Angel Sugar

「ユーストレス 第1部」 最終章

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 恵太郎は真下に付き添うように歩いた。ぽつりぽつりと話してくれた真下だったが、屋敷を出たと同時に沈黙する。恵太郎は、そんな真下に自ら問うことはなかった。聞かなくても真下は話してくれるだろうと信じていたから。
 砂利道を歩き、離れの裏側に回る。だが、恵太郎が予想していた、裏庭の方に真下は向かわなかった。チラリと、真下の表情を窺うように恵太郎は横から覗き込んでみたが、真下はいつも通りの表情で離れに入った。
 何処に行くんだろう……
 逸輝はあっちなのに……
 恵太郎が内心オロオロしていると、以前鳴瀬に連れられて入った、地下室への扉を真下は開け、ようやく恵太郎の方を振り返った。
「この下にある部屋に、井戸から繋がる場所に行くことができるんだよ。以前、水槽を取りに地下室に入ったとき、部屋に扉があるのを見なかったかい?」
「……そういえばありました。沢山物置があるんだと思ったんですけど……。そっちの部屋も物置じゃないんですか?」
「あそこは物置じゃないんだ。ただ、鳩谷君が友達を助けようとするなら、少々してもらわなければならないことがあるんだよ。多分、君にしかできないだろう」
 意味ありげな言葉を残し、真下は恵太郎の答えを待たずに階段を下りていく。慌てて、恵太郎が後を追ったが、真下は階段の一番下におりて、次の扉を開けていた。
「ま……待ってください……」
 階段は狭くて、しかも薄暗い。階段の天井に、等間隔でつけられた裸電球だけが弱々しい光を落としているだけだ。恵太郎はこういう雰囲気が嫌いだった。この世にいるのかどうか分からないが、お化けが出てくるかもしれない。それを想像するだけでも恵太郎は怖かった。
「気をつけないと滑るよ……」
 真下が声を掛けてくれることに勇気づけられた恵太郎は、慌てないように下りた。恵太郎が側に来ると、真下は地下室に入る。
 そこは古いタンスが並んでいて、表面の木目は飴色に光っていた。以前来たときよりも綺麗になっているように見えるほど、相変わらず手入れが行き届いている。一体誰が手入れしているのだろうかと首を傾げてみるものの、ここに誰かが入って行くのを恵太郎は見たことがなかった。
 これほど大きな屋敷なのだから、専用の業者が掃除を頼まれているのだろう。かといってタンスの側面のニスが剥がれている様子も無く、誰かが神経質なまでにメンテをしているにちがいない。
 二十畳ほどある場所の四方の壁に背丈のそろわないタンスが並べられているのも以前見たとおりだ。その奥に一カ所だけ開いた空間に扉があった。
「あそこのキーは、私と、東様しか持っていないんだ。君のお父さんは鍵など必要のない人だったからね……」
 メガネの奥にある瞳を細めて、真下は懐かしそうにそう言った。
「あそこって……お父さんも入ってたんですか?」
「入って……というのとはちょっと違うが……。君のお父さんは、良くこう言っていたよ。『俺の遊び場』だってね」
 部屋の奥の扉前に立つと、真下は胸ポケットから年代物の鍵を取り出した。他の場所はキーカードが設置されているのに、ここだけは『鍵』で閉められている。普通に考えると変ではないのだろうが、最新設備で守られている敷地内でこういうアナログなものをみると逆に不思議に思えるのだろう。
「遊び場……ですか……」
 真下の持つ鍵から視線を逸らせ、顔を上げる。すると、真下の方は笑うわけでもない、かといって、怒っているふうでもない、複雑な表情をしていた。当然、恵太郎にはその理由など想像すらできない。
「そうだよ……随分昔……君がまだ幼い頃。君のお父さんはここでいつも楽しんでいた。誰もが、未来に仕掛けられた落とし穴に気づくことができなかった。それが私の、そして東様の奢りだったんだろう」
 カチリという音が鳴り、扉のロックが外れる。外から見ると普通の、どこにでもあるような木の扉だと思っていたものが、厚さ15センチの鉄板でできていて、恵太郎は目を丸くさせた。
 一体、これほど厳重に守らなければならないものとは何だったのか。
 心臓が急にドキドキとして、秘密を見せられることに汗が滲んだ。開け放たれた向こう側を、そろそろと覗き込むと、恵太郎は声を上げた。
「……なんですかこれ?」
「……う~ん……。私もこれをどう説明していいのか分からないんだよ。ここを作ったのは君のお父さんだ。こういう遊びが好きなのか、それとも日々の鍛錬として、こんなふうにしたのか……」
 小さなため息をついて真下は言う。
「……」 
 よく分からないけど……。
 確かに父さんしかこんなことしないと僕は思うけど……。
 扉が開けられたその先は、部屋と言うより通路があった。幅は三メートル。長さは約十メートルほどあるだろうか。その間が檻で仕切られていて、全てに種類の違う南京錠がかけられているのだ。
「……あの……これ、どうやって進むんですか?」
「……私はここの鍵を持たない。いつも君のお父さんが開けてくれたよ」
 はあと深いため息をついて真下は言った。
「それって、父さんが鍵を持っていたんですか?」
 上や下を見回して、檻がしっかりと通路の壁に溶接されているのを確認した恵太郎は、途方に暮れたように言った。
「いや。君のお父さんは……鍵など持たない人だった。ピン一つで簡単に開けて、しかもまた、鍵をかけられた人なんだ。その凄さは君が一番良く知っているだろうと思うが……」
