Angel Sugar

「ユーストレス 第1部」 第11章

前頁タイトル次頁
 変なの……僕……
 恵太郎は眠っている真下の表情から目を離し、膝小僧に頬を載せて目を閉じた。真下の側にいると理由は分からないが何となく心が温かくなる。それは佐中家では味わったことのない温かさだった。
 お父さんみたいに思えるのかな……
 頼りがいのある、そして多分もたれ掛かっても決して動じない。そんな真下が恵太郎にはとても頼もしく思える。
「鳩谷くん?」
 訊ねるような声に、恵太郎が目を開けると真下は身体を起こして驚いた目をこちらに向けていた。
「あ……ごめんなさい。僕の所為で起こしてしまったかも……」
 別に何かしたわけではないが、真下が目を覚ませてしまったことに何故か自分に責任があるような気がしたのだ。
「いや……私もそろそろ起きる時間だからね……」
 うーんと身体を伸ばし、次ぎにテーブルに置いた眼鏡を取ると、何時もするように真下は眼鏡をかけた。
「そ……そうなんですか……良かった……」
 何を言葉にして良いのか分からない恵太郎は、俯きながらそう言った。
「朝からマイナス点を付けるのも可哀相だね……」
 真下にそう言われ、慌てて顔を上げた。
「……今のカウントするんですか?」
 もう数え切れないほどチェックを入れられているだろう。昨日ここに来たとき自分がどうだったのかも恵太郎は分からない。小遣いはすでにマイナスになっている筈だ。
 マイナス点が翌月に持ち越しになるかどうか分からないが、もし持ち越されたら大変なことになる。
 永久に恵太郎は小遣いを支給してもらえない運命になるのだ。
「もちろん。そういう約束だったしね……」
 クスクス笑いながら真下はまた紙コップにコーヒーを注ごうとしていたが、既にポットの中身は空っぽのようで殆どコーヒーは出てこなかった。
「僕は……その……約束したつもりは……」
「ま……今のは見なかったことにしてあげるよ……。さてコーヒーも切れているし、ここから一旦出た方がいいな……朝のコーヒーは飲まないと耐えられなくてね。既に中毒だよ」
 真下がソファーから立ち上がると、恵太郎もパジャマ姿で立ち上がった。
「……君も服を着替えて来たいた方が良いね……私の方も服を着たまま寝てしまったものだからシャツもよれよれだ」
 楽しそうに真下は言って笑う。大人びた中にどことなく子供っぽい部分が見えた。
「着替えてきます。あ……歯も磨かないと……」
 裸足でペタペタと扉の所まで歩くと、後ろから真下の声がした。
「裏から出て行くんだよ。表だとどんなお客様が来られるか分からないからね」
「あ……はい」
 恵太郎は真下にそう答え、ようやく慣れた本家の廊下を歩くと裏口に向かって歩き出した。
 このうちって実はすごいんだ……
 まじまじと見たことが無かった恵太郎は廊下を歩きながらキョロキョロと周囲を見渡しながら感心していた。壁に掛けられた絵も、ずらりと並ぶ窓枠も豪華だ。
 すごいなあ……
 硝子は磨かれそこには恵太郎の顔がまるで鏡を覗いているように映っている。その向こうには噴水が見えるのだから、一体ここは何処だろうと一瞬居場所が分からなくなるほどだ。
 窓枠にへばりつくように外を眺めていたが、急に我に返った恵太郎は足早に裏口に向かった。自分の行動が急に恥ずかしくなったのだ。
 誰にも見られなかったことだけが助かったのかもしれない。
 はあ……
 お金持ちって苦手だな……
 見せつけているわけではないのだろうが、値段の分からないものがあちこちに置かれていると、自分が何故だか惨めになるのだ。いじけている訳ではないが、人間は不公平だと考えるのはそう言うときだった。
 やめよ……そんなことを考えるの……
 恵太郎は頭を左右に振って裏口の扉を開けた。

