「真実の向こう側」 第26章
朝起きて、テレビを付けるとやはり連続放火の話題で持ちきりだった。例のビデオは確かに冬夜のニュース番組が真っ先に放送したが、その後は各局に配布されいてる。協定上一つの局が独占するわけにはいかない。うちの局にしろ他の局がスクープ映像など撮った場合、後で廻して貰う訳だから、この業界も持ちつ持たれつだ。
……もういいか……
冬夜はテレビを消し、メールチェックを行った。
何時もと同じ毎日がまた繰り返されるのだろう。身体は既に朝から局に行くまでの行動を染み込ませていて、ぼんやりしていてもいつの間にかコーヒーが出来上がり、新聞を机に広げている自分に気が付く。
毎日同じ行動。
変わらない日々。
局に出かけたところで同じだ。報道するニュースは毎日違うが、それでも単調になりえる。時には魂が揺さぶられるような事件が起こるがそう頻繁ではない。
コーヒーを一口のみ、冬夜は息を吐いた。
それは溜息にも似ている。
サブキャスターを辞めるという気持はすっかり消えていた。自分でも良く分からないのだが青柳の本心を知ってから気持が削がれたと言っても良い。
昨日、あれから、また青柳に何度か電話を掛けたのだが、最初繋がった以降二度と繋がらなかった。そのたびに聞こえて来たのは「お客様が掛けた電話は電波の届かない地域にいるか、電源が入っていないため繋がりません」というアナウンスだった。
昨夜家に帰ってから、その事でどれだけ腹がたったかわからないほどだ。
とにかく冬夜には珍しく怒りで飽和しそうだった。
こちらが嫌だとあれほど言った時にもうちに居座っていた男が、用が済んだからと言って電話にすらでない。
それが腹立たしかった。
僕は何も話していない。
もっと……
今だから話したいことが山のようにあるのに、青柳は全く聞く耳を持たない。
自分の用事が済んだからもうどうでもいいのか?
あれだけ冬夜を振りまわし、強姦まがいに抱いたくせにあの態度は何だというのだ。
恨んでも……
憎んでも無いのに。
そう言っただろう?
僕は……
窓の外を眺め、冬夜はまぶしさに目を細めた。
青柳と一緒に暮らした期間は短かったが、冬夜自身は充実していたように思う。いや……充実していた。
人の温もりはきっと生きていくのに必要なのだろう。一人だと単調な生活に押しつぶされそうになるから。だから隆史の妹も誰かに没頭したかった。それが例え嘘だとしても自分の中では現実になるからだ。
一人は誰だって寂しい。
何時だって人が誰かの温もりを求めてしまうのは、たった一人で生きていく事が出来ない人間の性なのかもしれない。
求めて良いんだ。
それが人間なんだから……
冬夜はそう思いながらも一歩を踏み出せずにいた。
まだ青柳が近くに住んでいるなら良い。その場所を突き止めて押し掛けていくことだって今ならできる。
知りたい。
今、青柳が冬夜をどう思っているのかを。
今なら言える。
好きだとはっきり言える。
だからこそ、青柳から偽りのない言葉を今度こそ貰いたい。
だが青柳は今日パリに戻る。
それは最初から決まっていた帰国。
永遠なんて無い。
ここで告白をしたとしても、冬夜たちの人生は二度と交わることが無いだろう。
そして青柳とは二度と一緒に暮らすことも無い。
だから一歩が踏み出せない。
何時もと同じ……
毎回同じ。
諦めるだけ。
捨てられて……
それがどれだけ理不尽な事だったとしても僕は耐えてきた。
仕方ないって……
どうしようもないって……。
今回も同じ。
少しの間だけ辛いのを我慢して、またいつものように暮らすのだろう。
それはいつものこと。
変わらない毎日。
僕にはそれが似合っているのだ。
現実は何時だって手厳しい。
夢を描くのを止めた。
期待することも無い。
これで良いんだ。
僕は日常にもどるだけなんだから……
支度を整えた冬夜はマンションから出て、大きく伸びをした。今日も一日大変なはずだ。田上さんの経歴をもっと詳しく調べ、何故彼は放火に走ったか……という事をスタッフと考えなければならない。
小さな欠伸を一つして、冬夜は一階まで下りた。そしてマンションを出たところで昨日の晩、帰ってきたときは気が付かなかったものを見つけた。
桜……
咲いてる……
マンションの近くに小さな公園があるのだが、そこに小さな桜の木があるのが見えた。ここからでは桜の木の上の辺りしか見えないが、確かに桜は咲いている。
桜が見えるところ……
青柳くんは……
昨日あそこにいたんだろうか?
