「血の桎梏―策略―」 第17章
光を通さない漆黒の髪。バイザーに隠れているが、同じような闇を抱えている瞳をライは覚えている。
「その男を返してもらおうか」
ラシャと呼ばれた男の、低いがよく通る声が響く。すると不思議なことにライの身体の奥が疼いた。
「……ライが弄ばれることを知っていて、貴様に返すと思っているのか?」
サイファはラシャを睨み付け、一定の距離を保ちながら、ライを背後から拘束していた。ライはサイファの拘束から逃れたいのだが、しっかり羽交い締めにされていて、できない。サイファの気持ちは理解できるものの、この状態だと二人とも動きがとれないことをどうして分からないのだろうか。
「サイファ……放してくれよ……」
「あの男と行くつもりか?」
「そうじゃない……このままだと二人とも殺られるだろっ!」
ライの言葉をサイファは一向に聞こうとせず、持っているレーザーサーベルに、さらに力を込めた。
「サイファ……」
「……どうしてライの友達がライを人質に取ってるんだよ?ていうか、ラシャ、ライさあ、なんか嫌がってるっぽくない?」
ラシャの足元にいる、体毛が黄色い猫のようなバイサーが口を開いた。ライは覚えていないが、その馴れ馴れしい口調から、バイサーはライを知っているようだ。
あのバイサーは俺を知ってる。
俺は……。
どういう記憶を自分で閉ざしてるんだ?
「……リーガ、黙っていろ」
ラシャがバイサーのことを『リーガ』と呼んだことで、ライの中で何かが響いた。
目の前が一気に暗転し、身体の力が抜け、倒れ込みそうになったライを支えたのは、サイファだ。けれど、回される腕の感触も、ライには感じられなかった。
「ライッ!どうしたんだよ?しっかりしろよっ!ほら、立てよっ!」
脳が腫れ上がったような頭痛がして、頭蓋骨の容量を押し広げようとしているようだ。自らかけたキーが外れ、戻ろうとする記憶と、それを阻止するために仕掛けられたトラップが、ライの脳圧を上げた。
「あっ……あ――――――っ!」
頭が破裂してしまうのではないかというほどの痛みに、ライは絶叫しながら頭を押さえて蹲った。痛みに耐えかねて気を失えればまだ楽だったのだろうが、そうならない。目の前が真っ赤に染まって、瞳に映るのは赤い世界だった。
ライの目や耳、鼻から血が流れ落ちていて、身体は痙攣を起こしている。リーガはライの回りを駆け回り、声を上げた。
「誰がこんなトラップをライに仕掛けたんだよっ!僕たちじゃないぞっ!じゃあ、お前か?」
痛みでもんどり打つライを押さえようと覆い被さっているサイファにリーガは言った。けれど、サイファはリーガの方を見ていない。
「ライッ!まさか……記憶が戻ったのか?何故だ?キーは一体何だったんだ?」
パニックになっているのはリーガだけではなく、このサイファという男も同じ様子だ。これではらちが明かない。
「ラシャッ!このままじゃ、ライが死んじゃうよっ!」
「ああ……だろうな」
ラシャは何の感慨もない声でそう言い、ライに覆い被さっているサイファを引き剥がす。
「なっ、よせっ!」
サイファがまたライに覆い被さろうとするのを、ラシャがスティンガーで止めた。
「このまま放置しても死ぬ。私なら少し伸ばすことができる」
ラシャはライの身体を仰向けにすると、血で汚れた頬や目元を拭う。その刺激に、ふと我に返ったのか、ライの目がラシャを見上げた。
「……ラシャ……何であんたがここにいるんだ……?あれ……ここ……どこ……?リーガ?」
ライは自分の状態を把握していないのか、虚ろな目でラシャとリーガを見比べて言った。
「黙っていろ」
首の背後に手を回し、痛みの神経を麻痺させ、しばらく意識を失わせる薬を注射した。
「……っ……あ……」
がくりと項垂れるライをラシャは抱えて立ち上がった。
