「真実の向こう側」 第1章
僕はいつも目を半分閉じている。
それはキャスターとしてどうしても必要だったこと。
真実の向こう側に目を閉じること。
毎日流れるニュースはときに悲惨で悲しみに満ちあふれている。
怒濤のように溢れる日々のニュースは、刻一刻と新しくなり、今報道したニュースもその時点で新しいものとすり替わる。
目を見開いていると、無防備な心はその重圧に耐えられなくなるから。
だから半分目を閉じる。
真実の向こう側から目を逸らせるのだ。
それがキャスターとして長く勤める為の秘訣。
僕は目を半分閉じる。
重圧に耐えられるように。
いつものように変わりのない朝を迎えるはずが、最近嫌がらせメールが届くようになった。その所為か、メールチェックをする浅木冬夜の手が止まった。
それは大量に送られてくる訳ではない。ただ何時も一言書かれているのだ。思い出せるだけで言えば、「お前などやめてしまえ」「人間の屑め」「偉そうにしやがって」と一行書かれた言葉に、冬夜は自分が一体何をしたのだろうと首を捻る。だがそれを連想させる言葉はなく、いつも冬夜にとって意味不明の言葉の羅列でしかない。
そのくせ不思議なことにウイルスが添付されることは無い。ただ差出人が分からない。
最近流行のネットカフェから送ってくるのだろうか?
重い気持ちで先程止めた手を動かし、メールをチェックすると、やはり入っていた。
ここまで言っても分からないのか?
もしかして自分自身が気付かないところで誰かを傷つけてしまったのだろうか……
冬夜の仕事はニュース番組を担当するサブキャスターだ。その仕事中、不適当な言葉を発言したのかもしれない。だがメインキャスターと較べて発言数がかなり少ない冬夜がどういう不当な言葉を発したというのだ。
そんなことを冬夜はつらつら考えるが、なかなか思い当たる節はない。
大抵、発言で何か問題があると、すぐに視聴者から抗議の電話が局に入る。だが最近そんな抗議があったという話は冬夜は聞いていなかった。
だったら何だろう……
溜息をつきつつ冬夜はいつものように問題のメールを削除した。メールソフトで迷惑登録をしても、アドレスをかえて届くメールには打つ手がない。もちろん、もっと詳しい人間なら相手を特定できるのだろうが、そこまでの知識はなかった。
だから仕方無しに削除するようにしていた。
仕方ないよな……
相手がハッキリと何が悪いと指摘してくるなら反省の仕方もあるだろう。だから数度どういう意味か返信してみたがそれに対する答えは宛先不明のリターンメールだけだ。
仕方ないな……
僕にはもうどうしようもないよ……
モバイルの電源を落とし、それを鞄に入れると冬夜は朝食の準備に取りかかった。気にしても無駄なのだから、放置するしかないのだ。
そう……冬夜にはもっと気になることを現在抱えていたからだった。
局には十時に入る。広いエントランスを抜け、エレベーターを使い、アナウンスルームに入る。すると先にメインキャスターである海堂が局入りしていた。
その海堂は気象情報を担当する中隅と楽しそうに話をしている。要するに海堂は女好きで、局内の女性で口説き文句を囁かれたことのない女性はいないと言うほどの人物だった。
「おはようございます」
二人の会話を邪魔してはいけないと思いつつ、冬夜は小さな声でとりあえず朝の挨拶を交わした。すると二人は顔を上げてにこやかな表情を冬夜に向けた。
「なあ、佐代子ちゃんが今度コンパしてくれるそうだぞ。お前もどうだ?人生にもっと彩りをつけないとな……なんか最近暗いぞ……お前……」
海堂はそう言って冬夜の肩に手を回してくる。だが冬夜はハッキリ言って女性に興味が無いのだ。もちろんその事を知るのはごく親しい友人だけだった。だから、コンパに行って女性に囲まれても冬夜自身は面白くとも何ともない。
逆にコンパに来ている男性に目が行ってしまうのだから重症だ。
「いえ……僕は……色々忙しくて……それにほら、仕事が終わるのって早くて夜の九時ですよ。そんな時間からコンパなんて出来るんですか?」
とりあえず適当に濁すように冬夜は言った。コンパというのはかなり目線の置き所に困る。それだけで体力が無くなると言っても良いほどだった。
男らしい首筋や、張りのある腕。顎のしっかりした男の顔は何時までも見ていたいと思うような冬夜なのだから、下手をすると、視線で気づかれてしまうかもしれない。
例え今ゲイにも人権があると運動が起こっていたとしても、自らゲイだと公言することは冬夜には出来ないだろう。
「おい、こんな不規則な俺達の為に、似たような状況の女性を集めてくれると佐代子ちゃんは言ってくれてるんだ。その気持ちをどうして分かってやらないんだ。ん~?ま、色々忙しいのはお互い様。時間ってのは自分から作るもんだ。と言うわけで、佐代子ちゃん。こいつも連れて行くから宜しくね」
何やら語尾を可愛く海堂は言った。今年38になる男だが、多分冬夜より精力的なのだ。
「じゃあ一人追加ね。うふふ。楽しいコンパになりそうだわ……ちゃんと来るのよ~」
中隅はそう言ってとても嬉しそうに笑った。
「は……はあ……」
……
あ、そんなことは良いんだ……
これって……
僕も参加ってことだよな?
