Angel Sugar

「ユーストレス 第1部」 第21章

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 いつか教えてくれるのだろう。
 父親と真下。そして父親と東家の繋がりを。
 そこになにがあったのか、今のところ恵太郎には想像すらできないが、真下はいつか恵太郎にうち明けるつもりでいることを、知ったのだから、信じて待っているといい。
 真下の言ったように、もし恵太郎が事実を知り、誰かを憎むことになったとしても。憎しみすら許せるような人間になろうと恵太郎は心に誓った。これほど親身になってくれている真下だ。もちろん厳しいことを言われるが、それは恵太郎を思ってのことであって、決して冷たいわけではない。
 父を亡くし、佐中家に引き取られてからも、行事ごとに恵太郎宛に色々と届けてくれた。大抵、個人名ではなく、東家とかかれていただけであったが、それがどれほど恵太郎を喜ばせたか分からないほどだ。
 誕生日や、クリスマス。学年が上がる四月。何か理由を無理矢理つけて送っているような気がするほど頻繁に届いていた。それらは新しい衣服であったり、流行のゲームであったり、高いものもあれば、値が張らないものまで様々だった。
 まだ、小さかった頃。恵太郎は次はなにが届くか、毎日のように楽しみにしていた。もっとも、大きくなってからは、逆に申し訳ない気持ちが生まれてはいたが。
 今だから分かるが、あれは真下が手配してくれていたに違いない。恵太郎が肩身の狭い思いをしないようにと、真下なりの配慮だったのだろう。もちろん、佐中家に預けられていたとはいえ、養育費は毎月支払われていたようなのだ。金額を聞いたことは無かったが、それなりにあったらしい。
 だが、このあたりも厳しく管理されていたらしく、佐中家の人間が恵太郎の養育費として支払った金を、自分達の家族を潤す為に使うことは、一切許されていなかったと、一度聞いたことがあった。
 どれもこれも、恵太郎の為を思って真下によって配慮されたことだ。
 だからこそ、住み慣れた場所を離れて、ここに来る決心が付いたと言っても良い。
 恵太郎にそこまでの決心をつけさせた真下が、人から憎まれるようなことをするわけなどないのだ。
 きっと真下は、普通なら気にならないような小さな事で、自分を責めているだだろう。
 そうだよ……
 きっと。
 一体なにを隠しているのだろうと不安になるよりも、いつか話して貰えるのだから、気にしないことが一番いい。考えたところで、答えてくれるのは真下だけで、その真下が時を満ちるのをじっと待っているように見えるのだ。
 だったら、恵太郎もじっと待つほか無いだろう。
 色々と考えていると、眠っていた筈の真下が目を開けて、いきなり恵太郎の頭に手を回すと、まるで小さな子供をあやすように、数度撫でられ、離される。それは父親がよく恵太郎にしてくれた仕草にとてもよく似ていて、安堵に似たものを恵太郎は感じた。
「狭いところに潜り込んで悪かったね。向こうの長いすを、昨日遅くに来た剣に取られてしまったんだ。寝る所など何処にでもあると言ったんだが、聞かなくてね」
 身体を起こし、サイドボードに置いたメガネを掴んで、かける。いつも綺麗になでつけられている髪が乱れているのが見えて、それが恵太郎を安心させた。
 いつ見ても真下は、隙のない身なりをしているのだ。室内で仕事をしているときは、スーツの上着こそ羽織っていないのだが、なにかこう、真下を目の前にすると背筋が伸びるような緊張が走るのだ。
 自分より年齢もかなり上であることも、そんなふうに思わせる原因になっているのかもしれない。
「いえ……僕は、全然平気でした。あ、もっとゆっくり寝てくださっていいです。僕は寝過ごしちゃったんですけど」
 寝坊したことが恥ずかしく、俯き加減に恵太郎が言うと、真下は小さく笑った。
「マイナス百円。君は本当に、すぐに忘れるんだね」
「ああっ!」
 人と話しているときに俯くと、小遣いから一回につき百円引かれることを恵太郎はすっかり忘れていたのだ。
 こんな起きたての時に、言われると恵太郎も思わなかったが、確かにその約束事をすっかり忘れていたのは事実だった。
「うーん……。この数日で一体いくらマイナスになったかな……」
「……え……えと。別に今月はお小遣いは必要ないです。まだ春休みだし、使うことないし……」
「そういう問題じゃないんだが……。一日中ここにいなくてもいいんだよ。先に話して置いてくれたら、外に映画を見に行くことも問題は無いんだからね。まだまだ遊びたい盛りだろう。その代わり、夕方には帰ってきて、家庭教師の宇都木を待たせるようなことは絶対にしないこと。そうだな。宇都木を待たせたら、一分につきマイナス百円のペナルティをつけておこうか?いいオプションだろう?」
 笑いを堪えるように、真下は言った。
「……なんだか、だんだん、真下さんが僕に意地悪しているように見えてきたんですけど」
 言いつつ、視線が俯こうとするので、必死に恵太郎は顎を上げた。
「意地悪?ああ。そうかもしれないよ。私はとても意地悪だと有名だ。秘書達に聞いてみるといい。口をそろえて皆そう言うだろうからね」
 額にかかっている髪を撫で上げて、真下は相変わらず笑っていた。父親とは違う穏やかな笑み。耳を閉じたくなるほど大きな声で、まるで怒鳴っているようにも聞こえる笑いとは全く違って、恵太郎まで真下の笑いにつられ、えへへと笑った。
「なあ。ベッドでの睦言中申し訳ないが、昼飯を食いに行かないか?」
 声のした方に顔を向けると、真下の仕事場へと続く扉のところに剣が立っていた。気怠そうにあくびをしながらも、恵太郎の方をじっと見ている。だが、恵太郎は剣に挨拶をすることよりも気になった言葉があって、疑問をそのまま口にしていた。
「睦言って……なんですか?」
 恵太郎のきょとんとした顔に、剣の方が目を見開いて、真下の方を向くと「駄目だ。通用しない。面白くないぞ」と、言った。
「剣。普通はそんな言葉など、男同士では通用しないぞ。意味不明なことを言わないでくれないか。教育上宜しくない」
 真下は呆れたように言う。
「まあ。いいか。それはそれでからかいがいがあるだろうからな。それより、飯だという内線が入ったぞ。私は先に行くから、さっさと来てくれよ。一人で食べる飯はまずいからな」
 それだけを言うと、剣は出ていった。
「真下さん。あの人は……」
「あれが昨日の晩、訪ねてきた剣だ。変わった男だが悪い男じゃない。ただ、怒らせると怖いタイプではあるね」
 先にベッドから下りて、真下は言った。
「気をつけます。それで……僕はパジャマなんですけど……着替えに戻った方がいいですか?」
「あ、そうだった。いくらなんでもこの屋敷でパジャマ姿は不味いな」
 困ったように真下は言った。
「じゃあ、僕。部屋に一度戻って着替えてきます」
「裏口から出て、離れの裏口から入ること。いいいね?表には誰が来られるか分からないから、それだけは気をつけてくれるかな」
 恵太郎は真下の言葉に頷くと、ベッドから下りた。よく寝たはずなのに、眠りが浅かったせいか、まだ睡魔が抜け切れていない。
「顔も洗ってきなさい。いいね?」
 ぼんやりしている恵太郎に気がついた真下は苦笑していた。