僕の部屋を見上げて……た?
まさか……
動揺しながらも冬夜はその桜のある公園には行かなかった。
もしそこで青柳がいたという痕跡を見つけたら、押さえつけた何かが噴出しそうだったからだ。
桜なんて……
何処にでもある。
そうだよ。
考えすぎだよ。
冬夜はそれきり桜から視線を外すと、駅に向かった。
局入りしようとすると、やはり入り口は記者達で一杯だった。考えると、犯罪を犯していた人間をうちの局で使っていたのだから、スクープを取ったとはいえ複雑な立場になるのだろう。
それを後目に冬夜はエントランスを抜け、アナウンスルームに向かった。
「お~……おはよう浅木くん」
まだ酔いが残っている様な顔で海堂が言った。もしかするとやはりうちに帰らなかったのかもしれない。
「昨日何時頃帰ったんですか?なんだかまだ酔っぱらっているような顔してますよ」
「……ん~そうだな。三時頃まで飲んでたよ。いやあ……良い酒だった」
……
ほんと……
海堂さんって……
「おはようございます~」
「ああ……おはよう」
江成はいつもの如く元気一杯に入ってくる。
「冬夜先輩。昨日はご苦労様でした」
かしこまって江成は珍しく言った。
「……あ……そうかな?」
「でもやっぱり先輩って青柳さんと仲良かったんじゃないっすか……」
え……
どうしてそれが?
「おお、そうそう。警察が言ってたよ。例のビデオは青柳が持ち込んだってね。それと同じものを浅木くんが持っていたんだから、そうなるよな……」
海堂はミネラルウオーターを飲みながらそう言った。
どうしようか……
ばれてる?
いやでも……
もういいや……
「ええ、青柳くんから頂きました。中身までは知りませんでしたけどね」
にこやかな表情で僕は言った。
「珍しいな……青柳がねえ。君にスクープネタを提供するなんて……」
顎を撫でさすりながら海堂さんは不思議そうだった。
「……僕も驚きました」
「そうか。あ、青柳が気になる男って言うのはお前のことだったんじゃないのか?たしかインタビューの時にそんなことを言っていたしなあ。で、君なら逃げそうだなあって今、思ったぞ」
「インタビューって?」
「ん?浅木くんも俺が青柳をインタビューしたビデオを見ただろう?ああ、別取りのほうな。それをみて何とも思わなかったのか?」
ビデオは途中で見るのを止めたのだ。
その後に何かまだ重要なことが入っているのだろうか?
「いえ……全部見た訳じゃないんです」
「そうか、じゃあ一度全部見ることを勧めるよ。ああ、でも浅木くんはノンケだから分からないのかもしれん。俺は色んな恋愛をしている分、ピンときたけどね」
そんな風に言う海堂が、冬夜がゲイであることに気が付いているようにはどこからも見えなかった。
「ビデオ……もう倉庫に行きました?」
「いや……そのへんにあるだろう?今晩使うし……持ってきてるはずだよ」
言われるままに冬夜が机の上を探すと、確かにこの間見たビデオが二本置いてあった。
「見て良いですか?」
「いいんじゃねえの……」
うーんと椅子の背もたれに身体を伸ばして海堂は言う。あまり頭が回っていないようだ。昨日、三時まで飲んだら流石に午前中一杯はこんな感じでエンジンがかからないのかもしれない。
「俺も一緒に見せて貰うかなあ~」
江成が冬夜の側にやってきたが、中隅に呼ばれて条件反射的に立ち上がった。
「ちょっと江成くん、手伝ってよっ!」
ダンボール箱を抱えた中隅は入り口で怒鳴っている。
「もちろんですよ姉さん~」
中隅に逆らえない江成はへらへらと笑いながら走っていった。一人で見たかった冬夜からすると、中隅さんに感謝しなければならないだろう。
この間見たところは早送りしようか……
ビデオを早速セットし、早送りでこの間見た画面を飛ばしながら、止める。画面には相変わらず楽しそうに談話している青柳と海堂が映っていた。
「で、話は戻すが、結局の所君は誰か好きな相手がいるのかい?」
「まあ……まあまあって所ですね……」
「なんだまあまあってのは……」
「海堂さんって好きですね、こういう話……」
苦笑いしている。
「おう。可愛い女の子の話は俺の専門だ」
「俺、男が好きなんですけどね……良いんですか?」
「両刀だろ?まあ……どっちでも俺はいいけどな」
意外にすんなりと受け入れている海堂が意外だった。