いつの間にか決められてしまったコンパのことに既に憂鬱になりながらも冬夜は自分の表情には笑顔を浮かべた。
「さあ~て……私も打合せに行こうかな……」
言って中隅はアナウンスルームを出ていった。それを冬夜が見送っていると海堂が言った。
「なあ……何かお前悩み事でもあるのか?」
チラリとこちらを見た海堂は心配そうな瞳を向けてきた。
「え……いえ……どうしてですか?」
「なんかこう、時々考え事をしてるぞ。まあ仕事に差し支えない程度だから俺も放って置いたんだけどな……」
ということは随分前から海堂は冬夜の微妙な変化に気が付いていたのだ。
「毎日……その、嫌がらせのメールが届いて……」
本来の悩み事はうち明けることが出来ずに冬夜は、とりあえずメールの事を話し、本来の悩みから逃げることにした。
「嫌がらせのメールだと?」
海堂は片眉をクイと上げ、怪訝な表情になる。
「はあ……でも別に酷いことを書いてある訳じゃないので……来たら捨てるようにしているんですけど……」
「それも甲斐性だな……」
急に笑顔になった海堂はニヤリと口元を歪ませた。
「は?」
「そうかお前も女でトラぶってるのか……」
うんうんと一人で納得している。
「へ?」
「いやあ……俺もな……ちょっと遊んだ女に嫌がらせのメール貰ったりするんだなあ……これが……。なんだ、お前って何も知らない顔して結構悪いことをしていたんだな……」
はははははと笑って海堂は言う。
違うんだけどな……
まあ良いけど……
「そ……そうですね……まあ……適当に……」
苦笑しながら冬夜が言った目線の先に、今一番気になっている人物が立っていた。
まただ……
半分開いた扉からこちらを見ている男性は冬夜たちのニュース番組が終わると同時にはじまるカリスマビューティというファッション系の番組にレギュラーとして出ているモデルで、名前は青柳一樹といった。人に聞くとパリコレも出ている有名な人物らしい。
年齢は十九歳だと聞いているが、背は冬夜より高い。やや切れ長の瞳に整った顔立ち。象牙のような肌は同じ日本人とは思えない程ぞっとするほど綺麗な青年だった。栗色のサラサラとした髪は染めているらしい。
表情に何処か翳りがあるが傲慢で高飛車な部分も持ち合わせており、それが青柳の最大の魅力になっている。
数ヶ月前からの番組だが、始まってからすぐにこの状態に陥っていた。
フッと視線を感じ、顔を上げると、青柳はこちらを見ていた。それはニュース番組進行中にもあり、打合せ中の時もある。
僕に何か言いたいのかな……
気にはなるのだが、冬夜自身は今まで一度も青柳に声を掛けたことなど無かった。もちろん、かけようとしてもこちらが近づくと、すいっと姿を消してしまうから。これでは問いただしたとしても気のせいだろうと言われるのが関の山だ。
毎日来るメールと言い、青柳の態度といい、冬夜には気になることばかりだった。
はあ……
悩んでも仕方ないか。
冬夜は気を取り直し、夕方からのニュースに使う資料を集めることにした。最近は刻々と世情が動くために、昨日と同じ日は今日来ない。スピードが速い毎日が時折冬夜自身を置いていってしまうのではないかと思うほどだ。
ニュースのキャスターをしていると、それらを体感する。逆にあまりにも情報量が多くどれだけ新鮮な内容であれ、酷い事件であれ数分後には過去になり、また新たな事柄が出てくるのだから、冬夜には息つく暇もない。
冬夜は自分がいつも神経を張り巡らせて、次の事態に備えているのを知っていた。
そんな中、無感動になっている事に気が付き愕然とすることもある。
窓の外は相変わらずの曇り空だった。ここしばらく天気が悪い。だから余計に気分が落ち込むのかもしれない。
もうなにも考えずに冬夜は仕事に熱中することにした。要するに考えても無駄だからだった。
デスクで最近騒がれている放火の資料を集めていると、足りないものに気が付いた冬夜は、必要な資料の種類を頭に浮かべたまま立ち上がり、アナウンスルームから廊下に出た。そうしてガラス張りの渡り廊下を越えて、突き当たりにあるエレベーターに乗ると、資料室のある地下一階のボタンを押した。すると軽い浮遊感と共にエレベーターは低い唸りを立てて動き出した。