 本家の裏口から外に出て、小道を走る。そうして別館の裏口から、真下に借りたカードを使って扉を開けると、中に入った。太陽の光の下から屋内にはいったせいで、急に視界が狭まったように暗くなる。
 恵太郎は目を擦りつつ、廊下を歩き、階段のあるホールを抜けて自分の部屋に戻った。すると、何故か逸輝が来ていた。
「あれえ、逸輝……いつ来たの?」
「いつって、お前……どうしてパジャマ姿で帰ってくるんだ?」
 キッチンテーブルの椅子に腰を下ろしていた逸輝が慌てて立ち上がり、入り口で靴を脱いでいる恵太郎の手を掴んで引っ張った。
「あいたっ……なに?どうしたの?」
 逸輝の剣幕の意味が分からずに、恵太郎が驚いていると、逸輝は吐き捨てるように言った。
「誰だよ。お前と一晩過ごした相手はっ!」
 眉間に皺を寄せて怒鳴る逸輝は普通ではなかった。
「……真下さんと一緒に寝てたんだ。それがどうしたの?」
 何故逸輝が怒っているのか分からないが、恵太郎はごく普通に話した。だが、逸輝は恵太郎の言葉を聞いて、急に顔を怒りで赤く染める。同時に、逸輝の手に力が込められ、恵太郎は痛みで身体を竦めた。
「痛いよ。逸輝……」
 恵太郎の言葉など逸輝の耳に入っていないようだ。
「あのやろう~ふざけやがってっ!」
「ちょっと。痛いって言ってるだろっ!」
 グイッと腕を振り、恵太郎は逸輝が掴む手から逃れた。とはいえ、じいんと痛みがまだ腕に残っていて、余程強い力で掴まれたのだと、恵太郎は袖をまくって息を吹きかけた。
「一体、あのおっさんは、どういうつもりなんだよっ!なんで、こんなガキを相手にするんだよっ!絶対、お前は遊ばれてる。本気になるなよっ!」
 ……えーっと
 なにに怒ってるんだろう。
 恵太郎には逸輝の言葉の意味を理解することもできなければ、怒りの意味もくみ取れず、オロオロとするしかなかった。
「ねえ。どうして怒ってるの?僕には分からないんだけど……」
 宥めるような口調で恵太郎が言うと、一人で怒鳴っていた逸輝が、こちらを向いて今度は悲しげな声で言った。
「俺は……俺はずっと、お前のこと大事にしてきたのに……どうしてこんなことになるんだよ。反則だよ……」
「……あの。あのさあ。一人で勝手に話さないでくれる?僕、全然、分からないんだって」
 床に座り込んで、俯きながらブツブツと、恵太郎が分からないことばかり逸輝は口にしていたのだ。あまりにも突然なことに、恵太郎の方がパニックになりそうだ。逸輝がこんな風に肩を落として、今にも泣き出してしまいそうな姿など、恵太郎は見たことがなかったから。
「なにを朝から叫んでるんだよ。こっちまで筒抜けだ。五月蠅いよ」
 聞こえた声は白川の声だった。
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