Angel Sugar

「ユーストレス 第1部」 第5章

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 恵太郎は白川の部屋に呼ばれるまま入った。そこは白川という男の印象に似合わず、温かい感じがする。多分、敷かれたカーペットの色がオレンジを基調とし、カーテンは薄い黄色、壁も自分の部屋と違って特別に壁紙が貼ってあった所為だろう。
 恵太郎の部屋とは違い、ここはどう見ても普通のマンションの入り口のようだった。元は同じ造りなのだろうが、奥まで見渡すことが出来ないよう仕切が施され、寝室が入り口から見えないようになっている。その手前をキッチン兼リビングにしているようだ。
 入り口から全部の部屋が見渡すことが出来ない造りは恵太郎には羨ましかった。恵太郎の部屋は普通の家庭にある子供部屋の一室にキッチンやバスなどを無理矢理設置したような作りに見えるからだ。だがこの部屋は完全に独立していた。
 他にいる秘書達の部屋もこんなふうになっているに違いない。
 やっぱりベッドとか入り口から見えるの嫌だな……
 こんな風にして貰いたかったらどうしたら良いんだろう……
 あ……
 でもみんなが自分で働いたお金で内装してるなら僕には無理かも。
 キョロキョロと白川の部屋を眺め、恵太郎はそんなことを考えた。
「ああ、適当に座ってくれたらいいよ……」
 言って白川はキッチンの椅子に座るよう手招きした。
「……はい」
 おずおずと恵太郎は言われるままに椅子に座ると、白川は無言で冷蔵庫からペットボトルを出すと、二つコップを出して中身を注ぎ、一つを恵太郎の前に置いた。
「……あの……何ですか?」
 両手でコップを持ち恵太郎は尋ねた。
「君さ……今日からここに住むんだって?」
 チラリと白川は視線をこちらに向けて言った。
「は……はい……あの……鳩谷恵太郎って言います。宜しくお願いします」
 椅子から腰を浮かせ、恵太郎はぺこりと挨拶をする。
「……いいけどね……別に……」
 白川は何処か違うところを見て言った。
 神経質そうな細い身体に、目尻がやや上に持ち上がっている所為で余計にきつい印象が白川にはあった。細い身体に似た髪はサラサラとしており、それらは栗色に染められている。
「……あの……お話って……」
 おずおずと恵太郎は再度言った。
「ハッキリ言うよ」
 急にこちらに視線を向け、白川は真剣な表情になる。そんな白川の態度に恵太郎の心臓はバクバクと鼓動を早めた。
「は……はい。何でしょう」
「先に聞くけど……君は自分のお父さんのこと何処まで知っているんだい?」
 何処までって……
「意味が分からないんですが……」
 恵太郎は正直にそう言った。
「こんな事は言いたくないけど……。君のお父さんって、真下さんとつき合っていたんだよ。それで真下さんは君を引き取った。いい?東家が引き取ったんじゃないんだ。それを知って置いて貰わないと……」
 ……
 ?
 つき合うって……
 あ……そうか……
「同級生だって聞きました。それに、真下さんから聞いて知ったんですけど、父と真下さんは色々付き合いが合ったみたいです。きっと良い友人だったのかも……」
 真下から父親の話を聞き、恵太郎はそう思ったのだ。
「真下さんも、君も、私をからかっているのかい?」
 酷くムッとした顔で白川はこちらを睨み付けてきた。
「……からかうなんて……そんなつもりは……」
 俯きそうになった顔をなんとか上に向けたまま、恵太郎は言った。
「それとも……分かってないのかなあ……」
 呆れたように白川は溜息をつく。
「……ええっと……」
 恵太郎はなんとか作った顔で微笑んだ。
「君のね、父親と真下さんは男女がつき合うような関係だったんだ」
 ……?
 男女がつき合うような関係って……?