目的の階に到着すると、冬夜はエレベーターを降り、まっすぐ廊下を歩いて突き当たりの部屋に入った。いつ見てもため息の漏れるこの資料室は過去数十年の歴史が詰まっている。そうであるからはじめて用事を言いつけられた新人にはとても目的のものを探せないほど似たような棚が建ち並び、そこに並べられた資料が来る人間を威圧する。
そんな中、冬夜は馴れた手つきで自分の必要な書類を探していると、他に誰かいるのか、人の言い争う声が聞こえてきた。書類の棚の間から向こうを覗くと、青柳とADの鈴木が立っているのが見えた。
だが周囲に漂っているのは明らかに不穏な感じであった。
……
なんか不味い雰囲気?
そろそろと冬夜はその場から立ち去ろうとしたが、必要な書類を目の前に見つけ、目的の資料を持って出ようとした。が、書類はかなりぶ厚く、抜くと本棚に隙間が空いて、向こうから冬夜の姿が丸見えになることが予想された。
ま……
まずいよな……それ……
仕方無しに冬夜はその場で暫く待つことにした。聞かなければ良いのだと、脇に挟んでいた資料を眺めることで無視をきめこんだ。
だが急に声のトーンがひときわ高くなり、折角傍観を決め込もうとしていた冬夜の耳に遮ることが不可能な会話が聞こえてきた。
「ああ~それで、しつこく聞いてきたんだ?でも、あんまりじゃないのか?」
鈴木は言って青柳の方を見ている。
「別に……あんたに関係ねえじゃん……」
綺麗な容貌に似合わず酷い言葉使いだと冬夜は思った。今まで青柳が言葉を発しているのは耳にしたことが無かったから余計にそう感じたのかもしれない。もっともあの容姿であるから綺麗な言葉が当然、出てくるのだと自分勝手に冬夜が決めつけていただけなのだ。
「……関係ないって……それだけかい?」
「……うぜえよ……。ちゃんとお礼はしただろ?だってあんたそれが欲しかったんだろ?お目当てのもんは貰えたんだから文句言うなよ」
壁にもたれ、長い脚を組んでいる青柳は酷くシュールだった。髪をかきあげる仕草一つとっても絵になるのはモデルという職業柄、どんなときでも自分が一番目立つポーズを心得ているからだろう。
実際、冬夜のタイプではないが、彼は目立つ。綺麗で、そして触れてはならないような神聖さがその身体から漂っているのだ。
でもなあ……
あの言葉使い酷いな……
アナウンサーであるがゆえ、冬夜には余計にそう感じてしまう。
「……僕は……真剣だったんだ」
鈴木が言うと青柳は目線だけを鈴木の方に向けた。
「……やめてくれよ……愛だの恋だの語るつもりじゃねえだろうな?気持ち悪いっての。俺はそんなつもりなかったんだから……」
呆れた青柳の口調にはかなりの不快感が混じっていた。
「……僕がそれを言ったら……おかしいと君は言いたいのか?」
「……あんたさあ、誤解してるんじゃないの?俺は何でも良いの。穴があってつっこめりゃあなぁ……」
クスクスと青柳は笑う。
……
うわあ……
ものすごい場所に居合わせてしまった……
冷や汗を額に浮かせて冬夜は思った。実際こんな修羅場に立ち会ったことが無い。もちろん冬夜自身も男性に好意を持つタイプだったが、ありがたいことに修羅場になったことがなかった。
いつだって冬夜が身を引く立場になるから。
それで良いと思う。男性だと言うだけで既にマイナスなのだから、好きだった相手が家庭を持って幸せになるのだと決断したことに、どうして文句が言えるのだ。
もちろん誰だっていいというわけではないが、冬夜は醜態を晒したくない。綺麗な思い出は何時までも綺麗であって欲しいと冬夜は考えるタイプだ。
寂しいときもあるが、それが男を好きになるという性癖の代償だと冬夜は信じていた。ただ、ああいう青柳のような男を自らの相手として冬夜はまず選ばない。綺麗な男は自分が一番可愛いと無意識で思っていることを経験で知っているからだ。
「……君は……最低な男だ。浅木さんのことを色々聞いたのも、あの人を次のターゲットにしていたからなんだな……」
僕の色々な事って何だ……
前半を聞いていなかった冬夜には会話自体が分からなかった。
「……あんたに関係ないよ。俺は自分が思ったように行動するだけだからさ」
興味なさそうに青柳は言ったが、冬夜は自分のことをあの男が鈴木に聞いていたという事実に一番驚いた。
どうして僕のことを……?
