Angel Sugar

「真実の向こう側」 第9章

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 身体に残されている青柳の触れた痕を見ないように冬夜は視線を逸らせながら身繕いを整えた。そうして何事もなかったようにキッチンに向かうと、いつものようにコーヒーをセットする。
 はあ……
 椅子に座り、ぼんやりとキッチンテーブルを見ると白い小さな紙切れが視界に入った。
 そこにはこうかかれていた。

 悪い、今日朝一の仕事があったんだ。
 あんまり気持ちよく寝てたから起こさずに行くな~

 一樹

 ……
 なんだ……
 なあんだ……
 仕事だったんだ……
 冬夜はその紙切れ一つで自分の気持ちが浮上するのが分かった。
 いや……
 別にいなくなっても良いんだけど……
 そう思う気持ちが嘘であることを冬夜自身は分かっている。だが嘘でも思いこませておかなければ本当に出ていってしまったときにもっと落ち込むだろう。
 慣れてきただけだ……
 そう、慣れなんだよ。
 見慣れないものが部屋に置かれ、最初は違和感があったとしても人間は暫くすると見慣れる。だが折角見慣れたものが急に無くなったら、今度は逆に落ち着かなくなるのと同じだなのだ……と、冬夜は考えた。
 それでも青柳の走り書きを見ながら笑みを浮かべているのは他ならぬ冬夜だ。
 多分、こんな風に共同生活をする事に慣れていない為、ちょっとした人の気配が心地よく感じ初めているだけなのだろう。
 それだけだ。
 冬夜は出来上がったコーヒーをカップに注ぎ、いつもの朝を迎えた。
 そう……
 これは恋ではない。
 
 太陽が真上にさしかかる頃、冬夜はそろそろ昼食の準備でもしようかとソファーに伸ばしていた身体を起こした。休日は新聞を読んだり、買った文庫本をだらだらと読むのが冬夜の楽しみだ。それらと豆を挽き、たてたコーヒーを飲む。
 ゆるやかな時間に身を委ねていると、ホッと肩の力がおりる。このときばかりはせわしないニュースの事を忘れていられるのだ。
 お昼……
 なに食べようかな……
 色々作るのは面倒くさい。
 結局冬夜は身体を起こしたまま、またもやぼんやりと流れる時に身体を任せていた。するとふと目に止まるものがあった。
 テレビ台の前に無造作に置かれたビデオを入れた袋だ。それは青柳が局で借りたものだった。しかも一体何本借りてきたんだという程、袋はパンパンになっている。
 青柳くんが借りてきたんだっけ……
 ソファーから下り、無意識に冬夜はそのビデオの入った袋を手に取った。
 かなり重い。
 別にいいよな……
 もし仮に、驚くような程のエロビデオであったら、帰ってきた青柳をからかうネタになるだろうと、冬夜はわくわくしながら中身を取りだした。

 ラジオ体操・第二

 って?
 なんだこれ……
 しかも第二って……
 冬夜は真っ先に目に入ったビデオを信じられない気持ちで眺めることしか出来ない。一体青柳はこれの何が気に入って借りてきたのだろうか。
 まあ……
 好みってあるよな……
 次に出てきたのは昔の映画だった。
 それも殆どが純愛の恋愛ものであったため、冬夜の笑いを誘った。
 あの青柳くんが純愛に飢えてるとか?
 に……
 似合わない……
 一人で冬夜が笑いながら次に出てきたビデオを見る。そして笑いが凍り付いた。
「……え?」
 これ……
 これって……
 僕のニュース番組のビデオだ……
 しかも随分以前のものだ。
 どういうことなんだろう……
 違う……
 どういつもりなんだろう……
 数えてみると四本あった。
 四本のうち一番新しいものは冬夜が初めてニュース番組に出た日付のものだ。他はとびとびの日付になっている。
 見てみる?
 どうする?
 でも……
 逡巡してみたものの、冬夜は結局ビデオを袋に戻した。
 要するにこそこそしているように思えたからだ。もちろん、中身を確かめた後で、青柳が帰ってきたら、何を見てるんだよ……と、笑顔で軽く流せばいいことなのかもしれない。それでも冬夜は見てはならないものを見たような気がしてしかたなかった。
 僕は何も見てない……
 そうしておこう……
 出したビデオを袋を戻し、最初置かれていたようにそっと袋を置く。そして冬夜は誰も見ていないはずであるのに周りを見回し、そろそろとその場から離れた。
 青柳は一体どういうつもりでここに居座っているのだろうか。
 何か意味があるんだろうか?
 僕のうちに居座ることに目的があったのだろうか?
 既に温くなってしまったコーヒーを飲みながら冬夜は答えを探そうとした。が、結局何も見つけられないまま、時間だけが過ぎた。
 結局冬夜は、昼食を作ることなく、ソファーで相変わらずゴロゴロとしていた。もちろん独り身の仕事である洗濯や掃除は適当だ。それらは平日に出来ないために週末まとめて行う恒例のものだったが、気乗りしない冬夜の身体はノロノロと動作が鈍かった。
 原因は分かっている。
 ただ相手の思惑が分からないだけだ。
 悩むだけで冬夜から青柳に、例のビデオのことは聞けないのだから、いくら考えたとしても答えは出るはずもなく、思い悩むだけ無駄な事だった。それでも無意識という自分の制御から離れたところで、いつの間にか疑惑が膨らんでいる。
 青柳くんは一体僕をどうしたいのだろう……
 答えは幾ら考えてもでなかった。

