Angel Sugar

「真実の向こう側」 第16章

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「ここは……職場だ。だからやめてくれ……」
 続けて冬夜は喉から絞り出すように言った。
「しったこっちゃねえ……あんたが昨日帰ってこなかったんだ。だろう?何処で何をしてたのか知らないけどな……。隆史ちゃんの所にでも逃げ込んでたか?」
 どこまでも馬鹿にしたような口調だ。
「違うよ……気が付いたら朝だった……」
 正直に冬夜は答えた。
「はあ?あのまま会社でぼんやりしてたのか?」
 驚いたように青柳は拘束していた手をゆるめる。
「……公園のベンチで……一晩座ってたよ……」
 ぽつりと冬夜は言った。
「あんた、マジでか?」
 俯き加減の冬夜の顔を覗き込むように青柳は見る。
「ああ……気が付いたら朝だった。色々考えていたら……うちに帰るのを忘れてた……」
「傘は?」
 顔を左右に振ると青柳の表情が見たこともない辛そうな表情になった。その顔に冬夜は動揺した。
「あんた……馬鹿だな……」
 言ってそっと冬夜を引き寄せる青柳の行動はもっと理解ができない。そのまるで恋人を優しく介抱するような仕草に冬夜は心臓が高鳴った。
「俺以上に馬鹿だよ……あんたは……」
 耳元で囁く青柳の口調には冬夜に対する愛情すら感じられる。
 怖い……
 どうしたら良いんだろう……
 これ以上近づいたら駄目になる……。
 僕は……
「……離してくれ……」
 今度はやんわりと身体を押しのけて、自分の身に起こっていることを否定するように、冬夜はまた顔を振った。
「仕事だったよな……じゃあまた帰りにな……」
 意味ありげにそう言って青柳は資料室から出ていく。冬夜は胸の高鳴りをどういさめて良いのか、その方法を見つけだすことが出来ずに暫くそこに座り込んでいた。



 衣服を整えデスクに戻り、ぼんやりしながらも自分の仕事をしていた。だが昼から冬夜は海堂の手が空いている隙を狙って、声を掛けた。
「海堂さん……ちょっと良いですか?」
 海堂は本日のニュースに使うために集められたファックスや資料を読んでいたが、冬夜から声を掛けられて顔を上げる。
「ん……どうした?」
「ちょっとお話が……」
 言いにくそうに冬夜が言葉を濁すと、勘のいい海堂は察したようだ。
「ああ……いいよ。だが、ここじゃあ駄目なんだな?」
「出来たら……人がいない場所で……」
 そう冬夜が言うと海堂はアナウンスルームを出て渡り廊下の方に向かって歩いた。そうして丁度廊下の真ん中でくるりと振り返る。
「ここってな……結構秘密話が出来るんだ。ちょっと立ち話……ってかんじでな……」
 言って笑う海堂の笑顔は酷く安心できるものだった。
「あの……」
 顔を上げて冬夜は海堂を見る。
「なんだ?」
「サブ辞めて良いですか?」
「はあん?」
「自信がなくなってしまって……」
 自信ではない。青柳のことだ。
「俺の事、気に入らないとか?」
 やや茶化すように海堂は言った。
「と、とんでもないです。そんな理由じゃありません」
 思い切り否定しながら冬夜は答えた。
「じゃあ何だ?」
 海堂の問いに冬夜はどう答えて良いか分からない。素直に青柳のことを話せば良いのだろうが、そうすると自分の性癖も話さなければならなくなる。
 そんな勇気はない。
「……」
「言えない相談しようとするなよな……」
 海堂は苦笑しながら言ったが、どことなくムッとしたように見える。当然だろう。こちらから話があると言ったのに、その冬夜が言い淀んでいる姿は見ていてイライラするに違いない。
「あの……」
「もしかして……例の嫌がらせメールか?」
 勘違いしているのだが、本当のことは話せない。
「それだけじゃないんですが……。僕には……キャスターは向いていないんじゃないかなあって……」
 俯き加減に冬夜が言うと海堂は冬夜が向いている逆方向を見ながら言った。
「誰だって嫌になるときはあるさ……。でも、それを乗り越えたらお前ももっといいキャスターになれると思うぞ。今、辞めてどうするんだ?だろう?キャスターはつぶしが利かないぞ。それともヘッドハンティングでもされたか?」
 くすくすと冗談っぽく紡がれる海堂の言葉は優しい。
「ヘッドハンティングだなんて……そんな……。違います。本当に自信がなくなったんです」
 自分の過去の一言。
 それに対する反省は言葉には表せない。そして既にメディアに乗って放送されたものはもう取り消すことは出来ないのだ。
「だから言ってるだろう?誰だってそういう悩みを乗り越えていくんだ。ん~だよ。なにがあったんだ?」
 心配するように海堂は聞く。