 戻ってくると扉の前に白川が立っていた。そこは恵太郎の部屋の前だ。しかも恵太郎の姿を見て取ると、何やら怒ったような表情を向けてきた。
「お……おはようございます」
 恵太郎はとりあえず挨拶をした。
「ああ、おはよう。ところで昨日の晩は何処に行ってたんだい?」
 腕組みした白川は、きつい瞳でこちらを見ている。
「色々あって……本宅の方に泊まったんですけど……」   
「どうして?君の部屋はここだろう?」
 トゲトゲした言葉で白川は更に聞いてくる。
「あの……昨日の晩……お……お化けが出て……それで……恐くなって……みなさん昨日の晩は外出されていたみたいだったから……本宅の方に……」
 言いたくはなかったが、白川の様子から本当のことを話した方が良いと恵太郎は思ったのだった。だが折角恵太郎が真剣に話したにも関わらず、白川は呆れたように言った。
「は?お化けだって?そんなもの誰が信用すると言うんだ」
 ……
 そ……
 そうなんだけど……
「本当に出たんです……部屋の窓……コンコン叩いて……その……」
 顔を赤らめながら恵太郎が言うと、白川が鼻で笑った。
「可愛い顔をしてさあ、君ってもしかして真下さんのこと狙ってるんじゃないのか?」
「ええっ!ぼ……僕、そんな殺し屋じゃないですっ!」
 慌てて恵太郎が言うと、白川は口を開けたままパクパクと言葉を失っていた。
「……あの……何か間違いました?」
 そろそろと白川の顔色を窺うと、小さくため息を付いているのが見えた。
「ね……狙うの意味が違うんだけどね」
 髪を掻きあげて白川は今度大きなため息を付いた。
「……それで僕に何の用なんですか?」
 だったら何を言いたいのか恵太郎には全く分からない。なにより初めて言葉を交わした日からこの白川という男は恵太郎が理解できないことばかり言うからだ。
 もう少しかみ砕いて話してくれたら良いのに……と、思うのだが、恵太郎が理解できないだけで、他の人なら分かるかもしれない。そう思うと、自分がなんだか馬鹿に思えて仕方ないのだ。
 もしかして自分は馬鹿なんだろうか……そんなことも恵太郎は考える。
「ああ……昨日は出かけてたんだけど、客先で良いものを貰ったから君に上げようと思ってたんだ」
 ……え?
 良いものって……
 お土産?
 恵太郎は急に嬉しくなり、白川に満面の笑みを向けた。嫌われていると思っていたのだが、白川は恵太郎にお土産を買ってきてくれたのだ。それが分かると本当に嬉しかった。
「本当ですか?嬉しいです」
 恵太郎の剣幕に押されたのか、白川はやや後ろに下がると、ポケットから小さな箱を取りだした。それはごく普通の紙箱だ。決して包装されてお土産として売られているようなものには見えない。
 それでも恵太郎は白川からそれを受け取ると、お礼を言った。しかし白川はそれには答えずそそくさと自分の部屋に帰ってしまった。
 変なの……
 恵太郎も部屋にはいり、貰った箱をキッチンテーブルに置いて開けてみた。
「……ええっと……これって……」
 小さな緑亀がしゃかしゃかと箱の中で動いていたのだ。これをどういう意味で白川が恵太郎に渡したのか理解できない。
 ……
 ん~と……
 寂しくないようにって事かな?
 ここにいる人達はみんな殆どこのうちにいないそうだし……
 猫とか犬っていう動物は、いくらなんでも無理だよね。
 だから亀?
 亀は長生きだし……
 手間がかからないって言うよね。
 きっとそうなんだね。
 いい人なんだ……白川さんって……
 首を伸ばしている亀の頭を指先でこちょこちょ撫でてやりながら、恵太郎はそう結論付けた。
 でも飼い方が分からないな……
 恵太郎はとりあえず、キッチンに置いてあったボウルに水を少し入れ、そこに亀を入れた。すると亀は気持ちよさそうに目をパチパチとしている。
「名前……付けた方が良いのかな……」
 じっとボウルの中にいる緑亀を見ながら恵太郎は色々考えたが、良さそうな名前が見つからない。
 亀吉、亀太、亀丸、カメ……
「女の子かもしれないよね……」
 亀子、亀美、亀千代、カメ……
「……なんだか亀から離れた方がいいかもしれない……」
 1人でぶつぶつ言いながらボウルを眺めていると、突然真下の声がした。
「鳩谷君はどうしていつも内線に出ない?内線の意味がないだろう」
「うわあっ……」
 突然声を掛けられたことで恵太郎は本当にびっくりした。
「それより君は……まだそんな格好しているのか……」
 真下は本当に呆れた声でそう言った。
「え、あの白川さんからお土産を貰って……その嬉しくて……」
「土産?」
 真下が驚く顔をするので、恵太郎は緑亀の入ったボウルを差し出した。
「また始まったか……参ったな……」
 チラリと緑亀を眺めて真下は呟くように言った。
「始まったって?」
「ああ、いい。とにかく服を着替えなさい。ちょっと白川の所に行ってくる。それまでにちゃんと着替えていること。いいね?亀は何処にも行かないんだから、後にしなさい」
 慌てて部屋から出ようとしながらも真下は言った。
「は……はい」
 出ていく真下を見送りながら、恵太郎はとりあえず服を着替えることにした。

