「真実の向こう側」 第21章
用事が済んでうちに帰った冬夜ではあったが、昼間海堂と話していたことが気がかりで仕方がなかった。
火が上がる前にも目撃されているんだってよ……
それは……
どういう事なのだろう。
分からない。
初めて青柳と抱き合った日、やはり放火が合ったはずだ。あのとき……冬夜はどうしていたのか。朝まで本当に青柳は隣にいた?冬夜は途中で気を失いはしなかっただろうか?
覚えていない。
抜け出した?
まさか……
それでも考えられない事もない。
だけど、いくら一番最悪の事を考えても青柳が放火をするとは冬夜には信じられないでいる。例え彼が犯人だという何か証拠があったとしても冬夜はどうしても認められないだろう。
青柳は放火をされて家族を失った。その彼がどうして放火など出来る?
考えのまとまらない頭で冬夜はキッチンにある椅子に座ってぼんやりしていると隆史から電話が入った。
「調子はどう?」
「うん……もう大丈夫。今日は局に顔を出してきたよ。僕が穴を開けたニュースのチェックに行ってきた……」
「ホッとしたよ……」
「で、そっちは無事お役目を終えたのかい?」
笑いながら冬夜は聞いた。
「身体がくがくだよ……今、東京駅まで送ってきた。疲れたよ……」
情けない声で隆史は言う。
「たまの親孝行だろ……」
「まあねえ。そう言えば……青柳、随分落ち込んでるんだけど、冬夜は何か聞いてない?」
突然隆史に言われ冬夜は椅子から落ちそうになるほど驚いた。
どうして隆史が青柳のことを聞くのだろう。
「知らないな……で、隆史がどうして青柳くんのことを心配してるんだよ……」
「え、ああ、今日偶然会ってね……」
会うって……
偶然会うってなんだ?
隆史は今日、両親の面倒を見ていたんだろう?
だったらいつ青柳くんと会えるのだ?
もしかして隆史と青柳は頻繁に会っているのか。
「会ったって……何処で?」
冬夜は今心に浮かんだ考えを否定しながら額に汗を浮かべた。
「いや、何処ではいいんだけどさ。あんな青柳は滅多に見ないからさ。何となく気になって声を掛けたんだけど……逆に睨まれた。はは、全く。心配してやってるのが分からないのかなあ。ま、それが分からないくらい悩んでるんだろうな……」
悩みを話し合うほど隆史と青柳は仲良くなっている。
一体全体どうなってるのか。
冬夜は大混乱に陥っていた。
「……どうせ仕事上の事だろう……」
「本当にそう思ってる?」
隆史……。
隆史一体どうしたんだよ……。
一体、青柳と本当は何があったのだろう。
何故、そのことを話してくれないのだ?
僕は……
どうしたらいい?
「止めた。こういうのは苦手なんだな。遠回しに聞くのはさあ……」
電話向こうで隆史がため息をつくのが冬夜には聞こえた。
「……それはどういう……」
まさか知っている?
冬夜が青柳に恨まれる理由を。
そうなのか?
「冬夜は色々理由をつけて否定していたけど本当は青柳のこと好きなんだろう?」
隆史にズバリ言われて冬夜は誰もいない部屋で一人顔を赤らめた。
「いいや……」
「俺は冬夜が青柳くんと何があったのか迄知らない。だけど冬夜を見ていて分かったよ。青柳のこと好きなんだろう?」
「ごめん……これに関しては放っておいてくれないか?」
携帯を持つ手も今が震えている。
隆史がこんな事を言う理由を色々考えて、ショックを受けているのだ。
「俺は冬夜の親友だよ。だろう?だから……力になってやりたいんだ……」
「……終わったんだよ隆史……。遊びだった。それだけだ。そして飽きた。だから僕は青柳くんをここから追い出した。だから……もう……その話は止めてくれよ」
「青柳は納得してなかったぞ……」
「隆史は青柳くんと会って、僕の話をどうしてしているんだよ……。そんなの……変じゃないか……」
「別に……冬夜の話をしてた訳じゃなくて……ついでって言ったら悪いだけど、最終的にはいつも冬夜の話になるからさ……」
それって……
まさか。
青柳は鈴木にすら手を出した男だ。鈴木はノーマルだったにもかかわらず。それが今度、隆史になっただけではないのか?
違うと思い切れるか?
「あいつに……何かされたのか?」
絞り出すような声で冬夜は聞いた。
「……いや……別に……青柳が……いや……良いんだ。俺のことは本当に良いから……冬夜は自分のことだけ考えろよ……」
「……」
冬夜だけでは飽き足りずに隆史まで青柳は手を出したのだろうか。
今以上に苦しめるために、冬夜自身が大切にしている友人に手を出した。
「……じゃあ……一度だけ青柳くんに会って話してみるよ……ありがとう」
頬に涙を伝わせなが冬夜は声だけは平静を装い、そう言った。
「そうだね……自分に素直になれよ……冬夜……」
優しい隆史。
今まで何度となくそんな隆史に助けられてきた。
青柳と実際は何があったかのかは分からないが、隆史はそれでも冬夜の身体を気遣ってくれている。
本当なら冬夜を怒鳴りつけたいかもしれない。
友人ではなく、お前のせいだと責めたい存在に冬夜は立たされているのかもしれない。だけど隆史は何も言わない。
あくまで友人として電話を掛けてきてくれる。
隆史……
隆史……
僕は……
「……うん……」
けりをつける……
隆史の分までつけてやる。
それで良いんだろう?