「僕は何を話して良いか分からないんです」
 自分でも何をどう話して良いのか分からない状態だった。
「謎々じゃないんだぜ……分からないぞ」
「……自分の言動が人を傷つけているような気がして仕方がないんです……」
 小さな声で冬夜が言うと海堂さんは一呼吸置いてからこちらに向き直る。
「それはキャスターとしての言動か?」
「はい……」
「誰かに言われたのか?プロデューサーか?」
 冬夜はただ左右に顔を振った。
「じゃあ……偶然取った電話でお前の悪口を聞いたのか?」
 ちょっと笑いを含めて海堂はさらに聞いてくる。
「そんな感じです……」
「やっかみもあるんだから……気にするなよ……」
「……」
「ああ……そうか……。浅木くんが内容を聞いて、自分でもそうだと思ってしまったんだろう?相手の意見を聞いて自分が悪いんだって納得したか……」
 冬夜はただ頷く。
「なあ……浅木くん。言葉って言うのはとても難しいと俺は思うぞ。一つの単語でも人によって受け取り方が違う。だろう?そんなのいちいち気にしていたら身が持たない。万人に同じように受け取られる言葉なんてこの世にはないんだからさあ……」
 宥めるような口調だった。
「でも……僕は誰も傷つけたくなかった……」
「傷ついたという相手の状況にもよるだろうが……はっきり言うぞ。浅木くんは今まで俺が隣で聞いていた限りでは明らかに人を傷つけるような発言はしていない。逆に俺はもっと言ってもいいのになあ……と思うときがあるほど君は言葉をきちんと選んでる。それはキャスターとして大切な事だ。それを浅木くんは理解をしている。俺が保証するんだから気にすることはないって……な?」
 ぽんぽんと肩を叩いて海堂は言った。
「……そうですね」
 冬夜にはそういうしかない。海堂は本当に冬夜のことを考えて話してくれているから。
 力づけ、勇気と自信を与えてくれようとしている。そんな海堂の言葉を遮ることなどとても言えない。
「分かったか。ちょっとは先輩らしい振る舞いが出来たなあ……」
 言って海堂はにこやかに笑った。冬夜の方は作った笑顔で応えた。
 だが心には冷たい風が吹いていた。

 その日、仕事が終わると冬夜は早々にうちに引き上げようと局を出た。だが、玄関から少し出たところで青柳が走ってきた。
「待てよ!」
「ああ、青柳さん何ですか?」
 立ち止まらずに冬夜は言った。
「おい……同じ方向だろう」
 といって次に小声で言う。
「違った……同じうちだよな……」
「……」
 何も言わずに相変わらず冬夜は駅に向かって歩を進めた。
「冷たいな……」
 苦笑する青柳の態度が冬夜には分からない。午前中の出来事をなんだと思っているのか。
「なんか言えよ……」
 冬夜は青柳を振りきるように歩き出した。だが青柳の方は後ろをずっとついてくる。
「何か用か?」
 立ち止まって冬夜は仕方なしにそう聞いた。
「何か用かってねえ、俺も帰るんだよ」
 肩に青柳から手を回された冬夜は有無を言わさずそれを振り払う。
「……いい加減にしてくれ。誰が見ているか分からないだろう?」
「いつもの事だろ……そろそろ俺、欲求不満なんだよ。今日も適当に誤魔化されたしさ」
 不満げに青柳は言った。
「やりたいだけなら、もっと良いところがあるだろう」
「金払ってまで外でする気ねーよ。でも、あんたならただじゃん」
「……もう、止めてくれ……」
 自分自身がとても情けない。
「言っただろ……俺はあんたを手放す気は無いってさ」
 当然の権利のように青柳は言った。
「どうすればいい?局を辞める以外に何をすれば君は僕を許してくれるんだ?」
 何だって良いのだ。青柳が納得してくれるなら。ただ、もう一緒に暮らすことは出来ない。これだけは許して欲しかった。
「なにも……俺が飽きるのを待てば良いんだよ……」
「じゃあ、今すぐ飽きろ!」
 怒鳴るように冬夜は言った。
「彼氏でも出来たか?」
 青柳は冬夜の剣幕とは違い、何処吹く風だ。
「そうじゃない……」
 惹かれるのが怖い。
 抜け出せなくなるのが恐ろしかった。
「じゃあ、別に悩む事じゃないだろう?」
 簡単にそう思える青柳は幸せなのだろう。
「なあ、虚しいと思わないのか?憎しみを僕に向けても君だって癒されないはずだ。そうだろう?」
 とにかくもう嫌だった。
 振り回されるのも、青柳のことばかり考える自分自身も。
 なにより……
 青柳を見るたびに思い出す自分のしでかしてしまったこと。
 それらすべて、何もかもを冬夜は忘れたかったのだ。
「来い!」
 ガッと腕を掴まれた冬夜は引きずられるようにタクシーに乗せられた。当然、青柳も乗り込んでくる。
「青柳くん!」
