「日常の問題、僕の悪夢」 第19章
はあ……。
もう、どうしよう……。
警視庁にある食堂で食の進まないまま、トシは箸を持ったまま、ぼんやりと外を眺めていた。南からの電話を受けたトシは結局、聞くことが出来ずに、怪訝な顔をする幾浦に作り笑いを浮かべたまま、コーポをあとにしたのだ。
もっとも、登庁するために地下鉄に乗っている間中、リーチにからかわれていたのは言うまでもない。話さなければ良かったと思いつつ、やはり誰かに聞いてもらいたかったのだ。
結果、トシの想像したとおりの反応をリーチが見せただけだった。
あ~ああ……もう。
何度したか分からないため息をつき、トシがようやくランチに手を付けようとしたところで篠原がやってきた。
「隠岐。今朝からずっとため息ついてないか?」
前の席に座り、篠原は自分のトレイをテーブルに置く。トレイにはラーメンとおにぎりがのっていた。
「……え、いえ。別に大したことじゃないんですが……」
トシは苦笑しながら利一モードを保った。
「あ、もしかしてあれか?ほら、隠岐の友達の幾浦さんが住むマンション。大変だったみたいだな。爆破犯を追いかけるのは特殊犯捜査三係だから、うちには関係ない事件だけど、知り合いが巻き込まれていると気になるのは仕方ないか」
篠原はおにぎりをほおばってもごもごと口を動かした。
「そうなんです。ただ、その件を窺ってみると、まだ管轄が消防署の方になっていて、うちに下ろしてもらえないそうで……いつものごとく、もめてます。あちらの実況見分も時間がかかりそうですね」
美味しそうに篠原がおにぎりを食べている姿に触発されて、トシもハンバーグをパクリと口にいれた。
「いつものことですけど、これでは警察が動けるのは明日になりそうですね」
「まあ、軽傷者だけで済んだらしいし、良かったんじゃないのか?そういえば、隠岐、幾浦さんと救出劇を演じたんだって?」
思い出すように篠原はそう言った。
「あ、はい。瓜並さんとお会いした時のお話をするために、幾浦さんのお宅にお邪魔していたんですよ」
「とんだ災難だったな。それにしてもお前達って仲がいいよな~」
深い意味などないのだろうが、トシには篠原の言葉に他の意味が含まれているような気がしてならない。あまり神経質にならない方がいいのは分かっていても、付き合っていると、意味のない言葉であっても気になって仕方ないのだろう。
「ええ」
「なあ、幾浦さんって有名外資系の社員だろ?コンパとか企画してくれないかな?」
へらっと笑って、篠原は言った。篠原は最近あちこちでこういう話をしているとトシ達の耳に入っていた。
「……コンパですか……。そうですね。機会があったら話してみます」
「マジだぜ。俺、そろそろ彼女が欲しい……。隠岐には俺に教えてくれない彼女がいるから、あんまり危機感ないんだろうけど」
物欲しそうな表情で篠原はトシを見つめている。教えてくれない彼女というところには少々棘があるが、女性でひどい目に遭っている篠原だ。力になってやりたいと確かにトシも考えていた。ただ、今は自分のことで精一杯で、そういうことまで気が回らない。
「仕事が一段落ついたら、協力しますから……。こういうことは慌てたら、素敵な方に出会えませんよ」
小さく笑ってトシが言うと、篠原は苦笑いしつつ頭を掻いた。
「ま、隠岐の言うとおり。あんまり物欲しそうな顔をしていたら、寄ってくる女も寄ってこないよな……。それより、例の爆発ってよ、俺もびっくりするようなことを瓜並に聞いたけど、爆発した部屋って、幾浦さんのストーカーやってた女の部屋だって?所轄の瓜並のところも大騒ぎだってよ。しかもその女、行方不明だって言ってたな……」
思い出すように目を彷徨わせて、篠原は言った。
「見つかってないのですか?」
今朝話をした南だ。電話をしてきたと言うことは掴まっていないと言うことだろう。だが、もしかするとそれから警察に掴まったかもしれない。
「らしいよ。瓜並の奴、ほら、その女の対応をしていただろ?それで、随分上司からいろいろと話を聞かれて振り回されてるんだってよ。ストーカーの相談に来ていた女が、爆弾を部屋で爆発させたんだから、しかたねえよなあ……。でもな、瓜並が聞いていたのはストーカーのことで、爆弾の相談じゃなかったから、それを聞かれても瓜並の奴、当然だけど答えられないから、困ってるらしい」
瓜並の顔が困惑している姿を想像してトシの顔には笑みが浮かんだ。
