Angel Sugar

「日常の問題、僕の悪夢」 第26章

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「俺のこと物騒だって言うあんたも、物騒なものを手に持ってないか?」
 リーチの持つパイプを見て男は笑う。
「あ、これで肩を叩くとコリに効くんですよ」
 男と同じように笑ってリーチは答えた。だが、背後ではトシが呆れていた。
『……リーチって……状況分かってるの?』
『分かってるよ。とりあえず会話を続けないとな。張りつめるような緊張感が高まったら、あいつは爆死しようとするんじゃねえの?だったら、腹を立てないような事を並べ立てるしかねえよ』
 分かったようにリーチは言うが、果たして腹を立てるようなことを避けているとも思えない。とはいえ、相手が相手だけに、ここでトシが口を挟むことはできなかった。もしものときに即、対応できるのはトシではない。悔しいことにリーチの方が運動神経が遙かに上なのだ。
「肩コリね。そういや、ここにいた男を知らないか?」
 男はナイフを持った手を振り、世間話でもしているような様子で言った。
「いいえ。知りません。お手洗いにでも行かれたんじゃないでしょうか?それにしても随分とここにいらした男性にご執心ですが、恋人ですか?」
 リーチの言葉に男は笑った。
「面白いことを言うね。ところであんたは医者か?」
 何度もナイフを手の中で回し、落ちつきなく左右に歩きながら男は言った。小さな灯りに時折照らされる男の顔に二人とも見覚えがあった。
「いいえ、通りすがりです」
『見た顔だな……トシ、覚えてないか?』
 リーチは濃い影に彩られた男の顔を見ながらトシに問いかける。確かに見た顔だった。そして何処で見たのかもトシは覚えていた。
『あ、佐藤さんに見せてもらった住人リストに載っていた、中村勇二だよ。写真も若かったし学生だと思ってたけどさ。これじゃあ大人だよっ!』
 では、最初から南と組んでいたのだろうか。だが、同じマンションに住んでいるにもかかわらず、どうして別々に暮らしていたのか分からない。
『……中、高、大学でそれぞれ留年すりゃ、最後には若者もおっさんになる時代だぜ。それでも席があれば大学生だ。そういう奴は大抵過去の写真を貼り付けやがる。若く見えた理由もそんなところじゃないか?』
 リーチの滅茶苦茶な説明に、笑いたくなるような気に、一瞬なったが、そんな場合ではなかった。ここで爆弾を爆発させるわけにはいかないのだ。しかも周囲の患者を避難させる手も残されていなかった。
「通りすがりがこんなところで何をしてるんだ?」
 ナイフを首筋にピタピタと当てながら、男は覗き込んでくる。
「貴方と話をしています」
「ふざけんなっ!」
 首元を掴み、中村は叫び、続けて言った。
「じっとしてろよ。でなきゃ、首をかっ切るぞっ!」
 中村は身体を探り、胸ポケットに入れていた警察手帳を探り当て、引き抜く。
「やっぱりな、デカか……。ああ、そうか、あいつが言っていた、幾浦の友達のデカってのはお前かよ。なんだ、こんな弱っちい男だったのか。俺はもっと厳つい男だと思ってたんだけどな」
 手帳を閉じて放り投げると、中村は大声で笑った。
『後で拾うのを忘れないようにしような』
 リーチはため息混じりに言ったが、この状況でどうするつもりなのだろうか。トシはそちらの方が気になって仕方がなかった。
「あいつというのは南さんですか?確か公園の爆破に巻き込まれてお亡くなりされましたが……」
「南は俺が殺したんだよ。あの幾浦って男も巻き込んでやろうと思っていたのに、運の強い男だよ」
 面白くなさそうに中村は言った。
「どうして幾浦さんを殺そうとされるんです?それにあなたが組んでいた、仲間だった南さんを何故殺したんですか?」
「南……南なあ、幾浦って男にやばいところを見られたから、俺が始末するって言ったんだけどよ、あいつは途中で尻込みしたんだ。ま、尻込みって言うより、惚れたんだろうな、あの幾浦って男に。だから、サツにあの男を監視させていた。こっちは幾浦って男を始末しようとしてるのに、サツにうろつかれて困ったぜ」
 言えなかったのだ……南は。