「黙ってろ。恥ずかしいだろこんな所で暴れるとさ。俺はいいぜ、お前が恥ずかしい思いするだけだしな」
 何か言いかけた瞬間に、ぎりっと手首を力強く掴まれた所為で、冬夜は黙り込んだ。そうして自分のマンションに着くと、青柳は冬夜を引きずり、まるで自分のうちのように合い鍵で扉を開けると中へと入った。
「……青柳くん……僕は……」
 玄関先に座り込んでしまった冬夜をじっと青柳は見下ろしている。その視線が痛い。
「言っただろ……手放す気はないってさ……」
 座り込んでしまった冬夜を抱きしめながら青柳は言った。だが冷えてしまっている感情は虚しさだけしか冬夜に伝えない。
「……」
「楽しめば良いんだ……」
 そう言って青柳は冬夜に口づけた。次に舌が首筋や頬を這うと、食いしばった口元が緩んで、その隙を逃さなかった青柳の舌は冬夜の口内に侵入した。慣らされたキスは頭の芯を痺れさせて、身体は反抗することを諦める。いつの間にか愛撫をほしがるように慣らされた自分の身体が疎ましいのだが、こうなってしまうとどうにもならない。
 冬夜はその場で抱き上げられて寝室へ連れて行かれると、身体を開かされた。
 いつものことであるのに心だけが遊離して、冬夜は自分が今何処にいるのかも何を考えてるのかも分からなくなる。自分が上げる声すら遠くに聞こえるのだ。
 どうしてこんな事になってしまったのか。
 最初は納得していたけれど、納得できないことばかり続いて限界だった。かといってここで逆らうことも出来ない自分が情けない。
 通り過ぎるのを待てばいい。
 青柳が身体から離れるのを待って、その後、帰ってもらうと良いのだ。
 これ以上傷つきたくない……
 身体ではなく心が。
 違う……
 これ以上……
 青柳に引きずられたくない。
 そんなことを冬夜が考えていると青柳が両肩を掴んで身体を起こされた。
「楽しくなさそうだな……」
 明らかに怒った青柳がこちらを射抜くような目で見ていた。
「……何を怒っているんだ?君の言う通りにしているだろう」
 望んだ通りに……
 君が思うようにすればいい。
 僕には……
 逆らえる理由がない。
「言う通りだと?あんた、自分が、どんな顔してるのか分かってるのか?」
 今度は冬夜の顎をギュッと掴んで青柳は言った。
「……僕は……」
 泣きそうだ。
 一体どうしたら良い。
「ふうん。じゃ、楽しめるようにしてやるよ。一回試してみたかったんだ」
そう言って青柳くんはポケットから小さな薬を取り出した。
「何だ……それは……」
「気持ちの良くなる薬……」
 ニヤニヤとした顔で青柳は冬夜の口元に手を掛けた。
「よせよ!僕にそんな趣味は無い!」
 引っかけられた手を払おうとするのだが、青柳の手を払うことが出来ない。それどころか無理矢理顔を上げさせられて喉の奥に薬を放り込まれた。それを冬夜はなんとか吐き出そうとしたが、口元を押さえられているのと、喉の奥に入りすぎて口元に戻せない。
「う……っ……げほっ……げほっ……」
 苦い味が喉の方から上がってくる。
「たまには良いだろ……、絶対楽しめるぜ……」
「君は……何を考えてるんだ……」
 怯えているように声が震えるが、自分の上に乗っている青柳は笑顔でしかない。
「俺?淫らに乱れるあんたが見たいだけだよ」
 冬夜はその言葉に血が昇った。
「……いい加減にしろ!もう……出ていってくれっ!」
「俺が今出ていくとあんたが辛いんだぞ……。薬が切れるまで一人で処理する気か?相手がいないと虚しいよなあ」
 ニヤリと口元を歪めて青柳は言った。
「う……」
 そんな会話をしている途中から身体がおかしいと冬夜は感じ始めた。妙に身体が熱い。それに伴い息が上がって頭がクラクラする。
「……っ……あ……嘘だ……」
「ほらなあ……」
 既にはだけられた胸元に青柳がキスを落とした。それだけで身体に電気が走ったような刺激が全身を廻った。
「あっ……やめ……ろ」
「ただでさえ敏感なあんたが、今日は全身性感帯みたいになってるな。んー……ここも、既に立ってるぜ」
 するりとズボンの中に手を突っ込んだ青柳は、冬夜の熱くなりはじめている部分をギュッと握り込む。
「ひっ……あっ……よせ……止めてくれ……」
 ぐるぐる回る視界のなかで冬夜は必死にそう言った。だがだんだん夢心地の気分になってきていて物事をまともに考えられない。
「止めてくれといいながら、足、自分で広げてるじゃねえか」
 くくくと笑いながら青柳は冬夜のズボンを剥ぐと、先程握り込んだ部分を口に含む。そのとたん冬夜の意識は飛んでしまった。

 吐き気と頭痛で冬夜は明け方、目が覚めた。ベッドに身体を沈めたまま暫く動けず喉元からくる吐き気に耐える。軋む身体はあちこち痛い。
 青柳くんは……?
