Angel Sugar

「日常の問題、僕の悪夢」 第13章

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 嫌な感じが的中したのか、夕方新たな事件が発生し、トシ達はかけずり回ることになった。いつものことなのだが、今日はどうしても幾浦のうちに行かなければならない。だが、十二時を過ぎる頃、眉間に皺が寄りそうになっていたトシに、リーチが珍しく『お前、利一の顔に縦皺を作るなよ……』と苦笑混じりに言われたほどだ。
 捜査本部の掛け持ちが一つ増えた状態ではあったが、トシは一時過ぎに一旦幾浦のうちに回った。こういうことは滅多にしないが、どうあっても幾浦から『あれは間違いだ』という言葉が聞きたかったのだ。
 だから、何度か入ってきていた幾浦のメールにも返信しなかった。トシは絶対に行くと決めていたから。
 ようやく一段落ついたトシはすぐさま幾浦に『今日、遅くなっても行くよ』と、メールを入れて、タクシーを拾った。
 
「トシ……こんな時間に来るのは珍しいな……」
 玄関でトシを迎えながら、幾浦は驚きながらも嬉しそうな顔で言った。
「……聞きたいことがあったから」
 言葉少なげにトシは答え、幾浦が用意してくれたスリッパを履く。だが、どこか様子がおかしい。
「……何かあったのか?」
 口を閉ざしたままリビングに歩くトシに、幾浦もただならぬ様子を感じ取ったようだった。
「ちょっと……」
 リビングに入り、トシはソファーに座ると『恭眞も座って』と幾浦の方を見ずにトシは言った。幾浦は首を傾げながらトシの前に座る。
「どうした?気分が悪そうだが……」
「これ、見て……」
 トシは幾浦の言葉に答えずに、ポケットから写真を取り出してテーブルに置く。これは昼間南から預かったものだ。
「……これが……どうしたんだ?」
 幾浦は写真を手に取り、まじまじと見てとぼけたような顔をトシに向ける。
「それ、恭眞なの?」
 怒りを抑えつつ、どうにか作った平静な声でトシは訊ねる。
「……なあ、このマンションの外壁にぶら下がった男は……その、なんだ、何処の誰の部屋なのかしらんが、洗濯物に手を伸ばしていないか?」
 困惑したような顔で幾浦は言った。
「……そうだよ」
「そうだよって……。おい、トシ。これは何かの冗談か?」
「冗談で、こんな写真を恭眞に見せると思ってるの?」
 口を尖らせて、トシは更に言った。
「……どう考えても、この写真の男は、世間ではとても恥ずかしい行為だと思われるものを泥棒をしようとしているな?」
 幾浦の表情にも険しいものが浮かぶ。
「見ての通りだと思うけど」
「見ての通りだとする。だったらトシ、お前はこの写真に対してこう言った。『それ、恭眞なの?』ってな。お前はそう思っているということだな?」
 険しい表情は、怒っている顔へと変化するが、それはトシの方だ。
「だから聞いてるんだろ……」
 膝に置いた手がぷるぷると震えつつも、トシは耐えた。
「じゃあ、トシは、私だと疑っているんだな?」
「疑ってなんか無いよっ!どうなの?それは恭眞なの?」
 思わず立ち上がってトシは怒鳴っていた。珍しく、トシは怒っているのだ。もともと怒りの沸点が低いため、あまり大声を出すことはないが、この場合は違う。
「お前がそうやって聞くこと自体、私を疑っていると言うことだろうっ!私がこんなことをすると本気で考えたのか?どうなんだ?」
 ドンと持っていた写真を叩き付けるようにしてテーブルに置き、幾浦は腹立ちを隠さない態度でトシを下から見据えた。その様子から幾浦がとても、嘘を付いているようには見えない。とはいえ、こういう判断はトシにはできない。
「か……考えてないけど」
 幾浦が怒鳴ったことで、やや平静に戻ったトシは思わずそう言っていた。
『……リーチ、どう思う?』
