Angel Sugar

「日常の問題、僕の悪夢」 第9章

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『会わない方がいいぜ。もしかするとお前の面……ていうか、利一の面見られてるかもしれないしな。……つうか、俺がお前から聞いたことで判断するなら、知られてると言った方がいいだろうよ。まあ、幾浦と利一が付き合っていると思ってるかどうかまで分からないけどな』
 今まで沈黙していたリーチが口を開いた。
 確かにトシもそう思う。こっそり覗いてどういう女性か見るだけでもいいかもしれない。もし仮に、相手がトシを知っていて、ここにいることがばれたら後で面倒なことになるだろう。
『……リーチ。リーチが問題の女性をよく見てよ。僕にはどういった相手かどうかまであんまり分からないと思うから。リーチの野生のカンを働かせてくれない?』
 リーチは初対面の相手であっても、相手がどういった人間なのかピンとくる。更には人を殺したかどうかまでピンと来るという、トシからすると驚くカンを持っていた。もっとも、それをカンといっていいのか分からないが、リーチにはトシにはない不思議な力があるのだろう。
『もちろん、俺は見てやるけど……。もし人を殺してたらどうする?』
 冗談で言っているのだろうが、トシには笑えない。
『……からかうのやめてよ。真剣にお願いしてるんだから……』
「隠岐さん。どうされますか?」
 瓜並が考え込んでいるように見える利一に対して問いかけてきた。
「あ、担当の違う仕事に口を挟むわけには参りませんので、こっそり覗かせてもらいます」
 にこやかに答えると瓜並は苦笑する。
「お気遣いは必要ありませんよ。実は私も、もてあましているんです。こんなこと口にすると問題なのでしょうが、私にはどちらが悪いのか判断が付かないんですよ。幾浦さんのお話も女性からの話も聞いていますが、結局のところ、どちらが本当のことを話しているのかこればかりは当人にしか分かりませんし。あ、隠岐さんのご友人である幾浦さんを疑っているわけではないんです。ただ……その……」
 言葉を濁す瓜並の気持ちはよく分かる。
 トシも幾浦を知らずに、瓜並と同じ立場になれば、似たようなセリフを口にしていたに違いない。
「気になさらないでくださいね。瓜並さんはどちらもご存じないのだからそう思われるのは当然です。逆に、こちらにお伺いして申し訳なく思っているんです」
 これは本当のことだ。
 本庁からの刑事が来るとたいていの場合、煙たがられるのが常だった。ただ、利一はそういった目に今まで合ったことはない。これも人に寄るのだろう。利一の上司に当たる管理官が出てきた日には、皆が緊張してピリピリとした雰囲気に包まれていたに違いない。
「いえいえ。ありがたいですよ。隠岐さんは、殺人を犯した人間をみるとレーダーが働くって篠原が言ってましたから、例の女性を見てもらって何か感じられることがありましたら教えてくださいね。じゃあ、ご案内します」 
 期待を込めた瞳を向けながら、瓜並は歩き出す。
 トシはとりあえず瓜並の後ろをついて歩きながらも笑みを崩さなかった。が、気づかれないようにため息をついていた。。
『……篠原のやろう、なに、人のこと勝手に噂してやがるんだよ……』
 リーチが嫌そうに言う。
『あとで合流したら苦情を言わないと駄目だよね……。もう、篠原さんって、何にも考えないでしゃべっちゃってるんだから……』
 トシも嫌だ。
 あまり、こういったことを噂として流されたくない。
 確かにリーチは犯人当てに長けているが、逮捕するには動機や凶器などの証拠が必要だった。そこまでリーチは分からない。あくまで、どういう人間か何となく分かる……という曖昧なものだった。
 外れたことはなくても、肝心なことまで分からない。
 結局、捜査員は足を棒にして、証拠を固めなければならないのだ。もちろん、犯人が誰かというのが分からないこともあり、いつだって上手い具合に犯人が割り出すことができるわけではない。
 もし、噂が噂を呼んで、あちこちの警察署から依頼が来るようなことにでもなると、リーチは間違いなく切れる。
 リーチは正義感が強く、仕事熱心だが、同時にとんでもない怠け者でもあった。トシが一番それをよく知っている。依頼の束が机の上に積み重なっているのを見た瞬間、トシに主導権を無理矢理渡すに違いない。
 机にへばりついてする仕事が大嫌いなのがリーチだ。トシはどちらかというと机に向かっていても苦にはならないが、それでも依頼の束など見たくない。
 いつかそうなるかもしれないという予想にげんなりしながら、トシは何度目か分からないため息をついた。