 ハッと周りを見回したが既に青柳の姿は消えていた。目的が達成されると、昨晩のうちに出ていったのだろうか?それともまだこのうちにいるのか?
 小さく身体を一度震わせ、冬夜はだらしなく伸ばしていた身体を丸めると毛布にくるまった。
 気持ちが悪い……
 静まりかえった寝室で冬夜は耳に神経を集中させ、いるかもしれない青柳の気配を感じ取ろうとしたが、遠くからも足音すら聞こえない。バスルームに入ると良く響くシャワーの音もしないことで、やはり青柳がこのうちにいないと冬夜は結論づけた。
 出ていったのかな……
 それにしても……
 気持ち悪い……
 胃が酷く重く、何かが喉を胃から圧迫している。
「……う……」
 ズキズキとこめかみの間が痛み、頭の芯が人の手によって無理矢理揺すられているようなブレが感じられ、その上何も入っていないはずの胃が気持ちが悪い。
 僕は……
 結局青柳くんと寝たんだな……
 最低……
 うっすらと覚えている記憶では青柳に何度も求めて、言葉にすることが恥ずかしい事をどれだけ要求したか。冬夜は途切れ途切れの記憶を思い出すと涙が滲んだ。
 虚しくて惨めだ。
 夢の中での出来事だと思いこもうとしても現実に己の身体に残る愛撫のあとが、昨晩のことを現実だと分からせる。鬱血したあちこちつけられた痕は更に冬夜を惨めにさせた。
 シャワーでも浴びよう……
 この身体の状態ではてきぱきと局に行く準備など出来ないだろう。だから早めに支度に入った方が良い。
 冬夜はそろそろとベッドから起き出し、床に足をつけると立ち上がった。すると頭の先の血が一気に身体半分まで落下したような気分に襲われた。
 立ちくらみ……だ
 妙な薬を飲まされたからだ。
 何を考えてるんだろう……青柳は。
 薬まで使って冬夜の身体を愉しむことにどれほどの満足感が得られるのか。
 それとも嫌だという男が薬で自分を見失い、懇願する様を眺めるのが趣味だろうか?
 ……
 見られて楽しかったんだろうか?
 楽しかったんだろうな……。
 目眩が落ち着くと冬夜は寝室から出るために歩き始めた。今、自分だけしかいないという安心感からか、素っ裸であっても気にならない。逆にそんな余裕が無い。相変わらず気分が悪く三半規管が壊れたように、平衡感覚が失われていた。
 歩くと関節のあちこちが痛く、ギシギシと鈍く軋む音が聞こえそうだ。そんな身体をなんとか引きずり、バスルームに冬夜は身体を押し入れると冷たいシャワーを浴びた。
 冷たくないと頭がハッキリしないから。だが寒いという感覚すら今は無い。上から勢い良く落ちてくる水滴を頼りに冬夜は身体に残された青柳の跡を必死に洗い流した。
 僕は……
 何をしてるんだろう……
 今更抵抗するのも変な話なんだよ……
 最初から納得していたのは自分だったはず。
 遊びだと……
 身体だけだと割りきっていた。
 だったらそう思っておけばいいんだ……
 だけど……
 立っているのが辛く、冬夜が座り込んだままシャワーを浴びていると、こみ上げる吐き気で体勢を崩し、壁にもたれかると更に咳き込んだ。
「うっ……ぐうっ……」
 口元を押さえている手の間から、どろっとした液体がこぼれ落ちる。
「僕は……まさか……」
 あの男のものを飲み込んだのか?
 今までしたことなど無かった。そんなおぞましいことはしなかった。だが薬が理性を完全に崩壊させていたのだ。
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