 顔を引きつらせながらもトシは起きているリーチに聞いた。幾浦が嘘をついていないかどうか、判断してもらうために、嫌だというリーチに頼み込んで起きていてもらっていたのだ。
『幾浦の様子じゃあ、やってねえみたいだぜ……つ~か、トシ、お前さあ、もうちょっといい方があるだろ?幾浦すっげー怒ってるぞ。俺はしらねえ。巻き込まれるのやだし、俺、もう寝るけどいいか?』
 関わりを避けるようにリーチは逃げようとする。
 だが、ここで逃がす気など無い。
 トシを煽った責任を取ってもらわなければならないのだ。
「……だったら、いいよ」
 ホッとしつつ、腰を下ろしてトシがもう一度ソファーに座ると、今度は幾浦が立ち上がった。
「だったら、いいよ……で、済むのか?言いがかりにしても、酷いと思わないか?トシは私を疑っていたんだろう?」
 本当に幾浦は怒っていた。
 幾浦が犯人ではないと分かった瞬間、急に怒りが冷めたトシは、今度は幾浦の様子に動揺しそうになる。だが、疑っていたのは確かで、それを口にしてしまったのもトシだ。リーチが言うようにもう少しいい方が合ったかもしれないが、今日一日、頭に血が上っていた状態だったのだから、仕方ないだろう。
「……僕じゃないよ。リーチだもん」
「なんだって?」
『お……おま、お前っ!そりゃ、反則だろっ!』
 リーチが背後で怒鳴った。
「五月蠅いなっ!僕だって……僕だって今日はこの件で一日、頭がいっぱいだったんだ。恭眞を信じていたけど、どう見てもこれ、恭眞に見えるし、リーチはこのことでず~っと僕をからかうし、これじゃあ僕だって、頭がおかしくなって、恭眞に怒鳴りつけたくなっちゃうの、分かるだろっ!僕だってね、僕だってね……いろいろ……いろいろ考えたんだからねっ!でも……こんな写真があって、恭眞に見えて……僕は……」
 途中から、トシの言葉はうなり声に代わり、涙声に変わる。そんなトシに、幾浦は怒りを収めてこちら側に回って来ると隣に腰下ろした。
「……トシ……分かったから、泣くな」
 だらしなく泣いているトシを引き寄せて幾浦は穏やかな声で言った。だが、余計に泣きたくなるほど優しい声にトシの涙は止まらない。
「僕はっ……不安だったんだっ……だって……こんなの……こんな写真……見せられて……僕……っ!」
 ギュッと自らも手を回して幾浦にしがみつき、トシは厚い胸板に顔を埋めた。もう、自分でも何を言っているのか分からない。
「分かった。分かったから……」
「僕は不安なんだ……。このことで恭眞のこと……何も知らないことに気がついた。恭眞は僕のこといろいろ知ってるのに……僕は恭眞のこと何も知らない……」
 やや、幾浦から身体を離し、トシは俯いたまま呟いた。
 一番の不安はそこにあったのだ。
 南の言うことを信じていたわけではない。だがそれを強く思えるほど、自分達の絆がそれほど強いものではないことに気づいたから不安になった。幾浦のことをもっと知っていたら、こんな風にぐらつくことなど無かったに違いない。
 だが、トシは今の幾浦を見て好きになったのだ。なのに、この程度のことで、振り回された自分が情けない。今の幾浦がいてくれたらいい。そう思いつつ、気にしている自分が嫌だった。
「先に知りたいことがある……これは何処から手に入れたんだ?」
 幾浦は淡々とした口調で問いかけているが、やはりどこか怒りを抑えたものだった。
「……このマンションの住人だよ……南さん」
 トシの言葉に幾浦は絶句したように言葉を詰まらせた。
 暫くして、幾浦はため息をつく。
「……その女がどれほどここの住民を困らせているか話しておいたが……」
「うん。聞いた……」
 こくりと頭を上下させてトシは小さな声で答える。
「それで……こういう写真を見せられて信じてしまったのか?」
 トシは返す言葉を失ってしまった。
 黙り込んでいると、リーチが呆れたように助け船を出してくれた。
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