「そういや、隠岐はあの女、見たんだよな。どうだった?」
「……何か企んでいるように見えましたが、それが今回の事件に繋がっているかどうかまで分かりませんね」
サラダを食べながらトシはそう答えた。
「企む……かあ。ストーカー疑惑を警察に訴えて、目立つようなことをしていたのは、なんかそうしなきゃならない理由があったのかなあ……なんて俺は思ったな」
ふと口にした篠原の言葉にトシはハッと気がついた。バックで無言でいたリーチも花畑で身体を起こして、トシと同じように気付いたようだ。
「……冴えてますね。篠原さん」
「え。あ。お前も俺の考えに同意してくれるんだ!珍しいなあ……」
ははっと笑って篠原は照れを誤魔化すように鼻を擦った。
「それ以外に何か思うことありません?」
自分が関わっている人達や、友人が事件に巻き込まれると、大抵捜査から外される。それはこういったことも原因だ。深く関わっていると、全体が見えにくくなる。この場合、トシは幾浦と付き合っていてすでに感情移入をしている。それくらいならまだいいが、南という人間にも不本意ながら関わってしまったことで、どこか冷静さを欠いているのだろう。
「う~ん……。南って女はマンションでもいろいろ問題を起こしていたんだろう?それに、幾浦さんがやってないストーカー騒ぎを女は警察に訴えた。何か悪いことを企んでいたなら、本来は目立たないように行動するところ、その女はいかにも目につく行動ばっかりしていた。っていうことは……自分に注目を集めたい理由があったんじゃないかな……って思うんだよ。それと爆弾がどう絡んでいるのか俺も分からないけどさあ……」
「誰か他に何かを企んでいる男か女がいるってことですね……」
「……と、思うぜ。男だろう。多分。女が妙なことをするのは大抵、男がらみだからな」
腕組みをして篠原が唸っていると、リーチが声を上げた。
『あの女はマンションで騒ぎを起こしていたんだろう?だったら、マンションに何かあるんじゃねえのか?自分に注目を集めておきたい理由がさ。その女と同じ時期に入った新しい住民を洗ってみたらなんか出てきそうだな……』
リーチの言葉にトシは思わず立ち上がっていた。
「篠原さん。私、ちょっと瓜並さんの方に顔をだしてきます。午後からのつぶしはそれが終わったら合流しますので、ちょっとだけ時間をもらっていいですか?」
トレーを持ってトシはすでに歩きながらそう言った。
「俺は構わないけど……。身内はいいけど、消防署とはもめるなよ。あいつらは警察を目の敵にしてるから……」
「大丈夫ですよ」
にっこりと微笑んでトシは食堂をあとにすると、すぐさま警視庁をあとにした。
ついこの間、来た警察署を前にトシは目を丸くさせていた。駐車場にはレポーターが溢れていて、警察官もそれを押し止めるのに必死だ。住宅街で爆弾が爆発したことはすでに知られてしまっているのだろう。
もっとも、マンションの一室が両隣を巻き込んで吹き飛んだのだから、それが例えガスが原因であってもレポーターは野次馬のごとく集まってくるに違いない。
トシは混雑する中、人をかき分けて建物の中に入ると、直ぐに瓜並がこちらを見つけて飛んできた。
「隠岐さんっ!」
瓜並は本当に泣きそうな顔で走ってきた。
「篠原さんからお話を聞いて……近くまで来たので足を向けたのですが、なんだか大変な様子ですね」
入り口のところでたむろしているレポーターを一巡してトシは苦笑して見せた。
「こんなことになるなんて……私も驚いているんです。そういえば、隠岐さんはあの日、あのマンションにいらしたんですね」
「ええ、瓜並さんとお会いした時のお話を幾浦さんに話していたんです。驚かれていましたよ……」
小さく笑ってトシは答えた。
「でしょうね……うちもひっくり返っていて何がなんだか……。そうそう、とりあえず重要参考人であの女性を手配することになるでしょうね。まだ命令は下りてないんですが……」
肩を竦めて瓜並はぽつりと言った。随分と疲れた様子だ。
「マンションは入ることができるのでしょうか?」
「住民のみ許可されているようです。といっても、被害のあった周囲の部屋は現在消防署の方が陣取ってますよ」
「ありがとうございます。じゃあ、私、ちょっとマンションの方へ行ってみます。あそこの管理人さんとは仲がいいので、お話を聞けるかもしれません」
トシは引き留める瓜並の言葉が聞こえない振りをして、また入り口にいる人混みをかき分けると、警察署をあとにした。