ターゲットって……なんだ?
その言葉がぐるぐると頭を廻っていたが、冬夜には全く理由が分からない。
「他の……モデルにこっそり聞いたけど……噂は本当だったんだ……」
鈴木は俯き、青柳は天井を眺めている。
「噂ねえ……」
「君は競ってるんだって?何人おとせるか……って。それも男女どちらでもいいそうじゃないか……」
半分泣きそうな顔で鈴木が青柳を見つめた。その言葉に冬夜は胸が締め付けられた。
本当に鈴木くんは好きだったんだ……
それが分かる口調だったから。対して青柳は心など少しも痛めていない表情だ。
「……噂だろ?俺は知らない……。つうか、やめてくれないかなぁ……どうして別れる別れないって揉めないと駄目なんだ?あんた自分が取るに足らない男だって自覚しろよ。そんな男と俺がつり合うと思ったのか?だろ?」
……
モデルって……
あんな高飛車なのか?
冬夜は開いた口が塞がらなかった。
……まあ……
隠れている僕としては反論も何も出来ないけど……
僕は聞かなかったことにすればいいんだ……
それより二人とも早く出ていってくれないかな……
ここにいるのすごく申し訳ないんだ……
手に持った資料にまた目を向けると、冬夜は出来るだけ二人の会話を聞かないようにした。だが一度気になってしまうと、どうしても声を拾ってしまう。
「……っ。分かった……よ。はっ……なんて酷い奴なんだ……信じられないな……」
吐き捨てるように言った鈴木の声が、その口調に似合わず寂しげに冬夜には聞こえた。だが今更割って入るわけにもいかない。
ただ冬夜は息を押し殺し、二人ともここから出ていってくれるのをひたすら祈っていた。すると暫くして、資料室の扉が開閉する音が聞こえ、冬夜はようやくホッと胸を撫で下ろした。
出ていったんだよな……
俯き加減の顔を上げ、ふうとため息をつくと冬夜は問題の資料を手に取ろうとして、だがそれがほかの誰かによって向こうから引き抜かれたことを知った。
「あ……青柳くん……」
そこにいたのは問題の青柳だった。
「趣味悪いぜ。あんた……」
にやにやとした笑みを顔に浮かべながら青柳は冬夜が必要にしている資料を手に持ってこちらを眺めていた。
「す……すまない。偶然聞いてしまったんだ。あ、詳しいことは何も聞いてないから……」
そう……
鈴木と青柳の関係は分かったが、どういう事でもめているかまでは冬夜は聞いていない。たがそれが、この場にいた事実によって信じてもらえるかどうかが問題であった。
「あんなでかい声で話していたのに聞こえないなんて言うんだな……」
相変わらず笑いながら青柳は言う。
「……誰にも言わないよ……」
「俺は別に誰に話されたって構わないけどね……俺、男が好きだし……」
手の中で冬夜が必要としている資料を弄びながら青柳はニヤリとした笑みを浮かべた。
その笑みと言葉が冬夜の心に何故か響く。
モデルという職業だから綺麗なのか、それとも綺麗だったからモデルになったのか冬夜には判断がつかない。ただ、外見と中身が同じように綺麗かどうかという問題になると、比例するもので無いことを冬夜は心得ていた。
「これ……必要なんだろ?」
棚の向こうから青柳は資料を見せた。そうそれが必要なのだ。
「ああ……返してくれるかな……夕方からのミーティングに必要なんだ……」
何とか作った笑顔を冬夜は青柳に見せた。
「ふうん……こっちに取りに来いよ」
不敵な笑みを浮かべて青柳は言う。
その青柳の存在に対し、冬夜の心の中では警笛が鳴りはじめていた。
近寄っちゃだめだ……
あいつは危険だ……
そうは思うのだが、自分の足は青柳の言うとおりに歩を進める。
ようやく青柳の立っている向こう側に当たる場所に立つと、冬夜は手を差し出した。
「悪いね……」
「ただで返してもらえると思ってる?お人好しの浅木さん」
こちらをとことんからかう気でいるのだろう。年下であるはずなのにすでに立場が逆転しているような錯覚を冬夜は感じた。
イメージが違いすぎる……