 …………
 もしかして真下さんって……
 女の人なのかなあ……
 どう見ても男の人だったけど……
「真下さんって……実は……女の人ですか?」
 真顔で恵太郎が言うと、白川は口元に運んでいた御茶を吹きだした。
「彼の何処を見たら女に見えるんだよっ!」
 立ち上がって白川は怒り出した。だが恵太郎には白川が何を言いたいのか全く理解できないのだから仕方ない。
「……そ……そうだけど……白川さんが……」
「ああああもううっ!良く聞くんだよ。真下さんと君の父親は男だよ。性別は男。なのに一緒に……その……ベットを共にする仲だって言いたかったんだっ!分かった?」 
 やや顔を赤らめて白川は言った。だが恵太郎にはベットを共にして何が恥ずかしいのかさっぱり分からない。
「……僕だって寝るところがなかったら友達と同じ所で一緒に寝ますけど……それって誰でもすることなんじゃないんですか?なのに一緒にって……駄目なんですか?」
 問いかけるように恵太郎が言うと、白川は額に手を当てて、肩を落とした。
「君さあ……」
 チラリと目線がこちらを向く。
「……はあ……」
「天然?」
 いきなりそう言われ、恵太郎は困惑した。
「……天然って……?」
「いや……天然って言われないかい?」
 呆れた口調で白川は言う。
「僕……記念物じゃないし……」
「天然記念物の話なんてしてないんだけどねっ!」
 声を荒くした白川は顔を真っ赤にしていた。どうも今度は照れているのではなく怒っているようだ。しかし恵太郎にはどうして白川が怒っているのか全く分からない。
 とにかく白川が何を言いたいのかさっぱり理解できないのだから、恵太郎は混乱するばかりで全く要領をえなかった。
「……ご……ごめんなさい……」
 恵太郎はとりあえず謝ることにした。
 相手を不快にしていると分かれば、恵太郎はいつだって謝ることにしているからだ。
「謝って貰う事じゃないけど……」
 はあああとこちらに聞こえるような溜息をつき、白川は髪をかきあげた。
「僕……馬鹿だから……、分かるように教えて貰えたら良いんですけど……」
 それは自分でも恵太郎は自覚していた。それがいつも情けなく思う。
「……そうだね……私も……言葉を濁しすぎたのかも……。だから、君のお父さんと真下さんはキスをする間柄なんだ」
 白川は咳払いをしてこちらから視線を外した。
「……真下さんってアメリカに住んでいたんですか?」
 恵太郎は自分が考えたままの言葉を口にしたが、白川は口をあんぐりと開けていた。
「き……君……実は分かっていてとぼけてるのかい?」
 わ……
 違ったみたい……
 だけど……
「でもキスする習慣って外国の習慣でしょう?」
 そうとでも考えないと、男同士でキスをする意味が分からないのだ。
「私は今、外国の話をしているかい?」
「してるんでしょう?違うんですか?」
「こ……この天然っ!もういいっ!君とは話が通じないっ!出ていってくれないかっ!」
 また怒鳴りだした白川に、恵太郎は小さく縮こまった。
 なんだかまた……
 間違っちゃったみたい……
「ご……ごめんなさい……」
「良いからもう出ていってくれ……。君と話をしていると頭がおかしくなりそうだ」
 白川はそう言って出口の扉を指さした。
「……はい……」
 何となく会話が成立しなかったことで自分が悪いのだと恵太郎は痛切に思った。だが元々自分の思っていることや、考えていることを上手く人に話すことが出来ないのだから仕方ない。
 恵太郎が扉の所に立つと白川がまた後ろから何かを言ったが、廊下が騒がしくなったことでそれがかき消された。
「鳩谷君!何処だ!荷物が届いたよ」
 鳴瀬の声だった。
 恵太郎はそれを聞くと、白川を振り返り小さく会釈すると、扉を開けて廊下に出た。すると重苦しい場所から解放され、急にホッとした恵太郎は思わずその場に座り込んでしまいそうになった。
 白川さんって……
 僕……
 苦手かも……
 恵太郎は元々言葉そのままの意味しかとれないのだ。何か含みのある言葉を投げかけられても裏にある含みが想像できない。父親である駿はよく、それはケイが真っ直ぐだからだと言って、こちらが落ち込んでいると良く逆に素敵なことなんだよ……と言ってくれたが、友人からの目配せが通じない時には、間抜けな醜態を晒してしまうことも多々あった。
 僕って……
 どうしようもないな……
 落ち込みながら恵太郎は鳴瀬に声をかけた。
「今、そこの扉から出てきたよね。もしかして、白川さんの所にいたのかい?」
 鳴瀬が苦笑しながらそう言った。
「え、はい。御茶をご馳走になっていました」
 笑顔でそう言うと、鳴瀬が驚いていた。
「ふうん……珍しいこともあるんだ。白川さんは結構癖のある人だからね……。仕事上も恐ろしく切れる人だし……」
 一人でぶつぶつ言いながら鳴瀬は思い出すように天井を眺めていたが、急に我に返った顔でこちらを向いた。
「引っ越し業者の人が君の荷物を持ってきてくれたから、何処に置くか、君が指示するんだよ。そういえば、君が世話になっていたおうちの人がくっついてきてたな……。まあいいや……後は業者の人が適当にしてくれるだろうから、お世話になった人にお茶でも御馳走してあげると良いんだよ。じゃあ、俺行くね。色々忙しくてさあ……」
 ははと笑って、鳴瀬は自分の言いたいことだけを恵太郎に一気に話すと、引っ越し業者の間をすり抜けて出ていった。
 それをぼんやりと見送った恵太郎は、くっついて来たという人の事を考えていた。
 くっついて……?