 瓜並に案内されてトシは打ち合わせ室のある廊下に案内された。そこには一般市民が相談に訪れたときに使う部屋があり、パイプ机とパイプ椅子のセットになったものが中におかれている。広さは二畳ほどだ。
 こういう部屋は一階にいくつもあり、大抵は婦人警官や、手の空いている職員が訪れた市民の対応している。
 隣の犬が吠えて五月蠅いという相談から始まり、息子の家庭内暴力に怯える母や、深刻な万引き被害に悩む店主など様々な人達が相談に訪れる。
 実際は、民事不介入という法律問題があって、取り扱えない問題も多々あるのだが、一般市民にはあまり浸透していないのか、何かあったら警察に……と、意外に日常問題を持ち込んでくる。交番はもっと細かいことが持ち込まれるらしい。
 対応する警官にもよるが、不祥事もあってか、結構聞くだけはとりあえず聞いてくれるのが警察だ。もっとも、話を聞き終えてから、民事不介入を説明する。こればかりは、法律があって、気持ち的には何とかしてやりたいと思えど、権限がない警察の苦渋も理解して欲しいところだろう。
「ところで、民事不介入のお話はされたのですか?」
 トシが聞くと、前を歩く瓜並は肩越しに振り返りつつげんなりという表情をした。
「ええ、一応話しました。あの方の話はいろいろと混ざってましてね。家裁に持ち込む内容と警察に持ち込む内容が混ざってるんですよ。聞いていて頭が痛くなりました。二階の住人が嫌がらせをするだの、隣に住んでいる会社員は毎晩遅いから、夜中にごとごと五月蠅いとか……。それはまず、管理人さんに相談してくれと話しているんですが……。あと、幾浦さんのストーカー疑惑でしょう?もう、どこからてをつけていいのやら……というところです」
 疑惑にされてる……。
 瓜並に悪気はないのだろうが、聞いていてトシはやっぱり気分が悪い。幾浦がストーカーをするわけなどないだろうと、大声で反論してやりたい気に駆られる。
『疑惑だってよ……』
 反応したリーチがからかうようにトシに言った。
『嘘つきな人なんだよ。どうして恭眞が疑惑をかけられなくちゃならないの?そんなことする恭眞じゃないの、僕、よく知ってるもん』
 ムッとしつつトシはリーチに反論したが、笑って更に言う。
『そうかなあ~あいつ、お前を追いかけ回していたときは既にストーカー入ってたと思うけどな~』
 ニヤニヤとしてリーチは嬉しそうだ。
『僕にはいいの。他の人には駄目だけど』
 心の中だけでトシは照れた。
『……わ、トシちゃん、やっぱり幾浦のことストーカーだって思ってたんだ。じゃあよ、あいつは根暗な上、ストーカー認定していいか?』
 どうして認定になるんだろう……。
 ムカムカしつつ、いつもの意地悪なリーチが顔を覗かせているに違いない。反論するとまたおもしろおかしく、トシが腹を立てるようなことしか言わないのだから、こういう場合は無視した方がいいだろう。
「ところで、瓜並さん。私はどちらで様子を窺えば宜しいですか?」
「そうですね。こっちは、取調室ではないのでミラーは据え付けていないんですよ。扉についている窓のルーバーを少し開けておきますからこっそり覗いてもらえます?」
 申し訳なさそうに瓜並は言う。
 幸い、通路に人はいなかったので、扉近くでこっそり覗いても大丈夫だろう。とはいえ、他の人間が利一の不審な行動を見とがめる可能性はあった。
 それでも方法がないのだから仕方ないだろう。見つからないことを祈るしかない。
「わ……分かりました。ちょっと見つかってしまうと格好つきませんが……」
「すみません。他の新築された警察署なら一般の打ち合わせ室にもいろいろ工夫がされているらしいんですが、なにせ、うちは古いですから……」
 苦笑いするように瓜並は立ち止まり、指先で『この部屋です』と差して見せた。トシは小さく頷いて、瓜並が扉を開けてもこちら側に気づかれないように壁側に身体をよせる。
 瓜並が中に入り扉を閉めると、シュッというルーバーの回転する音が僅かに聞こえ、中の様子が隙間から見えるように少しだけ開かれていた。
『覗けよ……』
 リーチがなぜかわくわくしている。
『分かってるよ……』
 そろそろと扉に近づいて、周囲を見回す。まだ誰もいない。
 ホッとしつつ中を覗いてみると、窓側を背にして二十代後半くらいの女性が座っていた。幾浦から話を聞いていたトシはもっと年齢が上だと思っていたのだが違ったようだ。
 髪は肩より長く、赤茶に染めていて両側の髪を内側にカールさせている。俯き加減に座っているために表情はよく見えないが、可愛い感じの女性だ。ベージュのカーゴパンツを穿いていて、身体にピッタリとするタンクトップを着ている。腕時計は高そうで、蛍光灯の明かりにキラキラと光って見えた。
 なんだか……
 想像していたような人じゃないんだけど……。
 トシが困惑しているとリーチが嫌そうに言った。
『やべえ、あいつ、なんか悪いこと企んでそうだぜ……』
『なに?悪いこと?』
『内容は分からないけど、なんか企んでる。ああ、殺しはやってないみたいだけど、俺はあんまり関わりたくない女かも……』
 リーチの言葉にトシがもう一度女性をまじまじと見てみたが、そんな様子は一向に見られなかった。
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