冬夜が聞いていた青柳のイメージは傲慢で、言葉数の少ない男だ。それがどうだ。人を虚仮にしたような口調に、堂々とした態度で立っている。しかも本人があえてそう見せているのかどうか分からないが、その立ち居振る舞いもまるで映画の中の一場面のように輝いていた。
「返してくれるつもりなんだろう?」
「さあ……どう思う?」
何を試そうとしているのか分からないが、何か青柳が企んでいるのではないかという気持ちに冬夜は駆られた。
「そういうふざけた態度は感心しないね」
強い口調で冬夜は言った。なめられていると感じたからだ。
「別にふざけてる訳じゃない……」
青柳はそう言ってこちらをじっと見つめてくる。
「なんだ……」
「俺のことどう思う?悪い噂ばっかり聞いてる?」
いきなりの問いかけに冬夜はどう答えて良いか分からなかった。何故、そんなことを聞くのだろう。その理由が冬夜には分からない。
何より先程鈴木に対しての態度と、いま冬夜に見せる態度は明らかに違う。これは一体何を意味するのだろうか?
「知らない。僕はそういう噂にはうといから……」
「ニュース番組に出てるのにか?」
青柳は呆れていた。
「世情をとらえるのと、一般的な社会生活とは違うよ……」
そう冬夜は噂に関して言うと、かなりうといのだ。
「へえ……なんか印象と違うな……」
なにやら嬉しそうだ。
「君の印象も違うよ」
馬鹿にされたような気がした冬夜は青柳にそう言った。
「ふうん。浅木さんからみて俺ってどう?」
「最低だな」
すると青柳は大きな声で笑い出した。
「当たってる」
ぴたりと笑い声を止め、青柳は何とも言えない表情でそう言った。それはふざけているわけでもない淡々としたものだった。
「それより資料なんだけど……っ……」
いきなり唇を掬われ、冬夜は目を思い切り見開いて、この意味を考えようとしたが頭が真っ白になり何も考えられなかった。
そのせいか青柳から口元を離されてからも、冬夜はすぐに現実に戻ることが出来ずにぼんやりと立ちすくんでいた。
「おい、大丈夫かよ……」
その声で冬夜はようやく自分を取り戻した。
「きっ……君……な、何をするんだっ!」
「ただの挨拶だろ。意味なんかないよ」
言って持っていた資料をこちらに放り投げ、冬夜は宙を舞ったものに慌てて手を伸ばすと、資料のファイルを受け取った。
「きっ……君っ!」
きついお灸でも据えてやれと冬夜は思ったのだが、そのころにはもう青柳は資料室の扉前に立っていた。しかもすでにノブに手をかけている。
「あんた……可愛いな」
ウインクをとばされた冬夜はまた資料を持ったまま呆然とするしかなかった。
可愛い?
二十四の男をつかまえてか?
それも年下に可愛いだって?
扉が開閉する音が聞こえ、青柳が出ていったことは分かった。だが冬夜は今の行為をどう判断して良いか分からなかった。
ただ、久しぶりのキスに冬夜の身体が震えたことだけは間違いのない事だ。
だめだ……
彼は僕をからかって……
そう……
それだけなんだ。
「……君は……最低な男だ。浅木さんのことを色々聞いたのも、あの人を次はターゲットにしていたからなんだな……」
ではあれは一体……
鈴木が言ったことを冬夜は思い出し、急に胸の痛みを感じた。
彼らのお遊びに自分も参加させられようとしているのか?
その答えにたどり着いた冬夜は腹立ちが今度、身体を覆うのが感じられた。青柳からすると、たまに戻ってくる日本で少々羽目を外し、いろんな男女をからかっているのだろう。もしそこでトラブルがあったとしても、青柳は簡単に海外に逃げるに違いない。
青柳の仕事の本拠地は日本ではなくパリにあったから。
だがはっきり言うと自分に目をつけるのは間違いだと冬夜は思う。男の経験が無いわけではないのだ。だから青柳がいくらちょっかいをかけてきたとしても冬夜はそれに乗ったりしないだろう。
彼よりも年上だという気持ちが冬夜にそう思わせたのだ。
仕事……
仕事に戻らないと……
冬夜はようやくその場から歩き出し、資料室から出た。