 誰だろう……
 まさか……
 ……だったら嫌だな……
 恵太郎がその場に立ちすくんでいると、引っ越し業者の人間が、もと恵太郎の部屋にあった勉強机やタンスなどを運び込んだ。別に指示を出すほどのこともない位の荷物しか無いために、二往復もすると荷物は全部恵太郎の部屋に収まり、業者の人間は早々に引き上げて行った。
 恵太郎が我に返ると、自分だけが廊下に一人立っている。いつの間にかぼんやりしていたのだろう。
 あれ……
 終わったんだ……
 ぽりぽりと鼻の頭をかいて恵太郎が自分の部屋に入ろうとすると、後ろから声をかけられた。
「ケイってすごいところに住むんだ……」
 キョロキョロと辺りを見回し、佐中家の長女である知佳が言った。一番会いたくない人物が引っ越し業者にくっついてきたのだ。
 ……ど
 どうしよう……
「……え……あ……うん」
 恵太郎はあることで知佳とあまり話したくはなかったのだ。佐中家を出たことで知佳と縁が切れると思い、ほっとしていた矢先だ。
「ケイって……自分だけ逃げるつもり?私のことを放ってさ……」
「別にそんなつもりはないけど……」
 その通りであったがもちろん恵太郎に本音など言えるはずが無い。
「あれ……あのままにしておくつもり?」
 じーっと恵太郎を見つめて知佳が言う。その視線に耐えられずに恵太郎は壁の方へと視線をずらせた。
「それは……知佳さんが……」
 もにょもにょと言葉を濁していると、知佳はムッとしたようであった。
「なによ……私が悪いって言うの?」
 その通りなのだが、知佳自身は認めたくないようであった。
「なんとかしてよ……」
 懇願するように言うのだが恵太郎にはどうにもならないことだ。もちろん知佳が悪いのだから、恵太郎に頼むのではなく知佳が自分で責任をとるのが当然のことなのだ。
 そうは思うのだが、恵太郎もはっきりと知佳に言えないところが、内向的だと言われる理由なのだ。分かっていても口に出せないのだから仕方ない。
「なんとかって言われても……僕にはどうしようもないよ」
 今までも何度も言った言葉で恵太郎は知佳を諦めさせようとした。もちろんそれで引き下がることなど知佳の性格ではありえない。
「だって……ケイはあのお父さんの血を引いてるじゃない……」
 いつもそう言って恵太郎を困らせるのだ。いくら血を引いていたところで自分に父の持っていた才能など少しもなければ、同じ仕事をするつもりも毛頭無かった。
 恵太郎の父が亡くなったのはそれが一番の理由であったからだ。
 ただ血を引いているだけで何故自分が引き継がなければならないのだ?何より自分がしでかしたことではなく、知佳がしでかしたこだ。
 こればかりは恵太郎も幾ら頼まれたとしても力になってやれない。
「父さんと僕は違う……だって僕は父さんから何も学んでいない……教えてくれることもなかった……だから僕には何もできないよ……」
「うそつき……お父さんの仕事の道具をケイは全部大事にしてるじゃない。知ってるのよ。私……」
 確かに知佳の言うとおりだ。
 ただ、父の遺品がそれしかないから恵太郎は大事にしていた。
 もちろん犯罪に使われたのだから本来は自分の手元にあるのも奇妙だろうが、東が手を回してくれたおかげで、父親のたった一つ残された遺品は恵太郎が今大事に保管していた。
「でもね。ケイの大事にしてるものだけど、あれ……持ってきてないよ」
 知佳はしてやったりという表情で言った。
「え……?」
「返してほしかったら……私のものも返してきてよ……」
 お願いという風に両手を合わせると知佳はこちらに訴えたてきた。
「ちょっとまってよ……そんなのないだろ。あれは僕のものだよっ!」
 恵太郎には珍しく大きな声で知佳に言った。父の遺品は恵太郎にとって今一番大切な存在になっているのだ。
「だってケイって、いじわるなんだもん」
 何か間違ってる……
 だって……
 あれは僕のものだ……
 なのに……
 どうしてこんな事をされなくちゃならないんだよ……
 滅多に腹を立てることなど無い恵太郎だが、この事に関しては本当に頭に来たのだ。
「返してよ……あれは……僕に残された、ただ一つの父さんの形見なんだっ!どうしてそれを知佳さんが僕から奪う権利があるんだよっ!それに知佳さんがしたことをどうして僕が面倒をみなくちゃならないんだ?そんなの変だろっ!」
 怒鳴るように言うと、そこに真下がやってきた。
「どうしたんだ?」
 真下の姿を見た知佳は驚いた顔を一瞬し、次に笑顔の表情を作ると「こんにちは」と言った。そんな知佳に真下はちらりと視線を向けた。
「佐中さんのうちの一番上のお姉さんだね……鳩谷くんの荷物を運んできてくれたのかい?」
 真下は何も知らない顔でそう言った。
「はい……そうです。ケイちゃんがびっくりするくらいのお屋敷にいるって聞いたから興味もあって遊びにきちゃいました」
 悪びれない表情で知佳は再度微笑んだ。
 ……
 何言ってるんだよ……
 違うくせに…… 
 恵太郎はうつむき加減に手を握りしめ、知佳の演技に唇をかんだ。
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