「気になる人はいましたね。随分前にみたテレビに出てたんですけど、最初はこいつ~って思っていた相手なんです。で、気になって追いかけていると、そのうちなんだ良い奴じゃないか……になって今に至るって所でしょうか?」
「う~ん……過程は分かるけど、誰だそれは……」
「海堂さんと同じ業界にいるひとですよ」
嬉しそうに……
本当に嬉しそうに青柳は照れたような笑いを顔に浮かべた。
「俺と同じ業界?キャスターか?おいおい、マジか?」
「はは……まあ……相手は勘弁してください。向こうは俺のこと嫌ってますから……」
「そりゃあ、君が悪いことばっかりしてるからじゃないのか?」
「海堂さんに言われたくないですね……」
鼻の頭を掻いて青柳は苦笑する。
「……う~ん……確かにそうだった。おい、キャスターは嫌いじゃないのか?」
「嫌いな人もいれば、気になる人もいるってところですね」
「で、告白したのか?」
ニヤニヤと笑いながら海堂はしつこく青柳に食い下がる。普段からこういう話題が大好きな海堂だから仕方ないのだろう。
「したんですけど、思い切り拒否されましたよ。こういう場合はどうしたら良いんでしょうねえ……」
「強引に押すしかないだろう?」
グイッと何故か拳を作って海堂は振り上げて見せた。
「押しすぎてマジで嫌われてしまったんですよ」
青柳がそう言うと海堂が本気で笑った。
「そりゃ……ノンケに向かって押したら逃げるだろう。いくら君が綺麗だ、モデルだと言っても所詮男だからなあ……。いやあ……笑える話だ」
「笑い事じゃないんですけどね。まあ……長年思ってきた言葉は言えたことだし、ここはすっぱりと諦めるしかないんでしょう。あちらにすると迷惑なことでしょうし……」
「意外に純情じゃないか……」
「恋してるとき、男って意外に純情になると思いませんか?いえ……ちゃかしているわけじゃなくて……」
真剣に青柳は言う。そんな表情はあまり見られないものだ。
「分かってるじゃないか……。そうそう。俺もそうだよ」
「でも、海堂さんは俺より沢山隠れた悪い噂を聞きますけど……」
「おいおい、よせよ。俺の話は……」
本当に慌てたように海堂が青柳の言葉を遮る。まずい事でも今抱えているのだろうか?だが例えそうであったとしても冬夜には興味のないことだ。
「そろそろ本番分撮りますよ」
カメラマンの宇崎が二人の間に割ってはいる。すると、残念そうに海堂は頷いた。
「そうか……じゃあ、真面目にやるか……」
そして画面はそのままテレビに放映された部分に移った。
青柳くんは……
もしかしてずっと僕を見てた?
恨む相手ではなく、好きな相手として。
それはいつから?
何故、どうしてそうなった?
駄目だ……
聞きたいことが山ほどでてきた。
違う。
僕が言いたいことが山ほどあるんだ。
僕は……
どうしても君に会いたい!
「海堂さん。青柳くんの独占インタビュー欲しいですよね」
捨て身で冬夜はそう言った。
「みんな考えることは一緒だよ。でもなあ、昨日から全く足取りが掴めないらしい。成田のフライトの方は時間を押さえているらしいんだが、空港にもいないそうだ。とにかく掴まらないんだと。まあ青柳もだだでさえレポーターに追いかけ回されてうんざりしてるんだろうよ。これじゃあ掴まえることは不可能だろうな……」
ぼんやり新聞を読みながらこちらを見ることなく海堂は言った。
「僕なら何とか出来ます」
はったりだ。
「はあん?」
「絶対コメントとってきます」
必死に訴えるように冬夜が言うと、海堂は小さく笑った。それは苦笑いのような、困ったような複雑な笑みだ。
「ああ、じゃあ俺が上に通しておくから屋上、使わせて貰えよ。今、首都高は混んでるからな。電車でちまちま行くのも大変だろうし……。特にうちのスタッフも他のレポーターや記者に目を付けられてるから、金魚の糞みたいにぞろぞろとくっついてこられると浅木君も困るだろう?」
「屋上って……?困るとか?」
「屋上って言うのはヘリだ。ったく……大丈夫かそんな調子で……。レポーターがうちのスタッフを見張ってるのは、例のビデオが渡ったのは青柳からだって分かってるからだよ。だったらまたコメント取るのに動くんじゃないかって考えてるだろう。だから今日、うちのスタッフは局内で大人しくしてるんだよ……」
「そ……そうだったんですか。じゃあ……僕……行ってきます」
「おい、カメラマンの宇崎さん連れて行けよっ!」
冬夜にはその声が聞こえなかった。
青柳に会うことだけしか今の冬夜の頭にはなかったからだ。