 問題の青柳が帰ってきたのは夕方だった。
「ただいま~」
 玄関の方からやけに機嫌の良い青柳の明るい声が聞こえる。仕事が順調に終わったのだろう。
「冬夜ちゃん~お出迎えねえの?」
 次に怒鳴るように青柳は叫んだ。だが冬夜はソファーに伸ばしていた身体を起こすだけで立ち上がることはしなかった。
 何故僕が出迎えるんだ?
 家族でもなく仲の良い兄弟ではない。
 つき合っているわけでもない……
「しかとすんなよーー!いるの分かってんだぜ!」
 ドカドカと廊下を歩く音が聞こえる理由は、青柳が腹立たしげにわざと足音を大きくさせ、冬夜に聞かせるつもりなのだ。分かっていながら冬夜は無視を決め込んだ。
「ほらっ!いるじゃねえか!んだよ……てめえ……折角土産持って帰ってきたのによ。むかつくからてめえにはやらねえ……」
 リビングに入ってくると青柳はチッと口を鳴らし、右手にもっていた寿司屋の折りを冬夜には見えないように脇に隠した。だがそんな青柳の仕草よりもまだ乾き切らない髪が、触れるシャツに滴を落としている姿に冬夜の視線は吸い寄せられていたのだ。
 柔らかな栗色の髪は所々にビーズのような硝子の玉がついていて、青柳が歩くたびにそれらがキラキラと光り、酷く幻想的にみえた。
「なんだか……綺麗な硝子がついてる……」
 冬夜は見たままを口にしていた。
「あ?これ?雑誌の仕事だったんだよ。今さっき終わって、速攻化粧落として帰ってきたんだけど……やっぱ残ってるな……。俺はこういうの付けられたり化粧されるの嫌いなんだ。顔かたち変わるだろう?それが嫌なんだけど、流行とかなんかであちこち付けられたよ……」
 本当に嫌そうな表情で青柳は言う。よほど気に入らないようだ。
「へえ……でも綺麗じゃないか……」
 触ってみたいという衝動を抑えながら冬夜は言った。
「身体に色々付けられるのは嫌いなんだ……」
 こちらから視線を逸らせて青柳は言う。その表情がやや冬夜には気になったのだが、すぐにいつも通りの顔に戻ったところを見ると、気のせいなのだ。
「モデルなのに嫌いなのか?」
「好きでモデルになったんじゃねえ……。ほんとうは役者になりたかったけど、ポーズを取ることはできても演技が破壊的だったんだ。……俺ってすんげー大根なんだよなあ……マジ俺の演技はこええぞ……」
 自分で言う男も珍しいと冬夜が本気で考えるほど、真剣な表情で青柳は言った。ということは冬夜は見たことはないが、青柳自身が自覚できるほど酷い演技なのだろう。
 確かに、青柳のような綺麗な顔で、棒読みの演技をされると見た目で期待していた分ショックは大きいかもしれない。冬夜は真剣にそう思った。
「うん……なんとなくそう思うよ……」
「……マジで言ってないか?」
「え、そうだけど……。奇麗な顔って見慣れると飽きるだろう?もちろん若いときは使って貰えるけど、歳を取るとどうしても演技の巧さで生き残りが決まるからね……。だから青柳くんは良い判断をしたと思っただけだよ……」
「褒めてんのか?けなしてんのか?」
 ムッとした青柳の表情は本当に子供っぽい。
「褒めてるんだって……」
 苦笑しながら冬夜は宥めるように言った。
「まあ……いいけどなあ……。ほんとあんたって変わってるよ……」
 テーブルに寿司折りを置き、青柳はこちらを意味ありげにチラリと見た。
「仕事して帰ってきたんだからさあ……御茶くらい入れてくれよ」
 当然の如く青柳はそう言う。冬夜は苦笑いしながらもソファーから下りてキッチンに向かうと、御茶を二つ入れて青柳に渡す。その頃には既に折りは解かれ、見ただけで値段が高いと分かるにぎり寿司がきっちりと箱に入れられていた。
「土産で寿司って……おっさん臭いなあ……」
 思わず冬夜がそういうと青柳が目を丸くした。
「なんで俺がおっさんなんだよ……。おっさんはあんただろ?じゃなくて……スポンサーが寿司屋に行くって言うから俺は断ってその代わりに折をわざわざ貰ってきてやったんだ。あんたってほんと可愛くないよな……」
 もしかして……
 僕が寂しがってるとでも思ったのだろうか?
 だから帰ってきた?
 まさか……
 今思ったことを冬夜は否定しながら言った。
「そ、そういうつもりじゃ無いんだ……」
「あんたには俺の嫌いなものしか分けてやらねえ……」
 ……あれ……
 一人で食べると言っていなかっただろうか?
「……君の嫌いなものばかり押しつけられても食べたくないよ……」
 冬夜がそういうと青柳はムッとした顔になった。
「あそ。いらねえんだ……」
「違う……君が全部食べるといいよ……。若い君だから半分だけだと後でお腹が空くだろう?僕は適当にするから……」
「そういうのが可愛くないって言うんだよな……。年上だからそんな風に言うのか?それとも俺なんかの好意はいらないって事か?」
 折角分けた寿司をまた折り詰めに戻しながら青柳は言った。
「違うって。せっかく君が貰ってきたんだから全部君が食べるといいんだ……と言ってるんだよ……」
 口から出てしまった言葉を引っ込めることが冬夜には出来なかったのだ。本当は違う意味で言ったはずであるのに、何処か食い違っている。それを説明することが出来ない。
「腹一杯にしたいだけなら、折りなんか持って帰ってこねえよ……」
 ぼそりと青柳は言うと、折りをそのままゴミ箱につっこんだ。
「青柳くんっ!」
「気分悪いぜ、全く。あーあ……こんな事なら帰ってくるんじゃなかった」
 言いながら青柳は玄関に向かい、靴を履くと出ていった。そんな青柳に冬夜は何も言えずただ茫然と見送ることしかできなかった。
 視線の端にゴミ箱から覗く寿司折りの無惨な残骸がちらつき、何故だか泣きそうな気持になる。
 どうすれば良かったのだろう?
 答えは出ない。
 何故青柳があれ程怒ったのか冬夜には分からなかったのだ。