 トシは中村の告白に胸が痛んだ。中村は南ではなく幾浦を狙っていたのだ。けれど、正直にそのことを話せずに、ストーカーだと話してみたり、マンションで騒ぎを起こして、住民を警戒させていたのだろう。騒動が起こっている間は、住民も小さな事に気を使うようになり、結果的に中村が動きにくくなる。
「そんなことをベラベラ話すのも、私も始末しようと考えているからですよね?」
 リーチが冷えた目でそう言うと中村はニヤリと口を歪ませて微笑した。
「弱々しい感じのお坊ちゃんデカだけど、頭は切れるんだ」
「弱々しくはありませんが……。ところで腹に巻いている爆弾をどうされるんですか?」
 チラリと視線を落として、中村の腹の辺りを眺めてリーチは言った。
「これのためにこっそり準備してきたんだ。当初の予定より随分と変更が出たけどな」
 ナイフを持つ手とは逆の手で、腹を撫で中村はポケットに手を入れた。多分、起爆装置が入っているのだろう。
『リーチ……ポケットに入ってる』
『分かってる』
「ここで、使用されるのですか?親族の方がここで亡くなって逆恨みでもされてるんでしょうか?」
「ベラベラ五月蠅いデカだな……」
「どうせここで私を殺すのでしょう?だったら、教えてくださいよ」
 ニコニコと笑みを浮かべながらリーチは更に聞く。
「そうだな、冥土のみやげに聞かせてやろうってところか」
「そうです。聞かせてください」
 何故かリーチはわくわくしながらそう言った。トシはもう、目が点になって怒鳴ることもできずに口をポカンと開けるしかない。大体、リーチは余程の状況でなければ危機感が生まれない性格だから仕方ないのだろう。とはいえ、トシからするとこれは余程の状況になる。
「俺はいつも虐げられてきたんだ。だから、社会に対して報復してやる。俺を認めなかった社会にな。俺様はお前を始末した後、すぐに国会議事堂に向かう。明日は新聞の一面に載って俺の死は永遠に語り継がれるんだっ!な、すげーだろっ!」
『……こいつ、馬鹿か?』
 今度はリーチが呆れていた。
 トシだって呆れたいが、中村は確かに爆弾を抱えているのだ。呆れるより先になんとかしたい。
『爆弾を腹に巻いてること自体、すでに馬鹿だって証拠だよ。それより早く何とかしないとっ!』
「おい、俺は凄いだろうって聞いてるんだっ!」
 ナイフをピタピタと頬に当てられたリーチはため息をついた。
「全然」
「なんだとっ!」
「悲惨な事件なんて毎日毎日ありますよ。私みたいな刑事をやってると分かりますけどね。もう、死体がゴロゴロ、あっちからもこっちからも出てきます。だから爆弾を抱えて死んだところで、明日は記事になるかもしれませんが、翌日にはまた違う記事でにぎわってます。永遠どころか、貴方の死なんて一瞬で終わりですよ。永遠に語り継がれる事件なんてそうそう出ては来ないんです」
 はあ……と、深く息を吐いてリーチはやれやれというふうに言った。煽ってどうするの~と叫びたいトシだったが、ここでは見守ることしかできない。
「五月蠅いっ!俺はやると決めた。だからお前はここで死ぬんだ……っぐはっ!」
 一瞬、トシには何が起こったのかすぐに判断ができないほど、それは素早かった。
 幾浦がベッドを倒して中村をその下敷きにした。だが、問題は、そんなことをすると中村は自暴自棄になって爆弾のスイッチを押す……ということだ。幾浦がそれに気がついていたのかどうかトシには分からない。
「幾浦さんっ!何を考えているんですかっ!」
 リーチは中村に近寄り、上着のポケットを探ろうとしたのだが、ベッドの下敷きになっていて手が入らない。しかも中村の手は同じようにベッドの下になっていて、今、起爆装置を握っているのかどうかも確認が取れなかった。
「……お前達を助けた私は褒められてしかるべきだろう?」
「この人は、爆弾を腹に抱えていて、起爆装置を手にしているんですっ!」
 リーチの叫び声に、幾浦はハッと我に返った顔つきになった。逆に、中村の方は何が可笑しいのか笑い出す。
「……ここでもいいか……」
 笑うことを止め、中村はベッドの下から手だけを出す。その手にはしっかりと起爆装置が握られていた。
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