「真実の向こう側」 第15章
「どういう意味だ?」
メモを見たのだろう。だがここまでやってくるのは反則だ。それを言ったところで青柳は聞いてくれないだろうが。
「……内容通りだよ。それより……朝から騒がしいな……」
冬夜は後ろを振り向かずにそう言った。
「てめえ……ふざけるなよ……」
周りを気にしているのか、青柳は小声で、しかも押し殺した声でそう言う。が、口調には隠せない怒りがこもっていた。
「……ああ、メモを読んでくれたんですね……」
他人行儀に冬夜は言う。当然だ。ここは仕事場だから。
「まあな……」
青柳は突然バラバラと冬夜の頭上から紙くずを降らした。驚いた冬夜は青柳の行動に狼狽えるように振り返る。すると青柳は暗く冷えた目つきでこちらを睨み付けていることが分かった。
「何を……」
「俺が怒ってる理由が分からないって、とぼけた事を言うなら、全部ここで吐き出してやるぜ」
怒りで口元が切れるのではないかと思われるくらい歯を食いしばり、青柳が言う。一方冬夜は一人冷静に肩や頭に乗った紙くずを払いながら必死に踏ん張った。
「君の好きにするといい……」
言うと青柳は冬夜の胸ぐらを掴んだ。
「あんたがキャスターじゃなかったらここで殴ってたぜ……」
憎々しげに冬夜の胸ぐらから手を離すと、青柳はもう視線を合わせずに去っていった。
そんな様子を遠くから見ていたのか、中隅が恐る恐る近づいてきた。
「なに、なにをもめてるの?」
心配半分、興味半分という感じだ。
「ちょっとね……。ほら、放火の件でコメント取れたらいいなあ……なんて話し合ってただろ?ちょろっと話してみたらムッとされてしまってさ。当然だよな……過去の辛い出来事を思い出すようなこと聞いてしまったんだから……」
冬夜は床に散らかった紙くずを拾いながらそう言うしかない。この辺りが一番誤魔化しがきくだろう。
「いやだあ冬夜さん。聞いたんだ。すごいキャスター根性ね。相手みてから聞かないと……。でもあんなに怒った青柳くん……見たこと無かったからもうけたって感じだわ」
うふふと何故か嬉しそうに中隅は照れている。女心は冬夜には分からない。
「人の気持ちをもう少し考えるべきだったよ……」
それは、中隅にではなく冬夜自身への言葉だった。
拾い上げた紙くずを更にちぎって小さくすると、それをポケットに入れる。もしものことを考えたから。
「今日は晴れて良かったわね……」
何事もなかったようなにこやかな顔で中隅は窓の外を眺めていた。それにつられるように冬夜も視線をそちらに向けるが気持ちは穏やかではない。
「そうですね。でもほら、地盤が緩んでいるから被害はまだポツポツ入ってくると思いますよ……」
「やあねえ、昨日みたいに振りまわされたらまた樋口さんに睨まれちゃうわよ~おおおこわああ……」
大げさに中隅が震えて見せるが冬夜は笑える気分ではなかった。
「もう少し情報を補強するのに資料を探してくるよ」
椅子から立ち上がり、冬夜は資料室に行くことにした。今は一人になりたかったのだろう。
「ねえ……聞こうと思ったんだけど……」
出ていこうとする冬夜に後ろから中隅が心配そうな声をかけてきた。
「なに?」
肩越しに振り返り、中隅を見る。
「体調悪いの?酷い顔してるわ……まるで泣いたみたい……」
「……え、ああ……昨日の晩、映画のビデオを見てぼろ泣きしたんだ……最悪だよ……この目……」
更に誤魔化すような冬夜の言葉に中隅は怪訝な表情をしてみせたものの、信じてくれたようだった。
「さっさと彼女作りなさいね。まったく男は一人暮らしだと全然駄目ね」
「そうだね……そうするよ……じゃあ……」
この言葉を聞くのも嫌だ。同性しか愛せない冬夜には、こんな普通の会話が苦痛だったから。何故、同性だと駄目なのだろう……。それの何処が悪い。男性を好きなることで世間に迷惑をかけたことがあるのか。
口には出したことはないが、冬夜がずっと思ってきたことだ。
だけどもう聞くこともないだろう。
当分。
新しい職が決まればまた同じ言葉を掛けられるに違いない。
世間とはどうして独身男性を放って置いてくれないのだろうか。
小さな溜息を一つつくと冬夜は廊下に出て資料室に向かった。整理しきれない気持ちがふらふらと宙を舞っている。それをどうしていいか、自分でも分からない。
資料室に入ると大量のファイルが並ぶ中を抜け、次ぎにMOやCD-R、マイクロ時代の記録を通り過ぎて、一番奥のもう一つある個室になっている部屋の扉を開けて中に入った。するといきなり青柳が冬夜の後ろから入ってきた。
「……あ……」
冬夜は驚きすぎて硬直したまま動けない。いつから後ろを追いかけてきたのだろう。ぼんやりしていて気が付かなかったのか。
「なんだよ。あれはよ……」
青柳は冬夜の腕を掴む。意外に強い力であったのだが声を上げることも出来ずに、冬夜は身を竦めるしかなかった。
「……メモが……そのまま僕の気持ちだよ……」
鋭い視線を避けながら冬夜は言う。
「逃げるのか?」
「逃げる気はない。だから僕は局を辞める。これは逃げじゃない。君を一番傷つけた根本を無くすだけだよ……。その方が青柳くんもホッとするだろう?お茶の間で僕の顔が映るたびに君は思い出すんだろう。今までも思い出してきたんだろう?だったら……。僕が辞めるのが一番の解決方法だと思った。違うのか?」
少し顔を上げ、青柳の方を見ると何故か笑っていた。だがその笑いはにやついた笑いだ。
「俺はあんたの身体が気に入ってるっていうのはどうなった?」
青柳は掴んでいた手を離して冬夜の頬に手を伸ばしてきた。それを振り払う。
「君は何を言ってるんだ……?」
それは解決にならないのではないのか?