 その晩、青柳は遅くに帰ってきた。そのとき冬夜はとりあえずベッドに潜り込んでいたが、気持が落ち着かずに起きていたのだ。だが、青柳は冬夜に一切触れることもなく、気が付くと隣から寝息が聞こえてきた。
 寝たんだ……
 そっか……
 何か一言、青柳から欲しかった自分を叱咤しながら冬夜もようやく眠りについた。


 翌日、既に見慣れた光景を後にして冬夜は寝室から出ると、局に出かける支度をした。だが久しぶりにまた嫌がらせメールが入っていた。

 面白くない口調

 って……
 これ……
 もしかして僕のニュースでの語り口調を指している?
 意味不明なメールは誰から来ているのか当然分からないようになっていた。昨晩のなにか引っかかった気持ちがそのまま翌日に持ち越され、その上、朝からいたずらメールが来ている。これで憂鬱になるなと言われても無駄だろう。
 もう諦めたかと思っていたのに……
 冬夜はモバイルを閉じ、出来上がっているコーヒーを飲んだ。折角の週初め、気分良く出社したかった。いや……出来るはずだった。だが気分は浮上する気配を見せず、心の中にどんよりとした雲が渦巻いている。
 たかがメール一つでこれほど気持ちが落ち込むなんて……。
 考えてみると、これらを送ってきた相手が同じだとは限らない。人は万人に好かれるわけなど無いのだ。何人も冬夜の口調や話し方が気に入らない人もいるのかもしれない。
 だからいちいちそれらに反応し、自分自身の気を落ち込ませる方が馬鹿馬鹿しいことなのだ。
 言わせておこう……
 勝手に言ってれば良いんだ……。
 冬夜は椅子から腰をあげ、玄関に向かおうと廊下に出た。いつもならそのままマンションを後にするのだが、なんとなく寝室の前まで後戻りして扉を開けた。すると冬夜の瞳には気持ちよさそうに青柳が眠っているのが映った。
 ああやってると可愛いんだけどな……
 微笑ましく数分眺めていたが冬夜は突然我に返り、自分の行動に愕然となった。
 僕は何をしてるんだよ……
 音を立てないように寝室の扉を閉め、冬夜は足早に玄関に向かう。何故か心臓の鼓動が早い。
 何をやってるんだ……
 今の自分の行動を説明できない。
 彼の寝顔を見て何が楽しいんだよ……
 そうだろう?
 ただの同居人だ……
 そしてお互いの性欲を処理しているだけの関係だ。
 なのに……
 靴を素早く履き、冬夜は自分の気持ちを振り払うようにマンションからに駆けだした。
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