 全く……
 子供っぽい嫌がらせにも程がある。
 恵太郎の部屋を出た真下はため息を付きつつ白川の部屋の前に立った。
 白川の嫌がらせは変わっており、当人に該当する嫌がらせの言葉を含むものをプレゼントしてみたり、土産だといっていつも買ってくる。
 さしずめ恵太郎には「のろま」とでもいいたいのだろう。だからといって今まで被害はない。というのも大抵貰った本人は変わったものを土産にする人だな……と、いう位でしか白川のことを思わないからだ。白川本人は相手が気が付かなくても満足しているようだ。
 全く……
 今までのことを思い出すと本当に呆れて仕方がない。
 鳴瀬にはイノシシの置物を土産と言って渡していた。要するに突進型とでもいいたいのだろう。酷かったのは宇都木に対してだった。
 最初はかき氷や、氷砂糖など言葉に氷のつくものをやたらに渡していた。その後は天然香木や、天然塩といった天然の字がついたものを渡している。
 大体どれもこれも考えると何をいいたいのか真下には分かるが、そういう子供じみたことは止めろと何度も白川には言い聞かせてきたのだがその都度適当に言い訳をするのだから困っていた。だが宇都木がこのうちから出ていくと、白川のそんな奇妙な嫌がらせも収まっていたのだが、恵太郎を快く思わないのか、また悪い癖が始まったようだ。
「白川、入るよ」
 真下が言うと「どうぞ」と声が聞こえたが、既に扉は開けていた。中に入ると白川はスーツの上着を脱いでいるところだった。
「橋崎様の所にいってきて今帰って来たんです。後ほどご報告に……」
「ああ、それは後で良い。それより、あの亀は一体どうしたんだ……」
 すると白川は別段悪びれた様子もなくあっさりと答えた。
「橋先様のお宅では亀を沢山庭の池で飼われておりまして、是非一匹持って帰ってくれと言われたもので仕方無しに頂いて参りました」
 嘘を付け。
 全く……
「確かにあそこには大きな池があったな……。で、亀を貰った白川が本来飼うのが道理ではないのかい?飼えないなら断れば良かったのだろう」
「橋先様には逆らえませんので。御存知でしょう?それに私は生き物が嫌いです。世話をする時間もありませんので、学生の暇をもてあました鳩谷くんなら飼えるだろうと思ってあげたんですよ」
 ……全く……
 良くまあ口が廻る。とはいえ、橋崎には確かに逆らうことは出来ないだろうとも真下は思った。
「……はっきり言うぞ。いい年をして、ああいう小さな子供に構うんじゃない。恥ずかしいことだと自分で思わないのか?」
 ため息を付きながら真下が言うと白川がじっとこちらを見つめてきた。
「……私は……」
「ああそうそう、来週剣が帰ってくる。いい加減お遊びは止めないと、剣にばれて白川も困るんじゃないのか?」
 チラと白川の顔色を窺うと真っ青な顔をしていた。
「……真下さん」
「なんだ?」
「私に海外出張の予定は無いんでしょうか?」
 やや強ばった声で白川が言う。
「今のところ無いよ。元々海外対応は剣と守屋だから何名もいらない」
「そうですか……」
 気落ちしたような表情で白川は言った。剣と白川は元々が犬猿の仲だ。剣がこの離れにいる間は白川も大人しくしているだろう。
「ああいう事はしないこと。いいね?」
 真下が言うとようやく白川が小さく頷いたように見えた。そこに恵太郎が入ってきた。
「あの……済みません真下さん」
「ノックくらいしなさい」
 どちらを向いても躾をしなければならない人間ばかりで真下は胃が痛くなりそうな気分だった。
「あ……はい」
 そう言って恵太郎はまた外に出ようとしたので真下は止めた。
「ああもう良いから……なんだい?」
 すると恵太郎がこちらを振り返り、チラリと白川をみてニッコリと笑うとまた真下の方を向く。
「逸輝が……今日昼から遊びに来てもいいですか?って聞いてきてるんですけど……駄目ですか?」
 恵太郎の面倒を見てくれるならこの際、誰でも良いと思った真下は、苦笑いしながら頷いた。
前頁タイトル次頁

↑ PAGE TOP