 確かに駿は鍵を一つも持たない男だった。うちの鍵すら持たなかった。それが駿からすると一種のステイタスのようなものだったらしい。
 得意げにピン一つでうちの鍵を開ける父親の姿を、恵太郎はどういっていいのかわからなかった。うちくらい、普通の人のように鍵を使って入ってきて欲しいと頼んでも、駿は全く聞き入れてくれなかったのだ。
 日々これ鍛錬……などと、駿は言っていたことを恵太郎は久しぶりに思い出した。
 懐かしいな……。
 父さんはなんでもピン一つで開けたんだよね。
 ……て。
 そんなことを考えてる場合じゃなかったんだ。
 慌てて思い出を振り払い、恵太郎が真下の方を見ると、逆に真下の方がこちらをじっと見ている視線と合い、意味もなく顔が赤くなった。
「……な、なんですか?」
「いや……。だから、ほら、私はここを開けられないから、君が開けるしかないんだよ……。ここを抜けて向こうの部屋に行くことができないと、君の友達を助けられないと言うか……なんというか……」
 真下は、珍しく肩を竦めてそう言った。だが、恵太郎には真下が何を言わんとしているのか理解できないでいた。
「は?僕が……なんですか?」
「ここの鍵を誰も持たないんだ。だから、誰かが開けるしかない」
「そ、そうですけど……。真下さんがもってるんじゃ……」
「だから……誰も持たないんだよ鳩谷君。ここは君のお父さんが施錠したんだ。君が開けてくれるとありがたいんだが……」
 申し訳なさそうに、真下は言う。
「ぼ、僕が開けるんですか?どうやって……?」
 真下から視線を外し、また牢屋のようになっている通路を見る。頑丈な南京錠は一つの扉ごとに据えられていて、通路の奥まで続いていた。こんなものをどうやって恵太郎に開けろと言うのだ。何より恵太郎は、駿とは違って、鍵をピンで開ける趣味などないのだ。
 もちろん、小さな頃は玩具代わりに、駿から与えられた鍵をピンで開けることはやっていたが、今ではもう遠い昔のことだった。
「私にも……分からないんだよ。鍵などピンで開けたことなど無いからね……」
 何度目か分からないため息をついて、真下はメガネを外すと、ポケットからハンカチを出してガラスを拭く。恵太郎から見ても真下はひどく困っていた。
「……そう言われても……」
 恵太郎もため息が漏れた。
 こんなところで鍵を開けてくれと言われるなどと思わなかったのだ。もちろん、手芸ができる器用さはあるが、鍵を開ける器用さは無い。いや、手芸にしても、鍵を開けることも一種の慣れと訓練なのだ。手芸は続けていたが、鍵などもう何年も恵太郎は手にしたことがない。しかもこれは駿が作った場所なのだろうから、そうそう簡単に鍵が開けられると恵太郎も思わなかったのだ。
「あのう……」
「なんだね」
「ここ、ブルドーザーで押し倒しましょう。鉄格子を壊しちゃえばいいんだ」
 恵太郎が得意げに言うと、真下がようやく笑った。
「……そ、それは、勘弁して欲しいね。この建物が沈下する可能性がある。いや、建物自体が崩れるかもしれない。私は構わないが、そうなると、ここに住む秘書達の行き場が無くなってしまうだろう?まあ、問われたら、原因は鳩谷君にあると、説明はするが、まずそんなものをここには持ってこられないよ。階段の狭さを君も知っているだろう?」
「えっ!そ、そんなの、なんか、変ですよっ!僕はなにもしてないのに……僕の責任なんですか?」
 もし、真下がそんな説明でもしようものなら、あの、白川が一体どういった怒りを恵太郎にぶつけてくるか分かったものではない。しかも、ようやく仲良くなってきた鳴瀬にも嫌われてしまうだろう。
 嫌われるなどという問題でも無いような気がするが、何かの責任を負えるほど、恵太郎は大人ではなかった。
「じゃ……じゃあ……。チェーンソーか何かでパイプの部分を切るとか……」
「この鉄格子は一見すると普通の鉄パイプに見えるだろうが実は違うんだ。簡単に焼き切ることはできない。だから、困ってるんだよ」
 メガネを再度かけて、真下は腕組みをする。
「……専門の業者に頼むとか……」
「一度見積もってもらったんだが……、向こうまで取っ払うのに、数週間かかるといわれたよ。離れは私の管理であって管理じゃないから、先にここに住む秘書達に工事の許可をもらおうとしたんだ。当然、皆に拒否されたよ。数週間も、別に放置していても構わない場所を工事をされると、五月蠅くて堪らないから止めてくれと、全員に拒否された。彼らにはここなど使いもしないどうでも良い場所だからそれも当然なんだが……」
 苦笑しつつ真下は言う。
「……じゃあ……どうするんですか?」
「君が開けてくれるしか方法がないだろうね」
「……僕、できません」
「昔はやっていたね?」
「……そうですけど。もう、随分と昔だし……」
「顔を上げなさい。俯くのは反則だろう?」
 厳しい真下の口調が頭上から聞こえた。
「でも。……僕は、父さんと違うし……」
「君の父親のものだ。逆にいうと、だから君しかできないと思うんだが」
「……それは……」
「私は構わないが、そうなると、いつまで経っても君の友達は向こう側から出られないよ」
「……」
 暫く考えた後、恵太郎は頷いた。どうせ失敗するのは分かっていたが、本当に失敗してしまえば、真下も違う手を考えてくれるに違いない。
「じゃあ……ちょっとだけチャレンジしてみます。ピン……ありますか?」
 恵太郎の言葉に真下は、最初から用意していたように、小さなペンケースを胸ポケットから取り出した。

―完―
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