人が続出だ。あんな生き物がいるなんて……」
 サイファは額に浮かんだ汗を拭い、レーザーサーベルを構える。
「バイサー……?」
 確かアカデミーでそういう動物がいたことを学んだ記憶はあるが、ライにははっきり思い出せない。
「ああ、薄黄色の毛に覆われた、猫ほどの大きさの動物だよ。バイサーだと気づいたときにはもう遅くて、はじき返された攻撃で倒れた人間の山だ……。上はパニックだよ」
「俺を……解放してくれよ。その男の目的は俺だろ?だったら俺が行く」
「駄目だっ!お前が玩具にされることが分かっていて、渡せるわけないだろっ!」
 サイファは背を向けたまま叫んだ。
「……俺、考えたんだけど……多分、玩具にはされてないと思うんだ。もし……ただ、弄ばれるだけの日々を送っていたら……そんな屈辱だけの生活を強いられても……俺には続けられない。きっと自分でケリをつけてる。けど……俺は生きてるし、死のうとは考えなかった。何か意味があるんだよ……」
 自らの意志でライはラシャのもとにいたのだ。
 だから、ラシャが有利になるよう、ライは自らの記憶を封じた。
 自分のやったことの理由を考えるとき、そう考えるのが一番自然だ。
「じゃあ、ライはあの殺し屋に……合意で抱かれていたとでも言うのかっ?そんなの……僕は信じないからなっ!」
 サイファは肩越しに振り返り、怒っていると言うよりは、泣きそうな顔でそう言った。
「分からないよ……そこまでは。でも……俺がここから出たらすべてが解決すると思うんだ」
 触れられたときに感じた熱さ。
 貫かれたとき伝わった痛みだけではない快感。
 今まで知らなかった強烈に快感を欲する身体の疼き。
 あれは不快感から湧き上がるものではなく、よく知った感触を歓迎していた。それは多分、サイファには理解しがたいことなのかもしれない。
「誰かにお前を奪われるくらいなら……僕の手でライを取り戻す」
「サイファ……」
 フロアが急に騒がしくなり、何かが近づいてくる気配がした。サイファはライのいる部屋のシールドを下ろし、中へと脚を踏み入れる。
「ライ……許してくれっ!」
「えっ……あっ!」
 サイファがライを背後から羽交い締めにすると、レーザーサーベルを首筋に近づけた。
「……俺……俺を殺す気か?」
 ライは顎を反らせながら、背後にいるサイファに言った。
「ライは……僕の想いの深さを知らないんだ……」
 サイファは低い声でそう言い、前を見据えた。伝わるサイファの鼓動は早いが、震えは感じられない。
「サイファ……」
 ライが唇を噛みしめると、余裕のある足取りの靴音が近づいてきて、目の前でとまった。
「お前がラシャか」
 サイファの声に視線を前に向けると、バイザーで顔を隠した黒ずくめの男が立っていた。
前頁タイトル次頁

↑ PAGE TOP