「あんたが勝手にけりつけるのはいいけどよ。俺の希望は全く無視か?」
希望って……
「僕をそんなに痛めつけたいか?」
今までとは違う抱き方をしたいというのだろうか。
「ああ……泣いて……懇願する顔が見たい……」
青柳に引き寄せられた冬夜はどうして良いか分からなくなった。
「離してくれ……僕は……ここに資料を取りに……」
「ああ?」
「……離せ……」
グイッと引き剥がそうとすると青柳は更に冬夜の身体を抱き込み、耳元で低い声で笑った。
「キャスターなんて辞めても良いか……。なら、俺がずっとあんたを引きずり回すことが出来るからな。それでも良いぜ。ああ……やめちまえ……。その分、俺が可愛がってやるから……」
その口調はとても楽しそうだ。それは決して冗談ではない。
「楽しいのか?」
「もちろん……飽きたら道ばたに捨ててやるよ……」
そう言って青柳はこちらの首筋に舌を滑らせてくる。するとぞっとするような感触が身体を走った。
「……そこまで僕は君に憎まれてるのか?」
身動きが取れないながらも冬夜は顔をようやく上に向けて聞いた。
「はあ?可愛がってやるって言ってるんだよ……。あんたの表情ってほんと嗜虐心を煽るよ……自分で気が付いてないみたいだけどな。良いぜその顔……」
嗜虐心を煽る顔……
冬夜は自分をそんな風に見たことはない。いや見えたことすらない。だが今、そんな表情でもしているのか。
「……それを断る事は出来ないのかい?」
「今までは適当にあんたも愉しんできただろう?それで良いんじゃないか?深く考えなくてもさ……俺はあんたの身体を愉しんで、あんたも俺と寝ることを愉しむ。簡単だ。俺はあんまり理屈をつけることが出来ないからな。楽しかったらそれで良い……」
玩具にしたいのだ。
冬夜を。
自分が飽きるまで。
「僕は……。勘弁して欲しい……」
正直に言うと冬夜は青柳に少しだけ惹かれている部分がある。それが砕かれるか助長するかこれから先は分からない。だがもし、青柳の言うことに同意し、これから玩具のように扱われるにもかかわらず、信じられない事になったら。もしも青柳を愛してしまったとしたら……。それこそお笑いだ。そうなると憎まれている相手に抱かれて尚、冬夜は青柳に惹かれ続けるのだろう。今までで一番苦しい立場に立たされるのはあきらかだ。
考えるだけでも恐ろしい結末。
問題は頭で否定したところで自分の感情というのはなかなか理性では押さえられないものだということ。
理由なんか無い。
いや……
青柳が誰よりも自由に見えるから……冬夜が公言したいと思っていることを恐れず口にするあの態度に惹かれるのだろう。
それは冬夜自身が望んでいることと重なる。
ゲイであることを隠さない。
どんな問題を起こそうと全く堪えない。
だからこれ以上近寄りたくないのだ。
青柳の強い生命力に取り込まれ、自らを粉々にされそうで恐い。
「悪いな……我慢しろよ……」
冬夜を拘束している手が、胸元を這う。その瞬間冬夜は青柳を突き飛ばした。青柳はやや体勢を崩したものの倒れるまでには至らなかった。
「やめてくれっ!」
怖い。
怖くて仕方がない。
脆弱な己の気持ちがいま以上かき回されてしまう。
「んだよ……」
「もうこないでくれ……キーを……返してくれ……お願いだ……」
掠れるような声で冬夜が言うと青柳が声をあげて笑う。それは冬夜を見下すようでもなし、普通の笑いだった。
「君が……恐い……」
何を考えているのか分からない……
一体どうしたいのかもっと謎だ。
青柳の本心は何処にあるんだろう……
「脱げよ……」
机に腰を掛けて青柳は当然の如くそう言った。むろん表情には先程の笑いなど少しも残っていない。
「早く脱げよ……」
冬夜が無言でいると、更に青柳は言う。ここから逃がすつもりもなければ、当然、許すつもりもないのだろう。
「……脱げば……良いのかい?」
唇を噛みしめながらも冬夜はそう言った。
「分かってるじゃん。そうそう。ここでヌードになって見せてくれよ……」
薄笑いを浮かべながら青柳はこちらを眺めている。それとは逆に、冬夜は固まったまま動けないでいた。こんな事を強制されたことが無いから。
誰かに見られたら……
