Angel Sugar

「日常の問題、僕の悪夢」 第16章

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「追いかけるぞ」
 幾浦が駆け出すよりも先にリーチは走り出していた。驚くほど早い行動と、足の速さに追いかけている間も距離が開いていく。
 南の方は、こちらに気がついたのか、垣根から姿を消して向こう側の通りから足音が響く。姿が消えたことで慌てて表通りに出たが、リーチが舌打ちして戻ってくるのが見えた。
「なんだ、お前が逃がすとな」
「車に乗って逃げたんですよ。いえ、迎えに来た車だと思います」
 心の中ではさぞかし腹立たしく思っているだろうが、リーチは利一の仮面を被っていた。
「どうするんだ?」
 戻ってきたリーチの隣に、歩を合わせて幾浦は歩いた。
「……特になにも。私の管轄外ですし、もし本部主導の事件になったとしても、私は部署が違うので捜査には参加できません。……もっとも、あのような女性に関わりたくはありませんが……」
 野次馬のいる場所から離れ、坂道を下るとリーチは車の通りの多い歩道に出た。そこで手を挙げてタクシーを停める。このまま名執のうちにどうあっても行くつもりなのだろう。
 だが、そんなことを許す幾浦ではなく、車に乗り込もうとするリーチの肩を掴んでいた。
「おい、今日はトシの日だろう」
 幾浦の言葉にリーチはチラリと振り返り、ぐるりと周囲を見回して、やれやれというふうに手を挙げた。
「……分かってるんだろうな」
 もう一度、幾浦が言うと、ようやくこちらを向く。
「……僕のうちでいい?」
 そこにはトシの姿があった。
「じゃあ、一緒に乗るか?」
 ホッとしたと同時に漏れる笑みをトシに向けて、幾浦はタクシーに乗り込むと、トシの自宅の住所を運転手に告げた。人目もあるために、気安く隣に座るトシの身体に触れるわけにもいかず、なんとなく無言になる。
「ところでお客さん、あそこら辺でなにか騒ぎがあったんですかい?」
 タクシーの運転手はバックミラーを眺めながら口にした。チラリと隣に座るトシの様子を窺うと、答える気がないのか窓の外を眺めたままこちらを見ようともしない。仕方なしに幾浦が「火事があったみたいですよ」と、答えた。
 そこで話が終えるつもりだったが、答えた幾浦に気をよくした運転手がベラベラとどうでもいいことを話し出し、幾浦はその都度適当に返答していた。もう、いい加減にしてほしいと思い始めると、ふとトシが向こうを向いたまま手を重ねて来たことを幾浦は知った。
 トシ……。
 もう一度、トシの様子を窺ったが、相変わらずすれ違う車に視線を向けたままこちらを見ようとはしない。幾浦は重ねられたトシの手をギュッと握り返し、触れている肩の温もりを暫く味わった。