電話を切った後、冬夜はその場に蹲って泣いた。
今は泣くことしかできなかった。
ゲイのくせに……
翌日届いた嫌がらせメールにはしっかりと冬夜の性癖のことが書かれていた。これをいつまで続ける気なんだろうとため息が漏れる。
何となく子供っぽい嫌がらせだな……と、思うが犯人が青柳だと分かった今では、それらはドットの点の集まりでしかなく、文字にはなり得なかった。
どうでもいい……
こんな事で冬夜が落ち込むと思っているんだろうか?
もっと酷いことをしたくせに……
自分自身の問題に関しては何を言われて責められても、例え憎まれても仕方がないと思う。だけどそこに青柳にとって赤の他人である隆史を巻き込んだことに冬夜は怒りを覚えていた。
ここ数日メールのチェックをしていなかったせいか、海堂の言う心配メールも顔の見えない視聴者から入っていた。それらはどれもこれも冬夜を心配し、がんばってくださいと書かれている。だけど冬夜は全部目を通さずにモバイルを閉じた。
辞めるんだし……
腕を伸ばし、椅子から立ち上がると窓から見える景色をなんとなく見下ろす。
毎日、何度となく見た光景であるのに、何故か車の行き交う速度が速く見えた。人々の歩みも、そして舞飛ぶ鳥すら、せかせかとせわしなく見える。
自分の心がここにあるのに、何処か少し離れている様な感覚。
身体はここにあるのに、何処か違う場所から見ているような気分。
時間が冬夜を通り過ぎていくのが何故か分かる。
何かが急速に動き出している……
そんな奇妙な感覚だった。
今朝の空は雲が春風に誘われ空を移動している速度が速い。
そう感じるのは冬夜自身の心の問題からだろうか?
冬夜はコーヒーを飲み、息を吐いた。
今日どうにか青柳くんを捕まえて話をしないと……
一晩考えて出した結果だ。
青柳が何を考えているか全く分からないけれど、これ以上冬夜とは関係のない隆史を傷つけられるのはたまらない。
チラリと視線を部屋の隅に移すと、青柳の荷物がそこにあった。押し掛けてきたときに担いできたリュックだ。
取りに来るのかな……
捨ててやってもいいんだけど……さ。
だが荷物の中にパスポートなど入っていそうで、そこまでは勝手に出来ない。ここまで来て青柳も困るだろう……なんて考えている冬夜は底抜けの馬鹿だろう。だけどこんな性格だから仕方がない。
青柳の番組はもうすぐ終わり、春の番組編成で無くなることが決まっているのだから、いずれこの荷物を取りに来るはず。
そうしてパリに戻るのだ。
彼の本来の仕事に……
このまま青柳がいなくなったらそれで丸く収まるのだろうけど、隆史に対して彼が行ったことを冬夜はどうしても許せず、とにかくどんな言葉になるか予想もつかないが一言でも良いから吐きだしてやりたい。
僕のことは良い……
憎もうが、恨もうが……良い。
だけど……
隆史は違う。
冬夜はコーヒーカップをキッチンに置いたままマンションを後にした。
局入りしようとしたが、玄関口にまた記者達がわらわらとたむろしている。もしかしてまた青柳が何かやったのだろうかと思ったが、彼らに聞けるはずもなく冬夜は目を合わすことなくいつも通りにエントランスを抜けて自分の職場であるアナウンスルームに入った。
すると先に局入りしていた中隅がまず声をかけてきた。
「冬夜さん。もう大丈夫なの?」
「ええ。ご心配をおかけしました」
軽く頭を下げて冬夜は言った。
「浅木くん。おはよう……ああ、今日は随分と顔色がいいな……」
海堂がにこやかな顔で新聞を読んでいた顔を上げる。
冬夜はこれほど世話になった人達を裏切るような形でここを辞めるつもりなのだ。それがとても心苦しい。
だが決めたことだった。
「で、冬夜さん。見た、局前の記者」
「ええ……何かあったんですか?」
「そうなのよ~大変よ」
大変だといいつつも何となく中隅の目は興味深げな笑みを浮かべている。
「どうしたんですか?教えてくださいよ……」
「ほら、青柳くん」
また青柳。
もう噂を聞くのも慣れてしまった。
「今度は、どこの女優か歌手ですか?」
ため息をつき冬夜は自分の席に座った。
「ああ、青柳なあ……」
横で聞いていたのか、何故か海堂はそう言って顔色をやや曇らせた。
「違うんですか?」
「警察に連れて行かれちゃったわよ」
「はああ?」
驚いていると中隅の後を受けた形で海堂が続ける。
「事情聴取だそうだよ。今朝早く連絡があった。例の放火事件のからみだ」
「……でも事情聴取でしょう?」
「ああ……う~ん……だと聞いてるけどなあ。例の……昨日話した件だと思うんだがね」
「これってトラウマっていうんでしょうねえ」
知った風に中隅さんは言う。
「決まった訳じゃないですよ……」
青柳を弁護する気は冬夜にない。だけども、どう考えても彼がそんなことをするようには思えなかったのだ。
青柳は犯人を恨んでいる。
そんな青柳がどうして犯人と同じ手口で放火をするというんだろう。
どう考えても変だと何故分からない?
