Angel Sugar

「日常の問題、僕の悪夢」 第11章

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「あの……髪は赤茶に染めていて、両側の髪を内側にカールさせてる人じゃないですか?あ、ベージュのカーゴパンツを穿いていて、タンクトップを着ている人なら少しだけ知ってますが」
 トシは瓜並から女性の名前を聞くのを忘れていた。
『ああ、そんな感じの女だよ。知り合いか?向こうはそう言ってるらしいけど……』
「し、知り合いじゃありませんよ。他の件で知っただけです。名前も存じません」
 困惑したようにトシは答えた。
 知り合いと言われても困るのだ。こちらは向こうの女性になど会ったこともなければ話したこともない。もちろん、先ほど覗き見しただけの相手だ。向こうにはこちらは見えなかったはずだ。
 それとも幾浦と会っている利一を目撃したことがあったのだろうか。
『お前のファンか~。ほら、一時期お前の顔写真が新聞の一面を飾って、結構問い合わせが来たじゃないか~』
 崎斗の事件が新聞に報道された前後、利一宛のラブレターや、お見舞いがたくさん届いたのはまだ記憶に新しい。だがあの事件からは随分時間が経っていて、今はもうそんなことはない。
「違いますよ」
『どうする?追い返すか?別に追い返してもいいじゃねえの?』
 面倒くさそうに篠原は言う。多分、篠原の好みのタイプではないのだろう。
「……そうですねえ……」
 トシは考え込むような仕草をして、リーチに話しかけた。
『どうしたら良いと思う?会った方がいいかな?』
『止めた方がいいと思うぜ。幾浦と付き合っていることがばれて無いという確証はないんだからな。もっとも、知っていたら堂々と姿を見せるとは思わないし、刑事を強請るタイプには見えなかった』
 篠原と同じようにリーチもどこか気持ちがここにない。
『ねえ、ちょっと。真剣に考えてくれる?僕、困ってるんだって』
『んじゃ、おもしれえから、会ってみたらどうだよ。何言ってくるか探り入れるのもいいかもしれねえしよ。もっとも、警視庁内部では止めた方がいいから、外で話すってことでどうだ?わけ分からないこと言いだしたら拉致して、川にでも投げ込んだらすっきりするぜ』
 冗談とも本気とも取れないいい方でリーチは笑った。
『笑い事じゃないよ……』
『ていうか、なんか企んでるって言っただろう。そいつを探るのも面白いって言ってるんだよ。幾浦のことが出てくるかもしれないけど、適当にかわせばいいさ……』
 少しだけ真剣にリーチは答えた。
『……そうしようかな……。やっぱりちょっと気になるし……。話を聞いてもいいかもしれない……』
 トシはそこで決心し、篠原に答えた。
「じゃあ、警視庁の表で待ってもらえるように伝言してもらえます?すぐに戻りますから……」
『うわ、隠岐ってああいうの趣味か?俺……かんべんな』
 意味不明なことを篠原は言い、電話を切った。



 警視庁まで戻ってくると表でキョロキョロしながら先ほど見た女性が立っていた。だが、トシの姿を見た瞬間、『あっ!』と言う表情に変わる。あれは、こちらのことを知っている顔だ。
『まずいな……なんか知ってるぜ、あの女』
 リーチがげんなりしたように言う。
『分かってるよ……』
 にこやかに会釈しながら、トシは女性に近づいた。
『余計なことは言うなよ。自分から白状することはないと思うけど……』
 トシはリーチの言葉に頷いた。
「あのっ……隠岐利一さんですか?」
 少しばかり嬉しそうな表情で女性は聞いてきた。
「はい。私を訪ねてこられたそうですね。何かご用でしょうか?」
 人の良い顔を崩さず、トシは微笑みを浮かべていた。すると、女性は少しばかり頬を赤らめる。
「あの……そうなんです。ご相談に乗ってもらいたいことがあって……。その……ある男性のことを調べていると、隠岐さんがその男性と仲のいいご友人だと知りました。あ、新聞に載っていたので、それで……」
 幾浦のことを調べた際に、過去の事件の新聞を見つけたに違いない。そう言う意味で隠岐利一をこの女性は知っていたのだろう。なら、問題はない。
「そうですか。ところでお名前は?」
「南……南洋子です」
 やや視線を外して南は言った。
「南さんは、どういう事情で私に相談したいのでしょう?」
「あの……隠岐さんのご友人だと書かれていた、幾浦さんという男性についてご相談に乗っていただきたいのです」
 顔を何度も逸らせては戻しを繰り返し、南は言いにくそうだ。
「ええ、幾浦さんは友人です。では、友人としてお伺いしましょうか?」
 と、トシは再度にっこり。
「あ、はい。お願いします。あの、幾浦さんにお願いして欲しいんです。私の……その……その……あの……」
 南の声はドンドン小さくなっていく。
「……申し訳ないのですがもう少し大きな声で話していただけます?」
 苦笑しながらトシは言った。すると南は、顔を真っ赤にさせてぽつりと言った。
「幾浦さんに、私の下着を盗まないようにお願いして欲しいんです」
 その言葉に、トシは固まってしまった。だが、リーチは笑い転げる。
『ぎゃ、ぎゃははははははっ!し、し、下着~!盗んでんじゃねえぞ~幾浦~!』
「あのう……よく分からないのですが、下着を盗まないように……というのはどういうことでしょうか?」
 リーチの笑い声を耳障りだとムッとしながらも、トシは平静に聞いた。
「あの方、私の下着を盗むんです。もう、何枚も」
『な……何枚も……って、こんな女の盗んでる場合か~!トシちゃん欲求不満にさせてるからだぜ~お前の下着持って行ってやれよ~……って、不味い。俺のにもなるんだな。やっぱ下着は駄目だ』
 一人でリーチは納得している。
 それにトシがどれだけ腹を立てているのか分かっていないのだろう。
 幾浦が下着など盗むわけなど無い。
 どうして、そういう言葉が出てこないのだ。
「失礼ですが、幾浦さんをよく知る友人からの言葉と思って聞いてください。あの人はそういうことはされませんよ。何かお間違えではないのですか?証拠もないのに、そういったことをおっしゃると、逆に名誉毀損で訴えられることになります」
 トシは柔らかく言ったつもりだったが、やや口調がきつくなる。それは仕方のないことだろう。この南は幾浦を侮辱しているのだ。本来なら、違うと怒鳴りつけてやりたいほどトシにしては怒っていた。だが、利一としてそういう言動は不適当だ。どれだけ腹が立っても利一モードを忘れてはならない。
「証拠は……あります。他の件でも警察にご相談していますが、これを出してしまうと本当に幾浦さんが犯罪者になるのだと思って、私の優しさから出さずに置いたんですよ」
 南はトシの口調にカチンと来たのか、やや腹立たしい様子で、しかも恩着せがましく言った。
「どういう証拠です?」
 トシが聞くと、いそいそと南はカバンから一枚の写真を撮りだしてこちらに見せた。
 そこには、マンションの外壁にぶら下がっている、なんとも情けない姿の幾浦が映っていた。
『うっわ~証拠押さえられてるぞ~いや~幾浦。むっつりもここまで来ると犯罪だな~』
 リーチは相変わらずふざけていたがトシは真っ青になっていた。
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