 ホテルに行くことも考えたが、今日はそんな気になれず、トシは思わず自宅に幾浦を誘ったのだ。火事になると先に消防隊が到着し、検証はまず消防の方で行われる。事件性がある場合、全てが終わった後で警察が介入することができるのだ。今のところ明日いっぱい、周囲は騒がしく、とても幾浦が安眠できそうにないだろう。
「相変わらず、狭いな……トシ達こそ引っ越さないのか?」
 幾浦は雑然とした周囲を見渡して、床に座る。
「うん。あんまりここ使わないから……。それより恭眞、お風呂に入って服を着替えたら?何か恭眞が着られそうなの探しておくから……」
 爆発騒ぎの前に話していたことがひっかかっていて、トシはまともに幾浦の方を見られなかった。疑ってしまったという罪悪感が自分の中にあるに違いない。
「なあ、トシ……」
 ハッと気がつくと、幾浦が真後ろにいてトシの腰に腕を回していた。振り払うのも不自然だと感じたトシは、回された腕に自分の手を絡める。
「なに?」
「まだ何かこだわってるのか?」
 首筋にキスを落とされてトシは顔が真っ赤に染った。お互い濡れていて冷たいはずの身体であるのに、こうやって密着していると寒さを感じない。
「……僕が悪かったと思ってる……。ごめん」
 触れている温もりと一緒に伝わってくるのは幾浦の鼓動だ。
「とりあえず、あの写真の誤解は解けたな。……そのほかに、トシは何が知りたいんだ?知りたいなら私はどういったことでも話すよ」
 低く、それでいて甘い声で囁かれて、トシは指先まで真っ赤に染まりそうになった。背後から抱きしめられているために幾浦の表情は見えない。
「別に……もういい」
 初めて告白されたとき、幾浦から話してもらっているのだ。すっかりそのことを忘れていたが、きちんと話してもらっている。誰と付き合ったのか、どういった過ごし方をしたのか、誰かを傷つけたのか……それら全て、明らかにする必要はないだろう。
 幾浦はいつも誠実で、トシを大切にしてくれている。今回はトシが勝手に誤解して、幾浦を信じ切れなかったことに問題があったのだ。
「……ごく普通の男だったな。ありがちな誤解で失った淡い恋もあった。人に話したいほど刺激的なこともなかったよ。そうだ……平凡な恋はいくつかした。大人の恋もあった。だが、危ない恋の橋はお前としか渡ったこともない」
 くすくすと笑いながら幾浦は耳元で言った。
「……えっ……あっ……」
 ズボンの中に手を入れられて、トシは身体を強ばらせた。濡れた布はピッタリと肌に張り付いていて気持ちが悪いが、幾浦の手は心地良い。
「ああ、付け加えるのを忘れていた。本気の恋もお前としかしていない」
 首筋に何度もキスを落とされて、トシは小さく震えた。差し入れられた幾浦の大きな手は、トシの雄をやんわりと掴んで擦りあげてくる。濡れて冷えていたはずの雄が、自ら生きているように他の肌よりも体温を上げていくのがトシには分かった。
「……駄目だよ……ここじゃ……やっ」
 キュッと先端をつまみ上げられて、トシは両脚を閉じようとしたが、幾浦の手によって再度開かされた。
「恭眞……ここじゃ駄目だって……」
 抵抗にはならないが、トシは両脚を僅かに動かして、幾浦の手から逃れようと腰を引いた。だが、背後にいる幾浦にますます密着するだけだ。
「トシのズボンを脱がしたいんだが、手伝ってくれないのか?」
「……でも、ここ、ここは……壁も薄いし……っ」
 後ろから唇をかすめ取られ、トシはいつものように入り込んできた幾浦の舌に己の舌を絡ませた。駄目だと分かっているのに身体は言うことを聞いてくれない。両脚は閉じようと内側に力が込められているものの、それは弱いものでしかなかった。
「……ん……んん……ん~……」
 トシが協力しないからか、幾浦が実力行使をしようと片手で濡れたズボンを引っ張り、太股から膝へと剥いでいく。触れてくる手は躊躇することなく、慣れた手つきで動かされ、トシの足首までズボンを下ろし、とうとう剥ぎ取られてしまった。
 シャツ一枚上半身に身に付け、あとは下着と靴下だけを穿いた下半身は、ほんのり赤く染まっていて、トシの照れを浮かばせている。敏感な部分を捉えている幾浦の手は、下着を盛り上がらせて手の陰影を映し出していた。
「……っあ……駄目だって……」
 唇をようやく離した幾浦だが、今度は両手をトシの下着の下に差し入れ、両手で雄を揉み上げてきた。きつくなく、痛みも感じさせない緩やかな動きに思わず嬌声を上げようとした口元を、トシは自分の両手で覆う。
 いくら幾浦を止める言葉を並べて発しても、無駄なのだ。それは経験上トシも知っているし、煽られてしまった雄を自分で宥める方法を、知っていても自らできないのがトシだ。
「……ん……ふっ……う……ん」
 双球ごと雄を掴み上げられて、トシは足先で幾度も床を擦った。腰から上半身へと這い上がってくる快感が堪らなくて、自然と足先が動くのだろう。自分で抑えている口元に密着している手が、己の吐き出す息で熱くなって、蒸気でも発生しそうな気分に陥る。
「うっ……!」
 立ち上がった雄の切っ先が、下着の布を突き破る勢いで張りつめていく。突っ張った布の盛り上がりの下で、蠢く幾浦の手の動きも鮮明に写しだしていた。
「……う……うーーーっ……!」
 突然、激しく雄を上下に擦りあげられて、トシは立て続けに襲ってくる快感に身体をビクビクと痙攣させた。そんなトシの姿に幾浦も興奮しているのか、吐きかけてくる息が普段より熱く、首すじに感じる吐息にますます煽られる。
「……う……うっ……く……」
 放水した水を頭上から被り濡れているのか、それとも、己の雄から滲みだした蜜で下着を濡らしているのかトシにはもう分からなかった。
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