「ラシャ、待ってよ。ライのトラップを外さない限り、連れては帰れない。トラップは僕たちでは手に負えないから、仕掛けられたここで治してもらわないと……」
リーガがラシャの肩に飛び乗り、左右を行ったり来たりしながら言った。ラシャがどういうつもりでライを抱き上げているのか分からないが、今の状態のまま、連れて帰っても結局、死しか待っていない。
「分かっている」
ライを見下ろしていたラシャが顔を上げると、新たな連邦の特殊部隊がエレベーターから降りてくるのが見えた。その真ん中に、赤茶の髪を持つ女性が立ってる。胸のを見ると、司令官の階級章をつけていた。
「ラシャ、あの女の人、責任者だと思う」
抱き上げられているライの胸元に飛び降り、リーガは体勢を低くして、彼らの出方を窺う。
「私はここの司令官、エリアル・サマー」
銃を向けた特殊部隊を引き連れて、エリアルといった女性はラシャに近づいてくる。
「私にとっていかなる武器も無力だと知ったはずだ」
「そうね。銃を下ろしなさい」
エリアルは特殊部隊が向けていた銃口を下ろさせる。
「この男、トラップを仕掛けられているが、貴様か?」
ラシャが聞くと、エリアルは頷いた。
「部下を貴方に渡すわけにはいかないからよ」
「この男はお前たちの仲間だろう。その仲間を仲間が殺すのか?」
リーガにはその問いかけの意味を理解できるが、ラシャを知らない連邦の人間はみな言葉を失っていた。ラシャという冷酷非情と言われた男のセリフとして、あまりにも不似合いだからだろう。
「殺し屋が……どうしてそんなふうに言えるんだっ!お前のせいで、こうするしかなかったんだぞっ!」
背後からサイファが怒鳴っていたが、ラシャは振り返らない。
「殺し屋……そうだな。以前はそうだったが、今は違う」
「違う?では、廃業したとでもいうの?だから、もう構うなと?……さんざん人を殺しておいて、それはあまりにも都合がよすぎないこと?」
冗談でも聞かされたとでも思ったのか、エリアルは呆れた口調でそう言う。だがラシャはこれで真面目に答えている。それを理解しているのは、リーガだけだ。
「お前達のいう都合など知らんが、この男がやめろと言ったから、やめた。その代償にこの男は自らの身体を私に差し出した。この男に対する興味が失われるか、もしくはその存在が失われたら、私はもとの仕事に戻る」
ラシャはライの身体を床に下ろし、横たえた。出血は今のところ収まっているものの、ライの呼吸は浅く、顔色も真っ青だった。
「ライのトラップを解除しろと?」
「他にどう聞こえた?」
「……」
エリアルは思案している様子だ。
今のところ連邦にはラシャを止める手だてがない。もしこのままライをラシャから取り戻せば、やっかいな殺し屋がまたあちこちで仕事をするのだ。だが、ライを与えておけば、ラシャを止めるいい方法を見つけるまでの間、今しばらくは大人しくしているだろう。
そう、エリアルは考えているはず。
リーガは彼らが答えを出すのをじっと待っていた。
「分かったわ。トラップを外しましょう」
「エリアル司令!ライを人身御供に差し出すんですかっ!」
サイファがまた叫ぶ。
「現状では……この男を捕まえることも、殺すこともできない。けれど一流の殺し屋を野放しにもできない。……仕方ないわ」
エリアルは横たわるライを哀れみの表情で見つめた。
けれどリーガは知っている。
ライは望んでラシャのもとにいるのだ。
リーガは最初、ライには連邦に戻った方がいいと説得していたが、身内が殺そうとするような場所に、戻れとはもう言えない。確かにラシャは何を考えているのか分からないし、いつライに飽きて、始末しようとするかもしれない。だが、リーガはそれをとめられるし、今のところ自分達と一緒にいた方が、ライは安全だ。リーガも毎日美味しい料理が食べられて、嬉しい。
「では、頼んだぞ」
ラシャはそれだけを言うと、エリアルたちを通り過ぎ、エレベーターに乗り込んだ。