「ええ~わっかんないわよ。そんなの」
何故こんな風に茶化すことが出来るのか冬夜には中隅が理解できなかった。
「不謹慎ですよ」
「ごめんなさい。冬夜さんが怒るなんて思わなかったのよ……」
急に中隅はおろおろと言った。
「怒っている訳じゃあ……。ただ、本当にそうだと決まったわけじゃないんでしょう?だったら言葉は選ばないと……」
そう、一言が取り返しのつかなくなることだってある。
「お~今日の浅木くんは随分といらだってるな。珍しい」
中隅さんの会話を聞いていた海堂が笑った。
「……いえ……別に……」
苦笑しながら冬夜は頭をかいて、この話はしたくないという風に自分の机に載せられた書類を片づけだした。そんな冬夜の態度に中隅も深く追求することなく、話題を変えて海堂と雑談をすることにしたようだ。
あ……
じゃあ……
青柳くんがいつ戻ってくるか分からないんだ……
重要なことに気が付いた冬夜はせっかっく彼と話そうと勇気を振り絞ってきた自分の気持ちがしぼむのが分かった。
いつ戻ってくるんだろう……
とりあえず書類を見ているのだが、冬夜の気持ちはそこから離れない。
僕は今……
青柳くんが何処を宿にしているか分からない。
携帯番号も知らない。
向こうは知ってたみたいだけど……
勝手に冬夜のマンションのスペアを作ったように、いつの間にか携帯番号を調べたのだろう。それが出来るくらい冬夜たちは近くにいたのだ。
もしかして……
青柳くんは自分の分も僕の携帯に入れてたりして……
何となく気になった冬夜は自分の携帯を取りだし番号リストを表示させてみた。
青柳一樹 090……
うそ……
入ってる。
青柳は自分の携帯番号をご丁寧に冬夜の携帯に登録していた。
今まで気付かなかった。
何も言わなかったからだ。それとも冬夜がこれを見つけたときに、どんな顔をするか想像して楽しみにしていたのだろうか?
楽しみ?
どうして?
違う……
いつかこのことに気が付いたとき、冬夜が苦い気持ちになるだろうと青柳は考えたにちがいない。
それしか理由が無い。
酷い奴……
だが冬夜は青柳の携帯の番号を消すことはしなかった。
もう一度会って話をすると決めたから。だったら唯一の連絡手段である携帯番号は必要だろう。
でも本当にこれが青柳の電話番号なんだろうか?
かけたはいいけれど変な出会い系とかにつながったりして……
そこまで考え冬夜は携帯をポケットに戻した。
そのときはそのときだった。
昼になる頃、海堂を食堂に誘ったが、後から行くと言うだけで、なにやら必死に仕事に没頭している様子であった為、仕方なしに冬夜は一人で食堂に向かった。
食堂には結構人が溢れており、冬夜はようやく空いた窓際に席を確保することに成功した。
やはり相変わらずの本日のランチを机に置いて、顔を上げると隆史の姿を探す。すると厨房に隆史はいた。
ほっ……
返事を期待せずに冬夜は隆史にメールを打つことにした。
冬夜
隆史のお陰で今日は元気に来られたよ。
暫くすると隆史の方からもメールが届く。意外に暇なのか、それとも無理をして送ってくれたのか冬夜には分からない。
隆史
良かったな。顔色も良いよ。健康管理はちゃんとしろよ。
冬夜
はは。隆史が風邪で倒れたら、僕が手取り足取り看護してやるよ。
隆史
爆笑
暫くメールを途絶えさせたのだが、冬夜はどうしようか迷ったことを送ることにした。
冬夜
そういえばさ、青柳くんだけど、今、警察に行ってるよ。せっかく話し合おうと思ったんだけど無理みたいだ。
はたしてどんな返事が返ってくるかと冬夜はどきどきしながら待つ。が、遠くで皿を割る音が聞こえて顔を上げると、どうも隆史が皿を割ったようだ。冬夜は申し訳ないことをしたと思い、もうメールを送らなかった。
余計なことを送るから隆史を驚かせてしまったのだろう。
馬鹿だな……僕は……
ランチを箸でつつきながら落ち込んでいると、海堂がやってきた。
「うお~肩が痛い……」
ゴキゴキと肩を鳴らしながら海堂は自分のランチを机に置いて、いつも通り冬夜の前に座る。
「何をがんばってるですか?」
「いやあ……大したことじゃないさ……」
「何、企んでるんですか?」
じっと海堂を見ていると口元でニヤリと笑った。