そう思うとますます動けなくなる。
「脱げって言ってるだろっ!俺の言うことを何でも聞くんじゃねえのか?」
少しも動かない冬夜に業を煮やした青柳がネクタイを掴んでグイッと引っ張った。
「……く……」
首が絞まったことで呻くような声を上げ、冬夜は観念して、ゆるゆるとネクタイを解くと床に落とし、次ぎに上着を脱いだ。
「いいねえ……」
嬉しそうな青柳とは逆に冬夜の顔色は益々青ざめていく。だがそんな冬夜に気遣いなど青柳は全く見せない。
「……」
更にベルトを外し、ズボンを床に落とした。自分の惨めな姿は見えないが、想像するだけで冬夜は羞恥で倒れ込んでしまいそうだ。
「シャツはどうするんだぁ?」
相変わらず机に腰を掛けたまま、青柳は言った。
「脱げば……良いんだろう……」
冬夜は思いきってシャツを脱ぎ捨て下着一枚の姿になった。空調が整っているせいか寒くはない。だがこれから何をされるのか分からない不安が冬夜の身体を震わせた。
「震えてる……。恐いか?」
青柳はようやく机から腰を上げて、こちらに近寄った。そして冬夜を今度、机に座らせた。
「……やっぱり……僕はっ……あ……」
下着の薄い布地の上に乗せられた青柳の手に力がこめられ、冬夜のモノを揉み上げてきた。意外な事にその手は温かい。
「あんたを食い尽くしたい……」
耳元で囁かれると、身体は疼き出す。それは甘美な疼きだ。
この場所が何処で、一体何をする所か頭で理解していても、青柳に冬夜は引きずられる。
危険だと思う。
それでも冬夜は、いつも何かを踏み外してみたいと考える危うい部分を心中に隠し持っていた。ただ今までは理性で押さえつけ、普通であろうとしてきたのだ。
だけど……
僕は……
「……ん……う……」
噛みつかんばかりのキスを受け、その激しさに冬夜の脳は酔う。甘い刺激が身体を覆い、体温を上げ、疼きがそのまま欲望へと変わるのが分かった。
そんな冬夜の身体を貪るような愛撫で埋めていく青柳の行動が、理解出来ない。これが彼の言う復讐ならば本来の目的など全く達成されていないから。
青柳が冬夜を貪れば貪るほど、身体は悦びに打ち震え、満たされていく。そんな冬夜を見て復讐だと何故青柳が思えるのか不思議だ。
ただ精神的にどうかと問われると難しい。
冬夜の心は揺れ動き、どんどん乾いていく。それは愛のない行為に対し、飢えが現れているのか、陵辱され満足している身体に対して自己を嫌悪している為か分からない。
情けないことではあったが、冬夜は自分自身が分からなくなってきていた。
「……あんたのここ……濡れてきてる……」
うっすらと己の肉塊を映し出している下着は確かに濡れていた。
「……あ……よせ……言わないでくれ……」
言葉にされると堪らなく恥ずかしい。ちがう。この場所で行っている行為を想像して、既に羞恥は冬夜の身体全体を支配し、理性が何処かに追いやられている。
「これも邪魔だ……」
青柳はそう言って下着を引っ張り、シャツやズボンと同じように床に落とした。机の上で靴下だけを残して素っ裸になった冬夜は浅く息を吐いた。
「こんな……格好……」
「俺は好きだぜ……淫らで……」
冬夜の立てた両足の間に顔を埋めて、青柳は湿りを帯びているモノを口の含んだ。
「はっ……あ……あっ……ああっ……」
舌は冬夜のモノにまとわりつき、決して離れず上下に動く。その度に辺りに響く粘着質な音に冬夜自身の快感は煽られていた。
「……っ……く……」
一気に追い立てられた欲望はそのまま青柳の口内に吐き出された。青柳の方はそんな冬夜のものを美味そうに呑み込み、口元についている白濁した液を舐めていた。
本来なら嫌悪しそうなものなのに、青柳の表情はぞっとするほど綺麗だ。
「俺のもあんたの後ろの穴で飲み込んでくれよ……」
言いながら冬夜の窄んだ部分に指を突き入れてくる。冬夜はただ呻きながらも、青柳の背に腕を廻してもたらされる快感に酔い初めていた。
だがふっと自分の姿を思い描き、我に返る。
「嫌だ……」
酔った頭は既に降参している。それでも僅かに残る仕事への責任感が冬夜を正気にさせたのだ。
「駄目だ……」
グイッと腰を引き寄せられ冬夜は抵抗する手に力を込めた。